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雪女さんは暑さが苦手

駅前からちょっとだけ歩いたところ。

静かな路地を進むと見えてくる真っ赤な外観。

男前なマスターと、その息子と、友達の僕。

最小限のスタッフで回っている、知る人ぞ知る小さなカフェ。


「お待たせしました、アイスコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」


数人のお客さんがマスターとの世間話を他楽しんでいたり、パソコンをいじっていたり、勉強をしていたり。

とても、落ち着いた雰囲気が店内を包む。


「おい、○○。そろそろあの人来るんじゃね?」

親友でありバイト仲間の日野春一が、にやにやしながら俺に囁く。

今日は土曜日。

土日のお昼ごろ。

平日はまあまちまち。

十四時から十五時の間。

その時間に、あの人は決まってこのカフェにやってくる。


「べ、別に……あの人目当てでシフト入ってるんじゃないし……」


一瞬ドアが開いて、外の熱い空気が店内に流れこみ、ドアベルの軽快な音色も同時に響き渡る。


「いらっしゃいませ」


肩までの髪。

綺麗な横顔。

目が合うと微笑んでくれる。

きっと年上なんだろうなという落ち着きと、ミステリアスな雰囲気。

名前も知らない、常連の女性。

いつも、日陰になる席に座って本を読んでいる。

僕がひそかに思いを寄せる相手。

お名前は?

趣味はやっぱり読書ですか?

いっぱい話したいことだってあるけれど。

僕と彼女の会話なんて精々……


「ご注文はお決まりでしょうか?」
「アイスココアと、フロランタンをお願いします」


精々、システマチックな会話だけ。

注文を済ませた彼女は、ぺらぺらと栞の挟まったところに向けてページをめくっていく。


「アイスココア、一つお願いします」
「はいよ」


マスターが常連のおばさんと話ながらも手際よくココアを作り始める。


「別に客もめっちゃくるって訳じゃないんだしさ、あの人と話してみればいいのに」
「うるさいな……。春一も、早くフロランタンの準備してよ」

「恥ずかしがんなよ~。なんなら、名前くらいは俺が聞きだしてきてやろうか?」
「う……」

一瞬、「それもいいかもな」なんて考えが脳裏をよぎる。

しかし、それを言葉にしてしまう前に理性はきっちりストップをかけた。


「強情な奴だな~。話しかけちゃえばいいのに。父ちゃんだって、昔母ちゃんと出会ったのはカフェらしいぞ」
「余計な話してないでいいからお前は手を動かせ」

「あーい」

実際、春一の言う通りに一度勇気を出して話しかけてみればいいんだと思う。

だけど、その勇気が出ないのが致命的で。


「お待たせいたしました。アイスココアと、フロランタンです。ごゆっくりどうぞ」

商品を届ける以外の会話は出来ずじまいだ。

それでも、


「ありがとう」

そう言って微笑む顔が見れるだけで、僕は満足だ。

そう言い聞かせて、仕事に戻る。


「○○、キッチンこうたーい」
「はいはい」

キッチンで黙々と料理を作って、コーヒーを淹れてというのは春一の性格には合っておらず、こうしてバイト中にホールとキッチンを入れ替わっている。

ホールに出た春一は、お客さんが来るまでは常連のお婆さんたちと世間話に勤しむ。

性格も明るくて、マスターの息子らしく端正な顔立ちの春一はおばさま方から可愛がられやすいんだろう。

場所も場所だし、時間も時間。

お客さんの入りは少なくて、キッチンで誰と話すでもない僕は暇を持て余していた。

そして、僕は気を抜くと、無意識のうちに視線を彼女に吸い寄せられてしまっていた。


「おい、○○」
「は、はい……!」

ぼーっと彼女のことを見つめていると、春一と同じようなにやけ顔でマスターが僕との距離を一歩詰める。


「○○、あの端の席に座ってるお客さんのこと好きなのか?目つきエロいぞ?」
「そ、そんな目つきしてません……!」

「ほんとか~?」
「ほんとです……!」


僕は、そんな目つきであの人のことを見つめていただろうか。

そりゃあ、僕も男の子だし……って、そうじゃない。

別に、そんなことに一ミリも期待しちゃいない。


「常連の婆さんたちもそろそろ帰る時間だし、あのお客さんそこそこ長い時間店にいてくれるし、この時間は客の入りもさっぱりだしな。だから、話しかけに行ったっていいぞ?ここはそう言う店だ」
「でも……」

