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880キロメートルの恋


12月29日、まもなく9時を過ぎようかという頃。



およそ2時間のフライトを終え福岡空港に到着した◯◯は、キャリーバッグを引きロビーに向かう。

「おかえり!久し振りやね」


そう言ってやや興奮気味に出迎えてくれたのは幼馴染の一ノ瀬美空だ。



美空とは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いをしている。



物心ついた頃から何をするにも一緒で、幼稚園から大学までずっと同じだった。



しかし、美空は地元福岡の中学校で教員になり、◯◯は東京の企業に就職したため、生まれてから初めて離れ離れになった。



付き合っているわけではなかったが、お互いに大切な存在であることに変わりはなかった。



「ただいま。朝早くにありがとな」


「久し振りに◯◯が帰ってくるんよ?もちろん来るに決まっとるやん」



美空は満面の笑みで迎えてくれる。



「…なんか美空の顔見たら、帰ってきたって感じがして安心するな」


「えへへ…嬉しいこと言ってくれるやん!」



そう言って美空は◯◯の頭を優しく撫でる。



「ちょっ!子ども扱いするなや!」


「ふふん、まだまだ私から見れば子供やね」


「同い年やろうが!」



なんだか照れくさくてつい悪態をついてしまうが、美空にこうされるのは悪い気分はしなかった。



そんなやり取りをしながら、二人は駐車場まで歩いていく。



「そういえば…◯◯は今彼女とかいるん?」


「毎日会社行って仕事して帰って来て寝るだけの生活やからなぁ。そんな暇ないわ」


「ふーん、そうなんや…」


「なんやその意味ありげな反応は」


「だって夏も帰って来んかったし、言葉やってすっかり東京の人って感じやろ?てっきり彼女でもできて、私のことなんて忘れたんやなか?って」



美空は立ち止まり、少し寂しげに俯いてしまう。



実際、少しでも東京に馴染むため、意識してなるべく標準語で話すようにしていたことは事実だ。



しかし、美空と会って話しているうちに気が抜けたのか、自然と方言が出始めていた。



「そんなわけないやろ」



◯◯は美空の頭をポンポンと優しく叩きながら話す。



「夏に帰らんかったんは、まだ仕事に慣れなくて忙しかったからや。それに…」


「それに?」



美空は◯◯を見上げて続きの言葉を待つ。



「美空のことを忘れたことなんて一度もなか」


「ちょっ…!?」



◯◯のストレートな言葉に、美空は思わず顔を紅くしてしまう。



「もぅ!急にそげん恥ずかしかこと言わんでよ」


美空は頰を膨らませながら、手をグーにしてポカポカと叩いてくる。



「美空が聞いてきたんやろ」


「うるさい!ほら、早う荷物乗せんね!」



◯◯が荷物をトランクに乗せ助手席に乗り込むと、美空は慣れた手つきでエンジンをかける。



「よしっ!じゃあ出発進行!」


「安全運転で頼むわ」


「わかっとるよ」



そう言って美空は車を発進させる。



窓を開けると少し肌寒かったが、爽やかな風が髪を揺らす。



◯◯は懐かしい風景に目をやると、ふとあの頃の思い出が蘇る。



(もう一年近く経ったんやなぁ)



