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【能登】またまた災害復旧【輪島編】

能登半島地震からもう一年近くになろうとしているが、現地はまだまだ支援が必要な状況。私はこれまでに2回ボランティアに出かけたが、正直全然人が足りてない。

時間の許す限り支援に行きたいのだけれど、これらの活動は(当たり前だが)全部手弁当で、首都圏から行くにはアシ代だけでもなかなかの負担なのが痛いところだった。

そこへ不意に会社の全社掲示板に「能登災害復旧ボランティアを募集」の通知が載ったのを見つけた。

行き先は輪島市だったが(日当は出ないものの)なんと出張扱いで交通費と宿泊費を会社持ちで行ってヨシ!👉と言う。これは行くしかないだろう。

日程は11月の下旬から3回、各回12名の枠が設定されていたので、ちょうど直近のプロジェクトが終了した後の12月9日に(上司の承認も得て)応募したところ順当に当選。今回の遠征となった。

腰痛

11月はずっと体調不良が続いてロクに練習できない日々だった。やっと治ったと思って練習再開したらまたダメになる、を繰り返してようやく完調に戻った、よしこれから勝田に向けて巻き返すぞ、と思った先週の日曜日。JETTエンデュランスが終わってさあブリックランに行くぞと思って玄関のドアの鍵に手をかけた瞬間、バキッと背筋に激痛。

「やってもうた…」しかしその時はそんなに酷くなくて、安静にしてたら「ランくらいはできそうかな」と言う感じになったので一か八か行くかと。

で、その日は背中ではなくて脚がダメになってハーフで撃沈して帰宅するハメになった。

まあ、こんな感じなんで「あとは安静にしてたら数日もあれば治るやろ」と思って練習放り出してその週は全休。

ところが金曜になっても土曜になっても症状は「ちょっとマシになった」くらいで一進一退。とりあえず片足立ちで靴下が履けるようになったのでどうにかなると判断。インドメタシン湿布を貼ってカイロであっためながら東京駅に向かった。

KAGAYAKI

あとはもうやれることをやれるだけやるのみ。新幹線は順調に走って小雨のパラつく金沢に時間通り到着。

今回は会社の規定内で一泊素泊まりのホテルプランで選んだらずいぶん高級な(当社基準による)ホテルが当たり、しかも日曜だったせいか「空きがございましたので広めのお部屋をご用意いたしました」ラッキー!!

ドラッグストアで食料を買い込んでたら霰が降ってきた。わかってはいたけどなかなかの寒さ。

当日

翌朝は6時半にバスターミナルに集合。しっかり余裕を見て4時半起床。モソモソとパン食ってコーヒー飲んで支度して出発。

いつもの集合場所に行くと、珠洲行きのバスが止まっててボランティア案内の人がいるけど会社の担当者らしき人がいない。えっ嘘?!まさか俺やらかした?とちょっと不安になった。

「最悪、のんびり金沢観光して泣きながら帰宅かなー」などとロクでもない妄想をしてたらようやく会社のロゴつけたビブを羽織った人が現れた。良かった😮‍💨

金沢は小雨、輪島は曇り予報

程なく輪島行きのバスもやってきて、乗り込む。いつものようにQRコードでボランティア登録をして、あとはまた里山街道を一路輪島へ。

輪島には一回だけいったことがある。他でもない、初めて珠洲トライアスロンに出た1991年、当時の仲間と一緒に(珠洲の宿が取れなかったので)輪島の民宿に泊まったのだった。

晩飯に海の幸がこれでもかと山盛りに出てびっくりしたのを覚えている。

当時はトランポのサンバー(2気筒のKR2)に乗って横浜から延々と走っていった。まだ能登里山街道がなかったから、金沢からも異様に遠かったのが印象に残っている。

荒れる冬の日本海

今回は道路工事の関係で序盤結構渋滞があった。2時間半の予定が2時間50分くらいにずれ込んで、9時40分くらいにようやく輪島のボラセンに到着。

輪島

ボラセンは輪島港のすぐ近くのマリンタウンの駐車場にあった。本部や資材庫などのプレハブがいくつかあって、軽トラが大量にデポってある。

まずは現地の担当者からオリエン。若いのにとてもしっかりした、感じの良い青年だった。曰く、ご依頼に基づいてマッチングを行い、現地に行ってもらうけど、聞いてたのと違うみたいなことはままある、臨機応変に対応していただきたいと。

また、注意事項の半ペラには「写真撮るな」とあるけど、やはりまだまだ支援が必要な状況が伝わってないところがあるので、常識の範囲内でプライバシーに配慮して撮影・SNS公開などしていただいて構わない、とのことだった。