「拒絶されたり、断られたりしたらそん時だ」

マスターとそんな話をしていると、カウンターの隅の方に座って春一と世間話をしていたおばさまたちが席を立つ。


「じゃあね、いつも孫が増えたみたいで楽しいわ~」
「あざっす!またのご来店お待ちしてます!」


ドアベルの軽快な音と、急激な静かさ。

店内には、僕と春一とマスター。

お客さんはあの人一人。

どうする……

マスターの言ってた通り、話しかけに行くか……


「じれったいやつだなぁ……」

そう呟いた春一は、ちらりと僕の方を見てからあの人のいる席に向かっていく。

やな予感する。


「お姉さん、ちょっといいっすか?」


あーあ、的中した。

春一はやるやつだよなぁ……


「あ、うん」

お姉さんは本から顔を上げて、閉じた本を机の端に置いた。


「うちのスタッフの○○……キッチンのやつなんすけど。あいつがお姉さんと話したいらしいんですよ」
「そうだったんだ」

「話してやってくれないっすか?」
「いいよ」

春一が再び僕の方に視線をやり、手招きをする。

「いいぞ、行って」と言いたそうなマスターの目配せ。

僕は観念して、テーブルの彼女の向かいの席に座った。


「じゃあ……あ、○○何飲む?」
「アイスコーヒーで」

「りょーかい。じゃあ、ごゆっくり~」


春一がその場から離脱する。

彼女のほうを向くと、視線が交差した。

氷のように透き通った綺麗な目と、雪の様に真っ白な肌がぼんやりと明るい日陰の席でも輝いて見える。

緊張と、僕のコミュニケーション力不足で、コーヒーが運ばれてきてからも会話がない。

どうしたら……


「あの子、面白い子だよね」


僕がぐるぐると考えていると、彼女が口を開いた。


「あぁ、春一のことですか?」
「春一くんって言うんだ。元気だし、常に笑顔だし」

「ですよね。春一のおかげで、このお店は常に明るいと思います。僕とは違って、いいやつなんです」
「君の名前は?」

「え、僕ですか……?」
「うん、君の名前」

真っすぐ見つめられて、凍ったように背筋が固まる。


「僕は、月山○○って言います」
「○○くんかぁ。○○くんが一生懸命働いてるの、いつも見てるよ」

「ありがとうございます。えっと……」
「中西アルノ。アルノでいいよ」

「ありがとうございます。アルノさん」
「お礼言われるようなことしてないよ」


そう微笑んだアルノさんは、普段のクールな感じとはまた違って、幼い感じでかわいらしい。


「○○くんは今夏休み?」
「そうです。なので、バイト頑張らないとって感じで……!」

「何年生?」
「二年生です」

「一個しか違わないんだ。私、今三年生だから」
「そうだったんですね」

話盛り上がったな。

と思っていたけれど、所詮アルノさんから話しかけてくれてのもの。

すぐに会話の切れ目はやってきて、話すことを探さなければならなくなる。

なにか……

なにか話題は……


「えっと……本、好きなんですか?」
「好きだよ。映画も、本も」

「僕も、読書好きなんです。何読んでたんですか?」


アルノさんがブックカバーを外して見せてくれた表紙。

最近映画化が話題になっている小説で、ちょっと前にめちゃくちゃ売れたやつ。

当時なぜか読んでいなかったから、僕も絶賛読み進めている最中のものだった。


「それ、僕がちょうど一昨日読み終わったやつ……!」
「お、趣味が合うね。これ、映画やるから予習しておこうと思って」

「そしたら……!」

一緒に見に行きませんか?

