IRONMAN Malaysia 2023 詳しすぎるレポート【その①経緯・準備編】
またマレーシア
そもそも昨年Noteを書き始めたきっかけが2022年11月のアイアンマンマレーシアの「Too much detailed report」だった。
この時は確かに初の「純正アイアンマン」完走に感動したし、また「いつか」出たいとも思った。しかしそれがまさか11ヶ月後になるとは・・・
実は遥か以前、2019年頃にリアルチーム「オーバー50バラモン会」の面々と「みんなでアイアンマン出ようよ、どこがいいかな、そうだ来年の台湾にしよう」という話をしていたのだ。
台湾はチームのエース山Mさんがコナスロットを獲った縁起の良い大会だ。日本からも宮古島のちょっと先という感覚で行けるし、食べ物もおいしい(らしい)し、初アイアンマンには好適ではないか。いそいそとActive.comからエントリーを済ませた。
台湾中止
その後は皆さんご存知のとおり世界はコロナ禍に陥り、当然のことながら2020年の台湾アイアンマンも中止。Active.comからは「悪いけど、2021年に延期っちゅうことで出場権は持ち越しな」というメールが来た。
ところが2021年になってもコロナの猛威はおさまることを知らず、ついに台湾政府は海外からの渡航を基本的に禁止してしまい、たとえアイアンマンが開催されたとしても日本からの参加は極めて難しい状況に追い込まれてしまった。
そんなわけで2022年は山Mさんが「スエさん一緒に行こうよ」と誘ってくれたマレーシアに行くことになったのだった。その頃はまだ「台湾は2023年には再開するのかな?するとしたら4月か、だとしたら宮古島には行けないな」などと思っていた。
マレーシアはもちろん、もう既に諸外国ではすっかりコロナ禍は「過去」となっており、アイアンマンレースも各国で再開されていた。しかし台湾だけは情勢がちがったらしく、ついに2023年も中止されてしまった。
またこれ出場権2024年に持ち越し?と思っていたところ、久しぶりにActive.comからメールが届いた。曰く「しばらく台湾は開催でけへんさかい、オマエの出場権はフィリピンかマレーシアのどっちかに振り替えたるわ。ただし返金は無しな。はよ返事せえよ」えっ・・・
フィリピンは9月だった。その時、もう佐渡のエントリーは済んでツアーも予約してあった。一方すでに勝手知ったるマレーシアは10月。ウンもスンもなかった。こうして2年連続のアイアンマンマレーシア参戦が決まった。
ニース騒動
ちなみにその頃アイアンマン絡みでもう一通別のメールが来ていた。「今年のニース世界選手権やねんけど、人気ないさかいスロットが余ってしもてな、お前にもロールダウン来たさかい出たかったら48時間以内に返事せえよ」・・・!!
いくらなんでも佐渡とマレーシアの間にニースを挟むアホはおらんやろう・・・だからと言って佐渡やマレーシアを捨ててまでニースに行きたいかというと、、、うーんそれはちょっと・・・
アイアンマン世界選手権は「コナ」である、というのが地球上の全トライアスリートの了解事項であり、憧れであり、崇高なものだった。しかし、2022年のゴタゴタで開催地と揉めた挙句、とうとう「コナとニースで男女隔年開催」というヘンテコリンなことになってしまったのだ。
だから2023年は男子がニース、女子がコナ。翌2024年はその逆というわけだ。2022年のスロット獲得者(例えば前レポートで挙げたJETTのBucci)は、なんと2023年のニースか、2024年のコナかを選ぶことができた。何が起きるかお分かりのとおり、多く(ほとんど?)の男子選手が2024年に集中した。当たり前だ。
その結果、マレーシアの2024世界選手権スロットは「女子ニース50、男子コナ20」というたいへん極端なことになってしまっていた(結果的にこれが50だったとしても自分は擦りもしなかったのだが)。
ペランギと嫁さん
ということでツアーの申し込みを昨年同様「コーディアルツアーズ」の美保さんにお願いするのだが、嫁さんにも一応行くかどうか確認してみよう。でもなぁ、、、さすがに2年連続はちょっとなぁ、、、今年は岩Tさんも山Mさんも行かないみたいだし・・・「どうする?」