我々会社組はまとまってあるお宅の廃品撤去などを手伝いに行くことになった。12人なのでハイエースと軽バン、軽トラ2台に分乗し、各種「必要そうな」資材や道具類を積んで出かける。

サンバーが一台もない!やり直し!🥺
大量の用品類が完備

現地

クルマで10分ほどのところ、ご依頼者さまの家は本宅が全壊(したまま)、別宅(離れ?)も先日の水害で一階がほとんど浸水して使い物にならなくなっていた。なんとも気の毒なことだ。

今回は作り自体はしっかりしているその別宅の方の片付け。まずは泥まみれの台所シンクを運び出す。これはもうバール(のようなものではなく、バール)でグイグイこじってすぐ外れた。人数もいるのでたちまち終了。

女性陣はこれまた泥まみれのお風呂と洗面所の掃除、男性陣は(既に床板は撤去済みの)一階の壁を取り壊して石膏ボード、断熱材の撤去という大仕事になった。

床板がなくて大引きと根太だけになってるから油断できない状況で、バールを振りかざして壁の石膏ボードを壊しまくる。ボードが9ミリで助かった。12ミリだったらもっとしんどかっただろう。

また、ボードの打ち付けがネジではなく小釘で、しかも割と少なめの打ち方をしてあったのも救いだった。きっかけを作ったらあとはバリバリと力技で剥がせる。しかし8人がかりでもなかなかの作業量だ。

しかも床下に大量に割れ落ちた破片も全部綺麗に掃除しないといけない。泥だらけのところに土足で上がり込んでるとはいえ、ここは人様の大切なお家なのだからと自分に言い聞かせながら働き続けた。

懸案の腰は、慎重に負担にならないよう姿勢に気をつけていたのが幸いして、特に問題になることはなかった。「イテテテテすみません動けません」とか言うてたらオッサン何しに来とんねんちゅう話やからね。

ゴミは土嚢袋に入れてどんどん運び出す。何杯やったかわからんくらいになって最終的にはこんなになった。

奥行きもあってこの見た目の3倍はある

休憩

ひとまず午前中は一旦終わりにして昼休憩は近くでトイレが借りられる「輪島漆芸美術館」へ。

おにぎりなど貪り食ってしばし休憩。ちなみに寒空で立ったままである。「そういうのムリ」な人にはオススメできないが「たまにはこれくらいヘーキヘーキ」な人になっといた方が良いと思うよ(大きなお世話)。

せっかくなので美術館を見学させてもらった。ここの目玉は「輪島塗りの地球儀」!!

デカい!そして荘厳すぎる

これはすごい…知らんかった…なんでもこれ作るのにウン千万掛かっとる言うハナシやで!!いやーそらそやろな…😨

眼福眼福、ということで仕事に戻る。と、いきなりザアザアと雨が降ってきた。今日が屋内のお仕事だったのはラッキーだった。

午後

午後は一階の片付けの続きに、別働隊が二階の天井剥がしへ。上からドカンドカンとすごい音が響いてくる。

あとは石膏ボードを打ち付けてあった釘を抜きまくる。打ち方まばらとは言え、壁三面を一気に剥がしたからその釘の量たるや推して知るべし。心を無にして「釘抜きマシン」になったつもりで抜くべし、抜くべし!

一方の女性陣は風呂場と洗面所をこれでもかとピカピカにしていた。やるなあ…ご依頼者さまも「こんなに綺麗に…」といたく感激されている。ヨシ!👉

そうこうしてるうちにたちまち時間は過ぎて15時前になった。もうボラセンに戻らねばならない。用具を片付けて忘れ物無いかチェックして「本日はどうもありがとうございました〜」では帰りますか。

終了

道すがらの光景も珠洲と似たような感じで、あちこちに倒壊した建物がそのままになってるところがまだまだあるし、今回の場所もそうだったけど、依然として断水したままのところも多い。

ボラセンで軽トラ他用品類を返却してたら結構な雨が降ってきた。外で写真撮ろうと言ってたが全然止まないので後ほど金沢に戻ってから。

高性能マスク、一日で真っ黒け

帰りのバスは渋滞することもなく順調に金沢に到着。全員で(報告用の)集合写真を撮って解散。お疲れっシターッ

帰途

ヤレヤレ、帰りの新幹線まではまだ1時間以上あるので、例によって貧乏性の味方「さいぜり屋」で晩飯。美味し安し。

後は適当にお土産を買って帰るのみ。いつもながら金沢駅の百番街はゴージャスだなあ😳

今回は帰りも輝きます✨

いやーかがやきは速いな🥰もう東京か。では電車バスを乗り継いで、と…

お父ちゃんおかえり(ベロリンチョ)

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