主は僕の僕
ふと考えていたら、ある考えにたどり着くことってあるよね。
今回は、何気のないペットの話。
昔、実家で猫を飼っていた。
かわいかったどうかは、今回は重要ではない。
その猫ちゃんのことを考えていたら、ふと友人宅で飼われている猫や飼ってた犬など、自分家以外のペットのことを考えたのがきっかけだった。
ここで共通していることは、みなペットに溺愛であること。
会社や学校の愚痴、彼氏の愚痴なんか漏らす合間合間にペット自慢がねじ込まれる。
「あんな奴の下とかマジでやってらんない」
「自由になりたいな」
「パーッと旅行行きたいな」
みたいなことをつぶやく彼女らは気が付いていない。
自分がペットの下僕に成り下がっていることに。
好みの食事や遊びを探すことに必死になり、ゴマをすり、当たり前のこととして、なんなら喜んで排泄物を処理する。
彼女らは気が付いていない。
自らが隷属関係でありたがっていることに。
ペットに支配されることを求め、社会に支配されることを嫌う。
カナダのロックバンドRUSHの代表曲、「LIMELIGHT」。
ドラムのニール自身がステージに立つ演者としての苦悩を、内と外の視点で描いた(と思う。英語は弱い。)歌詞が印象的である。
わたしたちも皆、人生の主役としてその役を演じるのならば、時にその役の重圧と周りの視線に耐え兼ねるのかもしれない。
そんなとき、ペットに自分の人生を明け渡すことで、その役を紛らわしているのかもしれない。
わたしたちは経済的にペットを飼い、精神的にペットに飼われているのだ。
それはそうと、RUSHの楽曲は祖国では音楽の教科書にも載る程有名らしい。(知らんけど)
でも、私の周りは誰も知らない。
なんなら
「石鹸?」
という有様だ。
それはLUSHだよ。
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