背後霊になった彼女『の』願いを叶えるお話
空に浮かぶ真っ白な月。
ぼんやりと足元を照らす街灯。
「ねえねえ。今日、すっごい楽しかったね」
「ん~」
「楽しくなかったの?」
「楽しかったよ」
豪華絢爛な花火を見た後って言うのは大体こんな感じ。
どこか哀愁が漂うような、余韻に浸ってるような。
花火のこと以外は何も頭に入ってこないような。
もう一時間も前に終わってるって言うのに、まだ火薬の匂いが鼻孔に残ってる。
「○○と、来年も一緒に花火大会に行けたらいいな……」
「瑛紗、毎年同じこと言ってるよな」
「違……くは、無いかも」
瑛紗は、照れ臭そうに笑う。
俺と瑛紗は物心つく前からずっと一緒にいて、気が付いたら毎年花火大会に一緒に足を運ぶようになっていた。
それだけ、お互い相手のいない寂しい人生を送ってきたということになるのだが。
「毎年同じこと言ってるかも知れないけど……今年は、さ……いつもとは違うじゃん……?」
「そうだな」
そう、今年は少しだけ違う。
夏休みに入る前。
俺は、突然瑛紗から告白された。
ーーーーーーーーーー
「付き合って欲しいな……なんて」
「は……?」
別に、なんでもない平日。
いつものように放課後の帰り道を歩いていた時。
幼い頃、よく遊んでいた公園の前で。
「えっと……人違いとかじゃなくて?」
「そんなんじゃないよ!私は、○○と今の関係のままが嫌だから……」
瑛紗は、贔屓目一切なしでとてつもない美少女だと思う。
目はパッチリしてるし、肌も綺麗。
ちょっと人見知りなところはあるけれど、それもまたチャームポイントだ。
「俺でいいの?」
「○○がいいの!」
友達にもよく言われる。
「お前らって、付き合ってんの?」と。
そう思うのも無理はない。
学校内でも屈指の美少女と、その子と仲のいい幼馴染。
結果、友人たちのそれは見当違いではあったものの、そう思われて嫌な気は全くしていなかったというのもまた事実。
だって、ずっと俺は瑛紗のことが好きだったから。
だけど、俺の意気地がなくて、一歩踏み出せない関係が続いていた。
これは千載一遇のチャンス。
「じゃあ、これからよろしくお願いします……」
こうして、俺達の関係は『仲のいい幼馴染』から、『昔から付き合いのあるカップル』になった。
ーーーーーーーーーー
「でも、付き合ったからって何か変わったとかはあんまり無いしさ……」
俺達の関係は確実に変化した。
そのはずなんだけど、今までの生活と特段変わったところはない。
普段から距離が近かったからだ。
「○○はそうだとしても、私にとってはすごい大事なことなの!」
別に、なにも大切じゃないなんて言ってない。
俺だって瑛紗のことが大好きだった訳だし、今も大好きだ。
ただ、照れくさいだけなんだ。
「もう、お家着いちゃたね」
「ほんとだ。早いな」
会場から、ちょっとでも長くいたいと歩いて帰ってきたが、気が付けばもうすでに瑛紗の家は目と鼻の先。
「まだ、○○と離れたくないなぁ……」
「明日も映画に行く予定なんだから、そこまで寂しがることもないだろ」
「そうだけどさ……やっぱり、寂しいよ」
俯く瑛紗。
そんなの、俺だって寂しいに決まってる。
だけど、ここは心を鬼にして。
「今日は早く帰って寝よう。今日物足りなかった分、明日楽しめばいいんじゃないか?」
こんな子供だましみたいな説得で納得してくれるだろうか。
「うん……うん、わかった」
ちょっとだけむっとした顔をしていた瑛紗だったが、自分の中で何かを飲み込むようにして一回悩んだ後、頷いてからニコッと笑った。
「よかった。じゃあ、おやすみ。明日駅集合だから、遅れるな……ん……!」
俺が、最後まで言い終わる前。
瑛紗が背伸びをして、俺の唇に自分の唇を重ねる。
温かい、柔らかい、甘酸っぱい。
あまりに突然のことで、頭の中が真っ白になる。
「大好きだよ、○○!おやすみ!また明日!」
唇を離して、三歩だけ駆け足をして玄関口に立って。
また明日と言いながら手を振る瑛紗。
輝く様な笑顔を向けて、たびたび振り返ってみてもまだ家に入らず。
俺が角を曲がるまでずっと、手を振っていた。
また、明日。
《また》があるって、当然のように思ってた。
・・・
翌日。
珍しく現地集合にしていた俺達。
俺は、集合時間の三十分前に指定された時計の下についてしまった。
