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君と出会い、青を駆ける 《第3話》

第3話 正鵠せいこくを射られ


夜の弓道場。

真っ白な明かりと、夜空に瞬く星々。

たった一人、弓を押し開いた矢巾が長い間を取って矢を放つと、糸を引いたようにまっすぐ、闇を切り裂くように鋭く。

乾いた音とともに、それは的のど真ん中を射抜いた。


「ふぅ……。まあまあか」


的に刺さった矢は六本。

安土に刺さった矢は無し。

矢巾は、矢取りに行くまでの六射すべてを的中させているのだということがわかる。


「すげぇ……」

俺の口からその言葉が思わず零れ落ち、その言葉は静寂が包んでいた弓道場に思いのほか跳ね返ってしまう。


「誰だ……って、んだよ。おまえかよ」
「なんだよって、なんだよ」

「言葉のままだろうが」
「……なあ、矢巾」

「…………?」
「お前の射形、めちゃくちゃ綺麗だし、めちゃくちゃ矢は当たるし……。なんか、家でもできることとか、あるのかよ……」


恥を忍んで。

そういっても過言ではなかった。

過去、投手として生きてきた野球生活。

どれだけすごい先輩だろうがアドバイスは貰いに行かなかった。

なんとなく、そうすることで相手の方が上だと認めてしまうのが嫌だったから。

だけど、今回ばかりはそれをするまでもなく矢巾の方が圧倒的に上だということを、この俺が見た一射でまざまざと見せつけられた。


「はぁ……」

そんな矢巾は、大きなため息をついて後頭部に手を当てて。


「教えるわけねーだろ」

人を見下すような、下卑た笑顔を浮かべてそう言った。


「んな……!お前、性格悪いだろ!」
「その自覚はないなぁ」

「そーだそーだ!大吾性格悪いぞ!」
「そうだそうだ!……って」

俺の声でもない、別人の声。

それも女性。

その声は後ろから聞こえていて、俺が慌てて振り向くと、そこに立っていたのは……


「井上先輩!?」
「おつかれさまっ。精が出るね」

「和先輩……」

前から思っていたけれど、矢巾はほかの先輩も寄せ付けないくらいとげとげしいオーラを放っているのに、井上先輩の前では飼いならされた犬の様。


「教えてあげなよ大吾。掛川くん、向上心すごいんだから」
「…………和先輩がそういうなら。いや……うーん……ってか、なんで和先輩までいるんすか」

「帰ろうとしてたら、弓道場に明かりついてるの見えたから。多分大吾だろーなーって思って。それより、家でもできるトレーニングの話。教えてあげなさい、大吾」
「い、一回しか言わないからな」

