ある日俺は、空から降ってきたどんくさ天使様に出会った
ここは、人間界の遥か上。
雲を突き抜けた先の先、天使が住まう天空都市。
そのど真ん中にそびえたつお城の、大広間。
「アルノ、こっちへいらっしゃい」
「はい、お母さま」
アルノと呼ばれた、肩までの髪の毛の少女。
彼女だけに限らず、お母さまと呼ばれた女性にも、周りの侍女たちにも天使の羽らしきものは見えない。
「あなたももう立派な天使です。そろそろ、人間界も見ておくべきなのではと思うのです」
「人間界ですか……!」
「そうです。そういえばあなたは元々、人間界に興味が興味がありましたね」
「はい、お母さま。常々、いつかは覗いてみたいと思っておりました」
「では、これは好都合かもしれないですね。あなたには、人間を知ってもらうために、人間界で生活してもらいます。できますね?」
「はい、もちろんです!」
アルノと呼ばれた天使は、元気よく返事をした。
彼女は、人間とはどんなものなのかに興味があった。
それは、先に人間界を覗いていた友人から話を聞いていたから。
「ですが、掟がいくつかあります。一つ、人目につくところで天使の力は使わないこと。二つ、人の法を犯さぬこと。そして三つ、人間と恋に落ちないこと。二つ犯したら、あなたは天使としての力を失い、永劫こちらに帰ることは許されなくなります。この掟、守れますね?」
「はい、お母さま」
「では、行きなさい」
「行ってまいります!」
少女の背にぼんやりとした羽が浮かび上がり、羽ばたきと同時に体が浮く。
「気を付けていってくるのです」
見送る母に手を振って、少女の体は雲の中へと消えていった。
・・・
夏の足音が遠くなり、秋の息遣いが聞こえ始めた九月の中ごろ。
大学生の、長い夏休みももう終盤。
もうちょっと長くあってくれてもいいんだけどな。
なんてバカなことを考えながら、休日のお昼、気温二十四度の外の世界。
部屋の鍵を閉めて、いざ絶好の散歩日和。
駅前は程よくにぎわっていて、そこから離れると静かなこの辺は散歩をするにも、友人と飲みに行くのにも困らないから助かる。
「ふぁぁ……」
それにしても、昨日一昨日としていた連続オールの影響がまだ残っている。
年々、夜更かしに対する耐性がなくなっているような気がしてならない。
「はぁ……」
にしても、夏はどこにいったのやら。
先週までは猛暑日が続いていたのに、ここ三日くらいは逆に肌寒いくらいだ。
九月だから、秋を感じて当然なのだが、ここ数年のせいでその感覚もマヒしている。
「…………けて……!」
微かに聞こえた女性の声。
俺は不思議に思い、あたりを見渡してみるが、周囲には一人も人影はない。
やっぱり連続でオールした弊害だろうか。
幻聴が聞こえるようになってしまった。
今日は早く寝よう、絶対に。
「……けて!……よけて!」
上。
声は、上から。
さながら、「親方、空から女の子が!」。
しかし、気が付いたころにはもう遅い。
真っ白な装束をまとった女の子が、もうすぐそこまで来ていて、避けることも逃げることもできない。
「よーけーてー!」
俺は、真っ向から彼女のことを受け止めた。
まるで、孤独だった友人の手を取り、空から落ちてくる委員長を受け止めた赤髪の彼のように。
そんな感じで受け止めたはいいが、もちろん無事で済むわけなんてなく、なんとか女の子をアスファルトに衝突させないように緩衝材になるので精いっぱいだった。
「いて……げほっ……!いってぇ……」
なんとか女の子は守り切ったものの、下敷きになった俺は、みぞおちに肘が入りまともに話すことも困難。
「わわわ……!だ、大丈夫ですか……!どうしよう……どうしよう……!」
「だ、だいじょ……ぶ……!」
大丈夫だと慌てる女の子に伝えたかったが、頭もクラクラして、あちこちが痛んで、うまく声が出てこない。
「血……!腕、血が出てる……!」
「いや……これくらい……」
「治療、しないと……。でもここじゃ……」
「大丈夫、大丈夫……。すぅ……はぁ……ほら、この通り」
大きく深呼吸をして、何とか立ちあがった俺は女の子に向けて親指を立て、無事をアピールする。
「ほんとですか……?」
「ほんとほんと」
「本当に、大丈夫ですか……?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
「よ、よかったです……。いきなり人を殺めたなんてなったら、お母さまに顔向けできなくなるところでした……」
「怖いこと言わないで……」
「でも、ご無事ならよかったです。ほんとに、すみませんでした。失礼します」
彼女はこちらから見えなくなるまでしきりに頭を下げて曲がり角を曲がっていった。
不思議な子だった。
真っ白な服に、肩までの髪。
可愛い子でもあった……
いや、不思議とか可愛いとかの言葉で片づけてしまってはダメだ。
普通に考えて、『親方、空から女の子が!』なんてシチュエーションに遭遇することがないのだ。
どうして彼女は空から降ってきたのだろう。
彼女は何者なのか。
「いたっ……!」
しかし、今は一旦家に帰って、打撲した体を休めるのが先決か。
俺は来た道を戻り、散歩はあきらめて大人しく眠ることにした。
