I'm going to like me⑥
和「ええぇぇぇぇ!?」
◯◯の隣にいる人物の姿を見て、和は驚きの声を上げた。
和「な、なんで!?どうしてその人が…!」
和の反応は当然のものだろう。
なぜなら、◯◯の隣に立っているのは、自分が好きだと豪語していた芸術家本人だったからである。
「あはは、良い反応だねぇ」
和の反応を見たその人物は、嬉しそうにしていた。
◯◯「和さん、何か気付くことない?」
和「ええ…急に言われても分かんないよ…」
あまりの衝撃にまだ混乱しているらしく、全く頭が働いていない様子の和を見かねて、◯◯はヒントを出すことにした。
◯◯「僕の名字、覚えてる?」
和「名字…?◯◯くんの名字って…」
和は◯◯の名字を言葉にしようとして、何かに気付いたのかハッとする。
そして恐る恐るその人物の方を見た。
「…気付いたかな?それじゃあ改めて…」
「池田瑛紗です。いつも弟がお世話になってます」
和「え、ええぇぇ!?」
そう、和が好きだと言っていた芸術家とは、◯◯の姉である池田瑛紗だったのだ。
和「あの池田さんが、◯◯くんのお姉さん!?ええぇぇ!?」
瑛紗「ふふっ、さすがにびっくりしてるみたいだね」
◯◯「まあ、そりゃそうなるよね」
あまりの驚きように苦笑する二人だったが、一方の和はまだ混乱している様子だった。
和「な、なんで?え?どうして?本当に?」
瑛紗「あはは、全部本当だよ〜」
やっとのことでまともに話せるようになった和に、◯◯は事情を説明した。
瑛紗は正真正銘自分の姉であること。
美術展のチケットは瑛紗から送られた物であること。
そして、先日和が瑛紗を好きだと聞き、会ってくれるようにお願いしたこと。
和「そ、そうだったんだ…」
瑛紗「ごめんね〜、びっくりさせちゃって」
和「いえ、お会いできて嬉しいです。私、池田さんの作品が本当に好きで…」
瑛紗「ありがとう、私も◯◯の友達と会えて嬉しい。後、瑛紗で大丈夫だよ。◯◯もいるからそっちの方が呼びやすいだろうし」
和「いいんですか…?」
瑛紗は優しく微笑むと、小さく頷いた。
◯◯「立ち話もなんだし、そろそろ行こうか」
瑛紗「うん、そうだね」
和「はい!」
三人はそのまま美術館へ向かう。
道中、三人は雑談をしながら歩いていたが、和は未だに少し緊張している様子だった。
◯◯「…和さん、緊張してる?」
和「そ、そりゃしてるよ!だって憧れの人が目の前にいるんだよ?」
瑛紗「嬉しいけど、あんまり恐縮されるとお姉さんも困っちゃうな〜」
和「そ、そうですよね…すみません」
瑛紗「あはは、冗談だよ。まあ、少しずつ慣れてくれたらいいから」
和「頑張ります…!」
美術館に到着した三人は、電子チケットで入場を済ませ、早速目的の美術展へ向かうことにした。
和「わぁ…!」
そこには絵画や彫刻など、様々な作品で彩られた世界が広がっていた。
和は目を輝かせながら、作品を一つ一つ鑑賞していく。
和「あ、これ…」
もちろん、中には瑛紗の作品も混ざっている。
和はその作品の前に立ち止まると、じっとその作品を見つめていた。
和「あの、瑛紗さん、この作品って…」
和は作者である瑛紗に直接作品について尋ねる。
瑛紗「あぁ、これはね…」
一方で瑛紗も、和の質問に対して一つ一つ丁寧に説明をしていた。
好きな芸術家本人から作品の解説を聞けるという贅沢な体験に、和は終始興奮しっぱなしだった。
◯◯(和さんが喜んでくれてるみたいでよかった。姉さんにお願いして正解だったな…)
◯◯はそんな二人の姿を微笑ましく眺めていた。
しばらく見て回った後、三人は館内の休憩スペースでひと息つくことにした。
瑛紗「色々見て回って疲れたね。ちょっと休憩しようか」
◯◯「あ、それじゃ俺飲み物買ってくるよ。姉さんと和さんはここで休んでて」
和「え、いいよ!私が行ってくるから!」
◯◯「大丈夫、せっかくだから姉さんとゆっくり話しててよ。飲み物何がいい?」
瑛紗「ありがとう、じゃあ私はカフェラテでお願いしようかな」
和「え、あ、えっと…じゃあ私もカフェラテでお願いします!」
◯◯「了解。じゃあ買ってくるね」
和「ごめん、ありがとう…」
二人は飲み物を買いに行った◯◯の背中を見送った後、瑛紗が口を開く。
瑛紗「ありがとね、◯◯と仲良くしてくれて」
和「い、いえ!むしろ私の方が仲良くしてもらってる感じで…」
瑛紗「…あの子のあんなに楽しそうな顔久し振りに見たなぁ。実家にいた頃は、いつも暗い顔してたから」
和は聞いていいのかどうか迷ったが、前々から感じていたことを瑛紗に尋ねた。
和「◯◯くんって、昔からあんな感じなんですか?誰にでも優しいけど、なんかこう、周りに対して一歩引いた感じがするというか…」