今日の予定は映画鑑賞。
今回見る映画は、瑛紗が見たいと言っていたものだが、正直なところ俺もかなり楽しみにしていた。
そのせいか、さっきからそわそわしてしまい、前髪を弄ってばかりの始末。
これならいっそ、トイレにでも入って、鏡の前で身だしなみを整えに行った方が得策なんじゃないか。
そう思った俺は、まだまだ集合時間までは余裕がることを確認してトイレに走った。
「前髪……よし、しわも……ない」
くるっと一回転して、ゴミとかもくっついていないことを確認してトイレを出る。
これだけ確認しておけば身だしなみに抜かりはない。
自信を持ってそう言える。
太陽がてっぺんに昇りきるかといった時間の駅前。
夏休みだからか、いつも以上に騒々しい。
待ち合わせ場所に戻ってみても、瑛紗の姿はまだ見えない。
瑛紗は、朝が弱い。
そんな瑛紗に会わせて今日の集合時間はお昼前に指定しておいた。
「…………?」
時計を見上げる。
待ち合わせ時間の五分後。
ちょっと心配になって、俺は瑛紗に連絡を入れてみる。
《起きてる?》
いつもならすぐに返信してくるのに、今日は既読すらつかない。
なにか、あったのかな。
「ねえねえ、さっきのネットニュース見た?」
「見た見た。ここの駅の近くで事故があったらしいな」
夏の暑さの所為じゃない、気持ちの悪い汗が噴き出す。
心臓がバクバクと音を立てる。
もしかしたら。
そんな、嫌な考えが頭を巡る。
俺は慌ててスマホのニュースアプリを開く。
「駅で……歩行者五人を巻き込む事故……十八歳の女子高生が意識不明……」
現場はすぐそこ。
何も考えず、俺は走った。
野次馬をかき分け、テープで区切られたギリギリまで前に出る。
「…………!」
柱にぶつかり、ようやく止まったであろう、ボンネットがぐしゃぐしゃになった黒い乗用車。
真っ赤なサイレンを回して走り去っていった救急車。
現場には血痕と、誰かが持っていたであろう中身の放り出された鞄。
呼吸が早くなり、動機が激しくなる。
とてつもない不安が襲い、それを煽るようにスマホが着信音を響かせる。
「も、もしもし……」
電話口は母さん。
『あんた、今どこにいるの!』
「駅……だけど……」
『いったん帰って来なさい。その駅で……』
俺は、言葉を失った。
頭が空っぽ。
だけど、体は動いた。
命令に忠実なロボットみたいに、俺の足は自然と自宅に向かっていた。
「早く車乗りなさい」
不規則に揺られて、近くの大きな病院に連れていかれる。
どうやってそこまでたどり着いたのかはわからないけど、俺の目の前には病室のドアがあって、母さんがそれを開けると瑛紗の両親が涙を流していた。
「瑛紗…………?」
かすれて、本当に空気を震えさせたのかもわからない音が俺の喉からこぼれていく。
ベッドに寝かされた推定少女の顔は、真っ白な布に覆われて確認することが出来ない。
彼女の顔を、見ることもできない。
「なんで……」
「また明日」って、言ってたじゃないか。
昨日、あんなに元気だったじゃないか。
今日、俺の幼馴染が死んだ。
・・・
「ちゃんとお別れしたの?」
「……したよ」
翌日、瑛紗の葬儀が行われた。
彼女と仲のよかったクラスメイトも何人か確認できた。
その全員が、崩れ落ちるようにして泣いていた。
「お前は……凄いな。どうしてそんなに普通で……って、すまん」
「普通でなんか、いれないよ」
誰も彼もが泣いていた。
クラスメイトも、親戚も。
だけど、僕の眼にだけ涙が無い。
涙が、出てこない。
その代わり、自分の心の中で一番大きな割合を占めていたものが無くなってしまった喪失感が、昨日から俺を襲っている。
「今は……そっとしておいてくれないか」
「わりぃ。何かあったら、話は聞くから……」
僕は足早にそこから離れて、自分の部屋に籠り、ベッドに寝転がる。
このまま眠ってしまえば、こんなのは全部悪夢だったということにならないだろうか。
彼女に会うことは、もう二度と叶わない。
こんなことになってしまったのなら、せめて一度だけ。
一度くらいは……言えたらよかったのに……
徐々に意識がぼんやりとしてきて。
体の感覚が薄れてきて。
そっと、瞼を閉じた。
・・・
「……て……きて」
「ん……」
「お……て……!」
「んん……」
ゆったりと揺さぶられる感覚。
誰かの声。
学校は無いのに。
母さんか……?