・・・
「んん~!……はぁ」
翌朝の目覚めはすこぶる快調なものだった。
謎の女の子との出会いから、どっと体は疲れてしまい、眠りについたのは日付が変わる前。
大学生になってから、そんな健全な時間に寝たのなんていつ以来か。
御託はこのくらいにして、とにかく十分な睡眠時間を確保した俺の体は、打撲の痛みとは別の刺激を求めていた。
「散歩、昨日は結局できなかったしな……」
時刻は午前八時。
まだまだ朝の澄んだ空気が町を覆い、それを察知した体が疼く。
「うし、昨日のリベンジだな」
俺はジャージに着替え、外に出た。
「いや~、気持ちのいい朝だ」
すっかり夏は眠ってしまったのか、半そででは若干寒い。
しかし、その分過ごしやすいからか日向でゴロゴロとしている猫も増えてきた。
「秋の朝はやっぱり散歩するに限るよなぁ」
目的地も決めず、時間も決めず。
だらだら、だらだらと気ままに歩く。
街の喧騒も、人々の雑踏も、教授の怒鳴り声も、期限間近の課題も。
何にも追われることのないこの時間というのは何にも代えがたい幸福感を感じる。
そうして歩いていると、近くの公園についた。
桜の木は青々とした葉が生い茂り、楓の木は色づく準備を整える。
落ち葉のカーペットがまだ単色の舗道を歩いていると、ベンチで一人うなだれる女性の前を通り過ぎた。
「…………ん?」
真っ白な服に、肩までの髪。
まるで昨日、空から降ってきた女の子と同じだ。
「そ、そこの人……」
まずい、声をかけられた。
朝の公園。
平日。
人通りは全くなく、半径三十メートルの円の中に存在している人は俺と彼女だけ。
「お、俺ですかね……?」
恐る恐る振り返ると、やはり特徴は昨日の少女と一致している。
少女は、おなかを押さえて俺の方をまっすぐに見つめていた。
「あ、あなたは昨日の……」
やはり、昨日の少女らしい。
しかし、こんなところで何をしているのか。
その疑問は、彼女の次の言葉で晴れる。
「昨日、あのようなことをしでかした分際で申し訳ないのですが、私にご飯を恵んでいただけませんか……」
「ご飯?」
「何も食べていなくて……」
「ご飯って言っても、俺も今何も持ってなくて……」
「で、ですよね……。お騒がせしてすみませんでした……」
そう言って、彼女はまたうなだれた。
俺も、再び歩き出したのだがどうも後味が悪い。
「あの」
「は、はい……」
俺は引き返し、勇気を出して少女に声をかける。
「五分、待っててもらえますか?」
そう伝えて、俺は近くのコンビニへ駆け込んだ。
通勤ラッシュ後のコンビニは、品ぞろえがいいとは言えなかったが、残っていたピザパンとコッペパンを買って、彼女の下へと戻った。
「どうぞ」
「い、いいんですか……!」
「もちろんです。お腹すいてるのが、一番つらいですからね」
「ありがとうございます……!このご恩はどのようにお返しすれば……」
「いいですいいです……!そんな、数百円で人助けできるなら本望ですから」
「でも……あ、わかりました」
「わかった?」
「このご恩の返し方です。昨日のお怪我、私が治します!」
確かに、昨日の打撲もすり傷も残ったまま。
しかし、治すなんて芸当、魔法でも使えない限り……
魔法でも、使えない限り……?
「なので、人目につかないところに移動したいのですが……。お兄さんのお家など、どうでしょう?」
「う、うちに!?いやいや、知り合って二日目で、名前も知らない女の子連れ込むってことに……」
「名前はアルノです」
「あ、○○です……って、そうじゃなくて。名前を知ったからいいってわけでは……」
「ダメ、ですかね……。そうすると、私ができる恩の返し方なんて体くらいしか……」
「それはもっとダメだから!」
「ではどうすれば……」
「…………わかった。その、傷を治すって言うのでこの件はチャラだ」
「ほんとですか!おまかせください!」
ぱあっと、アルノと名乗った少女の顔が明るく晴れる。
「ではすぐにでも……!あっ……!」
ベンチから立ち上がろうとしたアルノ。
その拍子に、コッペパンからいちごジャムがあふれ出し、彼女の真っ白な服に赤いシミを作り出した。
「うぅ……やっちゃったぁ……」
「洗濯機、使います……?」
「すみません……お借りしますぅ……」
結局、アルノはうなだれ、しょぼくれモードのままうちまで後ろを付いてきた。
「どうぞ」
「おじゃまします……」
小さくなったアルノの背中。
その辺に適当にと促すと、テーブルの傍らの床に正座で座った。
「……で、アルノはどうやって打撲とか治すの?」
「その……このこと、誰にも言わないって約束できますか?」
「言わないよ。これから何されるのかわからないけど」
「絶対、絶対に言わないでくださいね。あと、一応カーテンも閉めてください」
「わかった」
言われるがまま、俺は部屋のカーテンを閉める。
まだ外は明るいはずなのに、この部屋だけ薄暗い。
「じゃあ、そこ座ってください」
向かいに腰を下ろすと、アルノは何か祈るように手を組んだ。
そして、部屋中がまばゆい光に包まれ……
「な、なんだ、その……羽……?」
「びっくり、しますよね」
羽が生えていた。
いや、生えていたという表現は正しくない。
出現した?
