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いつかはわたしもハッピーエンド!

チャイムが校内に響いて、部活に行く者たちは勢いよく教室から飛び出していく放課後。

にぎやかになる教室の中、僕は一人優雅に帰り支度をしていた。

帰り支度とは言っても、僕にはこの後行かなければならないところがある。

そう、図書館だ。

学校の図書館はいいものだ。

どれだけ本を借りてもタダ。

蔵書も豊富で、人も少ない。

利用者が全然いないから、借りたい本が借りられていたなんてことも一年半通って一度たりとも無い。

なぜ誰も図書館を使わないのか不思議なほどだ。


「よし……」


一通り支度を終えて、人も少なくなった教室を出て図書館に向かう。

一般の生徒なら二階の渡り廊下を行くのが普通なのだが、僕は一味違う。

多少の遠回りはこれから出会う物語たちへのスパイスでしかないのだ。

だからこそ、僕は一度風情を味わいに中庭近くの廊下を通る。

今日も僕は一度下まで降りて中庭を横切ろうとしていた。


「ねえ、どうして!?私のこと好きって言ってたじゃん……!」
「いや、そうだったんだけどさ……」

「そうだった……!?」
「別に好きな子できてさ」

「え……」
「それに、もうその子と付き合ってんだよ」


おいおい、なんて会話を中庭でしてくれてるんだ。

女子生徒の怒号が廊下にまで聞こえ、僕は反射的に姿を隠していた。

女子生徒の方は同じクラスの菅原咲月。

男子生徒の方は、三年生の先輩でサッカー部のキャプテン。

あの二人、付き合ってたのは有名だから知ってたけど、こんなに関係がこじれてるとは思わなかった。


「そう言う事だから、じゃあな、咲月」
「ま、待って……よ……」


先輩はそう言い残して去って行って、中庭には立ち尽くした菅原さん一人残された。

一方、陰に隠れてやり過ごそうとしていた僕もこの場を離れるタイミングを完全に見失い、そろりそろりとその場を離れようと中庭を確認した時だった。


「……あ」


目が、合った。

目が合ってしまった。

それはもう言い逃れもできないくらいにばっちりと視線を交わしてしまった。

そして、お互い三秒ほど見つめあって、菅原さんがつかつかとこちらに近づいてきた。


「……やばい」

すぐに逃げようと思ったが、驚きのあまり思考が鈍っていた僕は、動き出しが遅れて気が付いた時には菅原さんは僕の目の前まで来ていた。


「ど、どうも……」
「………………今の、見た?」

「み……見てない……です……」
「うそだ。見てないなら、そんな顔して逃げる準備整えないもん」

「い、いや……これは……」
「ほんとうは?」

「……み、見ました……」


涙目の圧に押されて僕は思わず自白してしまった。

無言で見つめられると気まずさが一気に襲ってくる。


「…………」
「では失礼シマス……」

「まって」

逃げようとした僕は、腕を菅原さんに掴まれて首輪が突っ張った犬のように足が止まる。


「ちょっと付き合ってよ」




・・・




学校の最寄り駅近くの通り。

その一角にあるカフェの中のテーブル席。


「ひどくない……!浮気されてたんだよ……!」