瑛紗「…やっぱり和ちゃんもそう思う?」
和「はい…時々凄く壁を感じる時があるんです」
瑛紗「…昔はあの子も無邪気で人懐っこい子だったんだよ。絵も上手だったし、サッカー部でもレギュラーだったりして、いつもみんなの中心にいるような子だった。でもね、いつからかあの子は自信を持てなくなってしまったの」
和「何が…あったんですか?」
瑛紗「きっとね、私が原因なところがあるんだ」
和「え?」
予想外の返答に和は動揺する。
そんな和の様子を見て、瑛紗は少し申し訳なさそうに言葉を続けた。
瑛紗「自分で言うのは恥ずかしいんだけど…私は小さい頃から周りより感受性が豊かだったみたいで、絵画のコンクールなんかで大きな賞を貰えたりもして、将来を期待されていたの。どんどん周りから求められるハードルも高くなって…それはいつしかあの子にも向けられた」
和「…はい」
瑛紗「絵でも、スポーツでも、『瑛紗ちゃんの弟くん』とか『お姉さんみたいに頑張れ』みたいな言われ方をするようになって…。
優しいあの子にとって、その期待はプレッシャー以外の何物でもなかった。
知ってる?人が人に期待をして、それを裏切られたと思った時に向ける眼差しは、背筋が凍り付く程に冷たくて怖いものなんだよ」
物心ついた頃から「瑛紗の弟」としてしか見られず、のしかかっていく期待に苦しんでいた◯◯。
『お姉さんと違って』
『瑛紗はあんなに優秀なのに』
その期待に応えられなければ、周囲のそれはやがて失望に変わる。
絵画教室の先生も、サッカー部のチームメイトも、そして両親でさえも、手のひらを返したように◯◯に興味を持たなくなった。
冷たい眼差しや心無い言葉、それら全てが容赦なく◯◯の心を蝕んでいき、彼の自信を少しずつ奪っていったのだった。
和「っ……」
想像していたよりも重く暗い過去に、和は胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
そんな和を見て、瑛紗は言葉を続ける。
瑛紗「だから、大学で芸術サークルに入ったって聞いた時は驚いたなぁ。絵のことも、私のことも、きっと恨んでると思ってたから」
和「そんなこと…」
瑛紗「でもね、今日二人と一緒にいて分かった。◯◯は前みたいに笑えるようになってきてる。それはきっと…和ちゃんのおかげなんだね」
和「いえ、私は何も…」
和は謙遜するが、瑛紗は微笑みながら首を横に振った。
瑛紗「…和ちゃんは◯◯のこと、どう思ってる?」
和「ええ!?」
突然の一言に驚くも、和は素直に自分の気持ちを話した。
和「◯◯くんと一緒にいると凄くリラックスできるというか、心が温かくなるんです。彼のそばにいると安心できるし、もっと一緒にいたいなって思います。私の中で◯◯くんは『特別な人』なんだと思います…」
瑛紗「ふふっ、そっかぁ」
少し頬を赤らめながら話す和の素直な想いに、瑛紗は嬉しそうに微笑んだ。
瑛紗「それなら…和ちゃんにお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
和「お願い?」
瑛紗「あの子のこと、近くで支えてあげてくれないかな?姉の私からこんなお願いをするのは卑怯かもしれないけど…」
和「…はい。私なんかで良ければ…!」
瑛紗「ありがとう。ちょっぴり難易度は高いかもしれないけど、良い子なのは私が保証するから。…めげずに向き合ってあげてね?」
和「もちろんです!」
和は瑛紗の言葉に力強く頷いた。
二人がそんな話をしていると、飲み物を買いに行っていた◯◯が戻ってきた。
◯◯「お待たせ。もしかしてタイミング悪かった?」
◯◯は二人にジュースを差し出しながら尋ねる。
瑛紗「ううん、ちょうど終わったところだよ。ね?和ちゃん」
和「はい!」
ジュースでひと息ついた三人は、その後も心ゆくまで美術展を堪能するのだった。
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和「今日はありがとうございました!」
美術館を出た後、◯◯と和は瑛紗に夕飯をご馳走になった。
◯◯「姉さんごめん。忙しいのに呼び出した上に、夕飯までご馳走になって」
瑛紗「大丈夫、こう見えてそれなりに稼いでるんだから。それに、弟がお姉ちゃんに遠慮なんてしない」
◯◯「…うん、ありがとう」
和「本当に楽しかったです。また会ってもらえますか?」
瑛紗「もちろん!今度はもっとゆっくり話そうね」
二人は連絡先まで交換し、すっかり意気投合していた。
瑛紗「それじゃ、気をつけて帰るんだよ」
別れ際、瑛紗は和にだけ聞こえるような声でこっそり呟いた。
