『あおはるっ!』 第15話
彩・あーあ、つまんない……
外で遊びたい盛りの小学五年生。
窓からは太陽がぎらぎらと輝くのが見える。
それなのにも関わらず、私は病室から外を眺めるだけ。
彩・私も外で遊びたいなぁ……
五年生になって、まだ夏なのに入院するのはもう三回目。
クラスが変わったのに友達の一人もできない。
窓を開け放ち、病室に風を送り込む。
空気は循環しているけど、どこか息苦しい。
彩・そうだ……!
こんな時、私がいつも行くお気に入りの場所がある。
病室を飛び出し、階段を駆け上がる。
ちょっとだけ重い扉を開けると、開放感のある屋上に出る。
喚起の時に病室に入ってくる風とは違って、屋上を吹き抜ける風はどこか爽やかだ。
彩・すぅ……はぁ……
どこか澄み渡った空気を肺いっぱいに取り込んで、私はお気に入りのベンチに向かう。
屋上に来た直後は気が付かなかったけど、もう一人いるみたい。
松葉杖をついて、私と同い年くらいの背格好。
見た感じは男の子。
屋上の柵に手を置いて、肩を落として、目の前に広がる景色を見ている。
あれ、この状況って……?
もしかして……?
彩・死んじゃダメです!
私は思わず、その子の肩を掴んでしまう。
?・え……?
彩・事情はわかりませんが、早まるのはダメです
?・えっと……死ぬ気は、ないよ?
彩・あ……
は、早まった……!
恥ずかしい…..!
彩・あ、えと……
?・あはは、勘違いさせちゃってごめんね。ただ、景色を眺めてただけだよ
彩・でも、凄い残念そうに肩を落としてたから……
?・それはね、つまんないな~って思ってただけだよ。僕、野球やってるんだ。それで、この前の練習中に骨折しちゃって……だから、早く体動かしたいなって思って街の景色を見てたんだ
顔がかあっと熱くなって、視線が泳ぐ。
変な汗も出てきた……
?・でも、気にかけてくれて嬉しかったよ。ありがとう
彩・ど、どういたしまして……
?・いえいえ
そう言うと、彼はベンチに腰を下ろした。
?・風、気持ちいいね~
彩・そう……ですね……
?・あーあ、早く野球したいなぁ
彩・入院はいつまで何ですか?
?・んーと……今週中には退院できるって言われてるから……
彩・今週中……
?・だから、毎日ここに来ようかな。ここ、景色よくて好きだ
名前も知らない彼。
何歳かも知らない彼。
だけど、彼は本当に毎日屋上に現れた。
たくさん話をした。
彼は来年の春から中学生で、この辺の中学に進学するらしい。
私も進学すればそこに通うことになるだろうし、顔を合わせるかもしれない。
野球の話とか、クラスの話とか。
勉強もちょっとだけ教えてもらったりして、度重なる入院生活の中でも一番楽しい日々だった。
だけど、一週間も経たない日。
?・明日で退院だって
彩・そっか……おめでとう
?・寂しくなるなぁ……
彩・あ、あの……これ、あげる
?・テレビカード?
私が差し出したのは病院で使えるテレビカード。
退院する彼には必要のないもの。
だけど……
だからこそ……!
彩・お守り……みたいな……その残り時間が減らないってことは、君が健康で居続けてるって証拠だから
?・そっか……うん、ありがとう。大事にお守りとして持っておくね
彼と出会って一週間弱。
彼は本当に吹き抜ける風のように、私の前からいなくなってしまった。
==========
〇・え、うそ……あの時の子、小川だったの?
俺は慌てて、財布の中に入ったテレビカードを取り出し、ベッドテーブルの上に置く。
彩・それ、まだ持っててくれたんですね……
〇・ああ。ずっと、お守りとして持ってた
彩・嬉しいです
〇・そっか……これ、小川が……にしても、いつ病院で会ったのが俺だって気が付いたんだ?
彩・そんなの、中学に入学してすぐです!仮入部期間に野球部の練習を見て、すぐに気が付きました
〇・俺は全然気が付かなかった……
言われてみれば、あの時の子とそっくりなような気もする。
正直記憶が薄いから確証はないけど。
彩・先輩
〇・ん?