僕はなぜか菅原さんにここまで連れていかれ、愚痴を聞かされていた。


「そうだね……」

同じクラスとはいえ、話したことなんてほとんどない。

あったとしても授業中のグループワークくらい。

そんな菅原さんの愚痴に愛想よく付き合えるほど僕はコミュニケーション能力が高いわけではない。


「私はこんなに好きだったのに……。好きだったのにぃ……!」


そう言って、突然菅原さんが泣き出してしまう。

可愛い女の子を泣かせた陰気な男。

周囲の客から見ればこの構図だろう。


「ちょ……!泣くのはやめてよ……」


僕は大慌てでポケットからハンカチを取り出して菅原さんに渡した。


「ありがと……」

目元を三分ほど抑えた後、真っ赤な目で僕の方を見つめた菅原さん。

しかし、まだまだ涙は止まらず、すぐに雫が頬を伝う。


「ごめん……」
「いいよ、別に」


結局、そこから三十分は泣いたり泣き止んだりを繰り返して、ようやく涙が枯れ果てた様子だった。

周囲の目は、終始痛かった。


「まあでも、次だよね!」

泣き止んだ菅原さんは、おそらく100%空元気だろうけど笑顔を作って拳を固く握った。


「こんなの、しょっちゅうだからさ」
「しょっちゅうなの?」

「それはもうしょっちゅうだよ」
「そ、そうなんだ……」


恥ずかしそうに、はにかんでそう言った菅原さん。

僕の内心は複雑だった。

こんなことがしょっちゅうあるのもおかしいし、多少強引で騒がしいところはあれど、クラスでいつも見ている菅原さんは偉そうに言ってしまえば『いい子』だ。

そんな菅原さんがどうしてこんなにも恋愛がうまくいかないのか。

男を見る目がないのだろうか。

そんなこと、直接聞けるはずもなく、当たり障りのない返答をすることしかできなかった。


「でも、やっぱりフラれるのはつらいな……。ねえ、雨宮くんはフラれた経験とかある?」
「え、僕の名前……」

「そりゃ知ってるよ。同じクラスだもん。それで、雨宮くんはフラれた経験はあるの?」
「僕は……ないよ。フラれた経験なんて」

「なに、そのモテ台詞は」
「いや、そういう意味じゃなくて……!」

「へへ、わかってる。そういう意味はないって」
「それもそれで、なんか複雑だな」

徐々に、菅原さんの顔に笑顔が戻る。

こうして笑っていれば、きっと道行く人皆が振り向くくらいの美人なんだから、なおさら菅原さんの恋がうまくいかないというのはわからなくなってくる。


「それにしても、ほんと私ってほんとにダメダメなんだよね。こんなのも、高校に入って四回目だよ」
「四回目……」

「そう、全部、浮気されちゃってさ……。なんでだろうね?二番目の女……なんだよね」

二番目の女。

そう言った菅原さんは、遠い目で窓の外を見た。

夕焼けの空はぽつりぽつりと雲が漂い、沈みゆく太陽が眩しく主張を続ける。


「ごめん、変なこと言っちゃった。忘れて。泣いたし、話も聞いてもらったし、だいぶ楽にはなったよ。ありがと!」
「いや、全然。ほんとに、全然何もしてないよ」

「ううん。黙って話を聞いてくれるっていうのも、十分なんだよ。ってことで、ここのお代はわたしが払うよ」
「いや、いいよ……!どうせ僕、コーヒー一杯しか飲んでないし」

