弓道部のマドンナである先輩と…
「息を呑むほど美しい」なんて言うけれど、僕は初めてその言葉の本当の意味を理解した気がする。
優雅で芯のある立ち姿
狙いを定め、弓を引き絞る姿
そして、的を射抜いた後も崩さない姿勢
その一連の動作には一切の無駄がなく、ただ美しかった。
まるでモナリザやミロのヴィーナスといった芸術作品を生で観たような、そんな感動が胸の奥から湧き上がってきて、僕は思わず「はぁ……」と感嘆の声を上げてしまった。
「あれ?新入生?」
静かな空間だったので声が聞こえてしまったのだろうか、彼女は首を傾げながら問いかける。
「あ、はい!1年の◯◯といいます!」
緊張してつい大きな声で自己紹介してしまった。
すると彼女は微笑みながら言った。
「私、4年生の井上和。弓道、興味あるの?」
そう聞かれて僕は少しだけ考え込む。
校内を探索していたらたまたま辿り着いただけで、元々弓道に興味があったわけではなかった。
ただ、先程の一射を見て弓道、いや井上先輩に興味を持ったのも事実だ。
「はい!是非見学させてください!!」
気づけば、また大声で返事をしていた。
僕の言葉を聞いた井上先輩は嬉しそうな顔をした。
「ふふっ、元気があっていいね。分かった、見てていいよ」
これが僕と井上先輩の出会いだった。
多分もう、この時には一目惚れしていたんだと思う。
それからというもの、僕は毎日のように道場に通った。
「こんにちは!!」
「あら、今日も来たんだね。偉いな〜」
結局、僕は弓道部に入部することに決めた。
僕以外にも数人の新入生が入部したが、部といってもサークルに近いため、週に1.2回くらいしか来ない人がほとんどで、毎日練習に来てるのは井上先輩くらいだった。
先輩はインターンを通して早々に第一志望の会社から内々定を貰えたらしく、心置きなく練習に打ち込めているらしい。
やはり男女どちらからも人気があるようで、練習が被った日には部員によく話しかけられていた。
「いえいえ、これくらい普通ですよ」
「ううん、本当に偉いと思うよ。でも無理だけはしないでね」
「はい!ありがとうございます!」
最初はぎこちない感じだったが、次第に仲良く話せるようになり、先輩と2人で練習できるこの時間が好きになっていた。
それから少し経ったある日
今日は弓道部の新入生歓迎会があり、部員みんなで居酒屋に来ていた。
そこでちょっとした事件が起きた。
井上先輩の隣には男子の先輩が座っていたのだが、どうにも馴れ馴れしく、先輩もそれを受け入れていたのだ。
嫌な予感がしつつも、僕はお酒を飲み続けた。
(え?まだ未成年?まあフィクションなので…)
慣れないお酒にハイペースで飲み続けたことで案の定酔ってしまい、トイレに行くために席を立った。
向かう途中で誰かにに肩を掴まれる、井上先輩の隣に座っていた男だった。
「おいお前、何和ちゃんのこと狙ってんだよ」
「え……?別に狙ってなんかいないですけど……」
「嘘つけ、お前みたいな奴がいるから部内の士気が落ちたりするんだよ。今すぐ帰れ」
入部して間もない僕にとって、先輩からの恫喝は正直言って怖かった。
確かに、井上先輩と違って初心者の僕が毎日練習に来ていたら、先輩を狙っていると思われても仕方ないのかもしれない。
僕は無言でその場を後にしようとするが、振り返るとそこには井上先輩がいた。
「あ、和ちゃん!今この不純な新入生に説教してやってたところなんだ!素人のくせに毎日冷やかしに来るなんて何考えてるんだか」
僕は何も言うことができず、俯いていた。
すると、さっきまでどれだけ失礼なことを言われてもニコニコしていた井上先輩が、ため息をつきながら無表情で口を開いた。
「…あのさ、飲み会の場だから馴れ馴れしいのは別にいいけど、初心者で毎日練習に来るって相当な熱がないとできないことだと思うよ?