そう言いかけて、理性のブレーキがかかる。

危ない。

言い切ったらどんな反応されるか。


「いま、何言おうとしたの?」
「な、なんでもないです……!」

「もしかして、『一緒に行きませんか?』とか言おうとした?」
「な……!」

なんでバレてるんだ……


「図星だった?」

僕の方をのぞき込むようにした後、くすくすと笑うアルノさん。

心を見透かされているみたいだ。


「ふふ、君も面白いね」
「揶揄わないでくださいよ……」

「かわいいね~」

席を立ったアルノさんが、僕の頭を撫でる。

冷房のせいか、ひんやりとした手がくすぐったい。


「じゃあね、明日も来るよ」

カランコロンと、アルノさんはお店を出た。

陽も雲に隠れて、夏の暑さもちょっとは和らいでいるのに、僕の顔は熱いまま。


「おいおい、どうしたよ○○~。頭撫でられて照れちゃったのか~?」
「う、うるさいな……」

「おっと、マジだったか。でもまあ、一歩前進じゃね?」
「話せはしたよ……。でも、あんまちゃんと会話は出来なかったかな……」


明日は、もう少しちゃんと話せるかな……




・・・




日曜日。

昼下がりのアイドルタイム。

キッチンに入っている春一は暇そうにあくびをして、カウンター越しにマスターは常連さんと世間話をし始める時間帯。

いつもなら、この時間になったらアルノさんが来るはずなのに、今日は中々来ない。

僕はそわそわしてしまって、さっきから何度も時計に目をやっている。


「今日来ないな、アルノさん」
「そうだね……」

「おーい、○○。外の花に水やってきてくれ~」
「はい!」

冷房の効いた店内から、干からびてしまいそうなほど暑い外の世界へ。

じょうろの水を、店の扉の隣にある花壇に注ぐ。

心なしか、真っ白に咲いたインパチェンスも水を浴びて輝いて見える。


「それにしても、暑いな……」

お店のある路地にも蜃気楼が漂い、強い日差しが照り付ける。

これだけ暑いとアルノさんも外出たくないだろうな。

僕は少しでも暑さがまぎれるようにと、再びじょうろに水を汲んで、打ち水をはじめた。

ただ水を撒いているだけだけど、なんとなく楽しい。

そろそろ、遊ぶのもやめて仕事に戻らないとと思った時だった。


「……けて……」

路地裏から、何かが聞こえる。

僕は吸い込まれるように、か細い声のする方へと足を向けていた。


「だれか……たすけて……」
「アルノさん!?」


路地裏の、陽の当らない場所。

とはいっても、全く涼しくなんてない場所。

座り込んで、壁に背を預けて、今にも消え行ってしまいそうなアルノさんがそこにいた。


「大丈夫ですか……!」
「しんじゃう……」

「一度お店に……!」

そう思って、アルノさんの手を握ると違和感があった。

汗……とはまた違った感覚。

それはまるで、アルノさん自身が融けているような。


「それは……だめ……。バレちゃうから……」


そうは言っても、すぐに何とかしないと。

熱中症とかかも知れないし……


「うちすぐそこなんで、そこまで運びます……!」

アルノさんを背負って、徒歩十分の道のりを走る。

本当に乗っているのかなと思うほどアルノさんは軽い。

そして、背中がほんのりと冷たい。

ベルトループに掛けてあった鍵でアパートの自室の玄関を開けて、アルノさんを運び、ベッドに下ろしてからエアコンをつける。

水と塩分タブレットを枕元に置いておく。


「ごめんね、○○くん……」
「いえ、大丈夫です。バイト、あと二時間で終わるんで休んでてください」

「うん……」

鍵を閉めて、カフェに戻る道中で僕はちょっとだけ冷静になった。

昨日初めて話した人を、緊急だからと言って親のいない自宅に連れ込んで、その上自分のベッドに寝かせている。

僕はとんでもないことをしでかしてしまったのでは……


「あ、父さん。○○戻ったぞ」
「おー。何してたんだ?打ち水してたら楽しくなっちゃったか?」

「あはは……そんなところです……」
「あるよなー。打ち水が楽しくなっちゃうこと」

厳しくないバイト先で、なおかつマスターが能天気な人で助かった。


「……なんか、○○変な汗かいてないか?」
「な、なに言ってんだよ。外暑かったからだろ……?」


バレるわけにはいかない。

事情は分からないけど、アルノさんがそう言っていたんだったらきっと深い訳があるんだろう。

残りの時間、僕は中々バイトに集中できなかった。

あまりお客さんが来なかったことだけが救いだった。




・・・




「んじゃな~」


春一と別れて、僕は駆け足で家まで向かった。

部屋は涼しくしたとは言え、アルノさんの体調はわからない。

バイト先には電話でもして、傍で様子を見ておくべきだったか……

玄関を開けて、部屋を遮るドアの前で立ち止まる。

この先に、アルノさんがいるんだよな……


「すみません、入ってもいいですか?」


自分の部屋なのにノックをするなんて新鮮だ。


「どうぞ」

自分の部屋から、アルノさんの声がするなんて信じられない。

ドアを開けると、すっかり顔色が良くなったアルノさんがベッドに座りながら出迎えてくれる。


「体調、大丈夫ですか?」
「なんとか、話せるくらいには」

「よかった。食欲はどうですか?」
「ご飯作ってくれるの?」

「一人分が二人分になるくらいなら、あんまり変わらないので」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「わかりました。そしたら、もう少し休んでいてください」
「ありがと。○○くん、面白い子だと思ったけど優しい子でもあったんだね」