「だからだよ。高いものとかだったら、その……おごったりはできないからさ、このくらいさせて……」


そう言って、スクールバッグに手を突っ込んだ菅原さんの顔は見る見るうちに青く、白く変わっていき、バッグの中を探る手も徐々に焦りが見えてくる。


「あの……雨宮くん……」
「は、はい……」

ああ、なんとなくわかったぞ。


「財布……家に忘れてきてしまいました……」


そんなことだろうと思った。

なんとなくそんな予感はしていた。


「じゃあ、ここのお代は僕が持つよ。菅原さんも、オレンジジュース一杯しか飲んでないし」
「ごめん……。ほんと、ごめん……。この恩はいつか返すから」

「そんな重くとらえなくてもいいから。菅原さんは先に帰ってていいよ」
「ほんと、ごめんね」

伝票を持って、七百円ほどの会計を済ませて外に出ると、バッグを後ろで両手に持ち、菅原さんがぼーっと空を見上げていた。


「菅原さん……?」
「…………あ、ごめんね。ぼーっとしちゃった」

「先、帰っててよかったのに」
「それはさすがに失礼だよ。一方的に話も聞いてもらって、ジュースまでおごってもらったんだから」

やっぱ、「いい子」なんだよな。

きっとこういうところを好きになって、この子はこういう子だからすぐに人を好きになる。

だからきっと、次の恋に行くのもすぐで。


「今日はほんとにありがとね!じゃあ、またね!」


手を振る菅原さんに、僕も控えめに手を振ってその背中を見送った。

彼女は「またね」なんて言ったけれど、きっと僕らにその、今日のようなまたなんて来ない。

僕らの関係はせいぜい大きく見積もってもクラスメイト。

小さく見積もればただの他人なんだから。




・・・




「ふぅ……」

湯船に肩までつかり、縁に頭を預けて天井を眺めながら今日起きた突飛な出来事に思いをはせていた。

菅原咲月さん。

ああやってちゃんと話したのなんて今日が初めてで、名前すら覚えられているか怪しい相手だった。

あんなところを僕が偶然見かけなければ今日みたいな機会も一生訪れなかったんだと思う。

傍目から見ていた僕の彼女への評価も、今日こうやって彼女と話した僕の彼女への評価も特に変わることは無かった。


「いやいや、なに僕は物思いに耽ってんだ」

僕は湯船のお湯を手で掬って、顔を洗う。

第一、今日の僕の役目なんて誰だってよかったのだ。

たまたまあれを見かけたのが僕だっただけなのだ。

時間にして、二時間にも満たなかった僕らの関係。

しかし、真っすぐに真摯に恋に向かい、相手の愛を受け止めようとしたのにもかかわらず裏切られ。

その末に大粒の涙をこぼしていた『いい子』な彼女の恋が報われてほしいと思ってしまうのは、感情を入れ込みすぎているだけなのだろうか。




・・・




夏も本番。

教室のエアコンもフル稼働を余儀なくされ、指定のポロシャツを着ている生徒も大半。

夕方になっても依然暑さは変わらない。


「トイレにもエアコンつけてくれないかな……」


放課後、いつものように図書館に行く前にトイレを済ませておいたその帰り。

トイレの蒸し暑さを一人愚痴っていた時。


「なあ、知ってる?」
「何が」


前を歩く男子生徒の声が聞こえてしまった。


「三組の菅原、また新しい彼氏できたらしいよ」
「まじ?どんだけモテんだよ。で、相手は?」

「バスケ部に見るからにチャラそうなイケメンの先輩いたじゃん?えっと……」
「あー……明智先輩だっけ?」


菅原さん、また新しい彼氏できたのか。

次の恋に迎えたなら……


「ただ、どうも彼氏の方にいい噂聞かないんだよなぁ」
「へぇ」

「ほら、うちの高校バスケ部とバレー部って体育館の覇権争いとかあって犬猿の仲じゃん?だからバスケ部の噂とか尾ひれついてるかもしれないけど聞いてんだよ。何股してるとか、他校の女子妊娠させたとか」
「マジかよ。エグ」


マジかよ、エグ。

その情報の真偽のほどはわからないし、情報の信ぴょう性もどれだけのものかは不明。

心配と言えば心配なのも事実なのだが、だからと言ってクラスで気軽に調子どう?なんて聞く中でもないのでその一歩は踏み出すことはない。

偶然話を聞いてしまった彼らにも少し申し訳なく思いながら、教室に戻ると


「あれ、雨宮くん」
「菅原さん……」

教室に一人、学級日誌を書いている菅原さんがいた。


「何してるの?」
「これから図書館に行こうかと……」


正直、あんな話を聞いた後で気まずさがすごい。

目を合わせられず、いそいそとカバンを回収する。


「ねえねえ、学級日誌書き終わるまで暇だし、話し相手になってよ」
「え、いや……」

「いいからいいから、座って?」


わざわざ席を立って、菅原さんが僕の背中を押して自分の席の隣に座らせる。


「学級日誌ってさ、何書けばいいかわからないよね」
「そう、だね……」

半分も書かれていない学級日誌を開いたまま、菅原さんは背もたれに体重を預けて体を伸ばして学級日誌の上にペンを置いた。


「もういっかな~」
「いいんだ……」

「普通の日常でさ、ここに書くようなことってなかなか見つからなくない?古典の授業でちょっとだけ寝ちゃいました~……とは、書けないじゃん?」
「うん、書けないね」

僕の返答を聞いてから、菅原さんがバッグを肩にかけて席を立つ。


「だから、もういっかな。ほら、行くよ」
「行くって……?」

「そりゃ職員室だよ。ここからだとちょっと遠いじゃん。一人だと退屈でしょ?」
「いや、僕は別にいいけど、菅原さんはいいの?ほら、その……彼氏、とかさ……」

「あ、やっぱ、雨宮くんも知ってるんだ……」


そう言って、菅原さんはどこかバツが悪そうに目をそらした。

次の恋と言って、あれだけ前向きに歩き出していた菅原さん。

彼氏ができたというのに、どうしてそんなにも複雑な表情をするのか。


「うん、ちょっと噂で聞いて。どうしてそんな顔をするの?」
「えっとね、その……なんて言うんだろう……。今の彼氏もね、向こうから告白されて付き合うことになったんだ」

