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【1992年】股関節をシウツした話④【手記】
もう30ウン年以上前、もっと言うと結婚する前の話。原因不明の病気(滑膜性骨軟骨腫症)で大腿骨の骨頭付近に鶏卵大の腫瘍ができて、その摘出手術を受けて1ヶ月ほど入院した。当時持っていたMacintosh Classicでツラツラとしたためた「入院日記」がSSDのフォルダダンジョンの奥底から発掘されたので、ここに晒してみよう。4/4
7月3日(金)
●会社の休業補償に関する書類を持って来てもらい、現状の説明をする。話題がつきて困っていると、高田のオッチャンが現われた。ヤデヴデシヤ・・・おおっツールのハンドブックだ。これは面白い。タイムリーである。さっそくお座敷さんのフランス本をネタに自転車の話で盛り上がる。
「おもろい写真があんねん。」といって高田さんが舶来本を取り出した。どこかのクラシックレース(?)で、アブドジャパロフとチッポリーニが絡んで「何すんねん、コラー」という状況になってるところが見開きの左の方にあって、見開き全体に何十人ものスプリンター達が凶悪な顔でゴールを目指している写真だ。あまりのド迫力にしばし言葉を失ってしまう。
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夕食後、ハンドブックを見ながら「もうすぐツール、足は直るし、楽しいな、ルンルン」という気分でいるところにヤマウチさんがやってきた。トライアスロンジャパンを持って来てくれた。うーんなんと幸せな。もうすっかり入院長者である。ヤマウチさんは明日から社内旅行で台湾とか。都内のホテルで前泊しているそうだ。
会社の先輩のお姉様達がやってきた。さんざん食い物はいい、と言っているのに寿司弁当を持って来た。私を豚にするつもりらしい。くそ。また明日は廊下を10周するぞ。会社で重複して取ってしまったOnline Today Japanを持って来てくれた。おおっ多摩川オフの写真が載っている。砂さんの努力のたまものである。門外漢にはあの光景はどのように映っているのであろうか・・・
7月4日(土)
自分以外の3人はおじさんばかりである。3人で息子さんはどうのこうのという話ばかりしている。「お宅の息子さんはご結婚は?」「いやぁ、相手がおらんらしいんですよ」「いや、実は親が知らないだけで案外ちゃんといるもんですよ」「ここの看護婦さんみたいな人だといいんですけどねぇ」・・・「しっこ」のおじさんがまじになっている。
夕方、兄が頼んでおいたマックを持ってきてくれた。いよいよ暇になってきたのでそろそろハイパー病状説明スタックでも作ろうかとたくらんでいる。となりのおじさんが「それ、ワープロですか?」「いえ、パソコンです」「お仕事ですか?」「いえ、趣味です」「??」パソコンを趣味で使うということがどういうことか、想像もつかないのだろう。
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兄にハイパーカードのボタンの応用を指南していると、田中さんがやってきた。いよっ、アイアンマン!先週琵琶湖を完走したばかりだ。昨年より全体的にレベルアップしたため、順位がさっぱりだったとしきりにぼやいているが、私にしてみればアイアンマンを11時間で完走する人は十分超人である。
当時は、自分がアイアンマンになることなど想像すらしてなかったし、11時間の凄さというのも具体的には解っていなかった。
リザルトをみせてもらってしばしうなる。グレッグ・ウェルチ・・・やはり世界のトップは常軌を逸している。そして村上純子・・・1ページ目に名前がのるなんて・・・さすが糸魚川で中山をブチ抜いた女だ。
夜のご機嫌うかがいにきた看護婦さんがマックを見て「お仕事ですか?」「いえ、趣味です」「・・・??」パソコンを趣味で使うということが・・・
いよいよツールのプロローグが始まる。野球の為に放送時間が変更になっているので注意深く録画予約体制を固める。
7月5日(日)
朝起きると即座にテープを巻き戻してプロローグを見る。インデュラインの強さに驚愕する。
