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はじめてのキスは、甘酸っぱいアップルティーの味がした

冬の空は、鉛色の雲に覆われ、街全体を薄暗い影に包んでいた。

それでも、俺の足取りは軽い。

なぜなら、今日は陸上部の練習がないからだ。

陸上部の練習は土日は不定期で平日は水曜日を除いた週四日。

先週は土日両方あったし、今日は体感久々のオフ。

今日はゆっくり溜まっていたアニメでも消化しよう。

中学時代は、厳しい練習に明け暮れる日々では考えられない位の充実度。

改札口を通過し、ホームへと続く階段を駆け上がる。

電車が到着するまでのわずかな時間、俺はホームの端で立ち、線路を走る電車を見つめていた

まもなく、目的の電車がホームに滑り込んできた。

ドアが開くと乗客たちが車外へと流れ、電車の中はぽつぽつと学生が乗り込み、疎らに空いた席がもの寂しさを感じさせる。

一息ついてから視線を上げると、水曜日のこの時間は決まってこの五号車に乗っている女子生徒が今日もドアにもたれかかって立っていた。

名前はよく知っている。

というか、俺たちの学年で名前を知らない人はいないだろう。

彼女は岡本姫奈。

美人なのに気取らない性格、よく通る笑い声といつも明るい笑顔。

彼女のことを好きになった男子生徒も少なくないだろう。

なんて、彼女に想いを巡らせてはいるが、俺と彼女の間にはこれと言った接点もない。

俺の方が一方的に彼女のことを知っているだけ。

ただ、同じ電車に乗っているだけ。

それだけのことだ。

今日も俺は、ただただ自動照準のように彼女に視線を奪われるだけ。

十三分の電車移動。


『次は~』

車内に流れたアナウンスとともに、岡本さんは姿勢を正して、僕の家の最寄り駅の一つ前で降りて行った。

そこから二分、僕は自宅の最寄り駅で降り、帰宅の途についた。




・・・




「おにいちゃんおかえり!」
「るり、ただいま」

玄関を開けた俺を手厚く出迎えてくれたのは小学二年生の妹のるり。

しゃがんだ俺に抱き着いてくるのはとんでもなくかわいらしい。


「宿題終わらせたのか?」
「おわったよ!」

「よーし、えらいぞ!」
「えへへ」

頭を撫でると、嬉しそうにるりは目を細める。

シスコンが!という声も聞こえてきそうだが、年の離れた妹というのは喧嘩もほぼないし、どちらかというと娘みたいなものなのだ。

全部の言動がかわいくて仕方がないのだ。


「あのね、あのね!えっとね!」
「落ち着いてしゃべりな。お兄ちゃんはどこにも行かないから」

「うん!すー……はー……。るりね、今日のたいくの授業でいっぱい点とれたんだよ!」
「おぉ!すごいじゃないか!」

たしか、今るりのクラスはバスケットボールだった気がする。

うん、すごいな。


「最近、バレエの方はどうなんだ?」


るりは二か月前くらいからちょっと離れたバレエスクールに通っている。

先生もすごい人らしいし、そこに在籍している生徒も中々の人がいるらしい。


「うんとね、バレエも頑張ってるよ!つぎは土曜日なんだ!」
「そっかそっか。じゃあ、元気つけるためにもたくさんお母さんのご飯食べないとな!」

「うん!」

大きくうなずくと、るりは小走りでリビングに戻った。

俺もカバンを肩にかけなおし、夕飯の時間まで部屋でゴロゴロと時間をつぶすことにした。


「あ、○○ちょっと」
「ん?」

部屋に行こうと階段に足を乗せた時、キッチンの方から顔をのぞかせた母さんに呼び止められて一段戻る。


「今週のるりのバレエ教室、お迎え○○が行ってあげて」
「なんで?」

「私、土曜日ご飯食べに行くのよ。送るのはその時に送ってちゃうから、迎えはよろしくね」
「あー、わかった。土曜の夜?」

「そう、夜」
「りょーかい」

自転車の二人乗り、るりを後ろにしても大丈夫かな。

まあ、しっかり捕まっててもらえば大丈夫かな。



・・・



そして、土曜日。

夜は冷え込んでも大丈夫なように着こんだはずなのに、それを貫通してくる寒さ。

ため息は白く染まり、空へとゆらゆら消えていく。


「行くかぁ」

自転車のスタンドを蹴り上げ、飛び乗るようにサドルに座る。


「自転車で十五分かからない位……」

母さんに教えてもらったところをスマホの地図アプリで調べ、ルートを検索してもらう。

ナビも起動して、イヤホンを耳に装着。

準備万端でバレエスクールまで自転車を走らせる。

冷たい空気が顔を突き刺し、手袋を嵌めてき忘れた指がちぎれそうなくらい痛い。

ようやく到着したころには、耳と鼻先、そして指が真っ赤になっているのが確認できた。

しかし、それでもまだレッスンは終わってないらしく、俺は中にあるベンチに腰を下ろして待つことにした。


「はぁ……さむ……」


待ち合わせのためのロビーには暖房が付いておらず、窓一枚隔てただけの空間は外の寒さがほぼダイレクトに部屋を埋め尽くしていた。

手袋しときゃよかった……

俺は手を合わせてこすり合わせ、昔ながらの乾布摩擦で手を温めることに勤しむこと五分。

レッスンが終わったようで、ぞろぞろと生徒がロビーに出てくる。


「おにいちゃん!今日のお迎えはおにいちゃんなんだ!」
「るり~!今日もがんばったか~?」

「うん!あのね、ひなちゃんがいっっっぱい教えてくれたんだ!」
「ひなちゃん?」

「そう、ひなちゃん!……あ、ひなちゃん!」


るりが教室の方を振り向き、大きく手を振る。


「るりちゃんおつかれー!……って、誰!?」


だよな……

なんとなく知ってたけど、改めて言われると傷つくな。


「るりのおにいちゃん!」
「おにいちゃん?」

「そう、おにいちゃん!」
「へぇ……妹思いなんだね」

「まあ……」
「照れなくていいのに~!」


岡本さんは、「いいおにいちゃんだね~」なんて言いながらるりの頭を撫でる。

るりも岡本さんにだいぶ懐いているみたいだし、普段からこんな調子なんだろう。


「おにいちゃん、名前は?なんていうの?」
「立花○○。一応、同じ高校なんだ」

「そうなの!?何組?」
「四組」

「わたし一組だからな~。話す機会、あんまないよね」
「確かに、隣のクラスじゃないだけでぐっと減るね」

「ねね、連絡先交換しようよ!るりちゃんすっごい可愛くてさ、写真、送ってよ」
「急だな……!って、るりはやらんぞ」


岡本さんはカバンの中からスマホを取り出すと、QRコードの画面を僕に向けた。

僕はそれを読み取り、岡本さんの連絡先を追加する。


「よし、追加できた!立花くんだとるりちゃんと混じっちゃうから、○○くんね!」

いきなり名前で呼ぶなんていう、鬼プレスを仕掛けられて狼狽えそうになったけれど、そこはぐっとこらえる。


「二人はまっすぐ帰り?」
「うん、そのつもり。岡本さんもでしょ?」

「まあね。外寒いし、妹思いな○○くんには……これをあげよう!」


そう言って岡本さんが俺に渡してくれたのは、冬のこの季節にあったらうれしいホッカイロ!……ではなく、別に擦ったからってあったまるわけではない小分けのパックになっている鰹節だった。