瑛紗「あの子のこと…よろしくね?」
和「はい…!」
和の返事に瑛紗は満足そうに頷いた。
◯◯「それじゃあまたね、姉さん」
瑛紗「うん、またね」
手を振って去っていく瑛紗の背中を見送った後、◯◯は和に声を掛ける。
◯◯「僕たちもそろそろ帰ろうか」
和「◯◯くん」
◯◯「ん?」
和「あのさ…もう少し、二人で歩かない?」
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和「今日はありがとね。瑛紗さんにも会えて、本当に楽しかった」
◯◯「こちらこそ。姉さんとも仲良くなれたみたいで良かったよ」
すっかり暗くなった海沿いを歩きながら、二人は今日の思い出話に花を咲かせていた。
和「…私たちが初めて会った時のこと、覚えてる?」
◯◯「電車で酔っ払いに絡まれてた時のこと?」
和「あの時、私…本当に怖くてどうしたらいいか分からなくて、ただただ震えてたんだ。そんな私を◯◯くんが助けてくれたよね」
◯◯「まあ、僕は突き飛ばされてやられちゃったけどね」
◯◯はその時のことを思い出して苦笑いを浮かべる。
和「…でもね、本当はあの時が初対面じゃないんだよ」
◯◯「え?」
和「共通テストの日、シャーペンと消しゴムを誰かに貸したの覚えてない?ギリギリまで勉強してたのもあって筆記用具を家に忘れちゃって、どうしようって焦ってた時に◯◯くんが声を掛けてくれたんだよ」
◯◯「あれ、和さんだったんだ…」
和「だから、入学式の日はびっくりした。まさか私を2回も助けてくれた人が、こんなに近くにいるなんて思わなかったから」
◯◯「確かに、僕もびっくりした。偶然にしては出来過ぎだよね」
和「あの日からずっと、私にとって◯◯くんは特別な人なの。その想いは一緒にいても変わらずに、ううん、一緒にいるうちにどんどん大きくなってた。だから…」
そう言って和は立ち止まったかと思うと、意を決したように言葉を続けた。
「私と付き合ってくれませんか?私は…◯◯くんのことが好きです」
和は◯◯に真剣な眼差しを向けながらそう言った。
◯◯「っ……」
◯◯は突然の告白に驚き、動揺の表情を浮かべる。
和が自分のことを想ってくれていたことは嬉しいし、実際彼女に惹かれている部分があるのは間違いない。
しかし……
◯◯(僕はこの人に釣り合う人間なんだろうか?)
そんな考えが頭を過り、返答を躊躇ってしまう。
その沈黙を否定と捉えたのか、和は寂しげな笑顔を浮かべた。
和「急にこんなこと言ってごめんね?…帰ろっか」
そう言って歩き出した和の寂しげな背中を見て、◯◯の口は自然と動いていた。
◯◯「ま、待って!」
和「え?」
◯◯「…僕は、僕が好きじゃない。だから、そんな自分を好きになってくれる人なんていないと思ってた」
◯◯は正直な気持ちを伝える。
和「そんなこと…」
◯◯「でも、こんな僕を好きだと言ってくれる人がいるなら…それに応えたいと思った」
◯◯は真っ直ぐに和の目を見て言葉を続ける。
◯◯「僕も…和さんが好きです。僕でよければ、よろしくお願いします」
和「……!」
◯◯の返答を聞き、和の表情はパッと明るくなる。
和「ほ、本当に…?」
◯◯「うん。僕でよければだけど…」
和「◯◯くんがいいんだよ…。本当に嬉しい…」
◯◯の返答に、和は喜びを隠せない様子で口元を手で押さえる。
和「もう一つ、お願い聞いてくれる?」
◯◯「僕にできることなら」
和「ぎゅーしたい…」
◯◯「え、でも外だし…」
和「…だめ?」
人の目を気にして躊躇ってしまう◯◯に、和は上目遣いで甘えるような声を出す。
◯◯「…ちょっとだけなら」
和の甘えた声に負け、◯◯は恥ずかしそうにしながらも両手を広げる。
和「えへへ…失礼します」
◯◯の言葉を聞いて嬉しそうに微笑むと、和はゆっくりと◯◯の腕の中に収まった。
和「私ね、今本当に幸せだよ?」
◯◯「っ……」
ここまでまっすぐに愛情を表現された経験が無く戸惑う◯◯だったが、湧き上がってくる喜びを噛み締めていた。
◯◯「…ありがとう」
勇気を出して自分も和の背中へ手を回す。
和「改めて…よろしくね、◯◯くん」
和は真っ赤に染まった顔を隠すように◯◯の胸に埋め、恥ずかしそうに呟いた。
◯◯「…うん、こちらこそ」
こうして二人はお互いの想いを吐露し、恋人同士となった。
◯◯(いいのかな、僕なんかがこんなに幸せになって…)
しかし、長く根付いてしまった思考はそう簡単には消えてくれない。
二人が本当の意味で結ばれるための試練となるのは、まだまだこれからであった。
第6話 -完-
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