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【1992年】股関節をシウツした話②【手記】
もう30ウン年以上前、もっと言うと結婚する前の話。原因不明の病気(滑膜性骨軟骨腫症)で大腿骨の骨頭付近に鶏卵大の腫瘍ができて、その摘出手術を受けて1ヶ月ほど入院した。当時持っていたMacintosh Classicでツラツラとしたためた「入院日記」がSSDのフォルダダンジョンの奥底から発掘されたので、ここに晒してみよう。2/4
6月19日(金)外出許可とMRI
日比谷公園で和むことにした。ハトやカラスがうろうろしている公園でボケーッとしていた。帰りに日比谷シティ前を通りがかると、メルセデスのウニモグが止まっていて、驚く。見るとパリ〜北京ラリーのプレ車検イベントの準備をしている。ワークスパジェロや本格ラリー仕様のビッグホーンなど、猛烈な車が並んでいる。時間切れでイベントは見られなかった。
帰ってくると、呼びだしを受けた。MRIの予約が取れたらしい。地下のMRIの部屋へ行く。実は前からこのMRIを撮って見たかったのだ。新聞の科学欄に技術紹介されたのを見て驚愕して以来である。装置は随分と大げさなものだった。何やら延々とスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンという音が響いている。超伝導磁石を使っているからコンプレッサーか何かであろうと推理する。
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金属性のものをすべて外して台に横たわった。仰向けで脚を真っ直ぐにすると、腫瘍が神経を圧迫して痛みが走る。係員に頼んで膝の下に枕を入れてもらうが、余り斜めにしてもいけないので我慢しなければならない。手を腰の横にして縛り付けられてしまった。
「ちょっとうるさいですが我慢してくださいね」あーそうか、程度に思っていた。撮影は小一時間かかるという。まだ始まってないのにもう患部が痛み出した。やばいな、と思ったがもう遅い。装置の中に送り込まれてしまった。人一人入るのが精いっぱいの空間に、手足を縛られて・・・「でははじめます。まず5分間です」
ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。ズダダダダダダダダ。・・・
それはもう、うるさいの何の。工事現場もかくやと思わせるうるささ。そして脚はどんどん痛くなり、身動きはできず、圧迫された空間・・・気が狂いそうになる。この間も後ろの方では延々とスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポンスコポン・・・
5分間で充分グロッキーになった。しかしまだまだ続く。こんどは撮影法が違うの
か?音が違う。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。ビビー。・・・
さんざん色々な音を聞かされ、憔悴しきっていると「半分済みましたが、大丈夫ですか?」「ダメです。休ませて下さい」・・・出してもらって膝を立てて息をつく。「像影剤を打ってもう一度やります。もうしばらくなので頑張ってください」イヤとは言えない。
さらに20分ほど苦しんで、ようやく撮影終了。脚はヨタヨタになってしまった。
改めて、昨年の引退騒動の渦中で受けたMRIの記憶と比べてみると、やはり30年分の進化は間違いなくあったのだな、と思った。当時は本当にキツかったことを思い出した。
制御室へ行くと、もう自分の断面が次々と表示されている。太腿のあたりを切って下からみた図のようだ。骨頭のあたりが出てきた。ヤヤッこれが腫瘍か?「これですか?」「そうですね」でかいぞ、これは・・・マジで鶏の卵くらいはあるな。信じられん・・・
病棟へ戻ると会社の先輩がロビーで待っていた。外出して本屋で買ってきたのと同じ本を差し出されてしまった。もちろんお礼を言って受け取るが内心悔しい。
手術はだいたい1週間遅れになりそうな雲行きである。
6月20日(土)