「やっぱ、カイロっていいよね~。手軽に持ち運べて、すぐにあったまる!」
「あの、これ……」

「○○くんも、それ使って手あっためて帰ってね」
「これ、ホッカイロじゃないんだけど……」

「…………え」
「これ、鰹節……」

「え、なんで!?家出るとき、絶対カイロだと思ってもってきたのに!」
「そんなことあるんだ」


涙が出るほど笑っている岡本さんにつられて、俺も自然と笑顔になる。

そんな俺たちを、るりは不思議そうな顔で見ていた。


「なんでそんなに笑ってるの?るりにも教えてよ~」
「ごめんごめん。ちょっと、岡本さんがすごい間違いしててさ」

「ほんと、ありえないよね!」
「もう、わからないよぉ!」


膨れるるりと、おなかを抱えて笑う岡本さん。

俺も、さっきから笑いが止まらない。

普通に考えて、鰹節とホッカイロを間違えるはずがないんだから。


「いや~、笑っちゃうね。あ、それはプレゼントってことで」
「ありがたくもらっておくよ。じゃあ、夜だから気を付けて」

「うん、ありがと!○○くんとるりちゃんも気を付けてね」


自転車を走らせて角を曲がるまで、後ろから「じゃーね!」という声が聞こえ続けていた。




・・・



日をまたいで、目を覚ますと自室の勉強机の上の鰹節パックが目に入る。


「やっぱ、どんだけ急いでたって間違えないよなぁ……」


彼女の顔を一瞬多い浮かべ、制服に着替える。

今日は月曜日じゃないし、岡本さんと言葉を交わすなんてこともないだろうけれど。


「おにいちゃん起きた~?」

俺が制服に着替えていると、るりが勢いよく部屋の扉を開ける。

ここに遠慮がない当たり、幼さをまだまだ感じる。


「起きてるよ。あと、部屋に入るときはノックしような」
「…………?」

「それはおいおい考えればいっか。朝ご飯もう食べた?」
「うん、たべたよ」

「じゃあそろそろ学校行く準備しないとな」
「……おにいちゃんと行きたい」

「別にいいけど……。どうしたんだ、急に?」
「わかんない……」

そう呟いたるりは俺の制服の裾をちょこっと掴んだ。

そして、掴んだかと思ったらすぐにその手を放して自分の部屋に走って行ってしまった。


「なんだったんだ……?」

急なるりの行動に疑問を抱きながらも、準備を済ませて階段を降りた。


「おにいちゃん、行こ!」

靴を履き替えて玄関を出ると、るりが満面の笑みで俺の方に手を伸ばした。

まだまだ小さく、細いその手を握って歩き出す。


「なんか、ひさしぶりだね!」
「そうだな。保育園の頃はこうやってるりのこと送ってくことも多かったもんな」

「うれしいね!」
「うん、うれしいよ」

太陽みたいな笑顔のるり。

多分、こんなに輝く笑顔の子はこの世界には存在しないんじゃないか。

俺は本気でそう思う。


「もうついちゃった……」
「明日も一緒に行くか?」

「うん!」
「じゃあ、今日も学校頑張ってきな」

「おにいちゃんも陸上がんばってね!」


校門をくぐってからも、俺の姿が見えている限り何度も何度も振り返っては手を振っていたるりを見送って、俺も駅に向かって進路を変えた。




・・・



いつもより一駅先の駅。

いつもより一本か二本遅い電車。

ホームにいる人の数はそんなに変わらない。

スマホで時間を確認しても、遅刻の恐れはない。

電車ももう少ししないと来ないし、俺は駅のホームにあるベンチに腰掛けて待つことにして、スマホにダウンロードしてある漫画を読もうとした、その時だった。


「あれ、○○くん!おはよ~!」


聞き覚えのある声に名前を呼ばれて顔を上げると笑顔で手を振る岡本さんがいた。


「岡本さん。おはよう」
「おはよ~。○○くんもこの駅だったんだね」

「いや、僕はいつもここの一個次の駅なんだ」
「じゃあ、珍しくなんだ」

「今日はるりを小学校まで送ってきたから、こっちの駅になったんだよね」
「ほんと妹思いだね~」

「かわいいかわいい妹だからね。岡本さんは一人っ子?」
「そうなんだよ~!だから、わたしに懐いてくれてるるりちゃんがかわいくてしょうがないの!」

確かに、岡本さんは人当たり良さそうだし、面倒見も良さそう。

人見知りしがちなるりが懐いているのも納得だ。


「てかさ、岡本さんって呼び方やめない?」
「え、なんで」

「距離感じるじゃん。わたしは○○くんって下の名前で呼んでるのに」
「じゃあ、姫奈さん?」

「なんかそれだと同い年感な~い」
「じゃあ岡本?」

「それだと部活の先輩みたい。……もう、なんで姫奈を避けるの!」
「だって、照れくさいじゃん」

「なーんーでー!姫奈って呼んでよー!わたしも○○って呼ぶからー!」

子どもみたいに駄々をこねる岡本さん。

多分、これならるりのほうが幾分か大人に見える。


「わかったよ、今日から姫奈って呼ぶから」
「ほんとに!じゃあ呼んでみて」

「姫奈」
「え……なんかいいね」

「その反応ははずいって」
「へへ、中々名前呼んでくれなかった仕返し~。○○、耳真っ赤~」


いたずらっ子みたいな、くすぐるような笑顔。

胸の奥の方がざわついて、耳まで熱い。


「そだ、○○って陸上部なの?」
「陸上、やってるよ。緩くだけど」

「へぇ……。緩くかぁ」
「うん、緩く」

「でも、るりちゃんはすっごい○○のこと褒めてたよ。『おにいちゃんはすっごく足速いんだよ!』って」
「るり……。中学の時はそこそこだったかも」

「全中とか出るくらい?」
「……一度だけ」

「えー!すごいじゃん!なんで緩くになっちゃったの?」
「ちょっと、ケガで……」

「あ、ごめん」
「いいよ。結局陸上は続けてるわけだし」

「……で、電車遅いね!」
「意外。姫奈でも気を遣う事ってあるんだ」

「ひど!わたしにだってあるけど!気遣って損した!」


膨れた姫奈をからかっていると、ごうごうという音とともに準急行電車がやってきた。


「うわぁ、いつもそうだけど人すご……」
「しょうがないよ。通勤通学ラッシュだから」

「はぁ……乗り込むしかないかぁ……」
「乗り込むしかないんだよ」

「……あ、いいこと考えた。ほら、○○先のって~」


ドアが開くや否や、俺は姫奈に満員電車の中に押し込まれる。


「ちょ、おい……!」
「で、私が○○に……」


俺を押し込んでできたわずかなスペースに、姫奈が俺を背もたれにするようにして乗り込んだ。


「ち、ちか……!」
「あれ~?照れてるの~?」

「う、うるさい……」


密着して、細くてつやのある髪の毛が腕に触れる。

シャンプーの匂いも鼻をくすぐり、心臓が音がだんだんと大きくなる。


「なに?わたしに近寄られて緊張してるんだ」
「だからうるさい」

「すねちゃった」
「拗ねてねーし」

「すねてる~。うりゃうりゃ」

変な擬音を口に出しながら、姫奈が頭を俺にぶつけてくる。


「やめろって……!」

さっきからかった分では済まない仕返しにどぎまぎしながら、長い長い十三分間を耐え切って、到着したころには部活なんかでは比べ物にならない疲れに襲われて学校にたどり着いた。


