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【審判目線】アイアンマンジャパンみなみ北海道【ボラ目線】その③劇的幕切れ編
ついに迎えた9月15日当日の朝。本部や各パートのチーフ、スイム担当は早朝から対応にあたっているが、ランパートのヒラ審判は8時に本部集合なのでずいぶん気が楽だ。
とはいえ、朝は5時過ぎには目が覚めて「ああ今頃スタートエリアは大騒ぎだろうなぁ」と想いを馳せる。
お仕事開始
しっかり朝飯食って体勢を整え、本部へ。自分は最終走者追尾を仰せつかる可能性があったので、バイクで出かける。
無線やその他支給物を受領して、当日の手筈を最終確認後、担当エリアへ移動。私はランスタート直後の第一エイドに陣取る。エイド設営のための資材が山積みだ。
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ボランティアリーダーや警備の方と挨拶して、現場の確認とコース配置の確認などを始める。まだコーンは届いていない。
もろもろコースへの配慮が足りない部分に対処したりして、あれやこれやと活動しているとたちまち時間が過ぎ去っていく。そのうちにコーンやバーも届いて、ほぼコースおよびエイドの設営は完了した。
そうこうしているうちに11時を過ぎ、先頭の選手はもうすでにバイクの終盤に差し掛かっている。
やりとりされる無線を聴いていると「えっそんなことが起きるの?」「そんな人、いるの?」と思わずびっくりしてしまうようなことが次々と発生している(お察しください)。
選手到着
当初見込みでは12時になる前に先頭がランに来るかと思われていたが、当日は風も強く、またバイクコースのアップダウンもあったことから、思ったより時間が掛かって12時過ぎにいよいよ「先頭、木古内インターを降りました」となった。
いよいよランコースでの業務が本格化する。
審判は特定の選手に有利になるような行動はしてはならない。しかし、全員に等しく声掛けするのは構わない。ということで、何か問題に対処したりする時以外はひたすらに「頑張ってー!!」「行ってらっしゃーい!!」と声掛けを続けた。
ここからは細かいことは書けないし、業務中に撮った写真も上げられないが、当たり障りのなさそうなことをいくつかピックアップしてみる。
スタート直後の急な下り坂で転げる選手が出ないか懸念していたが、速い選手は足取りがしっかりしているし、そうでない選手はそもそも歩いて下りてきた。結果、少なくとも見ている限りでは転倒する選手はいなかった。
それより、スタート地点がどこかわかりにくい状況だったらしい。「もうスタートしてるんですか?」と訊いてくる選手がたくさんいた。
T2出口の階段からその下あたりのどこかに計測のラインがあったはずなのだが、日本のマラソン大会みたいな明確なシートではなかったため、わかりづらかったようだ。五島みたいにスタートゲートがあればねぇ・・・
レース中でも、必要とあらばコースの改善やらいろいろと対処していたが、こればっかりはどうしようもなかった。
ワイドバラエティ
前半ずっと立っていた場所はランスタートしてきた選手と、周回を回ってきた選手が交錯するところなので、だいぶいろいろな選手層をずーっと見続けることができて面白かった。
と言うのも、①に書いたとおり今回の大会では出場規定が特になかったため、ぶっちゃけ「アイアンマン初めて」「ロングも初めて」という選手が非常に多かったらしい。なんでも選手説明会で半数以上の人がその問いかけに手を挙げたとか。
ただ、それでも完走が厳しいかというと全然そんなことはなくて、制限時間17時間というのは既存の国内ロング(宮古島・皆生・五島・佐渡)のどれよりも難易度は低い。
そんなこともあって、いつもの国内ロングでは見かけないようなタイプの選手(具体的には書かないけど)がたくさん見受けられた。
とはいえ、ランパートにやってきたということは、彼らは全員スイム3.8kmの後にバイク180kmをこなしてきて、さらにこれからフルマラソンに行こうとしているわけだ。普通の人からしたらすでに人智を超越した行為だし、たとえリタイヤしたとしても、その勇気は賞賛に値するだろう。
審判のあり方
「トライアスロンの審判」のイメージはというと、選手の不正を見つけて警告したり、ペナルティを取ったりする人、というものだと思う。私も概ねそう思っていた。
しかし、実際自分が審判になってみると、それは業務のごく一部でしかなく、本来は「選手が安全・確実にゴールにたどりつけるよう、サポートする人」というのが主な仕事だったのだ。
実際今回は(比較的不正は発生しにくい)ランパートに居たわけだが、やっていたのはほとんどが「声掛け」「案内」「説明」「補助」であった。
ひきも切らず選手が通過し続ける合間を縫っておにぎりを食べたりはしているが、ほぼずっと立ちっぱなし、声出しっぱなし。しかし、不思議とあまり疲れは感じなかった。まぁそもそも走ってる選手にくらべりゃ疲れるとか言うのは失礼な話だ。
そして目まぐるしく発生するさまざまな事象に対応しているうちに、どんどん時間が過ぎていく。
次第に夕刻に近づくにつれ、無線から「〇〇〇番、××地点でリタイヤ。収容します」的な話が流れ始める。
配置換え
その頃、本部付近の某所でオペレーションの不具合があったことから応援を要請され、配置換えとなる。急いでそちらへ向かい、現地で対応を相談して臨機応変にその場で対処していく。
しばらくその場で対応を続けていたが、その間も選手への声掛けはだいぶやった。知り合いの選手も何度か通過して、気づいてくれた人もいて楽しかったなぁ。
そうこうしているうちに18時を回り、ついにとっぷりと日が暮れた。ここからがアイアンマンのドラマの始まりだ。
暗くなったフィニッシュエリアに煌々と照らされたフィニッシュゲートの眩しさ。そして左右に山盛りに集まった、選手を迎える観客が、柵をバンバン叩いて豪雨のようなすごい音を立てている。ここに帰ってくる選手は、もうたまんないよね。
そしてMCががなりたてるこれだ。
YOU ARE AN IRONMAN!!