昨年のツアーでは、申し込みが遅かったために大会オフィシャルホテルの「ペランギビーチリゾート(三つ星)」が取れなかった。実は大会のゴール地点がまさにそのホテルの庭(プライベートビーチ)なのだ。立地だけでなく、ホテルのクオリティ、敷地の広さ、レストランの数、何もかもが段違いだった。嫁さんは昨年その事実を知って「なんでこっちを取ってくれなかったのか」とだいぶ言っていたものだ。
美保さんに確認したところ、なんと「今ならペランギが取れます」とのこと。「ペランギが取れるみたいやけど」「行く!!」二つ返事とは、このこと・・・!!というわけで、また今年も嫁さんの慰安旅行を兼ねて行けることになったのだった。
準備
さてようやく準備に取り掛かる。なんと言っても今年は「五島A→皆生→珠洲A→佐渡A」というデスコンボを気合いと根性で達成しており、特に佐渡のあまりのキツさから、9月上旬は燃えカスのようになってしまっていた。
幸いマレーシアまでは五週間弱あったので四週前からじわり練習を再開し、三週前には割ときっちりと追い込みができた(とその時は思っていた)。あとはうまく疲労を抜きながらテーパリングをして臨むだけ。一旦ボロボロになっていたモチベーションも、どうにか持ち直してきたものだ。
おかげで月間練習量は久しぶりにバイク1,300キロ+ラン200キロに乗せられた。まぁ距離を基準にしても始まらないが、距離を積まないと始まらないこともある。しかし、いつも通りスイムだけはどうにも捗らなかった。佐渡の後、渡航までに泳いだのはわずか3.5キロという体たらく。どうすんのコレ?
機材は佐渡および昨年のマレーシアと全く同じ構成「キヤノンデール6-13あり合わせ号」で行く。こいつの欠点はとにかく重いこと。特にハンドル周りとディスクホイールが相まって車重は多分10キロくらいある。マレーシアの坂のキツさを考えると皆生仕様で行くのが本当は正解だと思うのだが、アイアンマンってのは一種のお祭りだから、理性だけでなく感性(歓声?)も大事にしたい。
あとは佐渡で気になっていたBBの整備。このフレームは例の悪名高いBB30である。五島の時は気にならなかったが、佐渡のZ坂あたりで「パキン、パキン」とイオンが発生しだした。あー来たな、と思った。別にパフォーマンスには影響ないけど精神的によろしくない。そりゃーみんなBB30辞めるわな。
これとて「BB30は、アカン」というのは散々ネット上で見聞きしてきたからフレーム選びで避ければいいのだが「どういけないのか、どんなふうにダメになるのか」体感しないとわからないと思ったから、あえて買ったのだ(本当はBB30のせいで、安かったから・・・)。
そしてだいぶ長いこと張り替えないまま粘っていたチューブラーをようやく交換する決心をして、超久しぶりに新品チューブラーを買った。というか本当はもうチューブラーは嫌になっていて早くチューブレスに移行したかったのだが、またチューブラーを延命させるハメになるとは・・・
あとは細々したところでエンド保護金具もとい木具(1x4の切れ端に鬼目ナットをブチ込んだだけ)のネジをノブスター仕様にしたり、チェーンを灯油漬けにしたり、バイク全体を清掃したり。また、念のためミッシングリンクを新調しておいた。
そしてまたいつものバイクポータープロにほとんど全バラで詰め込む。このケースは2016年の初五島以来ずっと使っていて明らかにもう耐用年数を過ぎている。しかも今年の五島では無理矢理200センチに詰める、なんてことをしたから「底」の強度も落ちていて油断できない。
頑張って早め早めの準備を心がけ、一週前の週末にはほぼ梱包は終わり、あとはスーツケースを詰めるだけの状態にこぎつけた。今年特に気をつけることは例の一点のみ。そう「パスポートを絶対に忘れない」ことだ!(笑)
持ち物リストをダブル・トリプルチェックして出発前日夜には完璧に準備が整った。明けて10月4日(水)。苦労と集中のかいあって、今回は全くトラブルなくスムーズに成田第二ターミナルに到着することができたのだった。
【その②渡航・初日二日編】に続く(※内容は変動することがあります)
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