大学の同僚に病状を説明したときに随分苦労したので、暇潰しに、と病状説明図を書いた。看護婦さんは仕事をしていると思ったらしい。午後は会社の後輩が来た。その後またうだうだしているとごんべさんが現れた。お見舞はNew Cyclingであった。さっそく病状説明図の効果を試すと、いたく感服してもらえた。
夕方、しゃみちゃんが現れる。何か重そうな物を持ってると思ったら「御中元ついでです」ヒエーッ、フルーツ缶の詰合せ!なんとまぁ・・・他にも出るわ出るわのお見舞攻撃。ううーっ恐縮してしまう・・・しかし何といってもヒットはカルシウムタブレットであった。
そこへさらに田中さんが現れた。お見舞はなんとプロティンタブレット!強烈・・・食っちゃ寝生活でこんなもん食ってたら太ってしまう・・・
6月21日(日)
何も起こらず単に暇な日曜であった。まだまだ漫画を読んで、飽きたら映画を見るという怠惰な一日。
すっかり良くなった「膝」のおじさんがもう退院していった。
6月22日(月)
空いたベッドにもう次ぎの人が入ってきた。首の後ろに脂肪の塊ができてしまったというおじさんである。妙に腰が低く、いつまでも愛想笑いをしている。不気味だ。さっさと浴衣に着替えて落ち着いているので何をしているのかと思ったらスポーツ新聞のスケベ記事を読んでいる。緊張感のないオヤジだ。
今度はCTを撮る。MRIで懲りているので、時間を確認すると、数分で済むという。MRIに比べると簡単な機械に見えてしまう。奥行きが短い。基本的にはX線撮影なので息を止めなくてはならない。10回ほど撮った。
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漫画は読み切ってしまい、映画も見飽きた。運動不足が心配になってきたので廊下をうろうろしたりスイムストロークの練習をしたりしていると、眠くなってしまった。
この時はまだ、この後トライアスロンからすっかり離れてしまうことになるとはサラサラ思っていない。
夕方ふっと目をさますと「なんかお見舞の方がこられましたよ」あちゃー。起こしてくれればいいのに・・・「また来るそうですよ」書置をみるとshirubeさんであった。ヤヤッこれは12番と13番のログのプリントアウトではないか!ウッウッウッうれしや〜・・・
果してshirubeさんは再び現れた。あっDynaBook!待ってましたとばかりに書き込みする。と、ほどなく高田夫妻が現れた。あっ二人ともフォーマルな服装!特に奥さんがマダムマダムしているのは初めて見た。
ロビーへ移動して書き込みの続きをしていると、周りの患者さん達が異様な物を見る目つきである。と、そこへ会社の上司集団が現れてしまった。ああっ高田さんが帰ってしまう・・・あーあ奥さんとろくに話ができなかった。
なんとか書き込みを終えて、shirubeさんも帰ってしまった。後はまた仕事と病気の話になってしまい、幻滅する。
6月23日(火)
心電図を取ったり、血液検査をしたりとぽつりぽつり検査があるだけで基本的に暇である。うろうろしたり映画を見たり自転車雑誌を読んだりという一日。
MRIをみた担当医が、一気に取れそうだという。ただ、その場で見てみないと骨移植が必要かどうかはわからないらしい。手術は正式に25日(木)と決った。今度こそ逃れられない。
窓側の「肩」の人が元気に退院していった。私の場合股関節なので手術後の療養期間が長引くため、窓側に移してもらえることになった。引越しをする。自分のいた所に、他の部屋から肩のリハビリ中の巨漢オッサンが移ってきた。
6月24日(水)
「首」の人もリハビリが終って退院してしまった。
毎週水曜日は外科部長回診である。ここの外科部長は有名な人らしく、テレビ番組の腰痛特集に出ていたのを見た。午後3時頃になると下っ端の外科医をぞろぞろと連れて各患者を見回りに来る。脚気診断用のハンマーを持っている。これ1本で何でも診てやる、と言わんばかりだ。
「え〜、君は、あー、あのナンタラカンタラのチンプンカンプンだったね」とドイツ語とおぼしき専門用語で担当医に確認している。驚いたことに整形外科の患者全てのカルテをチェックしているらしい。私の断面図も見たらしい。「かなり大きかったね。でも多分悪いもんじゃないから全部とれるんじゃないかな。まぁ断言はできないけどね」
