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【1992年】股関節をシウツした話①【手記】
もう30ウン年以上前、もっと言うと結婚する前の話。原因不明の病気(滑膜性骨軟骨腫症)で大腿骨の骨頭付近に鶏卵大の腫瘍ができて、その摘出手術を受けて1ヶ月ほど入院した。当時持っていたMacintosh Classicでツラツラとしたためた「入院日記」がSSDのフォルダダンジョンの奥底から発掘されたので、ここに晒してみよう。1/4
入院までの経過
数年前、他人に「何で脚引きずってんねん」といわれた。自分では気づかなかったが、ちょっと右足がおかしい。後ろにそらすと引っ掛かったような感じがする。しかしその時は痛くもなんとも無かったので気にしなかった。
1年くらい前からどうも変だな、と思い始めた。無理にそらすと股関節が痛い。それでも自転車はもちろん走ってもなんら問題無かったので医者に掛かろうとは思わなかった。
今年に入って、徐々に具合が悪くなってきた。ひどいときは誰が見てもわかるほど脚を引きずるようになってきた。あぐらをかいてから立ち上がるとかなり痛んだ。これはいかん、もしかすると医者にかからないといけないのではないかと思った。しかしまだ走るのに不自由しなかったので深刻には考えず、フルマラソンにもエントリーした。
舐め切ってロクに練習せずに出た1992年の佐倉朝日健康マラソン。細かい記録は残っていないが、ハーフ過ぎで大撃沈して4時間18分、駅まで脚を引きずって2時間掛かった記憶
フルマラソンの筋肉痛が取れた後、股関節はさらに悪くなっていた。ついに観念して整形外科に行き、股関節のレントゲンを見せられた。右大腿骨骨頭部に、左にはないものが写っていた。即座に入院・手術を覚悟した。
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その後数回の検査を経て、6月15日以降ということで入院の予約をした。ところが6月11日に突然電話が掛かってきて、明日入院しないと次ぎはいつになるかわからないという。仕事の引き継ぎなどでてんやわんやの騒ぎになった。
6月12日(金)入院当日
ついに入院の日の朝を迎えた。兄のハイエースに乗せていってもらうことになっている。兄は昨晩やってきてさんざんRTをして泊まっている。荷物を確認して部屋の電源を落し、寮母さんに別れを告げて名札を「外泊」のところにぶら下げた。いったいいつ帰ってこれるのであろうか。
当時は会社の独身寮に住んでいた。「RT」とはRealTimeの略で、当時のNifty-Serveで利用されていた、今でいうチャットのこと。
7時半に出発したので246も大して混雑せず、予定どおり9時半に病院に到着した。母親が来ているはずだったが、まだ現れていない。入院受付に行き、手続きをする。新館9階に行けというお告げが下る。母がまだ現れないので兄に居てもらい、病室へ向かった。
新館9階に出ると、ヤヤッこれはまるでビジネスホテルではないか!ナースステーションにて本日入院の旨を伝えると、現れた看護婦さんはいきなり猛烈に可愛いので、驚く。「末石さんこちらです、どうぞ〜」と、935室へ案内された。4人部屋で、窓側から先客が二人いた。
窓側から3番目のベッドにとりあえず荷物をおいて所在無げにしていると横の人が声を掛けてくれた。首を牽引している。鞭打ち症の様子だ。「どうなさったんですか」「股関節あたりに腫瘍ができまして」などとお決りの会話。窓側の人は野球をやっていて肩を脱臼して酷いことになっているらしい。
そうこうしているとややトウが立っているがまだきれいな看護婦さんがやってきて尋問が始まった。これまでの病状の経過等を委細漏らさず正直に告白する。外来では最悪の場合人工股関節に置換すると聞いたので、それも覚悟していると言うと、「そうですか、人工関節が最悪だと思ってらっしゃるんですね」と聞かれた。背筋を冷たいものが走る。人工関節よりまだ酷いことがあったのだ(後述)。
少なからず動揺したが、そこへ母と兄が現れたので動揺を中止する。病院内の生活と設備の説明を受ける。母が付いてきて自分が入院するわけでもないのにいちいちうなづいているのを見兼ねた兄が「子供やないんやから」と引き留める。気がきく兄である。
風呂があったのは意外だった。シャワーも風呂も予約表に名前を書いておけば毎日使えるという。さっそく風呂の予約をした。トイレはボックスがなく、車椅子で使えるようカーテン仕切りになっている。足が丸みえではないか。横を見るとシビンがずらり。ヤヤッもう自分の名前のシビンがあるぞ・・・?
