君と出会い、青を駆ける《第4話》
第4話 ベタ踏み、足踏み
入学から一週間がたち、ぼちぼち授業にも部活にも慣れてきて、クラスでもそれなりに話せる人も増えてきた。
そんなある日。
「おーし。それじゃあ、今日のホームルームは委員会決めるぞ~」
六限目のホームルーム。
担任の先生が黒板に書きだしていく委員会。
「所属しないはなしだからな~。全員、どれか一つは名前書くこと。それと、男女の縛りとかはないから、適当に決めちゃってくれ」
それだけ指示すると、先生は教室の後ろに椅子を一つ持っていくと、腰を下ろした膝の上にパソコンを置き、何やら作業を始めてしまった。
「ねえねえ」
背中をペンでつつきながら、俺のことを呼ぶ声。
振り返ると、何かをノートに落書きしていた様子の彩。
「あ、これは見ちゃダメ」
「はいはい」
慌ててノートを閉じた彩に、適当に返事をして目をそらす。
「もういいよ。それでなんだけど、○○は委員会何にするの?」
「ん~……彩は?」
「私は園芸委員会かな~」
「トマト育ててたりするもんな。俺はどうすっかな……碧衣ー」
手招きをして、ちょっと遠めの席の碧衣を呼ぶ。
碧衣はけだるそうにしながらも、こちらに来てくれる。
「なに?」
「碧衣は委員会どうする?」
「僕は図書委員のつもり」
「んじゃ俺もそうしよ」
席を立ち、黒板に名前を書いて席に戻る。
それなりにクラスに輪が出来てきたとは言っても、まだまだみんな遠慮がちで、埋まってしまった委員会に被せるようなことはしてこない。
そして、一枠だけ空いている委員会にも、中々名前は書かれない。
「彩、今のとこ園芸委員一人だな」
「そ、そんなことないでしょ……。ないよね?」
「いや、まあないとは思うけど、みんな遠慮してんのかな」
「それはなんか……かなしい……」
「まあまあ。その内埋まるって」
俯いた彩を慰めていると、窓際端の矢巾が席を立つ。
矢巾なら、似合うのは体育委員とかかな。
なんて思いながら動向を眺めていると、矢巾が名前を書いたのは意外なところだった。
「彩、園芸委員のもう一人決まったっぽいぞ」
「だれだれ?」
「矢巾ってやつなんだけど……知らないよな」
「あの、背大きい人?」
「そうそう。弓道部で、めちゃくちゃ上手いんだよ」
「仲いいんだ」
「いや、断じてよくない。ライバル……は自惚れすぎか……。まあ、目標?かな」
五分くらいが経って、見事に、綺麗に委員会が分かれる。
それを確認した先生が、パソコンから顔を上げて、教卓に戻ることなくその場で声を出す。
「決まったら移動な~。移動先は今から言うから、メモするなりしろよ。えー、美化委員は……」
・・・
「図書室って、こんな方にあるんだな」
「こっちは中々来なかったよね」
図書委員は当然のごとく図書室。
教室棟とは別の、技術棟一階。
この一週間では中々来ない場所だったため、目新しさを感じる。
「あぁ、弓道場の近くなんだ」
「○○、教室にいる時間と弓道場にいる時間ほぼ一緒じゃない?」
「そんな気するわ~。どっかでタイミング見て朝練もしようと思ってんだよね。巻藁も解禁されたし」
駄弁っていると、見えてきたドア。
その上には【図書室】の文字。
「しつれいしまーす……」
静かな、誰もいない図書室。
微かにどこかで本棚を整理している音だけが聞こえる。
「……だれか、いませんか?」
碧衣の声にも返答はなく、閑散とした図書室は不気味さが漂う。
「音は……するよな?」
「するけど、誰もいない……?」
「幽霊とかじゃないよな……」
俺と碧衣は、恐る恐る図書室に入ってみる。
バクバクと緊張から勢いを早くする心臓を何とか鎮めて図書室を見渡してみると、奥の方の本棚と本棚の間で脚立に乗りながら作業をしているショートカットの女子生徒がいた。
「あ、あのー……」
俺たちの声が聞こえていない様子の女子生徒。
それもそのはず、ヘッドホンを付けながら本棚の整理をしていて、外部からの音をシャットアウトしている様子だった。
「あ、あの……!」
このままでは埒が明かないので、図書館と言えど少し大きめの声を出す。
すると、ようやく俺たちに気が付いた女子生徒は、ヘッドホンを取って脚立から降りた。