浮かび上がった?
でもとにかく、羽や翼であることは確かだった。
そして何より、その羽が浮かび上がったことに付随して、彼女の頭上には黄色く輝く輪が出来ていた。
「天使……」
「え、わ、私の正体、見抜いてました……!?」
「いや、これを見たら天使か神様にしか見えない……」
言葉がうまく出てこない。
非日常、非現実との会合。
震える手で頬を抓ってみるけれど、ちゃんと痛い。
その痛みが、これが夢でも幻でも何でもないことを教えてくれた。
「本物……」
「傷は、どこにできてますか?」
「あ、えっと……擦り傷は腕で、打撲は割といろんなところに……」
「そしたら……その……失礼しますね」
アルノは固く結んでいた手を手を解き、開いた口が塞がらない俺の体を優しく包みこむように抱きしめた。
「え゛……!」
「少しだけ、辛抱してください。あなたに、天使の祝福があらんことを」
温かい光が俺の体を包み込む。
そして、その光が体の中まで染みわたっていくような感覚。
「傷が……」
「これで終わりです」
打撲していたところの痛みもなく、傷口もきれいに塞がっている。
まるで奇跡や神秘だ。
「これは……魔法……?」
「み、みたいなものです」
「夢じゃないし……本物の、天使……」
アルノが天使なのだとしたら、空から落ちてきたのも説明つく。
まて、説明つかないだろ。
羽生えてんだったら飛べるだろ。
「その羽、飛べるんだよね」
「飛べますよ」
「……じゃあ、なんであの時落ちてきたの?」
「それは、その……お、おなかが、空いてまして……」
「えぇ……」
「腹が減っては戦が出来ぬって言うじゃないですか」
「言うけどさ。なんでちゃんとご飯食べなかったの」
「急にこっちに来ることが決まったんです……」
聞けば、アルノは朝ご飯を食べない傾向にあるらしく、お昼までゆっくりしよ~などと考えていたら急に母親に呼び出されてこっちに旅立つことになったそう。
そこから、優雅に人間界へと滑空していたら、もう少しで地面というところで空腹が限界に達し、羽を維持できなくなってしまったらしい。
「いやぁ、お恥ずかしい」
「お金は……?」
「そのうち、こっちにいる天使の先輩が振り込んでくれるらしいんですけど……」
「家は?」
「これから探します……」
これはまずそうだ。
あの様子だと、そのうち餓死してしまうんじゃないか。
家もないって、見つかるまでどうする気なんだ。
「これからどうするの」
「お金が振り込まれるまでは公園で凌ごうかと」
「それは、さすがに看過できないな」
「でも、それ以外に選択肢ないです」
「……このアパート、俺の親父の親友が大家さんだから、隣の部屋、融通利かせてくれると思う。それに、家具も家電もついてるから、すぐ住める」
「ほんとですか!」
「連絡してみるよ」
スマホの連絡先から、二年ぶりに連絡する大家さんの名前を探して、ダメもとでかけてみる。
出なくてもおかしくないと思ったけれど、三コールで通話口から声が聞こえてきた。
「おお、○○くん。どうした?」
「お久しぶりです。実はお願いがあって……」
アルノが天使であることは誤魔化して、隣の部屋を貸してほしいという交渉を始めた。
これもかなりダメもとのお願いだったのだが、俺は大家さんの器を舐めていたのかもしれない。
・・・
夏休みにしては珍しく早く目が覚めてしまった俺は、日課の散歩を済ませてしまおうと思ってジャージに着替えて外に出た。
すると、偶然同じタイミングで隣の部屋からアルノが出てきた。
「おはようございます」
「朝、早いね」
「寝てないので!」
「えぇ……」
「なんだか、眠れなくて……」
恥ずかしそうにはにかんだアルノ。
どうやら、眠っていないのは事実のようで、はにかんだ後は大きな欠伸をしていた。
「○○さんは、ゆっくり眠れましたか?」
「おかげさまで、ぐっすりだったよ」
「それはよかったです。恩返し、成功です」
ぐっと両の手で拳を握り、きゅっと口を一文字に結んだアルノ。
こうしてみると、普通人間だし、女子大生に見える。
「○○さんはこれからお散歩ですか?」
「うん、夜のバイトまで暇だからね。アルノは?」
「私も、そんなものです。この町のこと知りたいですし」
「ここはいいとこだよ。この辺は静かだし、駅前に行けば割となんでも揃ってるし」
「くわしいですね」
「まあ、二年ちょっと住んでるからね」
「では、困ったことがあったら○○さんに聞くことにします」
「なんでも聞いちゃってよ」
とは言っても、大学かバイト先か居酒屋くらいしかまともに知らないんだけど。
「そしたら、この町の案内とかって、お願いできたりしますか?」
「案内?」
「はい、案内です。正直、私がこの町で頼れるのって○○さんだけなんですよ。でも、この町のことは知っておかないといけないじゃないですか」
