【審判目線】アイアンマンジャパンみなみ北海道【ボラ目線】その④完結編
成功裡に
(ある意味選手たちよりも)長い一日が終わった。
とにかく言えることは、大きな事故もなく大会が無事終了したこと!これに尽きる。運営側にいると、これが本当に大きな価値であることを痛感した。
スイム会場はやや波が高かったらしいが、幸いにも溺れる選手もなかった。無線を聞いていた印象では、一部の選手はあの波を見た時点で「自分には無理」と判断したり、割と初期の段階でリタイヤを選択するなど「イノチダイジニ」を発動してくれたらしい。
そう。命はなによりも大切。大会はまた開催されるが、死んでしまっては次の大会に出ることすらできない。実はこれは選手だけじゃなくてTOの間でも共有されていたことで、とにかく何かあったらまずは自分の身を守るように、と何度も聞かされていた。
そういった意味では、クマが出ることもなかったし、酷い落車もなかったし、その他低体温で倒れるまで頑張ってしまうような選手もいなかったようだ。AEDが必要になった、という話も今のところ聞いていない。
ホテルに帰ったのはずいぶん遅くなったが、おかげで安堵の眠りにつくことができた(選手はそうはいかない。たいてい目が冴えて眠れないか、すぐ起きてしまうよね)。
ロールダウン
翌朝。一部の選手には超重要なロールダウンセレモニーの日だ。私はもちろん出てないからどうでもいいっちゃどうでもいいんだが、仲間が何人か引っ掛かっているので当然見に行く。
※当初何を勘違いしたか、セレモニー会場が北斗市だと思い込んでいて、木古内からどうやって移動しようかと思案を巡らせていたのは秘密
と言うことでホテルをチェックアウトして、荷物を担いだまま会場に行って適当にどこかに置いておくことにした。しかしいろいろとお土産や貰い物が多くて、荷物が異様に増えてしまって大変だった。
着いたらちょうど会場がオープンしており、もう始まるところ・・・かと思ったら一部関係者が北斗から到着が遅れているため、20分ほど待ってくれ、とのことだった。
TOの3井さん(だいぶ偉い人)が見つけてくれて、いろいろヤイヤイとお話させてもらう。意外に住んでる地域が近いことが判って「あー、あそこいつも走ってましたよ」的な話ができて楽しい。
この方もだいぶ顔が広くて、通りすがる人からやたら声をかけられている。凄い。
会場後方では表彰される人に渡される記念の盾(?)が準備されている。分厚いアクリル製の美しい代物だ。羨ましい。
邂逅
そうこうしているときに目の前を横切った人は昨日の悲劇の最終ランナー、A木さんではないか!!「A木さん!A木さん!」「あっ!!」
ようやく昨日の一部始終を話すことができた。彼女は例によってガッカリはしたものの、案外すぐに立ち直っているようだった。ちゃっかりメダルとタオルももらったらしい?し、また次はバッセルトンに行くとのこと(!)。やっぱり、只者ではない・・・
そしてまたしばらくするとJETTのRuiも現れた。昨日はどうみても走りが冴えなかったが、聞いてみると「何か(味噌汁のしじみらしい)が当たって」腹を壊してしまったらしい。なんと・・・私も身に覚えがあるが、貝は怖いね。試合前に貝は、ダメだな。気をつけよう。
コナ
などいろいろ話しているうちにロールダウンがどんどん進行していった。JETTがらみでは、アイアンマン常連、すでにコナもやっつけているChieManbowがまたしてもエイジ2位!!なんというGou…
彼女はいつもランで吐いてしまうのが課題だったのだが、今回さまざまな対策を講じた結果、ついに吐かずにランを乗り切ったと言う。素晴らしい・・・
そしてもう一人は今回初アイアンマンにもかかわらず見事エイジ5位に食い込み、同様にコナゲットしたMihoko選手!!ちょくちょく水曜夜のEnjoyに参加してくれている。
実は彼女がバイクチェックインしたときに会場で会っていて、バイク用のステッカーとトラバッグ用のを間違えて青ざめていたのを「大丈夫!」となだめたりしていた。
その時はとても不安そうにしていたのだが、レースは会心の試合運びになったようで、ゴール後の写真は自信に満ち溢れていた。カッコいいな〜
他のエイジクラスでも「あっあの人知ってる」な人たちが次々と壇上に上がっていた。特に田中社長は・・・笑(あえて書かないでおこう)