「起きて、○○!遅刻しちゃう!」
「今起きます!……って、あれ?」
今、確かに誰かが俺のことを呼ぶ声がした。
だけど、カーテンの閉まった薄暗い部屋には誰もいない。
時刻は、午前七時。
日付は、八月十七日。
夏休みが終わるまであと二週間もあるというのに、誰が起こしたのだろう。
「母さん、こんなに早く起こさなくていいのに……」
階段を下って、朝ごはんを作る母さんに問いかけてみても、何を言っているのかという顔をこちらに向けている。
「起こさないわよ。夏休みなのに」
「だよ……な……」
じゃあ、誰が。
父さんの訳がないし、母さんでもなかった。
思い当たる人物がこの家にはいない。
せっかく早起きしたのだからと、朝食を仕事前の両親と食べていくことにした。
「はい、あんたの分」
「ありが……」
「どうかしたの?」
「いや……」
背後から視線を感じて階段の方を見てみたけれど、案の定誰の姿も見えない。
昨日の今日で、心がどうにかなってしまっているんだ。
トーストと目玉焼きを野菜ジュースで流し込んで、俺はもう一度眠りにつくべく、部屋に戻った。
「結局、誰だったんだ……ただの夢だったのか……」
ベッドに横になって、アラームをセットする。
昼過ぎくらいに起きればいいかな。
スマホを充電器に刺して、タオルケットをかけて寝よう。
「…………?」
そう思ったところで、再び誰かの視線を感じて飛び起きた。
「誰か、いるのか?」
見回してみても、もちろん誰かがいるはずもない。
俺の言葉は空虚に部屋に消えていくのみ......
「いるよ」
の、はずだった。
はっきり聞こえた三文字。
その声のする方に、俺は勢いよく振り向く。
「夏休みだからって、寝てばっかりじゃダメだぞ!」
「幻覚……?」
いるはずなんてない。
頭ではわかっているけど、俺の網膜にはっきりとその姿は焼き付いている。
「幻覚……みたいなものかもしれないね。だって、私は幽霊だから」
「瑛紗……」
いたずらっぽく、見覚えしかない笑顔を向ける彼女はどこか透けていて。
この世のものではないと主張しているようで。
「なんで、いるんだよ……」
それでも、俺にはそれで十分で。
ぽろり、ぽろりと涙が零れだした。
・・・
「泣き止んだ?」
「うん……」
鼻をすすって、涙を拭いて。
ニ十分くらいは泣きじゃくってようやく涙が収まった気がする。
「瑛紗……なんだよな……」
「うん、私だよ。自分が死んじゃってるっていうのもわかってる。だけど、なんでこうなっちゃったのかわからないんだ~」
目の前をふわふわと飛び回る制服姿の瑛紗。
本当に幽霊なんだと実感させられる。
「成仏、出来なかったんだよな……」
「…………」
瑛紗はぴたっと空中で動きを止めた。
これは、図星の合図。
「そう、なんだ。何かやり忘れちゃったような気がしてて……」
やっぱり、そうだったんだ。
「ここは私がいるべき場所じゃないって言うのはわかってる。だから、○○に協力してほしいの」
「でも……」
でも、そんなことをしてしまったら。
そうしたら、本当に瑛紗は……
「瑛紗は、そしたら本当に……」
「○○」
俯く俺の視線の先に瑛紗が回り込む。
「ちゃんと前、向いて」
「…………!」
俺が視線を上げると、瑛紗は一歩距離を取る。
そして、柔らかく微笑んだ。
覚悟を決めたように。
「○○、お願い。夏休みの残り二週間、私にくれない?」
「瑛紗……」
「これが、最後だから」
そして、一息置いて。
「最後の、わがままだから」
「…………」
後は、俺の問題。
俺の、覚悟の問題。
彼女との別れを決断できるかどうかの問題。
「……わかった。瑛紗のために、俺に出来ることならなんでもやるよ」