「それは……そうだな」
「そうなると、必然的に○○さんにこの町の案内を頼むしかないのではないでしょうか」
「それは……そうなるのか……?」
「なります」
「じゃあなるか。これからでも大丈夫?」
「もちろんです!着替えてきます!」
そう言って、部屋に戻ろうと身をひるがえした時。
「おっとと……!」
何もない。
段差も、小石も、そんな場所でつま先が地面に突き刺さり危うくアルノは転びそうになっていた。
「大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです……。お恥ずかしい……」
ほんのりと頬を赤く染め、アルノがドアの向こうに消えていく。
そして、待つこと五分。
長袖長ズボンのジャージに身を包んだアルノが戻ってきた。
「どこ行きたい?」
「じゃあ、この近辺案内をお願いします」
「りょーかい。駅前は外して……公園の方はどうする?」
「あの時は空腹が限界だったので……」
「じゃあ、公園の方ぐるって周ろう」
「案内、お願いします……!」
「そんな気合入れないでよ。こっちが緊張してきちゃうから」
「あ……ごめんなさい。まったり、楽しむことにします」
「散歩はそんくらいがちょうどいいからね」
肩肘張らず、鳥たちの囀りや風に揺れる葉っぱの音。
そんな、自然に身を任せながら、あてもなく彷徨う。
それだけでいいのだ。
「にしても、ジャージなんていつの間に?」
「昨日、先輩が届けてくれたんです。ジャージと、パスタ」
「限界大学生の必需品二つだな」
「でも、私料理をあまりしたことがないので、大量のパスタはどのように消費すればいいのかわからなくて」
「ペペロンチーノとかは簡単に作れるから、教えてあげようか?」
「ぜひ、お願いしたいです」
「お隣さんの好だしね」
「親切なお隣さんでよかったです」
ふらふらと二人並んで歩くこと十分。
昨日、アルノと再会した公園。
葉は一日そこらで色を変えているはずもなく、青々と茂っていた。
俺たちが公園に足を運ぶと、キジトラの猫が一匹、俺の足に頭をこすりつける。
「お、ねこ助」
「ねこ助?」
「そう、ねこ助。俺が勝手にそう呼んでるだけのさくらねこだよ」
「随分懐いてるんですね」
「ね。なんでかな」
「それはきっと、このねこ助が○○さんは害を加えるような人じゃないとわかっているからだと思います。動物って、その辺敏感ですから」
「そうだったら嬉しいね。ねこ助は今日も可愛いぞ」
首元を撫でてやると、ねこ助はごろごろと喉を鳴らし、すりすり攻撃が激化する。
「アルノも撫でてみる?」
「な、撫でても大丈夫ですかね……?」
「大丈夫だよ。ねこ助も、撫でていいか?」
俺の言葉がわかっているのか、ねこ助は元気よく「ぬぁ~」と返事をした。
「いいって。多分」
「では……失礼します」
恐る恐る、指先からそっと、アルノがねこ助に触れる。
ゆっくりと、指がねこ助の毛に吞み込まれて、やがて手のひらが触れる。
「かわいい……」
「ねこ助も喜んでるな。ごろごろ言ってら」
「いい子だな~、ねこ助」
「アルノもねこ助にいいやつ判定貰えたな」
「猫、話には聞いてたんですけど、初めて撫でました」
「そっちには猫とかいないんだ」
「いないんですよ。でも、ペガサスならいます」
「なにそれ!?気になるんですけど!?」
ペガサスはさすがに、俺の中の小五男子が疼いてしまう。
「こっちじゃ見ない生き物がいっぱいいますよ」
「うわ、天界行ってみて~」
「いつか、もしも、お母さまに許可を貰えたら一緒に行きましょう」
「約束な!絶対な!」
「あはは、○○さんって意外と子供っぽいんですね」
「男の子なんてこんなもんよ。いつまで経っても、性根はクソガキ。友達と飲んでたって、昔やってた少年向けアニメの話題で無限に盛り上がれるからな」
某超次元サッカーとか、某カードゲームとか、某”ベイ”ゴマとかな。
「確かに、クソガキかもしれないですね」
「そうなのよ。いつまでもクソガキ。だから、こんな平たい石をを見ると……」
足元に転がっていた石。
「投げたくもなっちゃう」
池に向けて投げると、五度跳ねて沈んでいく。
「一つ、知見が深まりました」
「そんな大げさに捉えないで」
徐々に日差しが強くなり、肌寒いくらいだった空気が過ごしやすいかなくらいの気温まで上がる。
「お散歩、楽しかったです」
「俺も。ねこ助かわいかったでしょ」
「とってもかわいかったです!また、会えますかね?」
「ねこ助は結構あの公園にいるから、また会えるよ」
「よかったです」
「じゃあ」
「はい。ありがとうございました」
のんびりとした散歩の時間を終えて、隣同士、お互いの部屋に戻る。
誰かと行く散歩ってのも、案外悪いものじゃないな。
・・・
「○○さん」
「どうした?」
ベランダで隔板の脇から顔をのぞかせる二人、昼下がり。