「ちょいまって、メモ取る……!」

俺は慌ててポケットからスマホを取り出し、メモアプリを開いた。




・・・



「あと十回……!」


クランチ、プランク、スクワット。

カーフレイズ、トライセプスキックバックに軽いランニング。

あまり動きが見られない弓道だが、必要な筋肉は多いし、やらなきゃいけないトレーニングも多い。


「つかれた……」

こんなにまじめにトレーニングに励んだのはいつ以来だろう。

野球部を引退してからはほとんどトレーニングなんてしてなかったから、中学三年の夏以来か。

どうりで体力も落ちてるし、筋トレの回数も以前に比べれば減ってしまっているわけだ。


「いって……!筋肉痛もう来てんのか……」


さっきやったトレーニングの筋肉痛がもう来ている。

これも若さの証拠か。


「にしても……俺ってほんと、弓道のことについてなーんも知らないんだよな」

弓道部三日目を終えても、俺は依然”弓道”については無知も無知。

無知の知を感じた俺は、ベッドに寝転がり、スマホを開いた。


「弓道……んー……稽古……」

検索結果は膨大で、いったいどれを見ればいいのかわからない。

そんな時は、とりあえず一番上に出てきたやつを見てみればいい。

そう思って開いたサイトには、様々な稽古の方法が乗っていた。

習ったばかりの徒手射法やゴム弓。

巻藁、的前。

そして


「見取り稽古……」

見取り稽古とは、弓道において他者が弓を引く様子をじっくり観察して、自分の稽古に活かすこと。

誰のを見るか……

目を閉じて、先輩たちが弓を引いているところを思い出す。

三年生はやっぱり洗礼されてるし、井上先輩の射形も美しい。

しかし、俺に一番衝撃を残したのは……


「やっぱ、矢巾だよな」

やはり、さっき見た。

あの時ボッコボコにされた、矢巾の射。

あれが、理想。


「明日、頼んでみるか……」



・・・



翌日の部活終わり。

黄昏時の夕焼けがまだ沈まず、空を紫に染め上げる時間帯。

やはり、弓道場には明かりがついたままで、これもやはりというべきか残っていたのは矢巾だった。


「誰だ……って、またお前かよ」
「矢巾」

「あ?」
「俺に、弓道教えてくれ」

「はぁ?嫌だよ。なんで俺がお前に付き合わなきゃならねぇんだ」
「付き合わなくていい。見せてくれるだけでいい。だから、頼む!」


頭を下げ、矢巾の姿は見えないが何をするのかは分かった。

矢を置き、弓を引く衣擦れ音。

俺はそれを、肯定と捉え、道場の床に正座をした。


「見取り稽古、だね」
「い、井上先輩……!?」

「しーっ、静かに」

しばらく矢巾の射を見ていると、いつの間にか隣には井上先輩がいて、同じように正座をして大吾の射を見ていた。


「見取り稽古に、大吾を選んだんだ」
「はい」

「いい選択だと思うよ。大吾はずっと、綺麗な射なの。『正射正中』って言葉があるんだ」
「ほぉ……?」

「正しい射は正しく当たる。当たる射が正しいかはわからないけど、当たらない射は大概正しくないの」

井上先輩の言葉に感心していると、四射終えた矢巾がこちらを振り向いた。


「まあ、あて弓ってのもあるけどな。ピッチャーでもあれだろ、置きに行くとかあんだろ。それといっしょだ」
「あて弓は、ダメなのか?」

「ダメ……ってわけじゃねえけど、道として弓を引くならダメかもな。競技としての射……古来、戦いのために使われていた弓として極めるならあて弓でも俺はいいと思ってる。だけど、武道……弓道として、弓を極めるならあて弓はダメだな。極論、弓は中てるんじゃなくて、中るのがいいんだ。だから、射形も、狙いも、呼吸法も、足の幅から、目線まで。俺は、道としての射を極めたい。だから、自分の射はよく研究してるし、美しい射形だと思った人には話を聞いて回ってる」

普段、教室でも道場でも、矢巾がここまで饒舌に物事を語るところなんて見たことがなかった。

だからこそ、真っすぐな目で【弓道】とは何たるかを語った矢巾に、俺は圧倒されて、言葉が出せなかった。


「大吾、人見知りなのにそういうところのコミュニケーションは積極的だよね。私も、中学の頃突然聞かれてびっくりしちゃった」
「和先輩の射形は、ほんとに美しいって表現するのが正解だと思ったんすよ。……掛川が、道としてか、競技としてか。どっちの射を極めたいかは知らないけど、教えを乞うのに和先輩ほどの人は子の部活にはいねーぞ」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。それじゃあ、掛川くんの稽古も始めないと。弓と矢、もってきて。大吾、ちょっと手伝って!」

俺が弓と矢をもって戻ると、道場には昨日サイトで見た、巻藁が用意されており、「力持ちだね~」と褒める井上先輩と、「もうちょっと手伝ってください」と不機嫌そうな矢巾がいた。


