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わたしのついた嘘

 わたしには幼馴染がいる。
 保育園から同じ小中学校に通い、高校では離れてしまったが母親同士が仲が良かったのもあって度々会っては近況を報告し合う関係が続いた。

 彼女はクラスでも利発でリーダー的存在だった。ダンスや歌が上手な上に明るくて元気、ハキハキとした受け答えで先生からも気に入られる、分かりやすい学校の人気者。当時、どちらかというとボンヤリしていたわたしからすると、言い出しっぺを買って出てくれる彼女は一緒にいるだけで遊びやイベントに巻き込んでくれるので都合がよく、また楽しかった。

 そんな彼女は当然男子からも人気があり、小学校高学年の頃にはすでに彼氏のような存在がいた。中学でも何人かといい感じになり、高校に入って「プロを目指してバンドをやってる先輩」という男と付き合い始めた。
 その男を一度紹介されたがサラサラの長い前髪で顔の上半分が隠れており、どんな顔をしているかまったく視認できなかった。いわゆる雰囲気イケメンというか、オーバーサイズ気味のカーディガンと、通っているという音楽の専門学校のギターケースを背負っていたことはなんとなく覚えている。完全に目がハートになっている幼馴染と、その男のやりとりを目の当たりにした時、まだ処女も処女、修学旅行で女友達にフェラチオの上手なやり方を教えてもらって「へ、へえ〜…!」と言いながら心に刻むことしかできなかったくらい処女(交際経験ゼロ)だったわたしの感想は「付き合うってなんか、あんま楽しくなさそうだな」というものだった(ちなみに、フェラチオの上手なやり方は「唾をいっぱい出す」というものだった。ありがとう、悠子)。

 学校の人気者で、コネなしに某有名ミュージカルの最終審査まで残ったこともあるわたしの相方…いや、幼馴染は、とにかくキラキラなはずだった。キラキラ輝いてる彼女が、限りある青春時代に付き合うのはやはりキラキラした男で、いや、そいつは別にキラキラしてなくてもいいが、彼氏といる時の彼女は絶対にキラキラしているはずだったのである。わたしのなかで。だがどうだ。実際は、顔もよく分からない、せっかく彼女といるにもかかわらず常にダルそうにしか喋らない、彼女の幼馴染であるわたしともろくに目を見て話せない男に、キラキラのはずの彼女が顔色を窺うようにして一生懸命話題を探している。落胆を禁じ得なかったが、それでも彼女が選んだ男だからいいところもあるんだろうし、応援しようと、一応思い直した。

 その頃、幼馴染が「あんまりメジャーじゃないけど最近ハマってるんだよね」と教えてくれたのが小谷美紗子というミュージシャンだった。ティーンの娯楽としてはカラオケが全盛の当時にして、カラオケに到底不向きな圧倒的な歌唱力、そして若年女子の繊細さと危うさを織り込んだ重い歌詞……コムロアムロも嗜みながら、ステレオタイプなコギャル世代のイメージから逃れて陰でこっそりこういう音楽を愉しんでいたのが80年生まれ首都圏育ちの非ギャル女子なのである。さて、そんな小谷美紗子の曲を、恋愛の経験値の違いから歌詞について深く掘り下げて語ることはなくただ「いいよね」と享受していたわたしたちだったが、ある時幼馴染の彼女が件の彼氏に小谷美紗子の曲を聴かせたところ、こんなことを言ったらしい。

「女の子ならではの被害妄想っぽいところとか、よく出てるよね」

 聞いた当初、どの辺を聴いて被害妄想っぽさを感じたのかな、くらいは思いつつもこの言葉についてあまり深く考えることもなくスルーしていた。バンドをやっていて歌詞を書くこともあるだろうから、そんなふうに俯瞰して歌詞を見るんだなあ、くらいのものである。だから何故こんな他愛もないことを覚えているのか自分にも分からないのだが、少しだけ心に引っかかることがあるとすれば、その感想を伝えてきた幼馴染の言い方に妙な媚びを感じたことだろうか。