「じゃね!」
「うん、じゃあ」

疲れたは疲れたけど、嫌な気がしたかと言われたらウソにはなる。


「おは~、○○」
「ケイ、はよ」


教室では、俺の隣の席で陸上部の友人、ケイこと啓介が早くもスティックパンを頬張っていた。


「また早弁?」
「朝食ったけどさ、走ってきたら腹減っちまった」

「いつも通りってことね」


ケイのその姿を見ているとこっちまでおなかが空いてくる。

危うく弁当に手を付けそうになる心をぐっと静止して引き出しから一限の教科書を準備し机の上に整えておく。


「そうだ、お前って一組の岡本と仲いいの?」
「え、なんで……?」

「いや、今朝一緒に登校してたらしいじゃん。それに、噂って音よりも速く回るもんなんだぞ」
「にしても速くない……?」

「だな。で、どうなん?」
「仲は……どうだろ。ただ、るりとは仲いいよ」

「でた、シスコン」
「そういう意味じゃないって。岡本さんとるりが仲がいいってこと」

「あね」


パンを頬張りながら、適当な返事。

これでこそケイだ。

その後はケイからこの話を振られることもなく、一限の授業が始まった。




・・・



「つかれたぁ……」
「おつ」

「ケイは長距離ずっと走ってんのにいつも涼しい顔してるよな」
「走るの、楽しいしな」

「すげぇよ。俺なんか、今日一日体幹トレーニングしかしてないから体バキバキ」
「それだって十分だ。それに、○○には中学の頃からの積み重ねがあるんだから。あとは……いや、俺が言う事じゃないか」


部活動が終わり、さっき寄ったコンビニのホットスナックを食べながら駅へと歩く帰り道。

凍える冬の夜に揚げ鳥は染みる。


「んじゃ、また明日」
「おう、じゃな」


同じ改札をくぐり、反対のホームで電車を待つ。

吐き出す息がホームの明かりに照らされる。

先ほどの揚げ鳥にいただいた暖かさも、この夜の寒さには敵わず気が付けばどこかへ消えて行ってしまった。


ようやく到着した電車に乗り込んで、車窓を流れる夜の街を眺めながら電車に揺らること十三分。

今朝乗り込んだ駅に着いたあたりで母さんからメッセージが届く。

『るりのお迎えお願い』

そのメッセージを確認して、急いで電車から降りる。

確認がほんの数秒遅れていたら電車のドアに体を挟まれていた。


「っぶね……!」

一息ついてから、改札をくぐって駅を出る。

バレエスクールまでは思っていたよりもすぐで、早く、ちょっとでも寒くないところに逃げたいという気持ちがそうさせた可能性すらあった。


「さっむ……」


前回るりの迎えに行った時からわかっていたように、待合のロビーは外とそんなに変わらない。

カイロとか、持ってきておけばよかったという後悔が募る。

それに加えて、暇だ。

暇ついでに、バレエのレッスンってどんなことをしているのか気になった俺は、窓から中を覗いてみることにした。

ちょうど、るり達はレッスンを終えてストレッチをしていたが、一人、岡本さんだけが未だにレッスンを続けていた。

そして俺は、


「ほら、指先への意識途切れてる!」
「すみません……!」

「音楽に合わせて!」
「はいっ……!」


圧倒された。

俺の知る岡本さんは、騒がしくて、カイロと鰹節を間違えるくらいのせっかちで。

あんな目をすることもあるんだ。

本当に、今朝と同じ人物なのか……?