「また揶揄って……。ちゃんと休んでてくださいよ!」


ドアを閉めて、エプロンを着て、キッチンに立つ。

一人暮らしの男子大学生の部屋に食材がそろっているはずもなく、熱中症で食欲がない人でも食べられるようなレシピを考えるのには非常に頭を悩ませる。


「うーん……。トマト缶と、オリーブオイル。ツナ缶……。パスタもあるし、あれでいいか」


高校の頃、家庭科の授業で作ったことのある冷製パスタ。

パスタを二人分鍋にぶち込んで、待ち時間の七分でソースを作る。

使いかけの半分残った玉ねぎをみじん切りにして、タッパーに空けておいトマト缶、ツナ、オリーブオイルと一緒に混ぜる。

普段ならにんにくも入れているところだけど、アルノさんもいるし、今日はマヨネーズと醤油を少々。

ちょうど茹で上がったパスタは氷水の入ったボウルに入れてしめてから水を切る。

ソースと和えて盛り付けて、乾燥バジルをちょっとだけ振りかけたら完成だ。


「できましたよ~」
「お、いいにおいする~」

テーブルの上に二皿並べて、二人して地べたに座って手を合わせる。


「ん!美味しい!」
「よかったです」

「カフェでバイトしてるだけあるね~」


アルノさんの口に合ったみたいでよかった。

一安心した僕も、パスタを一口、口に運ぶ。

確かに美味しくできた。

今度マスターにも評価してもらおうか。


「ごちそうさまでした」
「食器、片付けます」

「私も手伝うよ。されっぱなしじゃ悪いし」
「いや、アルノさんは少しでも体を休めてください!」


強引にアルノさんを制して、手早く食器を片付ける。

時間は十九時を過ぎたくらい。

アルノさんにいつまでも僕の家にいてもらうのも悪いし、送っていくか……


「○○くん、ちょっといいかな」

と、思っていたけれど、アルノさんがちょっとだけ真面目な顔で手招きをしていた。


「どうしたんですか?」
「私のことについて話しておかないとな~って思って」

「アルノさんのこと……ですか?」
「そう。私のこと」


そう言ったアルノさんが、僕の額に手を当てる。

やっぱり、冷たい。

昨日は透き通った瞳が氷のようだと思っていたけど、今回は比喩でもなんでもなく、氷の様に冷たい。


「私ね、雪女なんだよね」
「雪……。え、雪女……!?」

「正式には、お母さんが雪女でお父さんは普通の人間だから、ハーフだけどね。私はお母さんの血を濃く継いでるみたいなんだよ」

雪女って言ったら、昔話に出てくる妖怪だ。

そんなの、実在するなんてことありえない。

しかし、目の前のアルノさんがウソをついているとは思えない。

何よりも夕方にアルノさんの手を取った時の違和感も、これだったら少しは合点がいく。


「だからいつもはハンディファンとか持って外出るんだけどさ、今日は家に忘れてきちゃって」
「そんなんでいいんですね……」

「あのままだったら溶けてなくなっちゃうところだったよ。ほんとありがとね」
「いえ、それほどのことはしてないです」

「もうこんな時間か~…….。いつまでもお世話になってるのも悪いし、そろそろ帰ろうかな」
「送っていきますよ」

「いいの?ほんと、○○くんは優しいね」


優しいね。

再三、アルノさんから出てくる僕に対しての評価。