どちらかの部屋だったり、どちらも部屋を出た方が楽だろうに、なぜか俺たちはこうして会話をすることを選んだ。
「私、またいろんなところ行ってみたいです」
「どこでも言ってくれ」
「それじゃあ……○○さんのおススメスポットとか、行きたいです」
「俺のかぁ……。俺も色々知ってるわけじゃないんだよなあ。あ、でも一個だけ、俺の好きなところあるよ」
「どこですか?」
「海」
「海……!いってみたいです……!」
「お、いいね。いつにする?」
「明日とか、どうでしょう」
翌日、電車を一度乗り換えてたどり着いた海岸線。
さすがにこの季節にもなると、人は疎らしかおらず、波も多少穏やかになったように感じる。
「これが、海……」
「見たことなかった?」
「ないです、初めてです……」
「びっくりでしょ。でも、その気持ちわかるなぁ。俺の出身地も、海なかったから」
「海って、本当にしょっぱいんですか?」
「舐めてみる?」
俺は冗談で言ったつもりだったのだが、アルノは存外そうではなかったようで、寄せては返しを繰り返す波打ち際へと歩いて行った。
「サンダル、脱いだ方がいいかも」
俺の声を聞いて、一度引き返し、波に飲まれない位置にサンダルを置いてからもう一度アルノは波打ち際へと侵攻を開始する。
俺も、何かあったら困るし、靴を脱いでそのアルノについていくことにした。
「つめたいですかね?」
「もう秋だし、冷たいと思うよ」
そう聞いてきたアルノだったけれど、俺の返答を聞いていたはずのアルノだけれど、すべてを無視して海に足を突っ込んで、
「つめてっ」
なんて呟いた。
「だから言ったじゃん」
「海が冷たいっていうことを確認するのも、私にとっては必要なことなんです」
そしてついにアルノは、そろっと海水を指先につけ、恐る恐る舌先でその指に触れた。
「しょっっぱ……!」
「ね、しょっぱかったっしょ」
「しょっぱかったです。これが海……」
まだまだ、海という世界の神秘に興味津々なアルノ。
一度引いた波が残していった海藻にも興味があるらしく、その場にしゃがみ込んで漂着した謎の茶色い海藻を手に取り、俺の方を振り返る。
「これ、なんですか?」
「さぁ。詳しい名前までは俺もわからないな。海藻なんだろうけど」
「海に生えてるんですか?」
「そうだよ。海の中にね」
「そんなことも……」
「アルノ、前……!」
波は引けばまた寄せるもの。
寄せ返す波に驚いたアルノが驚き、飛び上がった。
「うわぁ……!」
「おっと……!」
飛び上がったアルノは、そのまま俺の方に飛んできて、受け止めはしたものの勢いを殺しきれなかった俺はアルノを抱えたまま尻もちをついた。
ふわりと、シャンプーの匂いが鼻をくすぐる。
「あ、ご、ごめんなさい……」
「いいよ、気にしなくて。アルノはケガとかない?」
「私は大丈夫ですけど……。○○さんは?」
「下、砂浜だし、ケガはないよ。尻がちょっと濡れたかもくらい」
「でも……」
「このくらいならすぐ乾くって」
波打ち際のギリギリだったから、モロ海の部分からは離れていた。
だからこそ、尻がびしょ濡れではなく湿った程度で済んだ。
実際、涼しくはあるけれども日差しが強い今日はもうすでにお尻の湿りも乾き始めている。
「一旦、あの辺にでも座って足拭くか」
砂浜に、お誂え向きの木製ベンチ。
偶然ポケットに入れっぱなしだったハンカチをアルノに渡してそのベンチに腰を下ろす。
「波の音、落ち着きますね」
「いいよな、この音。こういう自然の音って、何か嫌なことあったときとか落ち着くんだ」
「○○さんも、やっぱりそういう事あるんですね」
「そりゃあるよ。高校の時なんて、野球やってたからしょっちゅうだったね。んで、落ち込む度に展望台から街を見渡して、風の音聞きながら黄昏てたよ」
「ぜひ、そこも行ってみたいです」
「俺の地元に?いいね、いいとこだよ」
波の音を聞きながら、ほんとにくだらないことを話した。
最近の食生活だったり、大学のことだったり、高校時代の話もした。
アルノからは天界のことを聞いた。
なんか、見たことも聞いたこともない植物や動物の話。
ペガサスの話、ワイバーンの話。
「もうこんな時間か」
「早いですね」
「楽しかった~」
「楽しかったです」
気が付けば空は暗くなり、水平線の向こうはオレンジに染まっていた。
電車に乗り込んで、部屋の前でお別れの挨拶をした後もしばらく、潮騒が耳の中に残っているようだった。
・・・
「なあ、○○」
「ん?」
「最近なんかいいことあった?」
「なんで?」
「いや、最近上機嫌に見えたからさ」
「そう?」
アルノと出会って三週間。
大学も始まって、少し憂鬱なるころ。
バイトの同期、隆也に、休憩中突然そんなことを言われた。
最近あったことと言えば、二週間前にアルノと出会って、かなり興味深い話を聞いたり、遊びに行ったことくらい……