「かっこいい……」

思わず、そんな言葉が口からこぼれた。

心から、本心から出た言葉。

いつかの自分を見ているような。

捨ててしまった自分を眺めているような。

胸が、熱い。


「おにいちゃん!」

その声でハッとして、顔を上げる。


「今日もおにいちゃんのお迎えなんだ!」
「あ、ああ……」

「お、お兄ちゃんじゃん」
「姫奈……。てか、お兄ちゃんって呼ばれる筋合いはないぞ」


いつの間にか、みんなレッスン室から出てきており、るりと姫奈が俺の目の前に来ていた。


「二人ともお疲れ」
「○○も部活だったんでしょ?おつかれさま」

「いや、俺の方はそんな真剣にやってないから……」
「でも、ちゃんと部活出てたんでしょ。だから、おつかれさま!」


眩しい太陽に目が眩むように、俺はその岡本さんの笑顔を直視できない。

ただ、視線を下に落とすだけ。


「ねえ、○○。今日は私のことも送って行ってくれない?」
「いや、でもるりが……」

「いいよ、ここで待ってるから」
「わかったよ。でも、今日は歩きだから遅くなるよ」

「いいよ」

寒空の中、俺の手を握るるりはどこか楽しそうで、それとコントラストになるように俺は胸の奥の燻りばかりを気にしていていて。


「おにいちゃん」
「ん?」

「おにいちゃん、陸上嫌い?」
「……好きだよ」

「よかった!」
「…………っ!」

「おにいちゃんが陸上やってるところ、もう一回みたいなぁ」
「今も一応やってるんだけどな」

「そうじゃなくて、おにいちゃんが一番速いところが見たい!」


るりを無事に家まで送り届け、俺はもう一度バレエスクールに向けて自転車を走らせる。

寒い、熱い、痛い。

肺は燃えるように熱いのに、顔に突き刺さる空気は冷たい。

乱れた髪の毛なんか気にも留めず、俺は一心不乱にペダルを踏んだ。


「はぁ……はぁ……お待たせ……」
「もう、そんな急がなくてもいいのに。はい、これはお礼」

「ありがと……」


姫奈が俺にくれたのは、小さいペットボトルの、ホットアップルティー。

一口飲み込むと、優しい温かさが全身に染みわたる。


「そんな急がなくてもよかったのに」
「だって、寒い中待たせるのも申し訳なかったから」

「優男~」
「じゃあ、行こう」

「うちこっち」

姫奈が指さす方向へ、並んで俺たちは歩き出す。

自転車のラチェット音が夜の空に吸い込まれ、消えていく。


「いや~今日も疲れた~」
「バレエ、いつからやってるの?」

「えっとね……小一だったっけ?」
「るりとそんな変わらないのか……」

「そだよ。だから、るりちゃんには色々教えたくておせっかいになっちゃうんだ」
「いや、るりも嬉しいと思うよ。ああ見えてるりって負けず嫌いなんだ」

「そーなの!?」
「そうだよ。それはもう、物凄く」


俺が中二の時、るりはまだ保育園児だったのにも関わらず俺にかけっこで勝ちたいって言ってきた。

対戦ゲームだって俺に負けると悔しくて何回でも勝負を仕掛けてくるし、じゃんけん一つ取ったって負けた時の悔しがり方は異常だ。


「いがーい。天使みたいな子なのに」
「そこもかわいいんだよなぁ」

「ほんと、○○ってるりちゃん大好きだよね」
「そりゃね。年が離れた妹ってかわいいもんなんだよ。喧嘩になることもほとんどないし」

「羨ましい」
「るりはやらないぞ」

「るりちゃんみたいな妹を持った○○ももちろん羨ましいけど、わたしが思ったのはるりちゃんだよ」
「るり?」

「○○みたいなお兄ちゃんを持ったるりちゃんが羨ましい」
「うれしいこと言ってくれるじゃん」

「一人っ子だからさ、わたし。妹もいいけど、○○みたいなお兄ちゃんもいいなって。あ、うちついた」


住宅街の一軒家。

バレエスクールからは歩いて五分くらいしかかかってない。


「近いじゃん」
「近いよ」

「送ってく必要あった?」
「○○と二人で話したかったの」

「へぇ……」
「反応うすっ!」

「だって、返し方に困ったから……」
「もう、本心だったのに」

「二人で話す機会なんて、これからいくらでもあるでしょ」
「言ったね!」

「え、うん……。言ったけど」
「約束だからね!ん!」


姫奈が伸ばした小指を俺の方に向ける。

俺も、それに小指を絡める。


「ゆびきり!明日もこっちの駅に来ること!指切った!じゃね!」


自分勝手に、自分の言いたいことだけを俺にぶつけて、手を振って玄関をくぐった。

残された俺は、少しぬるくなったアップルティーを一口飲み込んで、自転車を走らせた。




・・・




それからというもの、俺は毎朝るりを送っていき、そこから最寄りの一駅先の駅に向かうというのが習慣になっていた。


「おっはよ~」
「はよ。今日も朝から元気だな」

「今日は何月何日でしょうか!」
「えっと……12月17日、だけど」

「そう!今日はわたしの誕生日なんです!」
「おお、おめでと」

「反応薄い!もっと『おめでとう!!!』とかじゃないの!拗ねちゃうよ!」
「ごめんごめん。なんかプレゼントあげるから」


頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった姫奈の機嫌を取ろうとしたその言葉。

俺のその言葉を聞いて、言質取ったと言わんばかりの顔で姫奈は勢いよく振り向いた。


「言ったね!じゃあ明日の休み、デート行こう!」
「デ、デート!?しかも明日!?俺はそこまでするとは言って……」

「わたしはそうとらえた!わたし、遊園地のチケット余っててさ~。友達も忙しくて一緒に行く人いなかったんだ~。だから遊園地、いこ?」


手を握られ、上目遣いでまっすぐに見つめられて、真冬のはずなのに俺の額には汗がにじむ。


「わかったよ。行こう、遊園地」
「やった~!久しぶりのおでかけだ~!」