上京してから今日まであっという間だった。



初めは慣れない環境や仕事に戸惑うこともあったが、少しずつ慣れて余裕が出てきたところだった。



◯◯がそんなことを考えていると、隣で運転している美空が口を開く。



「いつまでこっちにおると?」


「4日から仕事やけん、3日の夕方には帰ろうと思っとる」


「そっか、あっという間やね…」



その後も他愛のない話をしながら車を走らせるが、美空は時折寂しげな表情を浮かべるのだった。





「はい、到着!」



美空が運転する車は無事に◯◯や美空の家の前に辿り着いた。



「運転ありがとな」


「どういたしまして。お父さんとお母さんも久し振りに◯◯に会いたがっとったけん、後でうち来れると?」


「おー、色々ひと段落したら顔出すわ」


「うん!待っとるけんね」



お互いに手を振って一旦別れると、◯◯は久し振りに実家に足を踏み入れた。


「ただいま」


「あら、おかえり!」


「おかえり。元気にしとったか?」



母が嬉しそうに出迎えてくれ、父が優しく声をかけてくれる。



その声を聞いて◯◯は帰ってきたことを実感するのだった。



「うん、元気やったよ」



◯◯は荷物を置きながら両親と話をする。



初めての一人暮らしも気楽で良かったが、やはり実家は安心できる空間だと再認識する。



「そういえば、美空ちゃんは元気ね?」



母が突然そんなことを言い出す。



「相変わらず元気そうやったよ。今日も空港まで迎えに来てくれたんや」


「あんな小さかった美空ちゃんが、すっかり大人になってなぁ。早いところ捕まえとかんと、他に取られるかもしれんよ?」



聞いていた父もうんうんと頷いている。



「は?何が?」


「なんやお前、まだ気付いてないんか?」



父は信じられないといった表情で◯◯を見る。



「だから何がって?」


「美空ちゃん、お前に気があるんやろ?あんなにお前のことが好きオーラが溢れとるのに」



◯◯は父の言葉に衝撃を受け、ポカンとしている。



「あんたが帰るまでずーっとソワソワしとったらしいけんね」


「昔から◯◯の話ばっかりしとったもんな」



両親がそんなことを言っているのを他所に、◯◯は頭の中が整理できずにいた。



(美空が俺のことを好き?いやいやいや、そんなことは…)



◯◯は一度部屋に戻って荷物を整理するが、その間もずっと先程の会話が頭から離れなかった。





荷解きが終わった◯◯は隣にある美空の家に向かう。



呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開いて中から美空が出てくる。


「いらっしゃい!上がって上がって!」



笑顔で迎え入れてくれる美空を見て、◯◯は何故か鼓動が早くなるのを感じた。



(いやいや…そんなはずは…)



リビングに入ると、美空の両親が出迎えてくれた。



「二人とも久し振り。これ東京土産やけん、みんなで食べて」


「あらあら、わざわざいいのに…」


「◯◯が元気そうで安心したわ」



美空の両親は、◯◯のことを小さい頃から可愛がってくれており、東京に行ってからも気にかけてくれていたらしい。



第二の実家のようなもので、◯◯にとって美空と同様に大切な人達だった。



「美空ね、◯◯くんが上京してから、しばらく落ち込んどったんよ。こっそり泣いたりもしとったみたいやけん」


「ちょっ!お母さん!」



美空は慌てて母の口を塞ぐ。



「…そうなのか?」



◯◯は美空に問いかける。



「お母さん!余計なこと言わんでよ!」



美空は顔を真っ赤にしながら叫ぶ。



そんな反応を見て、◯◯は美空のことが可愛く思えて仕方なかった。



(あれ?なんやこれ…)