「うーん……あったと言えばあった」
「お、なになに」
「言わねーよ」
「わかった、女だ」
「は!?そ、そんなんじゃ……!」
「○○わかりやし~」
「別になんもないって……」
げらげら笑いながら、隆也が背もたれに体重を預け、危うく転びそうになる。
それに一瞬焦った隆也だったが、体勢を立て直すと再び笑い出した。
「○○って今彼女いないっしょ?」
「いねーよ。悪かったな」
「いや、悪いとは言ってないよ。その子のどこ好きなん?」
「なんで彼女の有無聞いたんだよ。やっぱバカにしてんじゃねーか」
「バレた?」
「うっざ!」
「で、その子のどこ好きなん?」
「……別に、好きとかじゃない。最近隣に引っ越してきて、その好で付き合いが多いだけ」
「ふ~ん……一緒にいて楽しい?」
「楽しいよ。いい子だし、ちょこちょこ抜けてるとこもあってかわいい……し……なんだよ」
にやにやしながら、賄いを食べ終えた隆也が俺の方を見ていた。
友人ではあるけれど、その視線はなんとなくむかつく。
猫型ロボットの温かい目みたいな目しやがって。
「それが好きってことじゃないん?」
「いやいや、それだけでこの気持ちを確定させるのはまだ早いって」
「えー、そうかな?俺も今の彼女のこと好きだ~って思うのそういう些細なとこだけどな~」
「そういうもんか……」
「そういうもんよ。あと、恋に時間はあんま関係ないと思うぞ」
「だから、好きだってわけじゃ……」
「やべ、俺そろそろ休憩あがんねーとー」
「おい、待て……!」
逃げるように、俺だけをスタッフルームに残して、隆也はホールに戻っていった。
「はぁ……別に、好きとかじゃ……」
ふわりと香ったシャンプーの匂い。
空腹に項垂れ、いちごジャムを服に落としてしょぼくれ。
平らな地面で躓き、波に驚いて飛びずさり。
ふとした笑顔が愛らしくて。
好きって、わけじゃ……
悶々と、モヤモヤと、心は霧がかかったように視界不明瞭。
結局、バイトが終わってからもその霧が晴れることは無かった。
「どう、答え出た?」
「お前が余計な事いうからわかんなくなったとこだよ」
「そりゃ悪い。まあ、ちゃんと考えろよ~」
「そうするよ」
店の前で隆也と別れて、俺はちょっとだけ遠回りをして公園を通って帰ることにした。
特に深い理由はない。
しいて言えば、家で一人悩むよりかは思考が幾分かすっきりすると思ったから。
思惑通り、夜の公園は涼しくて、静かで、空気も澄んでいて。
「のわぁ~」
「お、ねこ助」
「ぬぁ~」
足元にすり寄ってきてくれる猫までいる。
せっかくならと、近くのベンチに座ってねこ助と戯れることにした。
「ねこ助、聞いてくれよ~」
「…………」
足元のねこ助は何も言わない。
「俺、あの子のこと、好きなのかな」
俺の質問にねこ助が言葉をもって答えることなんてない。
ただ、喉を鳴らして頭を擦り付けるだけ。
終いにはねこ助が膝に飛び乗ってくる。
「猫にはわかんないよな~」
「ぬわぁ~」
「気楽だなぁ、お前は」
しばらくねこ助を撫でていると、突然膝から飛び降りて、どこかへと走っていく。
俺がそれを目で追うと、
「あ……」
「○○さん……」
ねこ助が足を止めた先、アルノが一人立っていた。
「何してるの、こんなとこで」
「〇〇さんこそ」
俺は思わずベンチを立って、アルノの下へ。
「俺はバイト帰りにちょっとね」
「私は、なんとなく眠れなくてです」
「そんな日もあるよね」
「○○さんもですか?」
「俺のは……ちょっと違うかも。飲んだり、ゲームしたりだから。アルノは、どうして?」
「ちょっと、面白いものを見つけたので」
秋の月が池に映る。
揺らめく水面に映し出された月は形を持たず、波に合わせて形を変える。
「にしてもさ、今日の月、きれいだね。…………あ」
しまった。
古くは夏目漱石。
I love you.をどう訳すかを『月が、綺麗ですね』と訳したところからはじまるこの言葉。
そんな言葉が無意識に、俺の口から零れ落ちてしまった。
「どうか、しましたか?」
「あ、いや。ううん、何でもない」
「そうですか」
不思議そうに首を傾げたアルノ。
幸か不幸か、俺の言葉の意味はわかっていなかったようだ。
「遅いし、帰ろうか」
「ですね」
「ねこ助もまたな」
「また会いに来るからね」
「なぁ~」
ねこ助と別れて、二人並んだ帰り道。
「そうだ、○○さん。連絡先、交換してませんよね」
「確かにな」
汗ばんだシャツは、早く洗濯をしてしまいたい。
・・・
「じゃあ、また」
「はい、またどこか行きましょう」
バタンと音がして、○○さんの部屋のドアが先に閉まる。
私はそれを確認して、自分の部屋のドアを閉める。
「はぁ……」
ため息が零れる。
「もう……」
うるさいくらいに、バクバクと心臓が音を立てる。