この日一日、姫奈にすれ違うたびに視線を感じながら放課後を迎え、部活へと向かった。


「あれ、○○走るの?」
「走るよ」

「全力で走れんの?」
「……走るよ」


左足の、アキレス腱。

中二の頃に断裂してから、俺を縛り続ける鎖。


「見てるわ」
「見てろよ」

スターティングブロックに足をのせて、肩の下に指をつく。

合図とともに、ブロックを蹴り上げ、風を感じながらスタートを切った。




・・・



服装は多分問題ない……

髪も普段より念入りにセットしてきたし、いつもは使わない香水も久しぶりに使った。

姫奈の家の最寄り駅、時計台の下。

なんか、ここ数日に比べて今日は冷えるな……

そう思って今の気温を天気アプリで確認しても、昨日までとそう変わらない。


「おまたせっ!」
「おはよ、姫奈」


しかし、そんなことを姫奈に悟られたらまた変に揶揄われるに違いないので、平静を装って挨拶を返した。


「おはよ!わたしさ、昨日の夜中々寝られなかったんだ~!」
「遠足の前の子供じゃあるまいし」

「それだけ楽しみだったの!遊園地なんて、久しぶりに行くから」
「はいはい。じゃあ、早く電車乗ろう。実は俺も、すごい楽しみだったんだ」

電車に揺られること四十分強。

やってきた遊園地は、親子やカップルで溢れていた。


「人たくさんだね~」
「休日だしな」


受付で姫奈から受け取っていたチケットを見せて、無事ゲートを通過。

眼前には夜に点灯されるであろうイルミネーションが飾り付けられた大きなツリー。

その奥には観覧車にジェットコースター、メリーゴーランドなんかも見える。


「ねえ、どこからいく?」


姫奈は、キラキラした目で遊園地を見回す。

子どもっぽい、なんて俺が言える立場ではなく、俺も久しぶりの遊園地に心を躍らせていた。


「一発目からジェットコースター行っちゃう?」
「いいね、行こう!」

そういった姫奈は、俺の手を握って引っ張るようにジェットコースターの方へと歩いていく。

待ち時間は以外にも三十分もないくらいで、期末テストのことだったり、るりのことだったりを話していたらすぐに順番はやってきた。


「なんかどきどきする~」
「たしかに。なんか、緊張してきた」

シートベルトをしっかりと締めて、準備完了。

徐々に動き出したジェット―コースターがトンネルを抜け、ゆっくり坂を上るのと同時に開けていく視界が高揚感をより一層高めていく。

そして、頂上付近で一度静止したかと思ったその時。

ジェットコースターは勢いよく急降下していく。


「きゃー!」

急加速や急降下を繰り返すジェットコースター。

何度もそれを繰り返しているうちに髪の毛は乱れ、叫び続けたせいで喉もちょっとがさついてきた。


「はぁ......。たのし~」
「姫奈、前髪すごいことになってるよ」

「○○だって人のこと言えないじゃん!…….ぷっ!」
「あはは!たしかに!」

ジェットコースターズハイとでも呼ぼうか。

出まくったアドレナリンがテンションを異常なほどに上げ、ジェットコースターが元の位置に戻るまでのゆったりとした時間、俺たちはお互いを見て大笑いしていた。

「楽しかった!」


姫奈は、興奮気味にそう言った。


「うん、めっちゃ楽しかった」


俺も、同じように答えた。


「次どうする?」
「おなかすいちゃったかも。朝ご飯食べてなくて……」

「じゃあ、一回軽く食べられそうなやつ買いに行こう」
「チュロス~!」


おやつじゃん。

とは思ったけど、今にもスキップしそうな姫奈の後についていき、チュロスを二本買って近くのベンチに腰を下ろした。


「甘いものって、食べると幸せな気持ちになるよね」
「なんでだろうな」

「でもきっと、今食べてるのがしょっぱいものでも辛いものでも、苦くても酸っぱくても幸せな気持ちになったと思うんだ。大事なのは、何を食べるかじゃなくて誰と食べるかってやつ!」
「姫奈のわりに難しい言葉知ってるな」

「バカにした!○○がわたしのことバカにした!」


チュロスを食べ終えて、メリーゴーランドにフリーフォール。

ゴーカートにバイキング。

いろんなアトラクションに乗って、その都度軽食も食べてとしていると、日はあっという間に暮れていく。


「観覧車のろ」
「高いところはへーき?」

「うん、へーき」

夜にもなればパラパラと人は減って、すぐに訪れた順番で青いゴンドラに乗り込んだ。

冬の夜の街は一つの大きなイルミネーションのように輝き、ひらひらと舞い始めた雪はその街並みをスノードームのように彩っていく。


「きれ~」
「こんな高いとこから夜景見たの初めてだ」

「わたしも。今日は久々に羽伸ばせたな~」
「それはよかった」

「○○のおかげだね。ありがと」
「お礼はいらないよ。俺も、姫奈のおかげでめっちゃ楽しかったから。こちらこそ、ありがとう」


ゆったり、ゆっくり。

ひらり、はらり。

この世界はふたりぼっち。


「もう、終わっちゃうね」
「楽しい時間ってあっという間だな」

「今日の楽しい時間は、ね。またどっか遊びいこ」
「もちろん」


ふわついた足取りで、観覧車を降りると、ゲートの方が賑やかで。

その声につられた俺たちがそっちに目をやると、ツリーに飾り付けられていたイルミネーションがぱぁっと輝いていた。


「すごーい!ねえ、あそこで写真とろ!」
「いいけど、走ると転ぶ……!」


よ。

まで言い切る前に、姫奈はブーツの先端が地面に突き刺さったのかバランスを崩す。

俺は咄嗟に足を踏切り、転びそうになった姫奈の肩を支えた。


「あっぶ……」
「あ、あり……がと……」


あまりにも急な出来事で体制を整えるなんてこともできなかったせいで、俺と姫奈の顔の距離は鼻先が触れそうなほど近く、慌てて離れたはいいものの真夏日くらいの汗が噴き出してきた。