優しいねと言われるのは、ちょっとだけ嫌な思い出が蘇る。

優しすぎるからと言われてフラれた高校三年生の春の日を思い出す。


「どうかした?」
「いえ……なんでもないです。行きましょう」




・・・




七月後半。

夜と言っても、昼間の暑さがまだ吸い込む息の端々に感じられる。

街灯に照らされて、アルノさんをアパートまで送った後、一人の帰り道。

僕はぼーっとスマホに追加された連絡先に意識を持ってかれていた。


「連絡先、交換しちゃった……」


帰り際、アルノさんに呼び止められて。

『連絡先交換しようよ。今日のお礼もしたいしさ』

ずっと、お話しできたらなって思ってた相手だぞ。

そんなこと言われちゃったら、連絡先を差し出すに決まってるじゃないか。

それにしても……


「雪女か……」

にわかには、信じがたいけど。

実際に、雪女なんて存在したんだ。

家に帰って久々にお風呂に浸かって。

その間も、僕の脳みそは今日の出来事を処理しようと頑張っている。

そのせいか、普段の数倍も眠気が襲ってくる。

お風呂から出た僕は、髪を乾かして早々に眠りにつくことにした。




・・・




朝が来た。

時刻は午前十時。

早く寝たからか、目覚めは快調。

今日はバイトもないし、友達と遊ぶ予定もないし、一日だらーっと過ごせる。

とりあえず、ソシャゲのログインでもと思って、スマホを開いて。

メッセージアプリの通知が来ていることに気が付いた。


「春一かな……」

アプリを開いて、僕は目が飛び出そうになった。

そのメッセージの差出人はアルノさん。

トーク画面を開くまでは一通目しか見えないから、僕は『今日はありがとね』と表示されたトークルームを震える指でタップした。

昨日の十一時半に届いたメッセージは四件。

『今日はありがとね』
『もし〇〇くんの都合が良ければお礼させてよ』
『明日とか、映画でも見に行かない?』
『…寝ちゃった…………?朝でもいいから、返事待ってるね』

僕は急いでアルノさんにメッセージを打ち込む。

『おはようございます…!昨日は早く寝てしまって…』
『お誘い、ぜひ受けさせていただきたいです!』

もう、どうにでもなれ!

決死の覚悟で送信ボタンを押し込む。

意外にも、すぐに既読が付いて、僕の心臓はその事実に鼓動を早める。

『おはよー』

おはようの一言がメッセージに来るだけでこんなにも幸せな気持ちになるのか。

『じゃあ、二時間後くらいに駅前の時計台に集合でいいかな?』

挨拶の余韻に浸る間もなく、次のメッセージ。

『了解です!』

簡単に返信をして、僕は慌ててシャワーを浴びに行った。




・・・




慌てて出てきちゃったけど、服装変じゃないかな……

髪も、もう少しじっくりセットした方が良かったかな……

香水臭くないかな……

十二時と言われたのに、三十分前に駅前に着いてしまった。

早く着いてしまったばっかりに、今日の自分の身だしなみが気になってしまってしょうがない。

アルノさんと、おでかけ。

つい一昨日までは会話すらまともにしたこと無くて、目で追うだけが精いっぱいだったアルノさんとおでかけ。

これってもしかしてデ……!