「今日から24時間お小水を貯めて頂きます」とのお達しであった。ここで24時間を「丸1日」と捉えた私は翌日恥をかいた。手術が終るまでずっと、という意味だったのだ。シビンにした小便を専用のビニール袋にザザッとあけ、洗ってもとの場所に戻す。これが2週間も続くことになろうとは・・・
廊下を歩いていると頭を固定した異形の患者さんがいる。頭は坊主になっているが御婦人である。肩から大げさな枠が突出して左右から頭を固定している。首の手術をしたらしい。失礼ながら宇宙人のようだと形容せざるを得ない(宇宙人というのも例えがおかしいが)。
部屋に戻ると、空いていた廊下側のベッドに中年の男性がやってきた。膝に水が溜って苦しんでいるという。部屋の4人はそれぞれ窓から肩、首、腰、膝である。偶然とは言えバランスが良い。世間話をしていると昼食が運ばれてきた。ご飯が少ない。が、美味であった。
午後2時は検温の時間である。やってきた看護婦さんは少女漫画の悲劇のヒロインのようなかわいい女の子であり、驚く。これでは脈を取ってもらうときに心拍数が上がってしまうではないか。
毎食献立表が付いてくるので日記代りに保管することにした。何と言っても3食定時にバランス良い食事。こんなに健康的な生活はついぞしたことがない。ちなみに12日の夕食のメニューは以下の通り。
米飯 モヤシみそ汁 しゅうまい 千切りキャベツ ねり辛し つけ醤油 金平ごぼう
ビデオウォークマンコンポをセッティングし、テレビをみて暇をつぶす。液晶モニターはこれまで余り使うシーンが無かったが、ようやく大活躍の機会を得た。夕方また別の看護婦さんが御機嫌うかがいにやってきた。今度は悲劇のヒロインのライバルのお嬢様のような美人であり、三たび驚く。ただきれいなだけなら普通だが、心から患者を思いやるやさしい微笑みを浮かべている。マクドナルドの店員の営業スマイルとは大違いだ。
当時はYouTube見放題の黒い板みたいなものはなかったが、液晶画面付きポータブル8ミリビデオデッキという便利な代物があったのだ。
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消灯は9時である。が、えげつない生活を続けていた私が寝られる訳もなく、1時頃までダラダラとテレビを見て過ごす。その後もなかなか寝つけなかった。
6月13日(土)
起床は6時である。目覚めると天井の点滴吊るし用レールが目に入る。ああ、自分は病院にいるのだなぁ、としみじみ思う。しかしロクに寝ていないので眠くて仕方がない。朝の検温の時間である。またしても別のかわいい、というより愉快な看護婦さんが来た。が、眠いので顔が引き吊っていたらしい。後に看護記録を見ると「気分不快」と記されていた。
午前中は全くもって暇である。何もすることがない。
午後、同僚が見舞いに来てくれた。暇だから読み応えのある本を持ってきてくれ、と言っておいたら何と少女漫画20冊ではないか。文句を言える立場ではないので素直に読むことにする。読んでみると先入観がだいぶ覆されたが、やはりどうも気持ちが悪い。何故か両性具有や同性愛の話ばかりなのである。
6月14日(日)
天気が良いので誰もこないだろうとあきらめ、一日中漫画を読んで過ごす。ご飯が少ないので腹が減って仕方がない、と訴えたところ、「じゃあ大盛りにしましょう」・・・助かった。もっと早くいえばよかった。
夕方、高田ラーメン大将がクリートをカッチャカッチャ・・・絨毯敷きなので言わせずにやってきた。病院の中でこの格好ではさすがに浮いているが、お約束のような登場に感激する。お見舞は2輪車ツーリングマップである。これはいい。退院したらツーリングにスキーに、と誘ってくれる高田さんであった。
当時お見舞いに来てくれたのは、会社の同僚や先輩を除くと、ほとんどがNifty-Serveの「FCYCLE」の仲間たちだった。この「高田」さんには特にお世話になり、何度もスキーに行ったりカンパのコンポを譲ってもらったりした恩人である。
しびんに用を足すのにはすっかり慣れてしまった。余計な方向へ飛散する心配がないのはしびんのメリットである。1日にだいたい1リットルほど排泄されることが分かった。
6月15日(月)
漫画を読んだり地図を見たりして過ごす。昼食から大盛りになった。しかしどう見ても普通盛りである。やはり夕方になると腹が減ってしまう。