それにむしろ、さっきからこの場の士気を下げてるのは君の方じゃないかな?」
そう言い放つと、男はバツが悪いのか、「ちっ……」と舌打ちをしてそそくさと立ち去っていった。
「大丈夫?ごめんね、私がしっかりしてなかったから……」
「全然大丈夫ですよ!それに、あんなこと言わせてしまって申し訳ないです……」
「あはは、気にしないで!今日の主役は君たちなんだしさ!」
そうやって笑う先輩の顔はとても可愛くて、思わずドキッとした。
「それよりさ、私のこと狙ってるなんて言われてたみたいだけど、本当?」
「へ!?いや、それはその……」
「あはは!冗談だよ!じゃあそろそろ戻ろうか?」
「はい!戻りましょう!!」
お酒の飲んでいたことで疑われなかったが、この時の僕はきっと顔を真っ赤にしていただろう。
その後の飲み会では、他の部員の人たちとも仲良く話すことができ、楽しく過ごせた。
またある日のこと。
いつも通り道場に顔を出すと、井上先輩がとても真剣な表情をして何かを考え込んでいた。
「……どうしましたか?」
恐る恐る聞いてみると、彼女は顔を上げて答えてくれた。
「実はね、もうすぐ全国大会があるんだけど、大学側の事情で1週間くらい弓道場が使えなくって…。1週間も空いたらかなり感覚も鈍っちゃうからさ、どうしようかなって」
そう言って悲しげな笑みを浮かべる彼女。
実は井上先輩は先日の予選を勝ち抜き、この部から唯一全国大会への出場を決めていた。
そして、4年生の井上先輩にとってはそれが最後の大会だった。
この人には笑顔が一番似合うと思った僕は、彼女に笑顔を取り戻してあげたくて咄嵯にある提案をした。
「よかったら、僕の高校の弓道場使えるか頼んでみましょうか?当時の担任の先生が弓道部の顧問だったので、何とかなるかもしれないです」
自分でも何故急にこんな提案したのかは分からない。
ただ、これ以上井上先輩の悲しそうな顔を見たくなかったのだ。
「え……?いいの!?」
目を輝かせながら問いかけてくる彼女に僕は自信満々に答える。
「任せてください!この時間なら授業終わってると思うんで、電話してみますね」
電話が繋がり、先生に事情を説明すると、すぐに学校に話を通して許可を取ってくれた。
その1週間は高校生に混じって、僕と井上先輩の2人も練習に参加させてもらった。
先生は僕が弓道部に入ったことを凄い喜んでくれた。
それ以上に、「あの子のこと好きなんだろ?」だなんてめちゃくちゃイジられた。
〜最終日の帰り道〜
「◯◯くん、本当にありがとう。この期間練習できてなかったらと思うと…。私、頑張るから」
「はい!応援してます!!」
そして迎えた全国大会の日。
井上先輩は緊張した様子を見せることなく、堂々と試合会場へと向かっていった。
結果は準優勝。
悔しい思いはあったと思うが、それでもやり切ったような表情をしていた。
僕はそんな彼女の姿を見て、弓道部に入って良かったと心の底から思った。
試合が終わった後、僕は彼女の元へと向かった。
「お疲れ様です!」
「ありがとう〜!君のおかげで頑張れたよ」
「いえいえ、頑張ったのは先輩ですよ!それより……」
そう言いかけたところで言葉を止めた。
理由は簡単だ。彼女が涙を流しているのを目にしてしまったからだ。
「あぁごめんね。君の顔見たらなんか安心して泣けてきちゃった……」
そう言うと、涙を拭いながら笑顔を見せてくれた。
僕は馬鹿だ、緊張してないはずないじゃないか。
僕たちに不安を感じさせまいと我慢していたんだ。
その瞬間、僕は自分の気持ちに気付いた。
いや、本当はもっと前から気付いていたのかもしれない。
ただ、自分の気持ちに気付かないフリをしていただけなのだ。
「井上先輩」
「ん?」
不思議そうに見つめる彼女。そんな彼女を真っ直ぐ見据えて、僕は言った。
「好きです」
「……へ?」
突然の告白に驚いた様子を見せる先輩。
そりゃそうだ、だって今まで後輩としてしか見てなかった男からいきなり告白されたのだから。
「いや、その、別に今返事を貰おうとは思ってなくてですね!とりあえず伝えておきたくて……」
恥ずかしくなり、早口になってしまう。
すると、彼女は優しい声でこう言ってくれた。
「そっか、ありがとね。凄い嬉しい。でも、もう少し待ってくれるかな?まだ私の心の整理がついてないからさ……」
その言葉を聞いた僕は、嬉しくもあり、少し不安でもあった。
井上先輩は優しい人だからはっきりと断って僕を傷つけないように気を遣ってくれているのではないか、と。
しかし、先輩はその日以降も変わらず話しかけてきてくれた。
最後の大会を終え、卒業論文などもあって毎日部活に来ることはなくなったが、たまに後輩の指導に来てくれる。
前より会える頻度は少なくなったが、それでも来てくれることが嬉しかった。
そんな日々がしばらく続いたある日のこと、先輩からとあるLINEが届いた。
「今度の日曜日、どこか遊びに行かない?」
こ、これは…?先輩からデートのお誘い!?