「ありがと、○○!」
勢いよく俺に抱き着こうとする瑛紗。
「あれ?触れないや」
その腕はものの見事にすり抜けてしまった。
幽霊だから当然のことなのだろうか。
「やっぱり、触れないんだな」
「あれ~?○○のこと起こした時は触れたのに~」
触れることもあるんだ。
「まずは、今の瑛紗のことについて教えて欲しい」
何ができて、何ができないのか。
幽霊になった瑛紗の基本情報。
基本的に何も触れない。
触れないってことは壁もすり抜けられるってことで、それはなかなか便利。
俺以外の人には見えない。
さっき、俺が朝ごはんを食べてる時に俺の周りを浮遊してみたけど、母さんにも父さんにも見えていないような反応だったらしい。
俺から離れることは出来ないらしい。
離れようとしたら鎖で引っ張られたみたいになったという。
そして、何が未練になっていて霊になったのかがわからない。
一番の問題で、課題はここ。
ここを解消しないと、瑛紗の願いは叶えられない。
「何か、心当たりとかないのか?」
「心当たり……わかんない!」
「てへ!」って、舌をぺろっと出して笑う瑛紗。
対照的に、肩を落とす俺。
これじゃあ、何をしたらいいのか全く分からない。
未練……未練……
やり残したこと……
俺は、ふとカレンダーに目をやる。
行けなかった映画、遊園地、水族館。
夏休みの予定はまだまだ沢山あるのに。
予定が……たくさん……
もしかして。
「瑛紗!」
「何か思いついたの?」
「これから、映画に行こう」
背後霊になった彼女『の』願いを叶えに行こう。
・・・
一昨日、本当は二人で見に行くはずだった映画。
席の予約は一人分。
だけど、隣の空いた席には瑛紗がいる。
ふわふわと浮きながらスクリーンに釘付けになっている。
時々ポップコーンに手を伸ばしてくるけれど、案の定幽霊の体では一粒も掴めないようすで、それに毎度がっかりしていた。
俺は、瑛紗の一挙一動が気になりすぎて映画に全く集中できなかった。
「面白かった~!」
「そ、そうだね」
映画が終わって、俺達は近くのファミレスに入ることにした。
だけど、傍目から見たら俺は一人。
瑛紗の言葉に相槌を打つ俺の声は小さく、くぐもってしまう。
「あそこのシーンがさ!」
しかし、やっぱり映画だけじゃダメだった。
残った予定は二つ。
夏休みが終わる前に、俺は……
・・・
「なあ、瑛紗。やっぱり何も思いつかないか?」
「思いつかないな~」
「そっか……って、なんで風呂にまでついてくるんだよ!」
格好は変わらず、学校の制服に身を包んだ瑛紗が、浴室でも宙に浮かびながら何事もないかのように俺と会話している。
俺としては、とてつもなく恥ずかしいので遠慮してほしいのだが。
「だって、私は○○から離れられないんだもーん!」
「トイレには入ってきてなかったよね!?」
「お風呂はいいけど……トイレは流石に……ね?」
「ね?」じゃない。
そんなに可愛く首を傾げたって、こちらにも恥じらいというものがある。
「トイレも風呂もどっちも変わらない!俺だって恥ずかしいんだ!」
「むー!」
「むーじゃない!せめて脱衣所までにしてくれ」
「はーい」
ようやく納得してくれた瑛紗は、浴室と脱衣所を隔てる壁をするっと抜けていった。
「心臓が何個あっても足りない……」
いつ瑛紗が入ってくるかわからない。
風呂にもゆっくり入ってられないな……
ささっと頭と体を洗い流して、脱衣所に。
「うわぁ!」
「ビックリしすぎだよ、○○」
「ちょっとあっち向いてて!」
「別に……」
「よくない!」
脱衣所に座り込む瑛紗と目が合った。
気を使って目を背けるとかないのか……!