菅原さんはもう一度席に座りなおして僕の方を向く。

真剣な話っぽかったので、僕も背筋を正した。


「今回もね、先輩の方から告白してくれてね、それも好きって気持ちをあんなに相手から向けてもらえるっていうのがうれしくて。それなのに、ちょっとだけ……怖かった……」
「怖い?カフェに行ったとき、『二番目の女』なんて自分を卑下して言ってた菅原さんなら、誰かの一番目になれて喜びそうだけど」

「最初はうれしかったよ。だけど、なんて言うんだろう。その……ごめん、うまく言葉にできないや」
「まあ、無理に言語化をする必要もないか」

「そう?たしかに、そうかも。さ、職員室に日誌出して帰ろ!」
「その彼氏は?」

「何か用事があるんだって。先帰っててって言われてるんだ~」


再び立ち上がった菅原さん。

僕もカバンを背負ってその背中を追いかける。


「雨宮くんはこれから図書館行くの?」
「いや、菅原さんのおしゃべりに付き合わされたから今日は帰るよ」

「いや~ごめんね、ほんと」
「今のは悪いと思ってないでしょ」

「うん、思ってない」
「謝られることでもないから別にいいけどさ」

「じゃあさ、今日は一緒に帰ろうよ。駅まで」
「えぇ……」

「送ってって」
「……はい」

僕から言質を取って満足した菅原さんは、先生の机に日誌を置いてそそくさと職員室から出てきた。


「よーし、かえろー!」
「帰ろう」


意気揚々。

しかし、どこか曇り空。

なんとなく、不安な雨雲が僕の心に立ち込めていた。




・・・





「雨宮くん、すごい雨だねぇ」


帰り際。

六限目の途中から降り出した雨はその雨脚を強め、風こそ吹いていないものの、天気は大荒れと言っても過言ではなかった。

僕は靴を履いて意を決し、その雨を傘で防ぎながら我が家へと邁進しようと考えていたのだが、その間際で菅原さんに引き留められていた。


「雨宮くんは傘持ってきてる?」
「折り畳み傘だけど、一応」

「いや~、私傘忘れちゃってさ~」
「……それは、入れていけって言いたかったりする?」

「さすが雨宮くん。私の言いたいことわかってきたね~」
「……わかったよ。入れてけばいいんでしょ」

「ありがと~。お礼に、今日は私がおごってあげよう」
「まっすぐ帰らないんだ……」

「この雨もしばらくしたらやむっぽいし、カフェで雨宿りってことよ。万一まっすぐ家に帰ったとして、駅についても私傘持ってないし」


たしかに。

そう納得してしまった自分が悔しかった。

確かに、傘がなければまっすぐ家に帰ったとて、菅原さんの家の最寄駅からは帰れない。


「まいりました」
「え、なんか知らないけど勝った」

「じゃあ、入ってよ」

僕は傘を広げて、屋根の下から出る。


「じゃあ失礼します」

広げられた傘の下、菅原さんのスペースを開けたら僕の肩はびしょ濡れだろうなと思っていたけれど、僕の目測よりも菅原さんは細く、折り畳み傘にも僕ら二人はすっぽりと収まった。

それはちゃんとカフェに着くまで維持され、濡れることなくたどり着くことに成功した。


「と-ちゃくー!」
「二人でお願いします」

店員さんに案内されて座った席は窓から離れた角の席。

雨の音が店内のBGMと混ざり合って心地よささえ生まれる。


「菅原さんはオレンジジュースでいい?」
「うん、ありがと!」

コーヒーとオレンジジュースは注文してすぐに到着した。

僕がコーヒーをいつものようにブラックで飲んでいると、向かいから痛いほどの視線が突き刺さる。

「……なに?」
「いや、コーヒーって美味しいのかなって」

「……ちょっと飲んでみる?」
「いいの!じゃあ、一口だけ」

菅原さんはオレンジジュースの入った自分のグラスからストローを抜いて、コーヒーに満ちる僕のグラスに突っ込んだ。


「うぇ……にが……」
「『うぇ』って……」

「あ、まって。ちょっと甘いかも!」
「それは多分、自分のストローのオレンジジュースの味じゃないかな」

「あ、そうかも……」

恥ずかしそうにはにかむ菅原さん。

そんな菅原さんを見ながら、僕は自分のコーヒーに再び口を付けた。


「今更だけどさ、僕とこんなところにいていいの?」
「なんで?だって雨宿りはしないと帰れないし……」

「菅原さんだって僕が何言いたいかわかってるでしょ。彼氏とは……」
「………….」

「……なにかあった?」
「あはは……はぁ……」

「二週間前もそんな感じだったよね」
「今日もね、ほんとは明智先輩のところに行ったんだ。でもね、いなかった。用事があったらしくて、もう教室にはいなかったんだよ。最近、ずっとこんな感じなんだ……」

