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「神は死んだ」のか?
ユバル・ノラ・ハラリ ‘21世紀における21の提言(英語版の日本語要約) ’
(日本語版発売は2019年夏です。)第13の提言 #GOD P197~199
(私の説明)
VALUER制限の鍵付きを外します。一人でも多くの方に知って頂きたい内容だからです。
極寒の北国の文豪 #ドストエフスキー は、
#神 なんてものを考え出したやつを、ヤマナラシの木に吊るして、絞首刑にしなければいけないと言いました。
#21世紀 が生んだ天才歴史学者、時代の寵児・ #ハラリ は、13番目の提言で #神 について何を語るのでしょうか。
(本題)
#神は存在するのか ? それは、 #神 があなたの心の中にいるかどうかにかかている。
#宇宙の神秘 であるのか、それとも、世界に広まっている #教え示すもの なのか?
#神の話 となると、壮大な謎の話になるが、私たちはそれについて全く知らない。
私たちは #宇宙の深遠な謎 を説明するために、 #謎深い神 に言及する。
なぜ、何もないというよりも、まず、何かがあるのだろうか?
物理の基本的法則とは、一体どんなものなのか?
意識とは何か?そして、それはどこからやってくるのか?
私たちは、これらの問いに対して答えを知らない。 #高貴な神 という名前について、私たちは無知である。
この #謎深い神 の根本的な特徴をあげるならば、私たちは‘ #彼 ’についてしっかりとしたことが何も言えないということである。これは、 #哲学者の語る神 である。
#私たちが話している #神 は、私たちが深夜にキャンプファイヤーのまわりに座って、人生とは一体なんであるのかを思い巡らすものである。
私たちの科学の知識を総動員すると、全ての聖なる書物は、想像力に富んだ #ホモサピエンス によって書かれたものであるとわかる。
それらは、社会の標準や政治的構造を適正化するために、私たちの先祖によって書かれたただの #ストーリー である。
個人的に、私は #存在の神秘 について思いを巡らすのを、決してやめない。
しかし、 #その神秘 が、 #ユダヤ教 、 #キリスト教 や、 #ヒンドゥー教 といったささいな教えと相関性があるか、私には全く分からない。
それらの教えは、数千年にわたり社会の秩序を構築し、維持するのにとても役立った。
しかし、それらの宗教は宗教に関係のない国家や、研究機関の教えと根本的に異ならない。
(十字戦争の例から、結びへ)
#第三次十字戦争 の持つ教訓とは、
政治的利益、経済的野望や、個人的憎悪を正当化するために神の名を用いてはならないということである。
ある人が他者を嫌うと、‘ #神 ’はあなたを嫌っている。と言う。
ある人が領土を欲しいと思うと、‘ #神 がそれを欲している。’という。
あなたは、隣国と戦争を起こしたいのか?それとも、領土を奪いたいのか?
これらのことから神を解き放とうではないか、そうすれば、もっと他の許しを乞えるであろう。
言ったり、したりすることの全ては、信心の問題である。
私が‘ #神 ’という言葉を使うとき、#イスラミックステート #十字軍 #宗教裁判 の神のことを考える。
このとき、‘ #神は旗印を嫌う 。 ’ということを思い起こす。
私が #存在の神秘 について考えるとき、混乱を防ぐために、他の言葉を好んで使う。
(とても名前を気にし、とりわけ #神 の最も崇高な名前を気にする人たち)の #神 とは違い、
#存在の神秘 は、我々猿人がそれに何の名前を付けようが、微塵も意に関さない。