「ダメなのに……」
お母さまから伝えられた掟。
その三つ目、『人間と恋に落ちないこと』。
この気持ちは、どうやって消せばいいのだろう。
「ごめんなさい……お母さま……」
電気が消えたワンルーム。
その闇に、私の言葉が消えて、溶ける。
「月が、綺麗ですね」
最近知った、この言葉。
机の上に積み上げられた文庫本たち。
「言葉通りの意味……じゃ、ないよね」
でももし、その言葉通りの意味だったら。
もし、そうだったら。
私は故郷に帰る権利を失ってでも、あの人との未来を歩みたい。
そんな風に思ってしまった私は、悪い子……なのだろうか。
・・・
「おっす~、おつかれい」
「おつかれ」
「で、昨日の悩みは解消したかよ」
「…………」
隆也の問いかけに、イエスとも、ノーとも答えられない。
情けない。
「ほんと、優柔不断かよ」
「迷って当然だろ……」
「そうだけどさ。時には勇気も必要なんだって」
好き勝手言いやがって。
相手は天使なんだぞ。
勇気とかでどうこうできる問題じゃないんだよ。
って、言えたら楽だけど、そんな荒唐無稽なことを信じてもらえる自信もない。
「気になるあの子の連絡先は持ってるん?」
「一応」
「ちょい見せてや」
「えぇ……。まあいいけど……」
隆也にスマホを渡す。
変なことされなければいいけど。
「この、『あるの』って子?」
「うん」
「はいよ」
戻ってきたスマホ。
メッセージアプリのチャット画面。
【明日暇?どっか遊び行かない?】
「お、お前……!何やってくれてんだ……!送信取り消しは……」
「お、既読」
「もう取返しつかねぇじゃんか……!」
「返信も来てるぞ。どれどれ……【暇です!ぜひ行きましょう!】だって。よかったな」
「よかねぇよ……」
「でもさ、こうでもしないとお前うだうだしたままじゃん」
「はぁ……」
「ま、あと任せたわ。話聞かせてな~」
颯爽と、バイト先から出て行った隆也。
俺もいつまでも頭を抱えているわけにもいかないので、ちゃっちゃと帰ることにした。
「はぁ……」
一時間ぶり、二度目のため息がベッドに寝ころんだ時に飛び出す。
【どこにしましょう?】
アルノからのメッセージ。
【アルノが行きたいところはあったりする?】
ここに行こう!って自信満々に言えない自分に再び情けなさを感じる。
【私の行きたいところですか?】
【どこでも言って】
【私、プラネタリウムいきたいです】
【じゃあ、そうしよう】
【集合は…考えなくてもよかったですねw】
【確かに。部屋、隣だもんね笑】
部屋、隣なんだからいくらでも直接話せるのに。
連なったアプリ上での会話がなんだかおもしろくって、思わず口角が上がる。
【一応、お昼ごろとは決めとくか】
【え、じゃあ今日は早く寝ないと…!】
【いつも何時まで起きてるんだ】
【朝日が昇るまで…?】
【早く寝なさい】
【おやすみなさい】
【おやすみ。また、明日】
【はい。またあした】
「軽く調べとくか……」
電気を消して、眠気が襲ってくるまでの時間。
どこならアルノが喜んでくれるだろうか。
・・・
「おはよです」
「おはよ。まあ、もう午後四時すぎだけど。俺が寝坊したせいで……」
「○○さんがお昼すぎまで寝ちゃうなんて珍しいですね」
「今日、どこ行くか調べてたら思いのほか寝るの遅くなっちゃって」
「場所、決めてくれたんですか……!私が行きたいって言ったから、私が調べるべきだったのに」
「このくらいはしないとね」
電車で二駅。
思いのほか近くにあった、人気のプラネタリウム。
「アルノ、星とか好きだったの?」
「好き……といいますか、天使の私には少々馴染みが深いといいますか」
「どんなふうに?」
「私たち天使は、死んだら星になるというのが言い伝えられているんです」
「へぇ……。それで、プラネタリウム?」
「まだ、理由はあります。月が、見たかったんです」
チケットを買って中に入ってみると、雲のようなシートがたくさん並んでいた。
しかし、そのどれもがカップル用にも思えるほど距離が近い。
「こ、これは……」
「ちかい……ですね……」
実際に寝転がってみると、その近さがさらに感じられて、館内は涼しいはずなのに変な汗が滲みだす。
「でも、こういうのもいいですね」
寝転がって、首だけこっちに向けていたアルノが、体も横を向く。
俺は思わず目をそらしてしまうがそれは、プラネタリウムがそろそろ始まるからと捉えてもらえていたらありがたい。
「天界って、星とか見えるの?」
「見えますよ。それに、星座への親しみならあっちの方が深いと思います」
「やっぱ、天使だから?」
「そうです、天使だからです」
「やっぱ、天使だと神様に近いのか」
「直接会ったことはないですけど」
「ないんかい」
「はい、ないです」
「話は聞くの?」