「は、はやく写真撮ろう!人で埋まっちゃう!」
「そ、そうだな!」


いそいそとツリーの前まで移動して、姫奈の持つスマホのインカメに収まるように俺たちは近づく。

先ほどとそう変わらない距離。

肩はもう触れてる。

シャッター音が鳴って、頬をほんのり赤く染めた二人が切り取られた。


「あとで送るね」
「頼んだ」

「かえろっか」
「だな」

駅に着くと、丁度帰り方面の電車がやってきて、俺たちは急いでそれに乗り込んで端の二席に座った。

車内は暖房も効いていて、落ち着く温かさ。


「……ねえ、○○」
「ん?」

「ちょっと眠くなっちゃった」
「いいよ、寝ても。着いたら起こすから」

「ありがと~」

次の駅に着くまでの数分間。

その数分間で、俺の隣からはすぅすぅと静かな寝息が聞こえてくる。


「もう寝たのか……」

電車のドアが閉まり、次の駅へと向けて走り出す。

『この先揺れますのでお気を付けください』

そのアナウンスとともに、電車が大きく揺れて、


「…………!」


椅子の端、壁に寄りかかっていたはずの姫奈の頭が俺の肩にのる。





・・・




「姫奈、着くよ」


名前を呼ばれた気がして、私は微かに意識を目覚めさせる。

目を開けて、状況を確認すると、頭の右側に違和感を感じた。


「ん……。ん……!ご、ごめん……!」

私は慌てて飛び起きた。

どうやらずっと、私は○○の肩に頭をのせて寝てしまっていたらしい。


「もしかして、ずっと……?」
「それなりには?」

「ほんっとごめん。体、全然動かせなかったよね」


私が肩を枕にしてしまっていたら、ちょっと姿勢を変えるのも難しかったはず。

それなのに○○は、


「そんな謝んなくていいよ。動かすこともなかったから」

そういって優しくほほえんだ。

それどころか、


「ほんと?○○は優しいね」
「ほんとほんと。それに、姫奈になら肩使われてたって悪い気はしないよ」


胸の奥が、あったかい。

ドキドキして、苦しい。


「ほら、降りるよ」
「う、うん……!」


○○はわたしの家の最寄り駅で降りて、わたしを家まで送ってくれる。

それが当然であるかのように。


「姫奈は明日もレッスン?」
「うん……」

「そっか……。俺も、ちゃんとトレーニングしないとな……」
「今度、一緒にランニングとかしようよ」

「いいね、それ」
「決まりね」

しゃべる度にお互いの口から立ち上る白い息。

まるで、言葉が目に見えるみたい。

だからわたしは、冬が好き。

でも、楽しい時間って、すぐに終わっちゃう。

ほら、気が付けばもう家の前。


「あ、あのさ……!また、お出かけしようね」
「うん」

「テスト勉強も、一緒にしよ!」
「姫奈に勉強教えるのは大変そうだな」

「やくそくだからね。おやすみ」
「おやすみ」

おやすみの挨拶を済ませて、わたしは玄関をくぐった。

ドア一枚、その先の彼は多分もう帰っちゃったかな。

ドキドキが、おさまらないや。




・・・




テスト期間は大体の部活が休みか自主練習になる。

野球部とか、サッカー部とかの力の入った部活はちょこちょこ自主練習をしているのを見かけるが、陸上部はそんなこともなくちゃんと休み。

だからこそ、赤点なんて取った日には……ってことだ。


「○○~!勉強教えて!」

どうやら、それは姫奈も同様のようで、テスト前の一週間はレッスンを休みにする代わりに赤点を取ったら基礎の筋トレや体幹トレーニングしかさせてもらえなくなるらしい。


「得意科目と苦手科目は?」
「得意なのは体育で、苦手なのは……全部?」

「よし、わかった。幸いテストにはテスト範囲があるし、山を張ろう」
「え、なんかかっこいい」

「別に俺が考えてるわけじゃないよ。陸上部の友達が頭良くて、そいつに聞いたのがあるってだけで」
「では、よろしくお願いします先生!」

「まずどこでやるかだな」
「図書室行こ!わたし、行ったことないんだよね」

「まあ、図書室行くようなタイプじゃないか」
「まね~」

姫奈にはこんなことを言ったけど、俺も図書室にはいくタイプじゃない。

行ったことだって、片手で数えられるくらいか。

覚えているかどうか怪しい道順を何とか攻略して、図書室のテーブルに着くと、姫奈は向かいではなく隣に腰を下ろしてきた。


「なんで隣?」
「だって、向かいに座ったら教科書とか反対になっちゃってどっちかは見にくくなるじゃん?」

「一理ある」
「へへん、そうでしょ!」

早速、俺たちはワークと教科書を広げて勉強会を始めた。

ケイに教えてもらった範囲はめちゃくちゃ絞られていて、そこが出てくれば百点満点とはいかないけれど、赤点回避するには十分なくらい点数は取れそう。


「ねね、ここわかんない」
「これはね……」


肩と肩が触れ、腕と腕が触れ。

二時間。

みっちりと勉強をして、俺たちは図書室を出た。


「わ、雪……」
「積もるかな?」

「積もりはしないんじゃない?」
「積もんないか~」

ひらりはらりと雪が舞い落ち、舗道に触れては溶けて消える。


「雪積もったら雪合戦とかしたいね」
「積もらないだろって」

「積もったらどうする?」
「姫奈の命令なんでも聞くよ」

「約束ね」
「約束な」

姫奈と一つ約束を交わし、家まで送り届けて別れた。

ひらひらと舞う雪はその粒を段々と大きくしていき、本当に積もるのではないかと思わせる。


「はぁ……さみぃ……」

どうしてだか、いつもと変わらない夜のはずなのに。

よく、冷える。




・・・




「つっかれたぁ!」

ワークを閉じて、体を伸ばしながら背もたれにもたれかかる。

○○から教わった勉強法は頭のよくない私にもわかりやすい。

教えるのも上手だった。

スマホを見ると、もうすぐ日をまたぎそう。


「うーん……」


静かな家。

パパとママは記念日の旅行に出て行っちゃったから、正真正銘わたし一人だけ。

さっきは勉強してたおかげで全然気にならなかったけど、意識したとたんにすごく寂しくなってきた。


「そだ」

わたしはベッドに寝転がって、メッセージアプリを開く。

そこから○○の連絡先を開いて、電話をかけてみた。


「……もしもし」
「もしもし」

通話口から聞こえてくる○○の声は、いつも聞いてる声よりも若干低くて、なんとなく特別感を感じちゃう。


「なに、急に」
「えっとね、ちょっと声聞きたくなっちゃって」

「なんだそれ」

ちょっとだけくぐもった笑い声が耳をくすぐる。

心がざわつく。


「うちね、今一人なの。パパとママさっき旅行に出ちゃって」
「それで、寂しくなって電話かけてきたん?」

「せーかい」
「いいよ、付き合ってあげる。俺も丁度、勉強飽きてきた頃だし」

「やったぁ」

寝返りの音とか、聞こえちゃってるのかな。

だとしたら、この心臓の音とかも聞こえちゃってるのかな。


「勉強は?」
「今日教えてもらったところは一通り」

「えらい」
「へへん。ねえ、るりちゃんもう寝ちゃった?」

「そりゃそうだろ。るりはいい子なんだから」
「じゃ、わたしたちは悪い子か~」

「かもな」
「○○も悪い子だね」

「俺はもともといい子のつもりないし」
「そういうの、『詭弁』って言うんだよ」

「今日教えたやつだな、それ」
「さっそくつかっちゃった~」


なんか、抱きしめられてるみたい。

○○の声がすぐそこにあって、その声に包まれて。

安心して、どんどん、眠気が……


「姫奈、眠い?」
「んーん」

「うそでしょ。呂律、だんだん怪しくなってる」
「なってません~」

「眠かったら寝ていいんだよ」
「……もうちょっとだけ」

「はいはい」
「……なんかはなしてよ」

「え~……。じゃあ、今日のるりのかわいいところとか?」
「へへ、ほんとに○○はるりちゃんのことがだいすきなんだ……ね……」

「そりゃあもう、この世界で一番」
「しすこんだ~。でも、そんな○○が……す




・・・




「でも、そんな○○が……」
「姫奈?」

電話の向こうからの返答はなく、微かに寝息が聞こえるのみ。

何を言いたかったのか。

そんな○○が、なんなのか。

聞くことはできなかったし、明日以降も俺の方から聞きに行くことは無い。

でも、気になる……!