 それから20余年の時が経つのを許してほしい。フェラのやり方も知らなかった処女は、自身のダブルフェラ動画をイベント会場で流してゲラゲラ笑うような最低な下品おばさんに成り果て、「嘆きの雪を体に浴びて幻想の世界へ逃げてしまいたい」などというような繊細さも完全に失ってしまっていた。
 今年のお盆休み、プラスマイナス5歳くらいの世代の友人たちとカラオケに行くことになり、その会のテーマが「失恋」だったことから小谷美紗子の『嘆きの雪』を20年ぶりくらいに歌った。それをきっかけに、Apple Musicで小谷美紗子を再び聴くようになり、夕飯を作ったり洗濯物を干したりするタイミングで歌詞を咀嚼して味わっている。40代で聴く彼女の歌は、驚くほど感性がみずみずしく、かつ言葉選びが丁寧だった。年齢的には彼女が2〜3個上だったと記憶しているが、当時その若さであんな歌詞を書いているなんて…。重めの曲が多いゆえか「若干メンヘラ感ある」位置付けにされたりもするが、視野は広く、鋭いだけで乱暴な言葉遣いは皆無である。自分の周り数十センチの範囲のことしか考えられず、起きた事象にも雑な解釈、雑な対処しかできないのがメンヘラなわけで、彼女の鋭くこまやかな歌詞世界はまったくそれに該当しない。と、考えていたときに思い出したのが、幼馴染の彼氏の発言である。

「女の子ならではの被害妄想っぽいところとか、よく出てるよね」

 あの時、単なる感想として流していた一言が急に腹立たしく思えたのだ。

 オダニの曲、被害妄想っぽくねーし。
 被害妄想って女のものだけじゃねーし。
 てか、「よく出てる」って謎に上からなんですけど?

 わたしの心に眠っていたギャルが目を覚まし、四半世紀前の発言に反論を始める。精一杯優しい目で見れば、彼の発言はちょっと背伸びしちゃいました程度のものだろう。だが、その発言からしばらくして彼は同じ高校に通う彼女の親友と二股をかけるなどしていたので、女子を軽んじて見るようなバイアスがかかっていたのは間違いない。どれだけサンプルがあったか分からないが、彼が「被害妄想」と思っていたのは、おそらく普通に「被害」の訴えだったのではないか。あまりによく歌詞に書けていた少女たちの気持ちを、若さやモテたさゆえに彼は回避したかったし、「女の子ならではの」とレッテルを貼ることで自分の罪を女の子のせいにできたし、「よく出てる」などと評することで一段上に立ち、カッコつけることにも成功した。一言で三度美味しい。この類のクソ野郎や、クソな世間はしばしば女の子の真剣な訴えをこのように矮小化する。メンヘラだ、被害妄想だ、女にはありがちなアレだとレッテルを貼り、取り合わないことで自分たちが勝ち続けようとする。幼馴染は、彼に嫌われたくなく、彼を嫌いたくなく、あの発言を認めざるを得なかった。その「媚び」が、長く彼女を傍観しているわたしには伝わってしまった。その構造をもっと早くに理解し、あの時彼女のために怒ることができたら、その後の彼女の人生は違うものになっていたかもしれない。

 これは彼に対する怒りではなくて、わたしに対する苛立ちなのかもしれない。輝いていた彼女が、その輝きに見合った(とわたしが感じられる)恋愛をしていないというもどかしさ。彼氏と別れた後も、彼女は何度も同じような目に遭い、進路や目標なども諦めざるを得ない状況に追い込まれもした。その都度「あんたはもっと楽しい恋愛をしていい。もっと楽しく生きていい」と伝えることができなかった苛立ちを、20年以上経った今になって感じてしまっている。でもこんなわたしの彼女に対する評価すらも、勝手極まりないものだ。誰にとっても恋愛は苦しく、人生は苦いものなのかもしれない。

 つい先日、老母との雑談に彼女の話題がのぼった。彼女はいまだに、自分の理想を求めてもがいているらしい。かつての彼女のキラキラ具合をやはりよく知っている老母は、「あの子、大丈夫かしらねえ」などと心配するようなことを言った。つい同調しそうになったが、少し考えてわたしは言い切った。「大丈夫! あの人、明るいから!」
 無理をしていた。自分に言い聞かせるような言葉だった。だけどわたしが同じ状況なら、彼女にはこう言ってもらいたい。彼女自身が生きる力を信じて。そう思って、わたしは堂々嘘をついた。

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