心臓がバクバクになりながら着替えを済ませ、髪を乾かして部屋に戻る。
時刻は十一時。
瞼が重くなってくる時間。
明日だって、遊園地に行く予定がある。
「俺は寝るけど……」
瑛紗はどうなんだ?
食欲とか、睡眠欲とかってあるのか?
「わかった。私は眠くならないし……○○の寝顔を見続けてようかな~」
「それは、ほどほどにしてくれ」
部屋を暗くして、目を瞑る。
もし、瑛紗がこのままだったら。
それはそれで……
いやいや、ダメだろ。
何考えてるんだ。
そもそも、瑛紗が言い出したんじゃないか。
ここは、自分のいるべき世界じゃないって。
でも、俺は……
・・・
「あんまり、寝れてない?」
「いや、そんなことないけど……」
結局、昨晩はあまり眠れなかった。
問いかけが堂々巡りになってしまい、睡眠時間は結局ニ時間ほど。
「でも、すっごい眠そうだよ?」
「大丈夫、大丈夫」
多分、大丈夫。
意識はしっかりしてるし、食欲もある。
「準備するから、ちょっとだけ席外してて」
シャワーを浴びて、服を着替えて、髪を整える。
今日は真夏日だって天気予報でも言ってたし、水分は多めに持っていった方がいいかな。
「お待たせ、行こう」
「う、うん……」
暑い……
太陽がちょうど一番高いところに昇り、遮る雲もない。
汗が滝のように吹き出し、日差しが肌を焼く感覚がする。
「瑛紗は大丈夫?」
「うん……私は平気だよ。だって……」
「そっかそっか、それならよかった」
遊園地についた頃には空になったペットボトルは二本。
ほんのりと、気持ちばかりに吹くそよ風が来園者を歓迎していた。
「どこから行こうか」
「それより、○○が少し休んだ方が……」
「俺は大丈夫だから。まずは……コーヒーカップとかからにしようか」
吐き出す息もどこか、風邪でもひいてるんじゃないかってくらいの熱を孕む。
蜃気楼に視界がぼやける。
水を飲むペースも上がる。
回った目でジェット―コースターにメリーゴーランド、空中ブランコと乗り継いでいく。
「ね、ねえ○○……」
「ちょっと、お腹空いちゃったな……レストラン、行ってもいい?」
「いいけど……なるべく日陰の多い道を通ってね」
瑛紗に言われた通り、木に日差しが遮られ、池が涼しさを演出する人気のない道を通る。
暑さで頭がぼーっとしてきた。
水……
みず……
あれ、いたい。
おかしいな。
あんなにあつかったのに。
さむいな……
・・・
「ん……」
目を覚ますと、見覚えのない部屋のベッドの上に寝かされていた。
首と視線だけで辺りを見回しても人の姿が見えないけど、仰向けになった体の上に、全く感じない重さとは裏腹に大きな存在感を感じた。
「えっと……瑛紗……?」
目を閉じたまま、俺の上に覆いかぶさる瑛紗。
心なしか、ほんのりと冷たい気がする。
「目、覚めたんですね!本当に冷や冷やしましたよ~」
ドアを開けて入ってきたのは、遊園地の制服を着た男の人。
ここの従業員の人だろうか。
「えっと、ここは……?」
「園の中にある救護室ですよ。覚えてません?」
「さっぱり……」
瑛紗と歩いていて、意識が遠のいて。
それで……
ダメだ、思い出せない。
「お兄さん、熱中症で倒れてたんですよ!それをたまたま別のお客さんが気が付いて僕らに教えてくれたんですよ。でも、おかしいな……近くの池に大きなものが飛び込む音がしたって言ってたけど、何も無かったんだよなぁ……」
「大きな、物が飛び込む音……ですか……」
心霊現象かよ……
心霊現象……?