アルノの興味深い話を聞いていると、その内部屋は暗くなって、見上げる天井にぽつぽつと光が灯る。
スクリーンに映し出される無数の星が、まるで本物の夜空のように輝く。
宇宙の深い闇に身体が浮かび上がっているようだ。
ふと、同じように星を見上げている彼女の横顔に視線を奪われた。
横顔だけというのがなんとももどかしくは思えたけれど、それもまたいいのだとすぐに思い直して再び天井に視線を戻す。
星々は瞬き、やがて大きな流れ星が一筋、スクリーンを横切った。
天井を見上げたまま、俺は無意識に何かを願おうとしていた。
何を願うべきかはもう決まっているかのように、心の奥で答えが浮かび上がってくる。
何も話さなくても、触れることがなくても。
ここに一緒にいるという事実だけが、心に深く染み込んでいく。
光が少しずつ消えていき、暗闇に包まれる時間が訪れる。
俺はその暗闇とともに、この瞬間、彼女の横顔を心の中に刻みつけるようにしていた。
「プラネタリウムって、すごいですね。私、圧倒されちゃいました」
凪いでいた湖に、一滴の朝露が落ちたように、静寂を揺らす彼女の声。
「俺も。言葉、出なかった」
「また、来ましょう」
「そうだね。また来よう」
この季節の空はすぐに暗くなってしまう。
建物を出ると、本物の夜空がその姿を見せ始めていた。
「どうしようか」
「少し、歩きたいです」
「この辺は土地勘ないから、一回もどろっか」
再び電車に揺られ、最寄りの駅前を抜けて。
静寂と、心ばかりの安心感があるいつもの散歩ルート。
「なんか私たち、いつもこの公園にいますね」
「なんでかな」
「ねこ助、いますかね?」
「ねこ助~って、これで来たらもはや飼い猫だ……」
飼い猫だな。
を、最後まで言い切る前に、茂みからいつものように気の抜けた鳴き声がして、ねこ助が姿を見せた。
「飼い猫ですかね?」
「野良猫のはずなんだけどな」
「ねこ助は、○○さんのことが大好きなんですね」
「いいハンターになれそう」
「私、それ読みましたよ」
「マジ?」
喉を鳴らすねこ助。
くだらない話にも花が咲く。
「続きはどこで読めるんですかね」
「いつになるかな。連載が再開するの」
一瞬、会話が途切れて、木々が風に揺れる音だけが公園に満ちる。
「…………あの、○○さん」
「ん?」
「私が、○○さんのことを好きだって言ったら、○○さんはどう思いますか」
頬を赤らめて、視線を下にそらして。
両手を体の前で固く結んだアルノ。
「アルノが、俺を……?」
「はい……」
「そりゃ、嬉しいけどさ。天使と、人間だぞ」
「わかってます。わかったうえで、私は○○さんのことが……好き、なんです」
「お、俺も、アルノのこと……」
言い切る前に恥ずかしくなって俺もアルノから視線を逸らす。
情けない。
本当に情けない、意気地なし。
あと一歩を踏み出せない。
それでも、言わなきゃきっと、残るのは後悔だけ。
「俺もアルノのこと……」
「○○さん……!」
名前を呼ばれて顔を上げると、ふわりと香った金木犀。
唇には、柔らかい感触。
そして、眩い光が天へと昇る。
「ア、アルノ……!?」
「キス、しちゃいましたね……」
「いや、そうだけど……。そうじゃなくて……!」
「ちなみに、私はもう天界に帰れなくなってしまいました」
「…………え!?いやいや、マジで何してんの!?」
「責任取ってくださいね、○○さん」
聞けば、二度掟を破れば天使としての権能を失うらしい。
傷も癒せないし、空も飛べない。
彼女はもう、人間の見た目をした天使ではなく、正真正銘人間になってしまったのだ。
「ということなんです」
「ということなんです……じゃないでしょ!」
「でも、もう後戻りできません」
「アルノは何で冷静なんだ……」
「冷静じゃないですよ。今もまだ、ドキドキしてます。でも、ごめんなさい。ペガサスには、もう会えなくなってしまいました」
そう言う事じゃなくて。
というツッコミはおそらく無駄なので飲み込んで、ため息を飲み込む。
「もう、後戻りできないもんな」
「できません」
「じゃあ、過ぎたことは考えないことにして、これからのこと考えるか」
「それじゃあ……!」
「こんなだけど、よろしく、アルノ」
本当に、困った天使様。
もう空も飛べない天使様。
「あの、○○さん」
「なに?」
「おなか、すきました」
「何か食べて帰るか」
「○○さんが食べたいので……」
「危ない……!」
言葉を口から出すことで、足元が疎かになったのか、いつぞやの様につま先が地面に突き刺さったアルノ。
転びそうになったその体を、俺は慌てて抱え、支える。
「あ、ありがとうございます……」
前途多難。
どんくさい、元天使様とのこれから。
どうか、祝福がありますように。
………fin
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