『Ryuichi Sakamomo: CODA』を観て〜 被災したピアノに共振する魂の記録
教授追悼の思いを込め、2017年12月にAmebaブログに書き綴った『Ryuichi Sakamomo: CODA』映画評を、こちらにも再掲しておきます。
あらためて、教授の「音楽と思索の旅」は、《自然》の声を忘れ去ってしまった現代人への重要な警告と示唆に満ちていると感じます。
以下、2017/12/19 アメブロより
「角川シネマ有楽町」にて、映画『Ryuichi Sakamomo: CODA』を観てきた。
上映前には、教授と映画評論家・樋口泰人氏によるトークショーがあり、「音」にまつわる大変興味深いお話も聴くことができた。
『Ryuichi Sakamomo: CODA』は震災以降の約5年間、音楽家・坂本龍一の創作現場と日常に密着し制作されたドキュメンタリーである。
被災地の寒々しい避難所で奏でられる『戦場のメリークリスマス』。
教授の音楽は常に《死》に寄り添っていると感じる。
生命を謳歌しているものに対してだけでなく、死につつあるもの、死に取り囲まれているものにたいして寄り添い、ともに存在しようとする真っすぐな佇まい。
被災したピアノと同じように、われわれもまた被災したのだということを、彼の営みはあらためて思い知らせてくれる。
《非自然》の極致としての原発が、われわれの日常に否応なしに入り込んでくるこの世界で、「見て見ぬ振り」をするのではなく、現実を直視し表現しようとするアクチュアルな様態こそが、坂本の本質であると感じる。
最先端のテクノロジーを手に、YMOで時代を切り開いていった若き日の坂本。
森で、北極圏で、音を「採集」する坂本。
地球や自然と対話し、その《非同期》性の音楽化を試みる彼の創作は、リアリストとしての飽くなき探求であり、まさに死につつあるもの=《生命》への賛歌でありレクイエムなのだ。
映画の終盤、荘厳に鳴り響く《音》の中でひときわ目を輝かせる彼の姿に、そう感じた。
そしてそれは、テクノロジーに依拠し過ぎるあまり《自然》の声を忘れ去ってしまった現代に生きる人間の「自己回復」の試みのようで、被災したピアノの鈍く澄んだ音色に共振する。
一切のナレーションを排して、教授の「音楽と思索の旅」をまとめ上げたスティーヴン・ノムラ・シブル監督の編集も素晴らしい。
一人の稀有な音楽家の歩みと日常を、静かに深く伝えてくれる迫真のドキュメンタリー作品。
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