もしかして……
「すみません、長々と!今、看護師さん呼んできますんで!」
そう言って、男性スタッフが部屋から出た頃。
「おはよぉ、○○……」
覆いかぶさって眠っていた瑛紗が目を覚ます。
ふにゃっとした寝起きの顔がなんとも愛くるしい。
撫でようと手を伸ばしたが、案の定その手はすり抜けてしまう。
瑛紗はそれに気が付いてもいないようで、俺の上から降りると寝起きの体を伸ばしていた。
「なあ、もしかして瑛紗が助けてくれたのか?」
「そうだよ!大変だったんだから!」
瑛紗がぐいっと距離を詰めてくる。
顔がすぐ目の前。
俺は思わず目を背けてしまう。
「私じゃ○○のこと運べないし、運べたとしても○○がふわふわ浮いてたら不自然だから」
「それで、池で物音を立てることにしたんだ」
「そうなの!おっきい石を見つけてきて、それを投げ入れてすぐに回収して!」
「まさか、物に触れたの?」
「ふふん」
なぜか腰に手を当て、胸を張り、得意げな顔をする瑛紗。
「そのまさかですよ。○○を助けないと!って思ってたら石に触れたんだ~」
「そっか……他に触れたものはある?まだ二日間だけだけど」
「最初に○○の傍にいるって気が付いた時かな。○○に呼ばれた気がしてて、気が付いたら○○の傍にいて……私、『来たよ』って早く伝えたくて○○のことをゆすって起こそうとした時だけ……かな」
その二つに共通するのは……
俺に関係すること。
あとは、瑛紗がそれに触るという強い意志を持っていたことくらい。
「もしかしたら、その二つの共通点が瑛紗の願いにも関係してるのかもな」
「ってことは……どういうこと?」
それ以上は何もわからない。
もっとヒントと考える時間が必要だ。
今のだるい体では頭も働かない。
「てれ……」
「失礼しますね~」
瑛紗に話しかけようとした瞬間、ドアが開いて看護師さんが入ってくる。
俺は慌てて口を塞ぐ。
「…………?」
看護師さんはそんな俺を不思議そうな顔で見つめていたが、すぐに水分と氷嚢の替えを僕に渡してどこかに行ってしまった。
俺と同じように熱中症になった人が他にもいるんだろうか。
しばらくしてスタッフの人がもう一度顔を見せて、帰宅可能との伝言を伝えられたため、日差しと暑さに細心の注意をしながら家に帰った。
今日、熱中症になったのは痛かった。
しかし、収穫もあった。
瑛紗は強い意志を持つことで物に触れる。
偶然、二度とも俺に関係するものだった。
この二つに因果関係があるのかはわからないが、これを知れたのは大きい。
・・・
それから、俺達は色々と実験をしてみた。
俺のことをビンタしてみてほしい。
最初は瑛紗の手が俺の頬をすり抜けていった。
「もうちょっと、何かを念じながらはたいてみて」
「何かって……」
「俺にムカついたこととかさ」
「わかった!」
そう言ってからのビンタは見事にヒット。
俺の頬にじわっと痛みを残した。
翌日は、俺の方から触る実験。
俺が何も考えない時はもちろん触れない。
俺が瑛紗に触れたいと考えても、触れない。
瑛紗に俺に触れたいと念じて貰ってようやく瑛紗の手に触ることができた。
こうして、様々な実験を重ねて、何とか瑛紗の願いに関しての情報を集めていった。
「今日はこの辺かな。俺に関係のないものは触れないか……」
「ねえ、○○……」
「どうかした?」
「私、疲れちゃったから……ちょっと寝るね……」
何日かやっていて、いつも同じなのは瑛紗の眠気についてだった。
強く念じて物に触れることが出来たとき、瑛紗は力を使いきってしまったのか、単純に疲れるのか、決まって眠気に襲われてしまうらしい。
「おやすみ、瑛紗」
月明かりに照らされながら、瑛紗は俺のベッドに寝転がる。
すぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立てながら眠りについた。
「よし……」
瑛紗が眠ってから、ノートを開いて今日分かったことをメモしていく。
夏休みはあと三日。
残された予定は、明日の水族館のみ。