「君、なんかスポーツやってんだって?」「はぁ」「何やってんの」「えぇ、トライアスロンを・・・」「えっトライアスロン!」外科医集団がどよめく。「駄目だよそんな激しいことしたら・・・骨折れちゃうよ」「水泳とかサイクリングならともかく、走るのは止めた方がいいね。」「そうですか・・・」にこやかに話しているが、経験に裏打ちされた威圧感がたっぷりである。
自転車をやめろと言われると唯事では済まないが、元々不得手なランをやめても大してショックはない。第一トライアスロンのランパートを歩いてはいけないというルールはない。
前述のとおり(医者にこう言われたにも関わらず)この時はまだ辞める気はサラサラなかったのである。
手術の前日なのでもう一度兄に来てもらい、説明を受ける。MRIの画像を見せてもらった。B3大のフィルムに12枚マルチで、それが4〜5枚あった。下腹部中心で縦割りになっている。この縦でも横でも特定臓器だけでも自由自在というのがMRIの強烈な所だと思う。右と左を見比べると一目瞭然、デカデカと腫瘍が写っている。骨との境目は大変くっきりしている。見通しが明るい材料の一つだと言う。悪性の場合は骨がもろもろになって境界があいまいになるらしい。
この画像を見る限り、ポロリと取れそうなので一気にやってしまいましょう、ということになった。その後移植をするかどうかは、やはりその場で判断するという。私、兄共に手術に承諾し、承諾書に押印する。手術というのは患者を傷つけるのだから、本来は傷害行為だが、この承諾書によって違法性がなくなるのかも知れない。
麻酔科の医師がやってきてあれこれインタビューを開始した。何も問題はない。局所麻酔なので、背中を丸めてじっとしていなければならないという。その姿勢を練習する。丁度スパートをかけている時の姿勢なので難なくこなせたが、脊椎の場所を確認するためぐりぐり押されるのがくすぐったい。
剃毛は自分でやる約束なので、看護婦さんが貝印カミソリを持ってきてくれた。風呂でせっせと剃る。どうせ治ったらレーパン履くときに剃るのだから両足やってしまおうかとも思ったが、「何を勘違いしているのか」と思われてもしゃくなので指定どおりの場所にとどめた。
この日は緊張のせいか風邪を引いてしまい、昼飯が咽を通らないという悲惨な状況になったが、安静に努めてなんとか夕方には持ち直した。寝る前に下剤を服用する。苦い。
6月25日(木)手術当日
前夜、念のため睡眠薬をもらって飲んだら、普段薬を使わないから劇的な効きっぷり。フッと意識を失って、次ぎに気が付いたら6時だった。夢も見なかった。ベッドの横には「手術のため 飲食止め」の札がかかっている。明日の朝まで飲み食いができない。
朝も早々に「浣腸セット」を携えて看護婦さんがやってきた。介護設備付きのトイレに入ってベッドに横たわる。「自分でやりますか?」「そんな趣味はありません」外来の時に一度やられているので今度は平気だった。しかしあんなことを好き好んでやっている連中の気が知れない。
10時ごろに手術着に着替える。下は当然スッポンポンである。なかなかお呼びがこないのでそのままぼけーっと待っていたら、隣にまた新しい人がきた。上腕二頭筋が1本切れたという。スポーツ好きで血色の良い、礼儀正しい中年の男性だった。
昼頃になって、とうとうお呼びがかかり、ストレッチャーが運び込まれてくる。「ハイ、ここに横になって下さい」観念して横になる。「じゃ、筋肉注射しますねー、これが痛いんですよ。これさえ耐えられれば後はもう何でも大丈夫です」何!そんなに痛いのか!・・・ウゲ。マジに痛い。が、我慢できないほどではない。本当に後は大丈夫なのだろうか。いや、手術後の痛みはこんな物ではなかろうに・・・
「では出発しますよー」ゴロゴロゴロと病室を運び出される。廊下を結構なスピードで押されて行く。天井の蛍光灯がどんどん流れ去って行く。意外にも愉快なので笑ってしまった。「はははははは」「何笑ってんですか」「いや、おもしろいですね、これ」「全然緊張してませんね」「いや、緊張してますよー」
手術室は病棟の2階にある。エレベーターで降りて行くと、手術待ちの人が何人か同様にして待機している。しばらくそこで待っていた。
ややあって手術室に運び込まれる。病棟の看護婦さんから手術室の看護婦さんにバトンタッチした。手術室の看護婦さんや、各担当の医師はマスクをしているので表情が見えず、非常に怖い。手術台に載せ替えられた。天井にはライトがいくつもこうこうと照り、いかにも手術室である。緊張がピークに達する。