◯◯は胸を打つこの感情の正体にまだ気が付かなかった。



いや、気付かない振りをしようとしていたのかもしれない。





その後も久し振りということもあって会話に花が咲き、あっという間に辺りも暗くなりいい時間になっていた。



「お邪魔しました。また今度顔出しにくるけん」



◯◯は立ち上がって軽く会釈をする。



「いつでも遊びにきてええけんね」


「またいつでもいらっしゃい」



美空の両親は優しく見送ってくれる。



「美空、◯◯くんのこと送ってあげたら?もう暗いし」


「送るって…すぐ隣やん」



美空は遠慮がちに◯◯の方を見る。



「…じゃあ、せっかくやけんお願いしようかな」



◯◯がそう言うと美空は笑顔で頷き、二人で一緒に玄関を出て歩き出す。



文字通り隣の家なので、あっという間に◯◯の家の前に着いてしまう。



しかし、◯◯は何も言わず美空の手を優しく握ると、そのまま歩き出した。



「…◯◯?」


「ちょっと寄り道して行かんね?付き合ってや」



◯◯はそう言って、美空の手を引いて近くの公園に向かう。



誰もいない夜の公園で二人はベンチに並んで座る。



「懐かしか、小さい頃はよく二人で遊んどったな」


「本当にね。私は、◯◯と遊んでるのが一番楽しかったけん」


「はは、俺も美空と遊ぶのが一番楽しかったな」



お互い小さい頃を思い出しながら笑い合う。



「そういえばさっきの話、泣いとったって本当なん?」


「なっ!?」


◯◯は心配そうな顔をしながら美空の方を見る。



「あっ…あれは、お母さんが大袈裟に言っただけやけん!」



美空は恥ずかしそうに視線をそらす。



「大袈裟にってことは、少しは寂しいと思ってくれとったんや」


「そっ…それは…」



◯◯の鋭い返しに、美空は観念したかのように言った。



「そんなん…当たり前やん…」


「え?」




「◯◯と会えなくて…寂しかったよ…」




美空は顔を真っ赤にしながら、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で呟く。



その切なげな表情を見た瞬間、愛おしくてたまらなくなった◯◯は思わず美空を抱き寄せた。



「っ…!?」



突然のことに動揺する美空だったが、◯◯の胸に顔を埋めると、その心地良さに身を委ねる。



「もう、急にどうしたと…?」


「わからん…でも、なんかこうせんといかん気がしたんや」


「なにそれ」



美空はクスッと笑いながら、◯◯の背中に手を回した。



「美空…」


「ん?」



◯◯は少しだけ身体を離して美空と向かい合い、ゆっくりと言葉を紡いだ。




「俺…美空のことが好きや」




突然の告白に一瞬驚いた表情を見せた後、美空の頬を一筋の涙が伝う。



「私も…◯◯のことが大好き」



美空は潤んだ瞳でまっすぐに◯◯を見つめながら、言葉を続ける。



「ずっと……伝えたかった……でも、幼馴染の関係が崩れるのが怖くて……言えんかった……」



美空は嗚咽を漏らしながら、自らの想いを吐露していく。



◯◯は美空の優しく頭を撫でながら、そんな想いを静かに聞いていた。



(あぁ…俺、幸せもんやな)



美空はずっとモテていたし、何度も告白されていたことも知っていたが、それでも彼氏を作らなかった。



ずっと昔から自分のことだけを見てくれていたのだと今になって分かり、◯◯は心から嬉しさが込み上げてきたのだった。



「…また少しの間待たせてしまうけど必ず福岡に戻って来るけん、俺と付き合ってくれるか?」



◯◯は美空の頬の涙を指で拭いながら、真剣な表情でそう伝えた。



「うん…待ってるけんね…」


美空は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、精一杯の笑顔で答えるのだった。





その後、◯◯は熱心に仕事に励み、希望していた福岡支社への異動を果たした。



毎日一緒にいたあの頃から遠距離恋愛を経て、再び一緒にいられるようになった。



二人の両親はともに、「◯◯(美空)なら安心して任せられる」と言って喜んで背中を押してくれた。




そして……


タキシード姿の◯◯の前には、純白のウェディングドレスを身に纏った美空の姿があった。



「夢みたい…大好きな◯◯のお嫁さんになれるなんて…」



美空は目に涙を浮かべながら呟く。



「ほら、せっかくメイクしたんやけん泣くなや」


「だって…本当に嬉しくて…」


「…俺も今めちゃくちゃ幸せや。一生大切にするけんね」



そう言って◯◯はベールを持ち上げると、美空の唇に優しく口付けをする。



祝福の拍手が辺り一面に響き渡る中、二人は顔を見合わせて幸せそうに笑った。




近くても遠かったけど、遠くても近い。



そんな絶妙な距離が二人の恋を実らせたのだった。


880キロメートルの恋 -完-

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