「やほ、おまたせ」
「うわぁ!ア、アルノさん!」

「どうしたの、そんなにびっくりして。てか早いね。私もちょっと早く着きすぎたかもって思ってたのに」
「すみません、急だったもので……」

にしても、アルノさんの私服はらしいというか、何と言うか。

いつもカフェに来るときは比較的ラフな、Tシャツとかでくることが多かったから、こうしておでかけ用の服となるとなんかこう、ドキドキしてしまう。


「きょ、今日は、どんな予定なんですか?」

僕は、それを悟られないように強引に話を変える。


「映画見る」
「その後は……?」

「何も決めてないけど」


意外と、アバウトに生きてきた人なのかもしれない。

アルノさんの新たな一面だ。


「早く行こ。外、暑くてたまんないよ」
「すみません……!そうでした。今日は一段と暑いですから、アルノさんに何かあったら僕が守ります!」

「守るって……。ふふ、大げさ」
「出過ぎたことをいいました……」

「ほら、行こ」

茹だるような暑さ。

焦がすように照り付ける日差し。

蜃気楼で数メートル先もぼやける様な日。

ひんやりとした真っ白な右手が、僕の左手を握った。


「アルノさん……!?」
「なにビックリしてるの?デートなんだし、いいでしょこれくらい」


デート……

デート……!?

もしかして、デートと呼んでもいいのかとは思っていたけれど、アルノさんからそう言われるのはまた話が違ってくる。

もともと意識はしていたけれど、アルノさんからそう告げられると余計にこのおでかけの意味が濃くなってくる。

当のアルノさん本人は、僕の反応を見てなのかくすくすと笑っているのだけれど。


「結構楽しみなんだよね~」

そして、何事もないかの様に会話が展開される。

手は依然として握られたまま。

手汗、やばいかもしれない。

映画館に着いて、手が解けてからようやく心臓の音がマシになってきた気がする。




・・・




涼しかった映画館から、酷暑を経由して近くの喫茶店へ避難。

映画はやっぱり感想を一緒に見に行った人と語るところまで含めてだ。


「最後のシーン、映画のオリジナルでしたよね」
「たしかに!ちゃんと正統な補完って感じだったね!……ごめん。興奮して声大きくなっちゃった」

「なんだか、こんなにテンション高いアルノさん、新鮮です」
「こうして映画見た後に感想語り合うなんて中々無かったからさ……私、友達少なくて……」

恥ずかしそうに目を斜め下に逸らすアルノさん。


「そうだったんですね……」
「怖かったんだ。私ってほら……ね?だからそれがバレて、怖がったみんなが私から離れていくんじゃないかって言うのがさ……」

「僕は、アルノさんのこと怖がったりしません!」
「信じてるよ……?」

小首をかしげて、上目遣いでアルノさんが僕の方を見つめる。

その瞳に、僕はまんまと撃ち抜かれてしまう。


「じゃあ、○○くんに私の秘密をもうちょっと話そうかな」
「秘密……ですか」

「ま、そんな大げさなものじゃないんだけど。ほら、私ってハーフじゃん?だから極度な暑さにも、極度の寒さにも弱いのよ」
「それ、いいことあります……?」

「夏場に部屋が暑いなと思ったらクーラーつけなくてもいいのと、冬場の半端な寒さなら何ともないくらい。で、夏場の難点がさ、体を冷やそうとするとたまに凍傷になっちゃうんだよね~。それに、私そうじゃなくても冷え性だし」