こっちは思春期の男子だ。

答えくらい、神様が教えてくれたっていいのに。

……それはまあ、一旦いいか。


「姫奈?」

もう一度、一応起きているかどうか確認しておく。

…………。

返答なし。


「おやすみ、姫奈」

一言、断って。

俺は通話を切った。




・・・




「終わったぁ!」
「それは、どっちの意味?」

「テストが全日程終わったって意味!今回、わたしにしては自信ありますから」

一週間とちょっとが経ち、難敵であるテストが終わった。

解放された俺たちは、お互い今日まで練習が休みであることをいいことに、ファミレスでお疲れ様会を開いていた。


「では、気を取り直して……お疲れ~!」
「お疲れ!」

ドリンクバーから持ってきたジュースで乾杯。

料理も丁度運ばれてきて、宴の準備が整った。


「にしても、すごかったね~。ヤマ張ったところ、結構出たね!」
「ケイ、マジすごいわ。今度ジュースおごらんと」

「はい、テストの話終わり!明日はクリスマスイブだよ!」
「クリスマスかぁ……」

「おや、あまり浮かない表情だね」
「彼女がいない身としては、クリスマスは同級生のストーリーを見てイライラを募らせる日だからな……」

「え、今年も一人で過ごすつもり?」
「まあ家族と……のつもりだってけど」

「ん!」

姫奈が物凄い眼力で俺のことを見つめ、力強く自分のことを指さした。


「わたしがいるじゃん!遊びいこうよ!わたし、その日はレッスンあるけどさ、イルミネーションなら見に行けるんじゃない?」
「ああ、駅前広場の」

「そそ!だからさ、迎えきてよ。で、るりちゃんと一緒に見に行こう!」
「その案いいね。るりも多分よろこぶよ」

「じゃあ決まり!明日楽しみだな~」
「だな」


結局、小一時間ほどファミレスで駄弁って、姫奈を送り届けて俺たちは別れた。

別れてから、俺はもう一度駅前へと戻った。




・・・



そうして迎えた翌日。

クリスマスイブは、雪が舞い落ち、きらきらと光を反射して幻想的な光景が広がる日になっていた。


「きれー!」
「きれー!」

「なんで二人して反応一緒なんだ」

るりを真ん中に、はぐれないよう両手を俺と姫奈で握る。


「だって、すっごいきれいだよ!」
「そうだな

「そうだよおにいちゃん!きれーだよ!」
「そうだな~」

「もう、反応違う!」

抗議の声が隣から聞こえてくるが、それは無視。

お目当てのイルミネーションを見るため三人並んで、手をつないだまま人ごみを歩く。


「なんか、こうしてるとさ、わたしたち親子みたいだよね」
「お、親子!?」

「そう、親子。わたしたちが夫婦で、るりちゃんがわたしたちの娘」
「そう見えるか……?」

「どうかな~」
「るり、あっち行きたい!」

「よーし、じゃあ行こっか!」


仲睦まじい二人の背中。

仲良く笑う、二人の姿。

こうしてみてると、姉妹みたいだ。


「おにいちゃん、はやく~」
「お兄ちゃんこっちこっち~」


二人に手招きされて、俺も二人に追いつくと、るりが再び俺の手を握った。


「やっぱ、おにいちゃんも一緒じゃなきゃやだ」
「愛されてるね~。るりちゃんは、お兄ちゃんのこと好き?」

「うん、大すき!ひなちゃんは、おにいちゃんのこと、すき?」
「え……!?えっとね……す……って、なんで○○が赤くなってるの……!」

「いや……」
「…………?おにいちゃんも、ひなちゃんも、どうしたの?」

「な、なんでもないよ」
「そう、なんでもないの!」


るりには誤魔化したけど、どうして俺はこんなにも動揺してるんだ。

まるで、「すき」って言ってもらいたかったみたいに。

まるで、俺が……

「一通りみて回ったかな?」
「うん、回ったと思う」

「いや~、きれいだった~!」
「きれいだったね!」

「るりちゃんもそう思う?」
「うん!」


二人とも満足したみたいだ。

家族や部活仲間以外とすごす初めてのクリスマス。

プレゼントを用意するのだって、初めて。


「あのさ、二人とも」
「ん?」

「なあに?」
「俺から、クリスマスプレゼント」

俺は肩にかけていたバッグからマフラーを取り出し、るりと姫奈それぞれに巻いた。


「あったかい……」
「ね!あったかい!」

「昨日急に決まったから、あんま選ぶ時間とかもなくてさ……」
「ふふ……うれしい……」


顔を半分、マフラーに隠して。

コートに隠れていた指で、それをもう一段、深くして。

目元しか見えていないけれど、それだけで十分だった。


「あ、でもわたしプレゼント用意できてない……」
「るりも……」

「いや、いいよ。お返しが欲しくてプレゼントしてるんじゃないから」
「でも……」

「二人の喜ぶ顔が見られただけで十分だから」
「○○……」

「じゃあ、るりからおにいちゃんにプレゼント!」

そういったるりが俺に抱き着く。


「ぎゅ!」
「かわいいプレゼントだな。ありがとう、るり」

「ひなちゃんも!」
「わ、わたしも……!?」

「姫奈からも……!?」
「………………じゃあ」


ぽつとつぶやき、一歩。

そっと、俺を包みこむあたたかさ。


「………………ぎゅ」
「…………」

「な、なんか言ってよ……」
「あたたかい……です」

「お、おしまい!」

姫奈が離れたのを見て、るりも離れる。

姫奈は、またマフラーに顔を隠してしまい、表情が読み取れない。


「帰ろ!」
「うん、帰ろう」


冬はいい。

僕の三歩前を歩く姫奈が何かを呟いたのも、白い息が全部見せてくれるから。




・・・




「で、なんでまた電話かけてきてんの?」


家に帰って、風呂から上がってスマホを確認すると、メッセージが一通届いていた。

差出人は姫奈で、内容は『夜電話してもいーい?』

髪を乾かして、『いつでもいいよ』と返してから三十秒後には電話がかかってきた。


「えー、だってもうすぐ冬休みになっちゃうじゃん」
「うん」

「だから、学校で毎日会うのもしばらくお預けでしょ?」
「まあそうだな」

「それに、年を越してすぐにコンクールあるじゃん」
「るりも小学生の部に出るって聞いたな」

「そそ、それの高校女子の部に出るんだ」
「すごいじゃん」

「だから、コンクール前の最後の息抜きだったの」
「息抜きできた?」

「おかげさまで」
「よかった」

「ふわぁ……。眠くなってきちゃった」
「今日はやけに素直じゃん」

「そうかな?……そうかも。だから、もう一つだけわがまま言わせて?」「いいよ」

「明日は、おはようまで一緒に言いたい」
「一晩中繋いでろってこと?」

「うん……」
「……いいよ」

「へへ、ありがと。○○の声、安心するからさ……よく寝れるんだ……」
「それはどうも」

次第に姫奈の声は小さくなって、そのうち寝息と寝返りの音だけが聞こえてくる。

その音を聞きながら俺も眠りに落ちた。




・・・




冬の寒さが身に沁みる季節。

年も越した直後。

姫奈のバレエコンクールの日が刻一刻と迫る。

練習スタジオには、いつも以上の緊張感が漂い、姫奈の表情は真剣そのものだった。


「姫奈、大丈夫?」

いつものようにバレエ教室の前でるり待っていた俺は、少しやつれたように見える姫奈に声をかけた。


「大丈夫」
「ご飯、食べてる?」

「それも大丈夫。先帰ってていいよ。わたし、ちょっと残るから」
「わかった……。無理は、すんなよ」


気がかりだった。

だけど、変に声も掛けられない。

その気持ちもわかるから。

中学二年、全国の壁を知った直後の俺も、こんなだったから。

だから。


「無理だけはすんなよ!」
「声大きいって……!」

「でも、こうでもしないと姫奈はこっち向いてくれないと思ったから」
「それだけ?」

「それだけ」
「……ふふっ」

「やっと笑った」

できれば笑っていた方が、前向きに迎えるはずだから。

それに、姫奈は笑顔がきれいだから。

姫奈には、こんな時でも笑っていてほしいっていうのはきっと、俺のエゴだ。




・・・




「くっ……!」
「そんなんじゃ誰の心にも響かない演技になるわよ!」

「はい……!」

もう少しでコンクール。

レッスンもより一層厳しさが増し、連日の疲れも溜まる。

そのせいか、緊張か、レッスン中のわたしが制裁を欠いているのは誰が見ても明らか。

演技にも集中できておらず、滲む汗のうっとおしさが演技中に襲ってくる始末だ。


「今日は終わりにしようか」
「まだ、やらせてください!」

「何のために?」
「何のって……コンクールで、結果を出すため……」

「結果を出してどうしたいの。あなたが満足したいだけ?」
「それは……」

「それじゃあダメに決まってるじゃないの。演技は、誰かに見てもらってのもの。あなたは誰にあなたの演技を見てもらいたいの?」

「いったん休憩にしなさい」
「はい……」

そういって先生はレッスン室を出た。

タオルで汗をぬぐい、水を一口飲み込んでから考える。


「わたしの演技を……誰に……」
「ひなちゃん……?」

「るりちゃん……」
「ひなちゃん、まだかえらないの?」

「うん、もうちょっとだけ残ろうかな」

わたしのバカ!

るりちゃんにこんなに心配させて……

ほんっと、バカ。


「おにいちゃん、まってるよ?」
「○○が?」

「しんぱいしてたよ?わたし、わすれものしてないか見てくるから、おにいちゃんひまになっちゃうと思うの。だから、おにいちゃんとお話ししてきて!」

るりちゃんに言われるがままレッスン室を出ると、わたしに気が付いた○○は四歩もない距離を駆け寄ってきた。

「姫奈、大丈夫?」

わたしの顔を見て、○○はそう聞いた。

そんなに、わたし顔色悪いかな。


「大丈夫」

でも、こんなところで弱音を吐いてもいられない。

○○には迷惑かけられない。


「ご飯、食べてる?」
「それも大丈夫」

あれ、今日のお昼何食べたっけ。

今日のお昼、食べたっけ?

でも、大丈夫。

その分、体は軽くなるはず。


「先帰ってていいよ。わたし、ちょっと残るから」
「わかった……。無理は、すんなよ」


○○に背を向けて、もうひと頑張り。

そう思って、レッスン室のドアに手をかけた時だった。


「無理だけはすんなよ!」

初めて聞いた○○の大声。

ロビーに響いた○○の声。

子どもを待ってた保護者の人もみんな驚いて、○○の方に一気に視線が集まる。


「声大きいって……!」

こっちが恥ずかしいよ……!


「でも、こうでもしないと姫奈はこっち向いてくれないと思ったから」
「それだけ?」

「それだけ」

わたしは その言葉にハッとした。

そういえば、今日は○○の顔を見られてなかった。


「……ふふっ」
「やっと笑った」


やっと笑えた。

切羽詰まってたんだ、わたし。


「ありがと、○○。わたし、もうちょっと頑張る!」
「わかった」

もうちょっと、頑張る。

最高のわたしを、○○に見てもらいたいから!