「ぜひ行きたいです!」
「よかった。どこか行きたい場所ある?」
「じゃあ遊園地とかどうですか?」
「いいね!久しぶり。行こうか!」
やったー!先輩とのデートだ!楽しみすぎる!
〜デート当日〜
「ちょっと早過ぎたかな…」
約束の時間の30分前に着いてしまったが、とりあえず待ち合わせ場所に向かう。
そこには先に待っている人影があった。
「え、井上先輩?」
「あ、○○くん。楽しみでね、ちょっと早く着き過ぎちゃった。もしかして一緒だったりする?」
「はい…実は僕も…」
「よかった。それじゃ、行こっか?」
「はい!」
こうして、僕らは遊園地へと向かうのであった。
アトラクションに乗ったり美味しいものを食べたりと、楽しい時間は本当にあっという間に過ぎていった。
「楽しかったね!」
「はい!久しぶりに遊べましたし、何よりも大好きな先輩と一緒に居られて幸せでした!」
「ふふっ…君は本当に素直だね」
「あっ、すみません!つい本音が……」
「いや、いいんだけどさ。私も……同じ気持ちだし……」
「え……?今なんて……?」
「な、なんでもない!ほら、もうすぐ電車来るよ!」
聞き返すも、誤魔化されてしまった。
「また一緒に来ようね」
「はい!いつでも予定空けときます!」
そうして、井上先輩との初デートは幕を閉じた。
帰り道、僕は決心した。
今の関係も楽しいけど、やっぱり先輩と正式に付き合いたい。
先輩が答えをくれるまで待つつもりでいたけど、このままだと卒業してしまう。
だから…
「クリスマスまでにはっきりさせよう」
そして迎えた12月24日。
僕たちは、駅前のイルミネーションを見に来ていた。
「綺麗……」
「はい……」
2人で静かに夜景を眺めていると、先輩が口を開いた。
「○○くん……あのさ……」
「先輩……ちょっと待ってください」
僕は先輩の言葉を遮った。
「僕は今日、先輩に伝えたいことがあって来ました。その前に、付き合ってほしい場所があるんですけどいいですか?」
「…うん、分かった」
「じゃあ、まずはそこに向かいましょう」
〜移動中〜
「ここは……」
そう、そこは◯◯の母校だった。
「先生に事前に許可はもらってます。鍵もほら、ここに」
「用意周到だね」
先輩は微笑みながら言った。
弓道場に着いた2人。
「うわ〜久しぶりだなぁ…大会前はお世話になったっけ」
「あれからもう随分経ちますよね。…先輩、少し待ってて頂いてもいいですか?」
和は頷くと、◯◯はその場を後にした。
少しして戻ってきた◯◯。その姿は袴だった。
「◯◯くん…その格好は」
「…先輩に僕なんかが釣り合うわけない、自分でもそう思ってます。だからこそ、僕は自分の限界を超えたい。僕が10本連続で的中させたら、その時は付き合ってもらえませんか?」
「でも…君は」
「…はい、分かってます」
そう、◯◯は練習でも、9本までしか連続で的中させたことはない。
それもコンスタントに出せるわけではなく、練習の時の1度だけだ。
だが、彼は真剣な眼差しを向けている。
その思いを無碍にするのは逆に失礼だろう。
「分かった。受けて立つよ」
「…ありがとうございます!」
「いきます」
緊張している表情の◯◯。
1本目、矢が放たれる。緊張からか真ん中からやや右に外れるが、的中。
「まだまだ!」
2本目、3本目、4本目と続けていくうちに、少しずつ中心に当てられるようになってくる。
「よし!」
5本目、6本目と連続して当てられ、7本目に差し掛かる。
普段の◯◯はこのあたりで集中が切れてしまうことが多かったが、今回は違った。
7本目、8本目、そして9本目と続けて命中させる。
10本目、ついにここまで来た。
ここで外せば◯◯の負け、つまりは告白失敗だ。
しかし、和への想いが◯◯を奮い立たせていた。
10本目、ついに最後の一本。
「いくぞ!」
彼の放った最後の一射は、見事に的の中心に突き刺さった。
「やった…!」
パチパチパチ…!