あははと苦笑いをするアルノさん。

こんな話、僕しか知らないんじゃないか。

きっとこれまで、苦労してきたんだろうけど。

こんなこと、思っちゃいけないんだろうけど。

その秘密を共有してくれたことが、嬉しかった。



「アルノさんに何かあったら、僕が守りますから」
「それ、告白?」

「あ……」


道行く人は手で仰いでいたり、ペットボトルで首筋を冷やしていたり。

厚い雲が空を覆っているというのに、夏の暑さは留まるところを知らない。

片やここは喫茶店の中。

冷房も聞いていて、幾分も涼しいはずなのに。

顔が、熱い。


「えっと……!その……!」
「ふふ、焦りすぎ」


テーブルの上を横切って、アルノさんの指が僕の首筋に触れる。

多分、処理落ちって人間にもあるんだと思う。

そうじゃなければ、僕が言葉を何も発せなかったことの説明がつかない。


「なんてね。帰ろっか」
「そうしましょうか」


お店を出て、駅前の広場までの道のり。

もうすぐ、特別な一日が終わってしまう。


「あの、また……」

頬にぽつりと、生ぬるい何かが触れた。

それが何だったのかを考えるよりも早く、雨脚はどんどんと強くなった。


「うひゃ~。土砂降りだ……」
「しばらく止まないっぽいですね」


コンビニの軒先。

アスファルトを打ち付ける雨は強い。


「俺、傘買ってきます」


店内に入ってすぐ。

ビニール傘が一本目に入る。


「一本か……」

迷わずそれを手に取って、精算を終える。


「傘、どうぞ」

もちろん、それはアルノさんに。


「でも、○○くんは?」


僕はアパートまで走れば五分くらい。


「大丈夫っす。うち近いんで!じゃあ、またカフェ来てくださいね!」
「ちょっと……!」


僕はアルノさんの静止の声も振り切って、雨の中を走った。




・・・




「いらっしゃいませ~」

次の日は、昨日の大雨が嘘かの様にじめじめとした空気を乾かさんとする日差しが照っていた。

昨日、傘を譲ってくれたお礼も言わないといけなかったし、私は○○くんの働くカフェに足を運んだ。


「あれ、○○くんは?」
「ああ、〇〇っすか……」

「…………?」
「あいつ、なんか風邪ひいたらしいんすよ。今日は熱出して休みっす」

「風邪……」

理由は明白。

あんな雨の中で走って帰ったらそうなるに決まってる。

あの時○○くんの手を取って、こんな中で帰るなんてダメだよって言えなかった私のせいだ。


「どうかしました?」
「あ、ううん。そしたら今日は帰ろうかな」

「もしかして、○○に会いに来たんですか!」
「え!?ち、ちが……くはないんだけど……。昨日、○○くんと映画見に行って」

「マジですか……!あいつ黙ってやがったな~」
「夕方、雨降ってたでしょ?○○くん、コンビニに傘一本しかなかったからって私にその傘を譲って走って帰っちゃったの。だから、昨日はありがとうって言いに来たんだ」

「なんか、〇〇らしいっすね。あいつ、優しくてちょっと奥手なとこもあるんすけど、これと決めた時は頑固なんすよ」


春一君は、笑っていた。


「また来るね」
「……○○の家、知ってますか?」

「な、なんで……?」
「だって、お見舞い行くんすよね?」


すごいな、春一君は。

他人のことをよく観察してるんだろうな。


「うん、大丈夫」
「…………!」

「じゃあ、行ってくるね」


彼のアパート。

場所はわかる。

場所さえわかればスマホ見ながらたどり着ける。

徒歩十分、アパートのドアの前。

私は恐る恐るインターホンを鳴らす。


「…………」


出てこない。

やっぱ、寝てるかな……

どうせ開いてないだろうと思ってドアノブを捻ってみると、


「あれ……」


開いてる……


「お邪魔しま~す……」

寝てるだろうから、起こさないように玄関を上がって、部屋に入る。

彼は、ベッドの中で辛そうな表情を浮かべながら眠っていた。

私はそっと、彼の額に手を当てる。


「あつい……」

ごめんね、○○くん。

これでちょっとでも元気になりますように。




・・・




苦しい、熱い、寒い。

部屋の中は薄暗く、外は雷雨が激しく降りしきっている。

頭は熱く、体中から汗が噴き出しているのがわかる。

ふと、遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえる。

声はかすかで、囁くようだが、確かに自分の名前を呼んでいる。

しかし、振り返ってもそこには誰もいない。

寒い、熱い、熱い。

苦しい。

苦しみの中、ふと体が軽くなった。

なんだか懐かしいような、新鮮なような。

幼い時、母さんが看病をしてくれたあの時のような。

温かい感覚。




・・・




「ん……。ん!?」


目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていて、僕が寝込んだのが朝だったことを考えると相当な時間が経っている。