「えっと……本、借りに来たの?」
不思議そうに首を傾げた女子生徒。
どうやら、俺たちが図書委員ということは知らないらしい。
「いえ、あの、俺たち図書委員になった一年で……」
「あ、確かに今日来るって聞いてたかも。私、三年の中西アルノです」
「い、一年の掛川○○です」
「同じく、成瀬碧衣です」
「じゃあ、仕事……って言っても、返却された本を背表紙のバーコードに書いてあるところ見ながら戻すことだけで、あとはカウンターに座ってるだけだから教えることもないんだよねぇ……」
中西アルノと名乗った先輩は、気まずそうに視線を逸らす。
そして、図書室には元通りの沈黙が流れる。
「すまん、○○いるか~?」
そんな沈黙を、入口の方から聞こえた声が通り抜けた。
「顧問の先生だ。ちょっと、俺行ってきます」
ここ最近、幾度も聞いた顧問の先生の声。
何かしてしまったかとおびえながら俺はその声のした方に向かった。
・・・
本棚の整理もそこそこ終わり、先輩は休憩のためにカウンターに戻った。
僕も特にやることがなく、それについていって隣の席に腰を下ろした。
「君は、部活には入ってないの?」
「え、えっと、入ってないです。あの、ほかの人とかっていないんですか?」
「二人きりだよ」
「こないんですか?」
「部活とか、遊びとか。いてもいなくても、放課後の図書室は静かだからね。変わらないよ」
「そうですか……。その、先輩のお名前の”あるの”ってどういう字を書くんですか?」
「普通に、カタカナで”アルノ”」
普通に……?
……まあ、普通にか。
「君は、”アオイ”くんだよね?どんな字書くの?」
「あ、えっと……」
僕は、僕の名前が嫌いだ。
ブロンドの髪も、男子にしては華奢な体も、中々伸びきらない身長も。
『女見たいな名前』
『碧衣ちゃん……?ごめんなさい、【くん】だったのね』
いつもいつも、言われ続けてきた。
一人を除いては。
「碧に衣で碧衣です」
「碧に衣で碧衣かぁ……きれいで……」
ああ、きっと言われるんだ。
『女の子みたいな名前だね』って。
きっと……
「カッコいい名前だね」
小さいころ、同じことを言ってくれた人がいた。
具体的には、小学校四年生の頃。
『女見てーな名前!』
『金色の髪も、女見たいだな!』
からかわれることが多かった。
一方的に下に見られて、いじめられることだってあった。
きっと、引っ越した先でもまた、そんな日々が始まるんだと思っていた。
だけど、
『なんでだよ!碧衣って名前も、金色の髪も、めっちゃカッケェじゃんよ!』
たった一人、そう言って僕のことを見てくれた人がいた。
「ふふ……」
「ちょっと、碧衣くん。何笑ってるのさ」
「いえ。少し、ちいさいころのことを思い出しまして」
「ちいさいころ?」
「今、中西先輩が言ってくれた『カッコいい名前』ってやつ、昔親友が俺に言ってくれた台詞と同じだったので」
「親友かぁ」
「はい。少なくとも、僕はそう思ってます」
「いい友人だね」
「はい」
いい友人だ。
胸を張って誇れる友人だ。
きっと、あの日あの言葉をかけてもらえなかったら、今でも僕は僕の名前が嫌いだったかもしれない。
ブロンドの髪も嫌いだったかもしれない。
でも、カッコいいって、言って貰えたから。
「自慢の親友ですよ」
だからちょっとだけ、僕は僕のことを好きになれる。
・・・
「はい、これ」
「すみません、ありがとうございます」
顧問の先生に呼び出された理由は、怒られるとかそういうのではなく、学校でお世話になっている弓具店の情報と昨年撮影していたらしい井上先輩の射形を収めた映像を受け取るためだった。
「いいんだこのくらい。新入生で、こんなに弓道に熱中してくれる生徒がいるなんて、先生嬉しくてな」
「ありがとうございます。これ、大切に使わせてもらいます!」
「その意気だな」
「俺、そろそろ委員会戻ります」
もう一度、深く先生にお礼をしてから俺は図書室に向けて早歩きを始めた。
・・・
「そろそろ、本の整理の続きしないと」
「僕も手伝います」
「助かるよ」
そう言って、中西先輩が手を掛けた台の上。
二つに分けられ、片方はもう片方の倍ほどある本の塔。
「これを分けるんだけど、まず背表紙見て」