手術の予定が決った。18日という。あと3日か・・・どうなることやら。まぁこれからは身に降り掛かる事は全て受け入れなければならないのだから、と覚悟をきめるしかない。
兄が頼んでおいた細かいものを持って来てくれた。コロッケ3個はさすがに腹持ちが良すぎた。
6月16日(火)
窓側の「肩」の人が手術の日である。「こうなりゃまな板の上の鯉ですよ」という。さもありなん。肩の場合は全身麻酔になるらしい。手術着に着替えて、ストレッチャーに乗せられて運ばれて行く。「行って来まーす」と明るく手を振っているが、胸中穏やかではないだろう。
まだまだ漫画を読み続ける。6冊と12冊の2つの長編が手ごわい。恥ずかしいのでカバーを取って読んでいたが、目ざとく見つけた看護婦さんにチェックされてしまった。「あっこの人の漫画!好きなんだー、読みたいな〜」ううむ。
夕方、無事手術を終えて「肩」の人が運ばれて帰ってきた。薄目を開けているが、麻酔でぼーっとしているようだ。看護婦さんが4、5人がかりであれやこれやとずいぶんな騒ぎである。
夜半になって、麻酔が切れたらしく、窓側からうめき声が響いてくる。気になって眠れない。何度も看護婦さんを呼んでいるらしく、足音が往復する。
手術の日は下剤+浣腸+絶食で便は出ないが、小便は出る。しかし麻酔によって膀胱括約筋が弛緩しているので尿道にカテーテルを突っ込まれてしまうのだ。入れられるときは麻酔が効いているのでいいが、抜くときが・・・果して明け方、窓側から聞こえるやりとり。「じゃあ、そろそろ管を抜いてしまいましょうか」「ちょっと我慢して下さいね」・・・「アアッ!!」「痛かったですか?すいません」「ウーーーーッ」・・・こ、怖い!なんということだ。冷汗びっしょりになってしまった。
6月17日(水)「剃毛記異説」
ついに手術の前日となってしまった。股関節の手術なので腹から下の右半身の毛を全部剃られるのである。入院前は、これを看護婦にやられてどうのという話をいろいろ聞かされていたが、この病院では男性および頭の場合は院内の理髪師が行う、となっていたので一安心ではあった。
まだまだ続く漫画を読んでいると、剃毛用品一式を持った理髪師がやってきた。カーテンを閉めてササッとティッシュを取って用意が始まる。プロの手際である。「うつ伏せになってください」観念してうつ伏せになる。太股の裏から攻め始めた。私は残念なことに「こそばがり」である。引き吊りそうになるのをなんとかこらえる。
レーパンを履き出してから5年、毎年脛毛を剃っていたから脚を剃られるのはさして抵抗はない。しかしケツまで剃ったのは初めてだ。後ろ側はなんとか乗り切ったが、理髪師は攻撃の手を緩めない。「仰向けになってください」さらに観念して仰向けになる。なんと足指の先にちょろちょろっと生えてる毛まで剃られてしまった。
「下着をさげてください」いやだと言うわけにもいかない。これからが拷問であった。突っつかれるだけでも笑ってしまう腹を、例の泡を塗りたくる(何ていうの?)ヤツでシュワシュワとやられては・・・悶絶した。しかし理髪師は眉ひとつ動かさず黙々と仕事を遂行する。プロである。腹をゾリッとやられる度に耐えられず痙攣してしまう。いかん、下手に動くと腹を切られてしまう!脂汗を流して我慢するが、どうしてもビクッ、ビクッと動いてしまう。もう局部丸だしの恥ずかしさなど問題ではなくなっていた。
何でこんな目に会わなければならないのか・・・こんなことなら看護婦にやってもらった方がよかった・・・と虚ろに考えているうちにようやく「はい、終りです、お疲れ様でした」・・・終った・・・ぐったりしてふとベッドを見ると数カ所に血がにじんでいる。やられた。ウッウッウッ
気を取り直して休んでいると看護婦さんがあたふたとやってきた。「あっ末石さん、手術が延期になりました!」「え」・・・横にいた「膝」のおじさんが「あーあ、可愛そうに。もう剃っちゃったのにねぇ」「アラ!剃っちゃったんですか!マァ〜」まぁ〜やおまへんがな。なんということだ。
聞くと、手術担当の医師がてっきり外来で済ませていると思っていたCTとMRIの撮影がまだだった為と言う。延期。「どれくらい延期ですか」「無期です」キッパリ。タハハハハ、トホホホホ。しゃあないな、ゆっくりするか!