クーッ、痺れるねぇ・・・みんな、ちゃんと聞いた?(笑)
さてさて、とはいえ自分は今回は業務が優先だからそこは心を無にして選手対応を続ける。
サブチーフのI藤さんが状況を心配して「大丈夫ですか、きつかったらいつでも休んでくださいね」と言いにきてくれた。まぁでも不思議とまだそんなに疲れてない。
でもそのうちに対応が完了したバイクTO達が応援に駆けつけてくれた。フィニッシュ担当の3井さんとも相談し、役割移管してようやく一息つけることになった。よく考えたら朝8時から10時間以上ずっと働いていた感じだ。
※ただし、ランチーフの8木さんとか、ディレクターの人たちとかはそれどころじゃなかったと思う。
最後に、23時以降になる最終走者の追尾が割り振られている。それに備え事務局に戻って弁当をいただいて、少し仮眠をとった。
22時半頃に再び体勢を整え、最終追尾の準備に入った。もうすでに気温はだいぶ低く、パンダ服の下にトレーナーとウィンドブレーカーまで着込んでもまだ寒いぐらいだった。
AS5に移動して無線を確認しながら最終ランナーの動向をチェックする。時間と距離から、かなり微妙な情勢だった。
しかしその後「その」最終ランナーは告げられた残り距離と時間を聞いて、心が折れてしまい、リタイヤしてしまった。
するとその一人前の選手が「真の最終ランナー」ということになる。無線で告げられたゼッケンをトラッカーで検索した私は天を仰いだ。
その人は、マレーシアでご一緒した「あの」A木さんだったのだ。なんという運命のいたずら。これからゴールまで「私が付いてますよ!」と言わずに追尾しなければならないのだ。
彼女の足取りはだいぶ重かったが、それでも一歩一歩着実に前に進んでいた。ビュースポット手前の登りでは歩いてしまったが、それでも頂上付近から再び走り始めた。残り距離と時間は、本当に微妙だった。
「これなら間に合う」とも言えないし「もう間に合わない」とも言えない。「頑張りましょう!」と当たり障りのないことしか言えない。ずっと歯噛みしたくなるような時間だった。
その前の区間で彼女を追い越して行った数人は、無事ゴールできたらしい。しかし無情にも、公式の最終制限時刻(彼女がスイムスタートしてから17時間)は刻一刻と迫っていた。
メインストリートへ左折し、フィニッシュエリアの喧騒が遠くから聞こえるようになってきたあたりで残り5分。元気だったら間に合うかもしれないが、もう彼女のランはキロ8くらいが精一杯だった。
残念だが、間に合わない。こんな役目を負わされることになるとは・・・それでも表面上は冷静に通過位置を本部に報告し続ける。
制限時刻をほんの数分、上回ったところでついに彼女はフィニッシュエリアに到達した。
割れんばかりの歓声。左右の柵を叩く轟音。MCが叫ぶ「Welcome back!!」劇的なフィニッシュシーンだった。しかし彼女はその直後、大会スタッフからタイムアウトを告げられた。
一部始終を目撃する羽目になった私は、まだ喧騒の残るフィニッシュエリアの前で涙を堪えることができなかった。
でも、思い直した。それもこれも全部込み込みで、アイアンマンなんだよな。
THIS IS THE IRONMAN.
つづく