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ねこChanの運命と春樹・村上

鋼鉄の箱の中の、ねこChanの運命。
‘シュレーディンガーのねこ’
とよばれる量子力学の思考実験。
ガイガー計数管の中に少量の放射性物質物質がある。
1時間以内に1個の原子が崩壊するかもしれない。
また五分五分の確率で1個も崩壊しないかもしれない。
もし崩壊すれば、計数管の中の真空管が放電し、リレーを通してハンマーが動き、それが青酸の入った小さなフラスコを割る。
この装置を1時間放置したとする。
もしも原子が1個も崩壊しなければ、ねこはまだ生きているだろう。
最初に原子が崩壊したときに、ねこは毒を吸うことになる。
この状態は、生きているねこと、死んでいるねこが半々に混じり合ったもの、ないし、そのふたつを平均したものとして表される。
ねこは量子の煉獄で宙ぶらりんの状態にあり、死んでもいなければ生きてもいないという、重ね合わせの状態にあるのだ。

ねこが生きているか死んでいるかわからない。

さて。
シェイクスピアは言った。
’To be or not to be’
’生きているか死んでいるかわからない'
訳の一例である。
こう訳されることもある。
’存在しているのか、いないのかわからない。'
これは、実在論と呼ばれる。
存在するモノが、本当に存在するか否かを問う学問である。
この問いをしているヒト自体が、実在しているため(厳密には、実在しているらしいため。もしくは。実在していると錯覚しているため。)、一生をかけてもとけない問題とされる。
ソクラテスも、アインシュタインも、この難題の泥沼から無事に帰還することはなかった。

春樹・村上は、このアンタッチャブルな難題に小説というメソッドで挑んだ。
‘街とその不確かな壁(新潮社 2023)’

何が現実で何が現実ではないのか?これらをへだてる壁のようなものはこ
の世界に存在しているのだろうか?
それは不確かな壁だ。場合に応じて相手に応じて堅さを変え、形状をかえ
ていく。まるで生き物のように。

また。
小説というメソッドの神髄を語る。
‘真実というのはひとつの定まった静止のなかにではなく、移動する相の中にある。’

‘シュレーディンガーのねこ’と春樹・村上の考えをまとめる。
‘ねこが生きているか死んでいるかをへだてる壁は、不確かな壁である。’




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