ま、延期になっても剃るものは剃るのだから・・・げ。もう一度やられるということか?勘弁してくれ!というわけで、脛毛は剃り慣れていることを丁寧に説明して次ぎは自分でやるということで了承を得た。助かった・・・
郷子さんから手紙が届いた。筆マメな人である。何何多摩川オフが盛況で、すえたいさんの噂が云々。コラコラ!誰や根も葉もないデマを流してんのは!
昼飯を食っていると錆師匠とアクちゃんがやってきた。師匠がFMR-CARDを出してくれたのでメッセージを書き込む。いつもながらエネルギッシュなお方である。会うと元気になれる。親指シフトキーボードでバリバリ打ち込んでいると、となりの「膝」のおじさんが異星人をみるような目で見ている。
この「錆師匠」とは、今も乗っているコルナゴC50を中古で安く譲ってくれた方である。やはり当時特にお世話になった恩人である。
延期になったとは言え、明日のつもりで手術説明を受けるつもりでいたので、親族代表として兄を呼んである。とりあえず説明を聞くことにした。入院前に取ったレントゲンを前に手術方針を聞く。兄もレントゲンをみてさすがに深刻な表情になった。手術方針としては、MRIなどを見てみないとはっきりしたことは言えないが、基本的に一度腫瘍の組織を検査目的で一部だけ摘出し、その組織の善悪によって後の処置が違ってくるとのこと。
最良の場合・・・・・・組織を摘除するのみ
ちょっと悪い場合・・・摘除した後、骨移植
かなり悪い場合・・・・人工骨頭置換術。大腿骨骨頭部のみ
もっと悪い場合・・・・人工股関節置換術。骨盤側も
最悪の場合・・・・・・右脚切断
もちろん最悪の場合というのは「可能性として踏まえておいて欲しい」という程度で、まず有り得ないというのは医者の表情を見ていても分かったが、想像すると身の毛がよだつ。こんな健康な脚を切られてたまるか、という思いにかられた。しかし世の中には実際に似たような疾患で脚を切断した人もいるわけだ。その人達がどんな思いで手術に臨んだことか・・・
兄は8ミリ映画ソフトを多数持ってきてくれた。これでまたさんざん暇を潰すことができる。気が利く兄である。
大学時代の友人も来てくれた。
6月18日(木)
映画を見たり漫画を読んだりしてひたすら暇を潰す。今回の延期は完全に病院の手違いだったため、看護婦さんが皆同情してくれる。こちらは食っちゃ寝食っちゃ寝の気ままな生活が増えただけなので、延期そのものにはあまりこたえていない。
しかし余りにも暇が増えまくってしまったのにたまりかね、外出許可をもらうことにした。当然のことながら快諾される。外出は翌日午前中。
「膝」のおじさんが手術を済ませた。割りと簡単な手術で済んだようで、元気そうだった。「首」の人は手術をせずに、牽引とリハビリで済むことになったという。
つづく