わたしの湖
いつからかわたしの心の中には深い深い湖がある。なにかにつけ、縄ばしごのようなものでそこまで降りていって、静まり返った湖面を見つめている。
湖から拾い上げるのは大抵失ったものの思い出で、心通った記憶はないけれど最期はわたしが作ったクマのぬいぐるみを抱いて幼子のように死んでいった祖母だとか、わたしが部活の大会に出ているあいだに母に看取られて死んだ飼い犬だとか、生まれなかった子供だとか、離れていった友人だとか、そんなようなものの記憶を角度を変えたり日光に透かしたりして眺めている。
近頃は湖まで降りていっては、少し前にこの世からいなくなってしまった友達のことを考えている。初対面の日みんなでコンビニに行って、気がつくと<話しかけたさ120%の表情>でモジモジしながら傍らにたたずんでいた彼。ふたりで神保町に出かけて、「城戸真亜子の喫茶店に行こう」と言ったらわたし同様少し悪い顔をして笑っていた彼。居酒屋で生ビール大ジョッキを何杯もお代わりする彼。会計のときにわたしが半額出そうとしたら、信じられないくらいデカい声で「あなた、ダメよ!!!!」と叫んだ彼(わたし、びっくりして『そんな大きい声出さなくてもいいじゃないの!!』って喧嘩みたいになっていたよね)。クラブイベントのライブ後、「他にあんまり知り合いいないから」と言って絡んできて、同じくしょうもねえ知人とふたりしてモテない男子中学生みたいな話をし、わたしのナンパセックスを妨害していた彼。彼。彼。それらの思い出を、湖から取り上げては眺め、再び湖に投げ返す。
亡くなる数日前はわたしの誕生日で、偶々飲み会がありそこで顔を合わせた。彼は「お祝いしたいから二次会行こうよ」と言ってくれたのだが、その時わたしは何故だか少しふてくされており、かたくなに断って、仕事先へと向かったのだ。その出来事は湖面に戻すと、まだ大きな波紋ができる。
「ママ!」「あんた!」「ワー!」
突如、声をかけられて我に返る。小1の娘や老母や飼い猫が、休む間もなく用事を言いつけてくる。家族だけではない。
「お会計!」「月曜までに日程出してください!」「ビールもう一本!」「明日、絵の具セットが必要になります!」「三人入れますか!」「お届け日を指定してください!」
飛んでくる声をひたすら打ち返す。考えに耽っている暇はない、というわけでもなく、打ち返すことに集中している方が落ち着いていられたりもするのだ。波紋を立てていた記憶も、そのうちに湖の底へ沈み、静寂へと還る。
と、ここでわたしは、これまで湖底に沈めた喪失のどれ一つとして乗り越えてなどいないことに気づく。父親がひどい暴力を振るった挙句に蒸発したことも、捕まえてきた小さなカマキリを瓶の中で死なせてしまったことも、離婚した相手のお母さんに牛タン弁当を渡され「元気でね」と言われたことも、一切乗り越えていない。ただ眼前の日常に押しやられ遠ざかっているだけで、何かの拍子にそれらの記憶を手に取るたび傷つくし、後悔もする。
そうして湖の深くに堆積した<乗り越えられざるもの>たちに会いに、今日もわたしは縄ばしごを降りていく。湖面に立った泡たちがきらきらと、わたしを嘲笑っている。