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病状説明スタック作成のため、資料のレントゲン写真を借りなければならない。あんなものをやすやすと患者に貸してくれるのだろうか。看護婦さんに打診してみると、すんなりOK。病院外へ持ち出すにはいろいろ許可が必要だが、患者に貸すだけなら何ら問題はないらしい。ついでなのでMRIの画像も、股関節のプラスチック模型も借りる事にした。
スキャナーがないので、ペイントツールで描くしかない。忙しい時なら絶対やる気は起きないが、暇を持て余しているのでちょうど良い。ちょうど手を付けだしたところに会社の同僚がどやどやと現れた。さっそくレントゲンやMRIの写真を手に、担当医に言われたとおりの事を説明する。「医者に説明を受けているみたいだ」と言われた。
その後ぴのさん、ごんべさんが相次いで現れた。ぴのさんのオアシスポケットで書き込みし、またしてもお座敷さんにもらったフランス雑誌を肴に話し込む。ごんべさんがプロローグを見なかったと言うので見せてあげる。3人であーだこーだ言いながら小さい液晶モニターを見ている。隣のおじさんは「変なやつら」と思ったに違いない。
7月6日(月)
毎日せっせとリハビリ歩きをしながら、慎重に体重をかける練習をしていたので、この日にはもう既に松葉杖一本でも歩けるようになっていた。看護婦さんも「まぁ〜、元気そうですねぇ」と声をかけてくれる。予定どおりリハビリセンターに呼ばれた。
「どうですか、痛くないですか。じゃあちょっと片松葉で歩いてみて下さい。」あまりにあっさりできたので係のおにいさんは拍子抜けしている。また木曜日に様子を見ることになり、ものの5分で終り。
担当医が回診に来た。シャワーの直後だったのでついでに傷の消毒をしてもらう。「きれいにくっついてるね」「抜糸はいつ頃になりそうですか?」「いつ手術したんだっけ」「25日ですが」「うーん、見た感じ明日にでも抜糸して大丈夫だね。」
その後は食事の時間も惜しんで、マックでレントゲン画像のお絵描きに集中する。こんなに本気でペイントツールを使い込んだのは初めてだ。それにしてもただでさえ慣れてないお絵描きで、半分透けた骨の絵を描くのだから骨が折れる。
夕方、会社の女性群が大挙してやってきた。ギョーザとシューマイを持ってきた。私を豚にするつもりらしい。さてはCIAの陰謀か。そうかも知れない。いやそうに違いない。太るのがいやなら食べなければいいのだが、もらったものは義理堅く食べてしまうという自分の性格が見透かされているのだ。
7月7日(火)
シャワーの後に他の担当の先生が回ってきた。「何か今日あたり抜糸してもいいと言われましたが」「あっそうなの?じゃあ抜いてしまいましょうか」ありゃりゃ。そういうものかなー。「試しに2、3本抜いてみます」プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!「どうですか」「大丈夫です。全部抜きます」プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!プチ!いて!あー痛かった。たまらん!
抜糸した後の傷の上に、絆創膏のような不織布のテープを糸の代りにペタペタと貼られた。傷をきれいに仕上げるためのものだそうだ。もう防水せずに風呂に入っていいとのこと。「これいつまで貼っとくんですか?」「あ、そのまま、無理に剥そうとせず、自然に剥がれるまでほっといて下さい。」というわけでこれを書いている18日になってもまだ大方くっついている。
退院後、このテープは次第に剥がれていったのだが、それにつれて傷口の「赤身」の幅がだんだん広がる感じがして、もっとしっかり貼ったままにしておくべきだったのかも、とちょっと思った。
あー痛かった、と休んでいると担当医がやってきた。「病理の結果が出たよ」ヤヤッもう出たのか。あっ表情が明るい。「良性です。なんかねー、軟骨を作る細胞が、こう関節の袋の内側に増殖してしまったみたいだね」「一体病名はなんていうんですか?」「ええとね、書いてあげましょう」病名は『滑膜性骨軟骨腫症』という。「あのー、自転車の乗りすぎとか無茶苦茶言われて困ってたんですが」「わっはっは、そんな訳ないよ」「原因は何なんでしょう?」「うーん、それが確固たる原因は特定できないんですよ」と言うわけでついに原因は分からずじまいである。