「考えすぎも…….」


よくないよ。

そう言いかけて、この間男子生徒がしていた噂話が頭をよぎる。

いい話を聞かない明智先輩。

確かに、あの人はイケメンだし、人当たりも良さそう。

しかし、火のないところに煙は立たないとも言う。


「雨宮くん?」
「いや、ごめん。やっぱり、考えすぎはよくないよ。たまたま家の事情とか、用事が重なった可能性もあるから」

それに、噂をそのまま鵜呑みにしてしまうのは事実との整合性が取れていない段階ではあくまでこちらの主観に基づいた評価にしかならない。


「だよね……。いやぁ、雨宮くんに話すとなんだか落ち着くな~!雨宮くんとこうして話すようになったのなんて、ほんとつい最近のことなのにね」
「僕は別に何も特別なことはしてない。なんなら、ほとんどが菅原さんに付き合わされてのことだから」

「そうだとしても!雨宮くんがこうして話を聞いてくれるだけで、私は救われるんだよ」
「そういうものなんだ」

「うん、そういうもんなの。見て、窓の外!」


菅原さんが指さす方向、窓の外。

分厚い雲が割れ、その隙間から大地に突き刺さるような日差しが照り付けていた。


「すっかり晴れたね」
「これなら帰れそ!よかった~、晴れて」

「じゃあ、帰ろうか」
「お会計してくるから、雨宮くんは先に……あれ?……あれ!?」


菅原さんがカバンの中を真っ青な顔で漁る。

その光景には見覚えがある。


「財布、学校に忘れてきたかも……」
「もう……なんとなくそんな気はしてたよ。ここは僕が払うから、一度学校に戻ろう」

「いいの?雨宮くんも付き合わせちゃって」
「いいよ。どうせここまで付き合わされてるんだから変わんないよ」

「じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな」


前回のように、750円の会計を済ませて僕たちはカフェを出た。

学校に戻るまでの道すがら、水たまりがあちこちにできていたり、川の流れがいつもの数倍速かったりして、先ほどの雨がいかに凄まじかったのかを物語っているようだった。


「多分、教室に置いてきちゃったと思うんだよね~」
「普通財布を教室に忘れたりしないと思うけど」

「お昼買って、そのまま引き出しに入れちゃったの!」


戻ってきた学校内では、普段外で部活動を行っているサッカー部やハンドボール部などが室内での練習を行っており、普段以上の活気であふれていた。


「あ、あった!」

戻ってきた二年三組の教室。

菅原さんが自分の机の中から財布を無事見つけ出し、一気に表情が明るくなる。


「これからは気を付けた方がいいよ」
「だね……。そうする」

「帰ろうか。そろそろ日も落ちて……」
「いや~、期待外れだったんだよな~!」

僕らが教室から出ようとしたとき、廊下から誰かの声が聞こえた。


「え~、そうなんですかぁ?」


猫なで声の女子の声と、気取った男の声。

僕はよく聞いたことがないから誰と誰が話してたのかわからなかったけれど、菅原さんのひきつった顔を見て片方が誰なのか。

正確には男の方が誰なのかがわかった。


「菅原さん」
「あ、うん……どうかした……?」

「いや、それはこっちのセリフだよ。……大丈夫?」


額に汗をにじませて、俯いて。

明らかにメンタルにダメージを食らった様子を見せている。


「最近付き合った菅原咲月さ、俺もうちょっと簡単にヤれると思ってたんだよな~!」
「明智先輩の誘いことわったんですかぁ!?なまいき~!」


そんな菅原さんに追い打ちをかけるように、二人の会話は静まり返った教室に響く。

今にも零れ落ちそうな涙を、すんでのところで堪えて。


「尻軽って聞いてたんだけどなぁ~」


ぎゅっと目を瞑った拍子に一滴、教室の床に零れ落ちた。


「菅原さん……」
「そんなことだろうと……思ってたの……」

「…………」
「ずっと、雨宮くんには伝えてた、なんとなく怖かったのの正体がわかったよ……」

一度決壊した表面張力は、もうすでに効果を発揮することは無く、とめどなく涙が瞳から零れる。