先輩の指さすところを見ると、どの本にも背表紙の下部に目印となるシールが貼りつけられており、そのシールは本によって色が違う。
「このシールと一緒の色が本棚にも貼ってあるから、そこに本を入れてくの。で、数字も書いてあるでしょ?」
「はい、あります」
「右側が右から何列目で、左側が上から何段目。基本、その本棚に入ってればいいけど、続き物のライトノベルとかはちゃんと巻数ごとに並べておいてね」
「はい」
「何か、質問とかある?」
「いえ、特には」
「それじゃ、はじめよっか」
中西先輩は、高い方の塔の下に手を入れ、それを抱え上げる。
「君は新人くんだからね、こっちの重いのは私が持ってくよ」
「あ、それは……!」
その本を抱え上げた時。
想像よりも重かったのか、先輩がバランスを崩す。
「あぶなっ……!」
俺は咄嗟に、後ろに倒れそうになった先輩の肩を支える。
先輩が胸に収まり、ふわりと甘い匂いが香る。
「ご、ごめん……」
「い、いえ......!」
慌てて先輩の肩を掴んでいた手を放し、台の上に本を戻す先輩を手伝う。
「いくら新人とはいえ、僕……男、なので。重いものは、僕に……その、任せてください」
「…………うん」
「じゃあこれ、貰いますね」
俺は背表紙を確認してから本を抱え、本棚に運ぶ。
作業中、特に会話をするでもなく、黙々と本を本棚に戻していく時間が流れた。
しかし、作業中にもずっと、さっき鼻孔をくすぐった名前もわからない花の匂いが残ったままだった。
「……よし、こんなもんで終わりかな」
「お疲れ様です」
「それはこっちのセリフだよ。碧衣くんが手際よくて助かった」
「でしたら、よかったです」
「そろそろ図書館も閉まる時間だし、帰る準備していいよ」
「ありがとうございます」
カウンターの下に置いておいたバッグを手に取り、忘れ物がないかだけ念入りに確認をする。
見た感じ、忘れ物はない。
ただ、まだ○○が戻らないのだけが気がかりだ。
「あ、そうだ。さっきの子は何か部活入ってそうだったけど、君は何か所属してるの?」
「僕は何もしてないです」
「決めかねてる感じ?」
「決めかねているといいますか、どこにも入るつもりがなかったといいますか」
「そこでなんだけど、文芸部とかどうよ」
「文芸部ですか?」
一応、この学校にどんな部活があるのかどうかを調べたことはあるけれど、文芸部なんてあったかな……
この先輩の嘘だったらどうしよう。
「存在すら知らないよね、新入生だと」
「で、ですね……」
「文芸部の部員は私一人だけ。活動内容は特になし。このままじゃ、来年からはなくなっちゃうんだよね」
先輩が、どこか物悲しそうに視線を下げた。
どうしてか、その先輩の表情に、僕はひどく胸を締め付けられていた。
「じゃあ、僕は……」
「すんません……!仕事、まだ残ってますか……!」
「あ、えっと、掛川くん。お仕事はもう残ってないよ」
「マジすか……。ほんとすみません……」
「いいっていいって。碧衣くんが手伝ってくれたから。ね」
「それほどのことは……」
「だから、二人とも先に帰っちゃっていいよ」
「……………..」
「碧衣?」
「先輩。俺、入ります」
どうせ、やることもないし。
このままだと、帰宅部くらいしか選択肢ないし。
「ほんと?たすかる~」
ゆるっと、先輩はそう言った。
その表情は先ほどの物悲しい表情などかけらもなく、季節に似合った晴れやかさだった。
・・・
「はらへった~」
「家まで我慢しなよ」
「コンビニ寄ってかね?」
「ご飯食べられなくなっちゃうよ」
夕映えに、カラスが舞う。
「碧衣は俺のかあちゃんか。……そういや、中西先輩に入るって言ってたの、部活?」
「うん。文芸部」
「文芸部なんてあったんだ」
「僕も今日知ったよ。部員も、僕と中西先輩だけだ」
「マジか!でも、いいじゃん」
「ああ」
そう、こういうところだ。
こういうところに、僕は救われ続けてきたんだ。
『よっしゃ!』
「っしゃあ!」
『公園まで競争な!』
『ちょっと!待ってよ!』
「コンビニまで競争すっか!」
夕映えに、影が伸びる。
あの頃より幾分も大きくなった背中に置いて行かれないよう、僕もカバンのベルトを固く握って走り出した。
………つづく