音の方を見ると、和が少し目を潤ませながら拍手をしていた。
「…井上先輩」
「…せっかくかっこいいところ見せてくれたから、今度は私から言わせて。◯◯くんが好き」
嬉し過ぎて、顔がニヤけてしまう◯◯
「…すみません、弓道の精神的にはNGなのかもですが、今日だけは喜んでもいいでしょうか?」
和はコクリと頷くと、◯◯は叫んだ。
「やったぁぁぁ!!!」
こうして、◯◯は自分の限界を越え、大好きな先輩と結ばれたのだった。
「…それにしても、君って結構大物だよね。練習でできなかったこと、本番で決めちゃうなんて」
「先輩のおかげです。初めて会った日の先輩の所作が凄い綺麗で…あのイメージがずっと頭の中にあったから、最後まで集中力を切らさずにいけました」
「そっか…ありがとね」
「いえ、こちらこそ。好きって言ってくれてありがとうございました。僕、今凄い幸せです」
「うん…私も」
こうして2人は自然と手を繋ぎ、家路へと就くのであった。
「あぁー!!!」
僕は重大なミスを犯していることに気付く。
「ちょっと、もう夜遅いから…。それで、どうしたの?」
「あの…すみません…僕…告白のこと考えるのに必死で…後先とか全く考えてなくて…」
「うん」
「…終電無くなっちゃいました」
「本当だね」
「すみません。実家も元々は近くだったんですけど、つい最近引っ越しまして…」
「うん」
「タクシー代払うんで、先輩だけでも帰ってください」
「なんで?」
「いや僕がこんな時間まで付き合わせてしまったので…」
「…そうじゃなくてさ」
「2人で一緒にホテル泊まればいいんじゃない?付き合ってるんだから」
「え!?」
「嫌なら無理にとは言わないけど…」
「えっと…その…いいんですか?」
「何が?」
「いや…だって…そんな簡単に…」
「簡単じゃないよ?私にとっても一大決心だったんだけどな」
「先輩…。わかりました!行きましょう!」
こうして、僕らはラブホテルへと向かった。
僕はこの日、大好きな人に初めてを捧げることになったのだが、その話はまたどこかで………
それから和さんが卒業するまでは本当にあっという間だった。
初詣
バレンタインにホワイトデー
そして和さんの誕生日
少しでも思い出を残せるように、イベント事はできる限り2人で過ごした。
そして卒業の日。
袴姿の和さんが弓道場に最後の挨拶に来ると、部員のほとんどが泣いていた。
本当にみんなに愛されていたんだろう。
…僕はどうだったかって?
もちろん号泣した。きっと部員の誰よりも。
「…卒業しちゃったねぇ。それにしても君は泣き過ぎだと思うけど(笑)」
「やっぱり寂しいですよ…。もうここで袴姿の和さんに会えないなんて」
「大丈夫だよ、心配しなくても君とはいつでも会えるから。それに、たまになら家で着てあげるから…袴」
「ほんとですか!?約束ですよ!?」
「ふふっ…たまにならね?」
「和さん、最後にお願いがあるんですけどいいですか?」
「なに?」
「抱きしめていいですか?」
「…いいよ、おいで」
和は◯◯を優しく抱き寄せる。
「大好きです」
「私も」
2人はそっと口付けをした。
和さんは社会人になり、新しい生活が始まった。
最初こそ大変そうだったが、今ではすっかり慣れて少しずつ余裕が出てきたみたいだった。
僕はというと、大学に通いながらアルバイトに精を出していた。
和さんとの将来のことを考えるとお金はいくらあっても足りないからだ。
和さんは会社でも変わらずモテているらしく、同僚や取引先の人にに口説かれたエピソードを話してくれては、僕が頭を抱えるということがしばしばある。
そして、和さんの就職を機に半同棲のような形になった。
少しでも一緒にいる時間を作りたかったという思いもあるが、意外にも和さんは片付けが大の苦手だということを知ったからだ。
気付いたら家が荒れるから放っておけないというのが本音である。
〜〜〜
「またこんな散らかして!前に来てから3日でこんな汚くなります!?」
「ごめんね?許してにゃん?」
「なんすかそれ!あーもう可愛いな!」
…まだまだこの人には敵わないと思う◯◯であった。
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