彩・私、明後日手術なんです
〇・え……そんなに重いやつだったのか……
彩・そこまで深刻じゃありません。成功率も九十九パーセントあるって言ってましたし……でも……
そう言うと、小川は俺の服の袖を掴む。
掴んでいるのか、いないのかも分からないくらいの力で。
だけど、震えだけが袖を伝って俺に届く。
彩・それでも……怖いんです……
〇・…………
彩・……なんて、嘘です
小川は、笑った。
細い肩を震わせながら。
〇・強がる必要ないよ
彩・…………
〇・怖ければ怖いって言っていい。不安なら、不安だって言っていい
彩・はい……
〇・怖い?
彩・怖いです……
〇・不安?
彩・不安です……
〇・じゃあ、無事に手術を乗り切ったら……俺が何でも一つだけお願いを聞いてあげるよ。何がいい?
小川は、腕を組んで考えだす。
何でもって言ったけど、自分に出来ることの限度はある。
それ以上のことは流石に小川はお願いしてこないだろう。
彩・決めました
〇・お、何でも言って
彩・その前に……先輩、好きな人いますよね
〇・な、なに言ってんの!?
彩・いますよね
〇・……います
小川の静かな圧に気圧されて、俺はあっさりと折れる。
彩・咲月先輩ですか……?
〇・それは……
彩・まあ、この際そんなことどうだっていいんです
〇・どうだってって……
小川は、ベッドテーブルの上に置かれたテレビカードを手に取った。
彩・このカード、どのくらいの時間あるか知ってますか?
〇・15時間くらい……?
彩・不正解です。正解は……16時間と40分
〇・ほう……
彩・先輩にお願いしたいことというのは、この16時間40分。その時間だけ、私を先輩の彼女にしてほしいんです
〇・え!?ちょっと……何言ってんの!?
彩・何でも聞くって言いましたよね?
首をかしげて、こちらを見つめてくる。
要求は中々にぶっ飛んでる。
だけど、そのお願いを聞くって言ったのは俺の方だし……
〇・わかった!そのお願いを聞くよ
彩・ホントですか!
〇・聞くって言ったのは俺の方だし
彩・頑張れる気がします……いえ、頑張ります!
〇・うん、その意気だ!
・・・
〇・そのテレビカードは置いてくよ。何年も俺のことを守ってくれたんだから、効果は実証済みだ!
そう言って、先輩は病室から出て行った。
病室に、一人きり。
彩・あーあ……振られたも同然かな……
私の声だけが虚し響く。
明後日の手術を終えたら、その後の16時間40分。
私の恋心はそこでおしまい。
そこで、おしまい。
彩・おしまい……かぁ……
それでいいんだ。
あの日、私の心をゆすったそよ風は。
あの日、私の心を震わせた颶風は。
今日、そっと吹き抜けていった。
彩・でも......ううん......今は......
私は、ベッドの横の棚にカードを置いて、暗闇にその身を委ねた。
・・・
薺・お、小川、大丈夫かな……
和・何で薺くんの方が緊張してるの?
薺・そりゃあするだろ……!大事な後輩なんだし……
薺の気持ちは痛いほどわかる。
〇・俺も……吐きそう……
お昼ご飯が喉を通らないほどの緊張。
咲・ちょっと、○○まで……
〇・そう言う咲月だって、パン一個食べてないよな……
咲・そりゃあ……心配だし……
みんな、小川のことが気が気でならないと言った感じだ……
〇・ま、まあ、ほとんど成功するらしいからさ……
だけど、どれだけ心配しても。
〇・今は、ただただ祈ろう
・・・
夕焼けだけが頼りの薄暗い教室。
〇・…………
みんな、何も言葉を発さない。
張り詰めた沈黙。
それを破ったのは俺の携帯から流れる着信音だった。
〇・公衆電話……
恐る恐る俺は電話に出る。
〇・も、もしもし……
彩・『無事、終わりました』
〇・小川……!?よかった……手術、無事に終わって……
彩・『はい。皆さんのおかげです』
〇・お見舞い、いつくらいから行けそう?
彩・『明後日……とかでお願いします』
〇・わかった
彩・『約束、忘れてないですよね?』
〇・忘れてないよ。じゃあ、お大事にな
電話を切って、ほっと胸を撫でおろす。
咲・結果、どうだったって?