なんとしても、瑛紗のためにも、原因を解明しないと。
「まずは……」
やっぱり、触れるか触れないかは瑛紗側の意思次第というのが大まかなところ。
しかし、俺に関係のないものは触れない。
俺をどうしたい、俺にどうしたいという意思がないといけないらしい。
これが絶対に関係してくるはず。
俺はノートを遡り、過去に取ったメモとにらめっこをする。
「あ…………」
目についたのは、瑛紗がまだ成仏できていない理由。
何か、未練があってまだ霊として残っている。
俺に呼ばれた気がして、俺の傍にやってきたこと。
【一度くらいは】
ふと、頭によぎったその言葉。
「あぁ……」
そうだったんだ。
わかった。
わかってしまった。
どうしたらいいのか。
どうするべきなのか。
明日が、最後になるんだろうっていうのも。
・・・
「瑛紗……瑛紗、起きて」
「ん……おはよ、○○」
「もう少しで出るよ」
「わかったぁ……」
眠そうに目をこすって、瑛紗が浮遊を始める。
なるべく寝かせてあげるために俺の方の準備は万端。
「さ、行こう」
今日が瑛紗との最後の一日だ。
願いを叶えに行こう。
・・・
「高校生一人でお願いします」
受付でチケットを買って、館内に入る。
薄暗く、青い館内は冷房の効きも絶妙。
「わぁ、おっきい……」
大きな水槽を泳ぐアジの群れが俺達を盛大に歓迎し、その奥を優雅に泳ぐジンベイザメが海の中の不気味さを演出している。
「もっと近く行こ!」
人混みをすり抜けて瑛紗が水槽の目の前まで行ってしまう。
「ちょ……うわ……!」
「も~!」
壁に阻まれて先に進めない俺のことを上から見たのか、けたけた笑いながら戻ってきた。
「ごめん、これ以上行けないや」
「じゃあ、次の場所いこ!」
刻一刻と、終わりが近づく。
サメに驚いて俺の陰に隠れてたり、ペンギンに癒されて頬が緩んでたり。
「こっちこっち!」
無邪気に俺を呼ぶ声。
「次はどうしようか」
「イルカショー見たい!」
「じゃあそうしよう」
音符が見えるんじゃないかってくらい楽しそうな後ろ姿。
焼き付けるように、瞬きなんてしないように。
「○○?」
「すぐ行くよ!」
俺は、瑛紗に置いて行かれないように駆け出す。
・・・
「イルカショーすごかったね!」
夕日に透ける、午後六時。
水族館からの帰り道を二人で歩く。
「ペンギンもすっごく可愛かったし、ジンベイザメはおっきかった!」
一歩、また一歩と近づく夢の終わり。
心が軋む。
進む足は遅くなる。
「瑛紗、ちょっと寄りたいところあるんだけどいい?」
「もちろん、いいよ」
「ありがと」
道を少しだけ変えて、俺達が来たのは小さな公園。
ブランコと滑り台、それと小さなベンチが二つ。
住宅街の中にある、みんなの憩いの場で、俺達の思い出の場。
「瑛紗はここ、覚えてる?」
「当然だよ。私が……○○に告白した場所」
夕日が惜しむように沈んでいき、空にはポツポツと星が瞬く。
猫の目のような細く青白い月が顔を見せる。
「あの時は本当にびっくりしたんだ。それと同時に、嬉しかった」
「なら、よかった。ずっと不安だったの。私ばっかりが○○のことをこんなに好きなのかなって思ったりもして」
「そんなこと無いよ」
そよ風が草木を揺らす。
星が、心を揺らす。
「瑛紗……!」
「○○……!」
喋りだしが被った俺達は、お互いの目をしばらく見つめて、
「くく……」
「ふふ……」
笑い合って。
「瑛紗からいいよ」
「いやいや、○○から」
譲り合って、また笑って。
「瑛紗から、いいよ」
「じゃあ、遠慮なく」
こほんと咳払いをした瑛紗は、俺の目を真っすぐと見つめていた。
「夏休みに立てた予定、全部出来ちゃったね。ありがと、○○」
「いいよ、俺がやりたくてやったんだから」
「○○ならそう言うと思った。だけど……もっと、この時間が続けばいいのにって……」
じんわりと、視界が滲む。
月の光を受けて幻想的に瑛紗が微笑む。
「俺も……」
この時間が永遠だったらいいのに。
瑛紗がずっと俺の傍にいてくれればいいのに。