しかし、驚いたのはそんなことじゃない。

そんなことはこの際どうでもいいのだ。


「……おきた?」


夏。

室内。

目を覚ますと、白い息を吐きながら微笑むアルノさん。


「熱、下がったかな?」
「なんでここに……!?」

「鍵、開いてたから」


指先、鼻先は赤くなり、頬は霜が降りたかのように白い。

『体を冷やそうとするとたまに凍傷になっちゃうんだよね~』


「すみません、僕のせいで」
「謝らないでよ。元はと言えばさ、昨日○○くんの優しさに甘えちゃった私のせいだから」

「でも……僕の熱冷ますために……。どうしたら……」


頭は回ってない。

でも、アルノさんのことは温めたい。

やりようはいくらでもあった。

だけど、僕は咄嗟に、


「え……」

アルノさんに、抱き着いていた。


「ど、どうしたの○○くん……!?」


アルノさんをおぶった時。

手を握られたとき。

首筋に触れられたとき。

アルノさんに触れたどんな時よりも冷たい。

だんだんと体は冷えて、頭も冷静になって。


「す、すみません……!どうすればいいかわからなくて、つい……!」


僕は、自分がとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと、慌ててアルノさんから離れた。


「どうにかしてアルノさんのことを温めないとって思って……。すみません……」


申し訳なさで顔を見られない。

僕は、視線を右斜め下に落とす。


「もう、○○くん……」

ひんやりとした温かさ。


「アルノさん……!?」


アルノさんが、僕の体を包み込む。

「君はかわいいなぁ。ほら、温めて」


僕は言われるがまま、震える手をアルノさんの背中に回した。


「あったかいね」
「……はい、温かいです」

「ごめんね」
「謝らないでください」

「もう一つ秘密、言っていい?」
「なんですか?」

「カフェに行ったとき、ページ越しに見える○○くんのこと見てたよって言ったら、どう思う?」


温かくて、冷たくて。

なのに体温は上がっていって。


「うれしいです……。僕も、アルノさんのことずっと目で追っていたので」


この時間はきっと死ぬ間際にも思い出すんだろうなって、吐き出した白い息を見ながら思った。




・・・




すっかり風邪も治って、僕はバイトに復帰した。

「あ、アルノさん!いらっしゃいませ!」


ドアベルの軽快な音色と共に、アルノさんがお店に姿を見せる。


「ご注文、どうしましょうか?」
「じゃあ……アイスココアと、○○くんのオススメで」

「シフォンケーキにしておきますね!」

キッチンで暇そうにしていた春一が、僕の方を見るなりにやにやとした表情に変わる。


「おいおい、なんだよ○○。アルノさんと仲良さげじゃん」
「あー……実は……。僕、アルノさんとお付き合いすることになりまして……」

「……は!?」
「アイスココアとシフォンケーキ、一つずつお願い!」

「待て待て。それどころじゃない」
「いや、注文が……」

「注文の品は用意する。父さん!どうせ暇だし駄弁ってきていい?」


マスターは春一の声に、力強くサムズアップだけを返す。


「よーし、お前の分のコーヒーも用意してやるからアルノさんの隣で待っとけ」

春一に背中を押され、僕はアルノさんの隣に座らされる。


「じっくり話聞かせて貰うから、覚悟しろよ!」


春一は急ぎ足でキッチンに戻っていく。


「やっぱ面白い子だよね、春一くん」
「ですね」

「それで、君は物好きな子」
「なんか、褒められてる気しないんですけど」

「……私もこのカフェで働かさせてもらおっかな~」
「いいんじゃないですか?マスターも、アルノさんなら大歓迎だと思いますよ」

「ファミレスの伝票、お客さんのコップにいれちゃうようなやつだけど」
「それは……なにも言えないです……」


目をぎらつかせた春一が三人分の飲み物とシフォンケーキを運んでくる。


「さて、じっくり話聞かせてもらおうか」


春一による質問攻めは、一時間後に新しいお客さんがやってくるまで続いた。




………fin



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