血圧計や心電図の端子を取り付け、左腕に点滴の針を差す。手の甲で2回失敗した。痛いとはいえ、大した事はなかったが、若い先生が「すいませんすいません」としきりに謝りながらやっているので気の毒になってしまった。血管を浮き上がらせるのに随分手間取ったようだ。
心電図計の音がピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、と鳴り響く。いよいよ麻酔を掛けられる。背中を丸めて横になると、看護婦さんが膝と首を抱えて押え込んだ。もう逃げられない。まず「麻酔の為の麻酔」を1本打った。これは痛い。再三脊椎の場所を確認している。何かあてがわれているような感じがして、ぐっと圧迫されたような気がした。「はい、終りましたよ」ヤヤッいつの間に打ったのだ。
「麻酔が効くまでしばらく待ちます」ほどなく腰の辺りがしびれはじめ、そのしびれがどんどん右脚を降りて行く。しびれの質は正座でしびれを切らした物と全く同じ感覚。それが次第に左側にも出てきた。「じゃ、効き具合を確かめますね」「これわかりますか」「は?」何をされたのかわからない。「あっ効いてますね」「じゃあここはどうですか」「あっ冷たいです」「ここは?」「うーん触られているような・・・」ヤヤッろれつが回らない。緊張感がなくなって、ぼんやりしてきた。ひとしきり確認作業が続いた。みぞおちのあたりまで感覚がなくなっている。
「では始めます。体を横に向けます」もはや下半身はただの肉塊と化している。「管を入れますねー」アーッ!痛くはないが、感覚が残っている!グヌ、グヌヌと押し込まれる・・・オエエエ。あー気色が悪い。これを麻酔なしでやられた某氏の苦しみはいかばかりであったろうか・・・
腕を載せる台を取り付けられ、体勢が固まった辺りまでは覚えているが、その後しばらく意識を失っていた。ふっと気づくと、腰のあたりがドーンと重いような、鈍い痛みを感じた。「もう始まってますよ」ゲ。いつの間に。ということは、もう開いてしまって、中をいじっているのか。ううむ。「気分悪くないですか?」「あい。らいろううれふ。」ああっろれつが回らん。また意識が混濁してきた。
またふっと気づくと、目の前に血まみれの手袋をした人が立っている。「あーあれは俺の血かー」とぼんやり考えていると、「もう終りましたよ」ゲ。いつの間に。うーん時間の経過をほとんど感じなかった。「きれいに取れましたよ」あー、取れたか・・・
手術時間は、実際には2時間程度だったと聞いている。
腰を見ると巨大な絆創膏が張り付けられている。いったいどんな傷がついているのやら。ストレッチャーに載せ替えられ、回復室へ入る。血圧を計ったりしてしばらく休む。「今何時ですか?」「4時半です。だいたい2時間位でしたね。」病室へ帰るため、病棟の看護婦さんが迎えに来てくれた。懐かしい人に会ったような気がする。
病室へ帰ってきて、ベッドに移し替えられる。まだ右足はしびれたままだが、左足は爪先から動き始めた。でかい点滴がつるされている。「これは何か栄養剤ですか」「そうですね、点滴版ポカリスエットですヨ」そんなもんかいなー。「気分悪くないですか?」「大丈夫ですが、腹が減りました。」「マァ〜。でも明日の朝まで我慢して下さいね」
兄が来てくれていた。簡単に手術の結果を聞いたらしい。「移植はせぇへんかったみたいやな」そうか、もっとも簡単な手術で済んだ訳だ。「痛いか」「いや、まだ感覚が無い」「そうか。まぁでもそのうちに痛み出すやろ。頑張って我慢しろ」
夜になり、右脚の感覚が戻るにつれ、傷口が痛み出した。ズシーン、ズシーンとくる重い痛みである。体は全く動かせない。左足がかなり動かせるようになったが、右足は爪先を動かすことしかできない。痛みに堪り兼ねて、痛み止めの座薬を入れてもらった。もう全然恥ずかしくない。
また睡眠薬をもらってなんとかしばらく眠ったが、夜半に目が覚めてしまった。全く姿勢を変えられないのが苦しい。そうかー、手術が終ったのかー・・・とぼんやり考えていた。
手術後の三日間ほどの痛みは、本当にキツかった。今年の正月のインフル頭痛の時は、思わずこの時のことを思い出した。
つづく