「退院の見込はどうでしょう?」「えーと抜糸をすませてからの方が」「あ、さっき抜いてもらったんですけど」「えっ?あっ、抜糸済んだ?じゃあもう今週末でいいよ。」「では日曜日に出ます」退院日が決った!万歳!あちこちに電話を掛けまくる。
手術後しばらく体が動かせなかったこともあって、3度の食事で腹がいっぱいになっていた。やっと俺の胃拡張も治ってきたかと思っていたが、甘かった。退院が決ったらとたんに元の木阿弥。夕方には腹が減って仕方がない。
骨の絵ができたのでハイパーカードに張り付けてエフェクトに凝っていると、かなくんが来た。ちゃんとマック用のフォーマットにしたFCYCLEのログディスクを持ってきてくれた。タイムリーだっ!これで退院後に未読の山に埋もれる心配がなくなった。しかし2メガ分もあった・・・おそるべし。
ログを読み始めた。入院した6月12日からである。読んでも読んでも減らないような気がする。
7月8日(水)
朝、ツールの録画を見終るとすぐログを読み始め、食事もそこそこにログを読みまくる。読んでも読んでも読んでも読んでも延々と続くログの山・・・昨日からずっとマックにかじりついている私に、となりのおじさんが「完成しましたか?」ただ読んでいるだけなので完成したかと聞かれても困ってしまう。
最後の部長回診の日である。何かもうパソコンを持ってきて何やらやっているという噂が広まっていて、担当医が「ね、あれ、部長に見せて」ひえーっ恐れ多いな。とりあえずアフターダークに入れてあるのでマウスを「+」コーナーに寄せて絵を出した。「おおー」外科医集団がどよめく。「それ、どうやって入れたの」「いやー、暇に任せてペイントツールで書きました。」「よく描いたねー」「いやいやいや、はっはっは」あーびっくりした。
廊下ぐるぐる周りのノルマも放り出してログを読み倒していると夕方になってしまった。マッスルさんと会社の人と兄とシャワーの予約時間がかち合ってしまった。結局シャワーを浴びて兄と退院時の打ち合せをした。とにかく病院の食事はいいが、ラーメンだけは絶対出ないので、退院したらいの一番にラーメンを食いに行こうということにした。
夜、消灯時間を大幅に過ぎてようやく7日までのログを読み終った。
7月9日(木)
借りている写真は退院までに返さないといけないので、今のうちに絵を描いてしまわなければ。全部描いてるわけにもいかないのでMRIの1枚に絞った。最も腫瘍(軟骨腫)がはっきり写っているものを選んだ。
最終的にハイパーカードにペイントで貼り付ける予定だから、あまり大きな絵にできない。しかもグレースケールさえ使えないから2倍に拡大しただけでドットが荒れて非常に描きづらかった。それでもこんな機会でもなければ描けないから、ネチネチと気合いを入れて描き込む。
半分くらい描いたところで昼ご飯を運んできた看護婦さんが画面を見て目を丸くした。「それ、描いたんですか」「そうです」「えー、どうやって描くんですか」「いや、こういうふうに、(マウスで例を示しつつ)こうやって描くんですよ」「はぁ・・・」どうもにわかには信じられないらしい。
リハビリセンターから伝言が来た。もう大丈夫なら松葉杖を返してくれ、という。私があまりに元気なので安心しきっているらしい。本当に大丈夫なので返しに行った。戻ってくると看護婦さんが「マァ〜、歩いてるじゃないですか」「いやーお蔭様で・・・」まだひょこひょこしながらだが、ともかく杖がいらなくなった。それでも手術前よりまともに歩いている。
お見舞はしゃみちゃんと高田さんであった。当然ツールの話題が多い。
7月10日(金)
午前中にMRIの絵を描き上げた。もうそれだけで疲れてしまって、ハイパーカードの方まで気が回らなくなってしまった。そろそろ退院後のことが気になって来た。病院生活にいくらメリットがあるといってもやはり自由な行動にまさるものはない。
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午後から「これ」を書き始めた。早く書き始めないと時間がなくなる、と思ったのだ。(楽屋落ちのようになってきた)
