誰が泥棒なのか?
ユバル・ノラ・ハラリ ‘ #21世紀における21の提言 (英語版の日本語要約) ’
第16の提言 #正義 P224~228
‘ #河川泥棒 ’
(私の現状報告)
連日、ありがとうございます!皆様、お元気ですか⁉G.Wもわずかとなりました。
「スポーツか?」、「ハラリ氏か?」という昨日の自問ですが。
自答します。欲張りに、両方します・・・(^ω
(著者の結論)
#狩猟採集民の脳を持つ我々は 、現代世界を覆う #構造的バイアス を理解できていない。
(本題)
‘ #盗むなかれ ’という規範は、 #盗む ことが、自分の手で他人の物を奪うことを意味した時代にでた。
しかしながら今日、 #盗む ことの意味合いは変わってきている。
もし仮に、私が10,000ドルを石油化学会社に共同出資したとする。
それは、投資額に対して実質5パーセントのリターンがある。
その会社は、外部にお金を支払わないので、高い利益がある。
その会社は、有毒な廃棄物を近隣の川に垂れ流す。
地域の水源、一般人の健康、地域の生態系へのダメージにおかまいがない。
得た利益は、訴訟時に、どんな追求からも守ってくれる弁護士を雇うために使う。
また、環境法整備をしようとする運動を拒んでくれるロビイストを雇う。
果たして、私たちは、‘ #河川を泥棒 ’をしたということで、その会社を非難できるだろうか?
私個人としては、どうなるだろうか?
私は、誰かの家に押し入ったわけでもなく、誰かの財布から紙幣を抜き取ったわけでもない。
私は、この特定の企業がどのように収益を上げているか知らない。
私は、資産の一部がそこに投資されていたか、全く覚えがない。
この場合、私は、 #盗みで有罪 となるだろうか?
関連する事実について、知らないも同然の時に、私たちは、どのように、モラルある行動をとれるだろうか?
‘故意的なモラル’という考え方を用いて、この問題を解こうとする者がいる。
重要なことは、何をしようとしたかであり、実際にすること、あるいは、したことの結果ではないという主張である。
しかしながら、あらゆることが密接に結びついている世界において、崇高なモラルの義務を知ることこそ、喫緊の課題となっている。
現代史における最も大きな過ちというのは、 #憎しみ や #妬み が原因というだけでなく、 #無知 や #無関心 によって引き起こされている。
現代世界の #不当な行為 のほとんどが、 #個人的な偏見 というよりもむしろ、大きなスケールの #構造的バイアス が原因となっている。