「私、帰るね……!」
「待って……!」


教室から飛び出そうとした菅原さんの腕を、僕は咄嗟に掴んだ。

しかしほんのちょっと、間に合わなかった。


「あれ、菅原じゃん。まだ残ってたんだ。じゃあ、今の会話聞かれちゃったか~。まあいいや、お前もういらないし」

本人に聞かれていたのにも関わず、明智先輩は一切悪びれる様子も見せなかった。

このようすだと、こんなのは先輩にとってはいつものことで、この間聞いた噂ってのもやっぱりあながち間違いではなかったのだろう。


「ひどいな……」
「ひどい?お前、菅原の噂とかしらねーの?告られたら誰とでも付き合う尻軽ビッチって噂」

「……知らない」
「知らぬが仏って言葉もあるもんなぁ」

「明智先輩に、菅原さんの何がわかるんですか」
「はぁ?」

噂をそのまま鵜呑みにしてしまうのは事実との整合性が取れていない段階ではあくまでこちらの主観に基づいた評価にしかならない。

その自分の考えに基づいて、僕自身の”主観”に想いを委ねる。


「変な噂だけ鵜呑みにして、自分勝手に人を見積もって。それで期待外れって、おかしいでしょ」
「お前が誰だか知らねーけど、なにアツくなってんの?」

「安心しました。菅原さんの噂はウソでしたけど、あなたの噂は本当みたいで。菅原さんは、あなたが思っているような人間じゃありませんから。今後一切、菅原さんには近づかないでください。……行こう、菅原さん」


僕は明智先輩の返答を聞くことなく、菅原さんの手を引いてすぐに学校を出た。

自分でもあんなことを言うなんて思わなくて、いまだに心臓が大きな音を立てている。


「雨宮くん」
「なに、菅原さん」

「手……」
「……あ、ごめん!それと、さっきは余計なこともしたかもしれないから……ごめん」

「ううん、謝らないで。雨宮くんがああいってくれて、ちょっとだけすっきりした」
「だったらよかった」

「あーあ、これで高校通算五回目か~!」
「ついに片手が埋まったね」

「でも、人生通算はまだ片手で済んでるからいいんです!」
「意外だ。菅原さんなら、中学の時からこんなだと思ってた」

「実は、中学の時は私こんな明るくなかったんだ……。意外と根暗だったんだよ、私」
「それも意外だ」

「だから、いわゆる高校デビューってやつ!にしても五回は多いか!」


菅原さんは自虐的に笑った。

僕は、笑っていいのかわからなかったから苦笑いでもしておいた。


「はぁ……。やっぱ冷静になると、五回ってやばいね……。恋って、なんなんだろうね」
「それは僕に聞かない方がいい」

「そっか、雨宮くんはフラれたことないんだもんね」
「だから……!」

「わかってるって。……私のこと、本気で好きになってくれる人なんていないのかな……」
「そんなことない!」

自分でもどうしてなのかわからなかった。

だけど、寂し気な目をして俯いた菅原さんの、ぽろりとこぼれたそのセリフに僕は思わず大きな声をだして反論していた。


「びっくりした……。雨宮くんがそんな大きな声だしたの初めて聞いたよ」
「僕も、こんな大きな声だしたのなんて久しぶりだよ」

「それで、そんなことないって言うのはどういうこと?」


いたずらっぽく、いじらしく。

菅原さんのまっすぐな瞳が僕を射抜く。


「べ、別に……」
「もしかして、雨宮くんは私のことを一番好きになってくれるのかな?」

「な……!」
「なーんてね!あはは、雨宮くんがそんなに狼狽えてるの初めて見た!」

「菅原さん……!」
「ねえ、たくさん泣いたらおなかすいた!なにかたべてこーよ!」

「……また僕の奢り?」
「今回は、さっきのお礼もかねて私のおごりにしてあげます!」


すっかり元気を取り戻し、照らす西日よりも眩しい笑顔が戻った菅原さん。

そんな笑顔に胸を焼かれながら、僕はこちらに伸ばされた菅原さんの手を取った。




………fin

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