「おかえり。それじゃあ、巻藁稽古してみよっか」
「弓、引いていいんですか……!」

「もちろん。そのための稽古だからね。ちなみに、巻藁稽古は行射のいいイメージをつかむためにやるんだよ。じゃあ、巻藁の前に立ってみて」


俺は言われた通り、巻藁の前に半身で立つ。

やっぱり、この感覚はピッチングに似ている。


「それじゃあさっそく、教えた射法八節をやりながら、巻藁に向かって弓引いてみよう」
「なんだか……緊張しますね……」

「リラックスだよ、リラックス。余計な力が入ってると、弓は正しく引けないからね」

弓を持ち、適切な長さ……一張り分を弓で測る。

先輩から教わった、射法八節。

足踏み、胴造り、弓構え。

矢を弦に掛け、俺は大きく息を吸う。


「そうそう。大切なのは、呼吸だからね」
「はい」

息を吐きながら、肩の力を抜く。

そして、また息を吸い込む。

打起し、引分け。

会。

細く、長く、息を吐き、矢を放つ。


「いいじゃん、様になってるよ。やっぱ掛川くんセンスあるね」
「そ、そうですかね……?」

「うん。弓道男子って感じ」
「…………その、聞きたかった事があるんですけど」

「なんでも聞いて」
「あの時の矢巾との勝負、絶対に俺が勝てないのに吹っ掛けてきたのって、俺に弓道熱をつけさせるためだったりします?」

「うーん……ふふ」

先輩の悩む素振りは本当にフリだけで、すぐにいたずらっ子みたいな笑顔を俺に向け、その口元を長袖のジャージの袖で隠した。


「あれしきで弓道嫌になる子じゃないだろうなとは思っただけ。ね、大吾」
「知らないっすよ」

いつの間にか、矢巾は自分の稽古を中断していて。

腕を組んで、俺の巻藁稽古を見ていた。


「弓手が下がってる。角見も弱い。の、割に手の内締めすぎ。会ももう少し長く保て。足ももう少し開け」
「は……?」

「今の一射で出てきたお前の改善点だ。こんだけ改善点が出てんだ。俺に追いつくなんて、百年早ぇな」
「なんだとぉ!」

「はいはい、すぐに喧嘩しないの」
「……すみません。でも、実際矢巾の言う通りですかね……?」

「そうだね~。でも、大吾がこんな親身になって教えてくれるなんてないよ?」
「よ、余計な事言わないでください……!俺は別に……!」


思わぬ攻撃に、矢巾は狼狽えて反論の弁を述べる。

しかし、その火力は大したことは無い。


「ほらね」
「俺、もう帰ります!」

「あー、すねちゃった...。私たちも、もう少ししたらお開きにしよっか」


矢取りに向かった矢巾。

俺は、もう少しだけ井上先輩に巻藁稽古を見てもらって、居残り練習を終えた。



・・・



「ありがとね、送ってくれて。掛川くん、電車乗らないでしょ?」
「いえ……!もう夜も暗いですし、俺の稽古に付き合っていただいたので……って、なんで俺が電車通学じゃないこと知ってるんです?」


帰りの支度をして、部室を出るとちょうど校門で井上先輩と鉢合わせた。

そして、ダメもとで「送ります」と提案してみたのだ。

十分前の俺、ナイス。


「だって、出身中学この辺だし」
「あぁ、たしかに」

「弓道、どう?たのしい?」
「はい。すごく、楽しいです。俺、自分のピッチングを磨いてくのってすごい好きだったんです。だけど、ケガしちゃって……。だから、その続きをしているみたいで、楽しいんです」

「いいことだね。どんな競技でも、努力してるものが楽しんでいるものに勝てるはずもないって言うし。楽しいって感情が根底にあるのはすっごい大切なことだよ」
「俺、早く的前に立ちたいです」

「うんうん。向上心も申し分ない!掛川くんなら、大会には間に合わないかもだけど、大会明けにはもう的前に立てるようになると思うよ」
「それって、どのくらいですか……?」

「もう一か月もないくらいかな」

一か月……

一か月か……

それまでは、基礎を固める段階。

どんなスポーツも、基礎をおろそかにするのはケガのリスクやその後の伸びしろも考えればリスクが高い。


「基礎の大切さも、十分わかってます……みたいな顔だね」
「え、そんなに表情に出てました?」


それははっずい。

もう少し、ポーカーフェイスを意識しないと。

的前では、感情を表に出しちゃいけないし。


「でも、その素直さも、掛川くんの美徳だと思うよ。少なくとも、私はそう思う」
「せ、先輩がそういうなら…..まあ……」

「ふふ、そうそう。素直が一番。大吾にもそこらへん見習ってほしいくらい」
「その……矢巾とはどんな関係なんですか……?」

「ああ、大吾とは中学が一緒なの。中学の頃も、弓道部の先輩後輩。大吾、性格あんなだからさ、私も最初は怖かったんだけど、弓道のことについて聞いてくるときが大型犬みたいで。だから、掛川くんも大吾のこと怖がらなくていいよ。噛まないから」


俺は、心の中でほっと胸をなでおろした。

どうやら、付き合っているようなことは無かったのだと。


「お、駅ついたね」
「あの、今日はありがとうございました」

「そんなかしこまらなくていいよ。それに、今日だけじゃなくて、居残りするときは付き合ってあげる」
「ほんとですか!」

「いいね、やっぱり。掛川くんは素直で」


これからも、井上先輩が直々に教えてくれる……

マンツーマン……!

と、思いかけて矢巾の顔が思い浮かぶ。

そうだ、あいつもいたわ。


「じゃあ、また明日」
「はい!」

「一緒に頑張ろうね!○○くん!」

「え、あ…….」


改札をくぐり、駅のホームに井上先輩は姿を眩ます。

『○○くん!』

放たれた矢は、胸の深くを刺し穿つ。

しばらくそれは、抜けそうにない。




………つづく

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