・・・




コンクール当日の会場は、緊張や不安、高揚感に包まれて異様な雰囲気と化していた。

るりの番はもう終わり、俺にとって残すは姫奈の順番だけ。

客席で両親とともにるりのことを待っていると、姫奈から一通メッセージが届いた。

『ちょっと下きてよ』


「母さん、ちょっと俺トイレ行ってくる」


一言断りを入れて、俺は階段を駆け下りた。

降りた先、ジャージ姿の姫奈。

「姫奈!」
「〇〇……」

表情が固い。

指先も震えてる。


「まだ衣装着替えないんだ」
「わたしはもうちょっと先だから」

「にしても、ジャージか」
「動きやすいの」

「姫奈、緊張してる?」
「…………してる」

「だよなぁ」
「そりゃね」

「てか、俺はなんで呼ばれたん?」
「○○の顔見たかった。声、聴きたかった」

「なんだ、そんなこと」
「そんなことって……!それが……大事なんじゃん……」


珍しくしおらしい姫奈は、そっと俺の上着の袖を指先で掴む。


「指先、冷たいの……。震えも止まらなくて、寒くて……。だから、ちょっとだけ手、握ってほしい……」
「俺も、別にそんなに手はあったかいほうじゃないぞ……」


腕を伸ばして、手を俺の方に差し出す姫奈。

俺はその手を、包み込むように握る。

たしかにほんのり冷たいし、震えもこっちまで伝わってくる。


「ほんとにつめたい」
「でしょ」

「なんでそんなどや顔してるのさ」
「へへ」

「姫奈なら、大丈夫」
「うん」

「楽しみにしてる」
「楽しみにしてて。○○、いまどの辺に座ってる?」

「真ん中の、ちょっと右の方」
「ありがと。じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」


手を放して、控室に戻っていく姫奈の背中を見送る。

その姿が見えなくなって、俺は自分の座席に戻った。


「おにいちゃん、どこ行ってたの?」

俺が戻った時にはすでにるりもいて、俺は母さんとるりの間の席に座りなおした。


「あら、長かったわね」
「え、ああ、まあ」

「……トイレ、うそでしょ」
「な……!」

「あんまり母親の目をなめちゃいけないわよ。誰か、応援してる人がいるの?」
「うん、いる」

「じゃあ、ちゃんと見てあげなさい。誰かが見てくれているっていうのは、想像以上の力を発揮するものなのよ」
「母さん……」

「だから、ちゃんと、見ててあげなさい」
「わかった……!」

ちゃんと、見る。

順番が次へ次へと進み、素晴らしい演技が披露される。

姫奈の順番が近づくにつれて、握る拳にも力が籠る。


「きた……」
「ひなちゃん……」

照明が一瞬暗くなり、静寂がホールを包む。

次の瞬間、スポットライトが舞台の中央を捉え、彼女が姿を現した。

白い衣装をまとった姫奈は、まるで風に乗る羽のように軽やかに舞い始める。

その動きには一片の乱れもなく、彼女腕や足先の動きが、まるで一筆一筆丁寧に描かれた絵画のように美しかった。


「すごい……」

俺の口からは思わず感嘆の声が漏れる。

しかし、彼女の演技に魅了されているのは何も俺だけではない。

観客席からは、一瞬ごとに息をのむ音が響き、誰もが目を離せない。

彼女の体は音楽と一体となり、リズムに合わせて優雅に、そして力強く空間を切り裂き、ジャンプの瞬間、まるで重力から解放されたかのように宙を舞い、着地する。

彼女の顔に浮かんだ小さな笑みが、その美しさにさらに命を吹き込む。

まるで物語の中の主人公が、自らの感情を体で語っているようだった。

誰もが心を奪われ、彼女の動きが生み出す空間の魔法に引き込まれていく。


「…………!」


その瞬間。

ほんの一瞬、姫奈と目が合った。

気がするとかではなくて、確実に。


「かっこいい……」


最後のターンが終わり、彼女は一歩前に出て静止する。観客の誰もが息を止め、次の瞬間、ホールに響き渡る拍手と歓声が一斉に爆発した。

俺も、半ば放心状態で手をたたいた。

頬には一筋、涙が伝っていた。




・・・




コンクールの興奮も冷めやらぬ夜。

ベッドのヘッドボードに背中を預けながら小説を読んでいると、枕元に置いておいたスマホが震えて電話がかかってきたことを知らせる。


「もしもし?」
「もしもし」

電話をかけてきたのは姫奈。

寝るにしては時間が早いし、なにかあったのだろうかと若干の不安が押し寄せる。


「なんかあった?」
「ううん。ちょっと声が聞きたくて……。あのさ、今からちょっとだけ会えない?」

「いまから?全然いいけど。姫奈の家まで行けばいい?」
「うん、お願い」

電話を切って、暖かい服装に着替えて階段を降りる。


「ちょっとランニン……いや、人にあってくる」
「寒いから、ちゃんと気遣いなさいよ」

「……!うん、いってくる」

自転車の鍵を開けて、いつもより力強くペダルを踏みこむ。

早く、会いたい。

厳しい寒さが顔を突き刺そうと、肺を凍り付かせようと、今の俺は無敵。

ただ、一度コンビニで温かいアップルティーを一本買って、姫奈の家へと一心に自転車を走らせた。


「お待たせ、待った?」
「ううん、全然」

俺が到着したころには姫奈はもう外で待っていて、首にはこの間のクリスマスに俺がプレゼントしたマフラーが巻かれていた。


「一応、これ」
「ホットのアップルティー?」

「寒いからさ、ちょっとでも温まれた方がいいと思って。それにほら、前に姫奈が俺にくれたのもホットのアップルティーだったなって」
「そんなこともあったね~。ん、甘いし、あったかい。ありがと、○○」

「いえいえ」
「……ねえ、自転車の後ろ、乗せて?」

「どっか行きたいところでもあるん?」
「ううん、ない」

「ないんかい。とりあえず乗っていいよ」


姫奈が自転車の後ろ、荷台部分に乗り込んで、腕を回す。

ちゃんとそれを確認して、自転車を再び走らせた。

行く当てもなく、ただただ冬の夜を。


「コンクール、五位だった」
「ちゃんと見てたよ」

「○○の方見たの、気が付いた?」
「気づいた。目が合ってびっくりしちゃった」

「へへへ。○○、すっごい真剣な顔してておもしろかった」
「笑うなや」

適当に。

ほんと、適当に自転車を走らせて、もう俺ではそこがどこかもわからない道。


「あ~!くやしいな~!表彰台、上がりたかったな~!」
「次、絶対だな」

「がんばる」


次第に自転車は坂の多い道に入る。

坂を下る度、姫奈が俺に抱き着く腕もきつくなる。


「ねえねえ、あそこでちょっと休憩しない?」
「公園か……いいね」

小さな公園の中まで侵入し、ブランコの脇に自転車を停めると、姫奈がすぐにブランコに移って漕ぎ出した。


「ブランコってさっ……!大きくなるとっ……!中々遊ばないよねっ……!」
「たしかに」

「よっと」

ブランコから飛び降りて、さながら体操選手のような見事な着地を披露する姫奈。

会場には俺の拍手だけが冬の締まった空気を震わせていた。


「○○」
「なに?」

「すきだよ」
「…………へ?」

「なに?その気の抜けた返事」
「いや、だって、唐突に姫奈が変なこと言うから……」

「だーかーらー!すきだよ、○○のこと!」
「俺も……」


『好きだ』

その言葉を言う前に、俺は一度深く息を吐き出す。

そんな俺の緊張緩和のための手段だって、冬は全部白日の下にさらしてしまう。

隠すだけ、無駄なんだ。

取り繕いきれないこの想い。

はじめは蝋燭の火みたいだったこの気持ちは次第に、篝火のように勢いをつよくして、業火のように俺の心の中で燃え盛って。

どこかで吐き出さないとダメだったこの想い。

今、伝えないとダメだ。


「俺も、姫奈のことが、好き……んむっ!」


急に息ができなくなって、姫奈の顔が近くって。

甘酸っぱい、アップルティーの味がして。

歯と歯がぶつかって、姫奈が一度、俺から離れた。


「ぷはっ……。びっくりするだろ、急に……!」
「ごめん……。なんか、体が勝手に動いちゃった」

「てか、歯当たったんですけど」
「えへへ、勢い余っちゃった。……ちょっと、はずかしいね」


姫奈が目を細めて、マフラーに顔を埋める。

それでも、隠れ切っていない耳が赤く染まっているのを公園の明かりは見逃さない。


「もっかい」
「次は歯が当たらないようにな」


重なる唇。

さっきよりも、長く。

次第に息ができなくなって、苦しくなって。

俺の方から、唇を離してしまった。


「……〇〇は、はじめて?」
「わるいかよ」

「そんなことない……。わたしも、だから……」
「そ、そう……」

どちらともなく、歩み寄り、互いが互いを抱きしめる。

冬の夜の寒さはどこへやら。


「〇〇って、体温高め?」
「わかんない」

「すごい、あったかいよ」
「そっか」

冬の夜。

輝く星の下。

「ねえ、○○」
「ん?」

「すき」
「俺も、姫奈のこと、好きだ」


ここだけ、春模様。



………fin

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