あの日をやり直せたら。
瑛紗の家まで迎えに行って、駅前を通るのは避けて。
二人で映画を見て、手を繋いで遊園地に行って、背伸びをしながら水槽を見ようとする瑛紗に胸がキュンとして。
そんな未来だってあったかもしれない。
でも、それは結局【かもしれない】の出来事。
今、目の前のことが現実。
瑛紗は、もうすでにこの世のものじゃない。
永遠では、いられないんだ。
「じゃあ、○○の番」
「瑛紗……」
色々やっていくうちに分かった。
瑛紗は俺のためにこの世界に残っていて。
きっとそれは俺の未練を晴らすためで。
全部俺の所為だった。
これは、彼女『と』願いを叶える最後のチャンスで、彼女『が』願いを叶えるために俺にくれたチャンスだった。
「瑛紗。強く、強く念じてほしい。俺に触れるようにって。それと……できれば目を瞑っていてほしい」
「……わかった」
きゅっと目を瞑った瑛紗。
その唇に、俺はそっと自分の唇を重ねた。
冷たい、柔らかい、しょっぱい。
「○○からしてくれたの、初めてだね……」
照れ臭そうに口元を抑える瑛紗は、俺からわざとらしく視線を外していた。
それでも、月の光が彼女を照らす限り、隠すことは出来ない涙が頬を伝っていた。
「本当は、瑛紗が生きているうちにやりたかった……」
視界がぼやける。
声が震える。
鼻の頭の辺りがツンと痛む。
「○○って、泣き虫だったんだね」
「瑛紗の方こそ」
【一度くらいは】
彼女に伝えたかった。
あると思っていた《また》の機会に言おうと思ってた。
そう願ってしまった所為で彼女の魂を縛り付けてしまった。
「瑛紗、俺……瑛紗のことが……ずっと、大好きだった!」
「やっと……やっと、○○の方から言ってくれたね」
すうっと、瑛紗の体が透けていく。
俺と彼女の間に結ばれていた鎖のようなものが消えていく。
「瑛紗!」
「これは……お別れの時間……かな」
自分の両手を見つめて、地面に滲まない涙を零して、瑛紗が俺に言葉を投げる。
「あーあ……終わりかぁ……」
「ごめん、ごめん……俺のせいで、俺が不甲斐ないせいで……俺がもっとしっかりしてれば!俺がもっと頭を使ってれば!俺がもっと素直でいられたら!俺が……!」
「そんなに自分を責めちゃダメ」
そっと、瑛紗に頭を撫でられて、直後に抱きしめられる。
ほんのり、温もりを感じる。
「○○が自分を責める必要なんてない。私は○○と過ごした日々が楽しかった。最後にわがままいっぱい言えたのも、嬉しかった」
「でも……」
「○○にとって私はどんな人?」
「世界で、一番、大好きな人」
「○○がそう言ってくれただけで、私は幸せだから」
突き放されるように、瑛紗が俺のことを離して、空に昇っていく。
瑛紗が行っちゃう。
手を伸ばしても、届かない。
「○○、私のこと、忘れちゃダメだからね!」
「忘れるわけない!絶対に……絶対に!」
「それと、あんまり早くこっちに来ちゃダメだからね!天国から見張ってるから!」
「瑛紗!」
「じゃあね、○○!」
夜空に解けるように、彼女の姿がこの世界から消えた。
想いを残して。
温もりを残して。
夏の夜と共に、彼女との最後の日が終わりを告げた。
・・・
夏が終わって、秋が来て。
葉が色づくころに、俺は彼女のお墓に顔を見せた。
「遅くなってごめん」
腰を下ろして、彼女に問いかけてみるけれど、何の反応もない。
「メンタル、回復するのに時間かかっちゃってさ……俺、やっぱ弱いな……」
それでも、俺は語り掛ける。
彼女に届いてるって信じて。
「でもさ、このままじゃダメだって思ったんだ。遅いけど、俺も前を向くよ。やりたいことも見つかったんだ。だから、瑛紗も俺のこと見守ってて」
彼女のお墓に背を向けて、家への道を歩き出す。
彼女はもうこの世界にいないけれど、きっと俺のことを見守っててくれているから。
「よし……頑張るかぁ!」
次は、彼女の『ために』俺は俺の願いを叶える。
そう決意して、前に一歩、力強く踏み出した。
その足音が、空に届くと信じて。
………fin