2014珠洲DNS事件と気持ちの切り替え方
先の「引退」記事が過去イチのバズり方(著名Noterさんからしたら「フフッ」というレベルだろうけど)をしてびっくりした。
他のところも含めてたくさん反響をいただいた(ありがとうございます)。なかでも「なんでそんなにポジティブに切り替えられるんですか」と言う話があったので、今回はその辺を書いてみる。まぁブッチャケ今も「完全にスッキリ」などしてなくて、心の奥底でモヤッとしたものは少し残っているのだが。
私とて人の子、昔からこんな考え方ができたわけではもちろんない。物心ついて半世紀以上、それはそれはひどい、思い出すのも憚られる失敗と悔恨の連続だった。
最大の転機になったのは、プロフにチラッと書いてる鬱落ちと、そこから這い出した時のことだが、それは話がややこし過ぎるのでまた別の機会に。
それはトライアスロンを再開して数年後の2014年のこと。その頃は身の丈に応じて、毎年ミドルの珠洲だけに照準を合わせて参戦を続けていた。
2012年、2013年と着実に体力が向上していく手応えを感じていた私は、その年さらなる記録向上を目指して(今から思うと全然大したことなかったが)頑張って練習を積み上げていた。
その頃は珠洲の宿泊はホテルが取れず、かと言って会場から遠い民宿も不便だし犬もいたので、鉢が崎のキャンプ場にテント張って泊まっていた。家族も一緒だった。
復帰した当初は緊張してガチガチになっていたが、さすがに4年目(珠洲は3年目)ともなると「ハイハイいつもどおりね」と、やや緊張感が薄れていたことは否めない。
前日、順調に受付を済ませて「さあ、ほな試泳でも行っとくか」。以前からスイムは苦手だったが、その頃はまだ比較的真面目に練習をしていた(笑)。いろんな記事を見ては、なんとか「小手先のテクニック」でタイムを少しでも短縮しようとしていたものだ。
「やっぱり海スイムはキツいな〜」などと思いながら少しだけ泳ぎ、さてもう上がるか、というところで「そうそう、波打ち際の走り方が大事なんだよな」と思い出した。普通に走っても水に足を取られてうまく進めないから、足首をポンポン持ち上げるようにして走るのだ。よしこれを練習しておこう。
数歩走ったところに、波で見えなかった砂浜の底に大きな穴があった。
ズコーッ(グキッ)
左足をその穴に突っ込んでしたたかに転倒してしまった。足首に激痛が走る。「やってもうた・・・」むかしからよく足首を「グネる」ことは多かったが、今回はちょっとシャレにならない痛みだった。「ヤバい・・・これはヤバい・・・」足を引きずりながらとにかくテントに帰る。
落ち着いて足首を見て血の気が引いた。「パンパンに腫れとるやんけ!!」とにかく冷やして、テーピングで固定して、様子を見るしかなかった。
今までの捻挫だったら、しばらくしたら次第に痛みが引いてきて、普通に歩けるようになったものだが、この時は違った。晩飯食っても、そろそろ寝よかという時間になっても、腫れは引かず痛みはズキズキといや増すばかり。どう考えても翌日トライアスロンなどできる状態でないのは火を見るよりも明らかだった。
嫁さん「アカンであんたこれは無理や。リタイヤやな(嫁はDNSという単語は知らない)」
嘘やろ・・・ここまで来て、DNS・・・?!嘘やろ・・・しかし、その指摘を覆せる材料はなにもなかった。
ものすごい虚脱感、喪失感、後悔の念に襲われた。当たり前だ。明日のためにこの一年どれだけ頑張ってきたことか。なんのためにあんな辛い思いをして練習してきたのか。家族まで連れてこんな遠くまできて、キャンプまでして・・・俺は一体なにをしに来たのか???
いろんな思いが頭の中をグルグルしてしまって混乱の極みだった。どうしよう。どうすればいいんだ?アアーッ・・・気が狂いそうだった。
しかしその時「お父さんかわいそう・・・」と言うしかなく、しょんぼりしている娘たちの様子に気づいた。ハッと我に返った。あっ今、俺のネガティブな態度がこの場の空気をどんよりと汚している・・・これは・・・よろしくない・・・
寝ながらツラツラと考えた。もっと落ち着いて砂浜で行動していれば・・・しかしそれはどれだけ考えてももはや時間は巻き戻せない。これは鬱に落ちていた時も何百回何千回と考えたことだ。失ったものは戻ってこないのだ。あるのは「今」だけ。
今、この左足首は捻挫して腫れている。明日レースはできない。そして自分は家族と一緒に会場に居る。ここでどんなに後悔しても、泣き叫んでもこの足は元に戻らない。ならせめて今、最善の行動をすべきではないか?それは、、、明日、全力で他の選手を応援することだろう。
「よし、潔く諦めよう!明日は他の人の応援や。観戦して帰ろう!」そう考えると、ようやくちょっと気が晴れた気がした。
翌朝は、それでもやはり(当然だが)なんとも言えない喪失感で胸にぽっかりと穴が空いた気分のままスタート会場に赴き、次々と海へ飛び込んでいく選手たちを見送っていた。
ビーチホテル前のあたりからバイクの二周回目に向かう選手にしばらく声をかけ続けた。大抵の選手は進む事に集中しているからガーッと行ってしまうが、ときおり「ありがとうー!!」と返してくれる人もいて「あっ応援して良かったな」と思えた。
そうしているうちに次第に「これも悪くないな」と思えるようになってきたものだ。自分が走っているのとは違う景色だった。
その後は(ゴールまで見るとかえって辛くなりそうだったので)早めに帰途につくことにした。帰り道も当然足首は激痛のままだったのでだいぶ苦労した筈だが、よく覚えていない。
その後、なるはやで整形外科に行ったのは言うまでもない。普通のレントゲンに加えて3Dで撮れるヘリカルCTもやって先生に診てもらったが「どうやらここにヒビらしきものがある、明確に折れているわけではないが・・・」という感じだった。
いずれにせよ湿布貼って固めのサポーターを巻いてもらって「あとはお大事に」で終了だった。まぁそんなもんかな。もちろんそれから1ヶ月くらいは痛み〜違和感が続いて練習どころではなかった。
この時の教訓は非常に重く(そりゃそうだ)、それ以降レースの際には前日からスタートラインに立つまで絶対に気を抜かない、軽率な行動をしないよう注意するようになった(それでも、その後マラソンなどで何回か失敗している)。
また、レースの前日には必ずゴール地点を訪れ「明日、必ずここへ戻ってくるのだ」と強く念じることもルーティーンに組み込むようになった。幸い、トライアスロンではそれ以降大きな失敗はしておらず、この度の引退に至るまで試合中のトラブルも(撃沈以外は)なかった。
今となっては「あんときのおかげ」とも思える。
そんなこんなで(他の数々の大失敗の経験も踏まえ)「どんな酷い事が起きても、それは済んだこと。過去には戻れないのだから、今できる最もマシな行動をすべき」という人生の指針を学ぶことができたのだった。
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