※昨日の田中社長は、一人だけ「90年代スタイル」で決めていた。知らない人もいると思うので書くと、ブーメランパンツにタンクトップだ。しかも白。そしてあのガチムチの黒光り。レース中じゃなかったら間違いなく「ちょっと署までご同行願います」案件になると思う(失礼!)。
心配していた「男子ニース大量キャンセルの地獄絵図」も大したことはなかった。そりゃあニースだって、毎年超級のプロたちがものすごいパフォーマンスを見せてくれる「世界選手権」であることには違いないのだから。
今はまだまだ「コナでないと意味ない」という人が多いだろうけど、そのうちに雰囲気変わってくるかもしれないね。
お昼
表彰式はまだまだ続いていたが、もうお昼になったし、みたい人はもう見たので一旦外へ出た。キッチンカーがいくつか来てるのでここでお昼にしよう。ハンバーガーとコロッケをいただく。美味し。
あとはブッチャケ帰るだけなんだが、新幹線の時間が15時だった。今日も何か残務処理とか、なんかあったらやばいからちょっと余裕の時間にしていたのだが、もう何もなさそう・・・と思って予約を繰り上げようと思ったら、一本前の列車はすでに満杯だった。
かといって、今から北斗市や函館に行くには在来線の時刻がヤバすぎたし、ほとんどトンボ帰りになってしまうので諦めた。あとは木古内周辺を散歩するぐらいしかない。
木古内散策
適当にそこらへんを散策していると、木古内川から海へ行く散歩道があった。ここをコースにして海沿いを走ってももよかったんじゃないの?という風情だったが、道路横断とか、面倒なこともあったんだろう。
そして駅前通りに出たら、例のみそぎ祭りの説明看板が順に四箇所あって、ようやく祭りの全貌が把握できた。
日差しは強かったが、風は冷たいぐらいで穏やかな午後のひと時であった。だいたい時間潰しができたので、では帰るとしよう・・・駅前に戻ってロッカーに預けた荷物を出して
帰途へ
バイクを輪行して、あとは新幹線に乗るだけ。さらば木古内!またくるよ〜
新幹線はよかったが、その後の丸の内線〜田園都市線乗り継ぎはやっぱり辛かった・・・まぁでも試合で走ってきたわけじゃないから大したことはない。
そして無事最寄りの駅に到着・・・して、ここからまた荷物満載で帰らないといけないのだが・・・
ここでふと、組み立てたバイクの後輪をみて凍りついた🥶。
こいつはケーシングが丈夫で有名なGP5000チューブレスなんだが・・・こんなことになるとは・・・どこかで何かヒットしてたんだな。
とりあえず走る分には大丈夫そうなんでゆっくり走ってどうにか無事に家に帰り着いたのだが、いやーTO業務中にバーストしなくてよかったぁぁぁぁ😮💨
エピローグ
と言うわけで、今回も「走ってもないのに」4編にもわたってお届けした「審判/ボラ目線」のアイアンマンレポート、いかがだっただろうか。
行く前は「こんなペーペーの三種審判が使い物になるのか?」と半信半疑だったが、やってみると案外どうにかなった。すこしヘマをしでかしたところも無いではないが、概ねきちんとお仕事ができたようで、8木チーフにも望外のお褒めの言葉を預かって恐縮である。
TOやボランティアはあくまで善意で成り立っているところがあって、当然強制はできないんだけど、そこには間違いなく「その目線にならないと見えないこと」がある。それはそれで選手として走るのとはまったく違った感動を味わえるものだ、ということを前回の日産カップのときとは比べ物にならないレベルで感じることができた。
本当に行けてよかったと思うし、自分は(ある意味)ラッキーだったと思う。
皆さんも、もし機会があれば(私のような機会はない方がいいと思うけど)挑戦してみてほしいし、そうでなくても少しでも興味を持ってもらえたら、書いた甲斐があるというものだ。
来年に向けて
お察し(というか途中でも書いた気がするけど)のとおり、来年はいよいよレースに復帰して、当然みなみ北海道にもエントリーする所存である(明確には聞いてないけど、今年は大成功だったから、当然やるよね?)。今度こそ・・・!!
いつもそうだが、一年先・・・と思ってたらあっという間に月日が過ぎて「ええっもうすぐやん!」ってなりそうだ。
ご一緒する可能性のある界隈の皆さん、またぜひ頑張りましょう!
おわり