看護婦さんは皆退院を喜んでくれる。毎日検温してもらって、やさしく御機嫌伺いしてもらって・・・今まで入院したことが無かったので「看護婦」といっても特別の感情はなかったが、自分が入院して、看護婦さんという人達が日夜大変な思いをして、厳しい勤務体勢をものともせず患者に尽くしているのを見て、本当に心が打たれた。
7月11日(土)
朝ツールを見ると、後はひたすらキーボードを叩いている。となりのおじさんに「ラストスパートですね」と冷やかされた。全く。とことん暇がある今のうちになるべく沢山入力しておかないと。
会計を済ませに行く。手術費用が思ったより安かった。他検査費用も含めて保険のおかげで大きいの一桁台で済んだ。食費、宿泊費込み、かわいい看護婦さん付きにしては物凄く安上がりである。普段の一ヶ月の生活費と良い勝負ではないだろうか。
午後、MRIの絵の修正にのめりこんでいると肩を叩かれてびっくりした。ついにまさやんが登場した!お茶とお握り!ラッキー。もう動き回れるから豚になる心配もない。やはりツールだの何だのとさんざん話し込む。
まさやんはプールへと向かう。そう言えば泳ぐのもあきらめて久しいな。水泳はすぐに復活できるだろう。しかしまだのしのし歩くと傷の周りの腫れた部分がブルンブルンとなって痛い。ジョギングできるようになるまでが一番時間がかかるだろう。
ついに明日は退院となった。この点滴用レールを見上げるのももう最後だ。
7月12日(日)
ついに退院の朝を迎えた。どれほどこの日を待ちわびた事か・・・看護婦さんに最後の検温をしてもらう。最後に来たのは、最初に部屋に案内してくれた超かわいい看護婦さんであった。名残惜しいなぁ・・・
気がはやってしまって、朝食が済んだらさっさと片付けを始めた。兄は昼前にくる約束だったが、9時には片付け終ってしまった。片付け終るともう何もすることがない。売店へ行ったり、廊下をうろ付いたりするが、結局寝転がってぼけーっとして過ごす。
昼飯を食いにいく約束だったので昼飯はいらない、と言っておいたのに昼飯が出てきた。仕方がないので周りの人におかずを分けて上げて、お茶だけ飲んで待っていた。1時前になってようやく兄が現れた。大量の荷物をおおかた兄に運んでもらう。入ったときと同じ様に兄のハイエースに乗せてもらうことになっている。
看護婦さん達や周りの皆さんに挨拶をして別れを告げた。「外来で来たらまたこちらに寄って下さいね」
地下の守衛室の横から外へ出た。快晴だった。多摩川オフも盛況なんだろうなと思いつつ車に乗り込んだ。
その後の経過
実家に帰るなどして一週間療養した結果、知らない人が見れば普通に歩いているように見えるほど回復した。まだ傷の周りは腫れが残っているが、日毎に引いて行くのがわかる。柔軟性、特に右足はカチンカチンになってしまっているが、それも徐々に回復してきている。何と言っても手術前には痛くてできなかった姿勢ができるようになったし、歩くときも左右の脚を同じ様に運ぶことができる。障害の原因を取り除いた後のじつにロジカルな結果に少なからず感動している。
後記
入院、手術という、そう簡単には経験できないことを図らずも体験することになってしまい、せっかくだからこの異常事態の1カ月をおもしろおかしく書き留めておこうと思い、書き始めたところこのような長文になってしまいました。長々と読んでいただいた方、有難うございました。そして、入院中有形無形の励ましを送っていただいたFCYCLEの皆さんに感謝の意を込めて、YooEditをQUITさせていただきます。
【33年後の後記】
退院後、ランは厳しかったがバイクは乗れるようになったので、半年ぐらいは暴れ回っていた気がする。しかし次第に負荷をかけると患部に鈍痛がするようになり、動くのが億劫になり、ついにはあれほどのめり込んでいた自転車からも遠ざかってしまった。
この後、ふとしたきっかけで再び自転車に乗るようになる2009年まで実に16年間、自動車やオートバイにのめり込み、全く違う人生を送ることになったのだった。その頃はもうすっかりトライアスロンへの情熱も失っており、今の自分の姿など想像すらできなかった。
そのあたりの話は、また別途・・・