〇・無事に終わったってさ
薺・はぁ~……とりあえず一安心だな
和・お見舞いの日程決めちゃお
心なしか明るくなった教室。
一日でなかった笑顔がようやく出始めた。
・・・
薺・それじゃ、元気でな~
咲・何か必要な物があったら言ってね
和・あとは○○くん、お願いね
〇・うん
騒がしいお見舞い部隊は大半が帰宅。
残ったのは俺だけ。
〇・アルノ先輩は明日来るって
彩・え……そうですか……
〇・そんなに邪険に扱わないであげてよ。先輩、小川が可愛くてしかたないだけなんだから
彩・…………
明らかに不満そうな顔を浮かべる小川。
彩・でも、こうしていられるのもあの先輩のおかげと言えばおかげなので、今回くらいは……
何やら葛藤してるみたい。
彩・先輩。あの約束のことなんですけど……
〇・ああ、もちろんちゃんと覚えてるよ
彩・一週間後、退院するんです。その翌日は休日ですよね?
〇・土日だな
彩・その両方、私にください
・・・
彩・せんぱーい!
一週間が経った。
小川は無事に退院して、今日は約束の日一日目。
彩・お待たせしてしまってすみません!
〇・全然待ってないよ。むしろ時間より早い集合じゃんか
彩・ですね。ところで……
小川が俺の前でくるっと一回転。
ひらりと長めのスカートが風に揺れる。
彩・似合いますか?
〇・すっごい似合ってる
彩・へへ……ありがとうございます!じゃあ、行きましょ!
小川がそっと、それでいてしっかりと俺の手を握る。
16時間40分。
この週末だけのカレシとカノジョ。
〇・でも、なんで動物園?
彩・パンダ見たかったんですよ~
〇・あ~、確かに。俺も見たこと無いなぁ
他愛のない会話をしながら、並んで歩く。
付き合いもそれなりだし、会話は弾む。
気が付いた時には動物園の入り口にいて、パンダの目の前まで来ていた。
彩・わ、パンダ……!
〇・意外と何にもしてないんだな
彩・それがいいんじゃないですか!
じりじりと照り付ける太陽の下、小川は軽快な足取りで俺の半歩前を歩いている。
〇・身体、だいぶ調子いいんだな
彩・どうしたんですか、急に
〇・いや、ふと思ってさ
彩・おかげさまで元気ですよ
空がオレンジに染まるまで動物園を満遍なく回って。
日が沈んできたころに俺達は駅で別れた。
彩・あと、七時間くらいですかね
〇・あぁ……
彩・明日も、駅に集合でお願いします
〇・うん、わかった。ちなみに、明日はどこに行く予定なの?
彩・映画を見たいと思ってます。あと、グローブを持ってきておいてください
頭にハテナは残ったが、その日は解散しての翌日。
言われた通りにバッグの中にグローブを入れて集合場所に向かった。
・・・
彩・それでは行きましょう
二日目。
今日も小川とのデート。
まずは映画。
彩・どれを見ようか迷っちゃいますね~
〇・小川の好きなやつ見よう
彩・じゃあ……
小川が選んだのは最近話題になってるアニメ映画。
ポップコーンと飲み物を買っていざ行かん。
彩・やっぱり、こうしているとカップルに見えるんですかね?
席に着いて、小川が突然そんなことを言い出した。
〇・急にどうしたんだよ
彩・昨日の動物園もそうでしたけど、兄弟とか思われてそうだなぁ……って
〇・……大丈夫なんじゃないか?昨日も今日も、小川はすっごい可愛い格好してるし。兄と出かけるのにそんなにオシャレはしない……と、俺は思ってるから
彩・かわいい……ですか……
〇・うん
ポップコーン、塩にして正解だったな。
飲み物がコーラだから、甘いとしょっぱいのバランスが絶妙。
映画の内容自体も大満足。
子供向けなのかと思ったけど話がちゃんとしてたし、笑いあり、涙ありって感じだった。
ノベライズがあったら買ってみようかな。
彩・面白かったですね、先輩
〇・うん、めっちゃ面白かった!
彩・特に主人公が……
面白い映画だったから、話も弾む。
カフェで軽く時間を潰そうと思ったけど、軽くじゃ済まなさそう。
〇・いやぁ、本当に面白かったな。カフェで一時間半も感想語り合っちゃったよ
彩・先輩に満足してもらえたみたいで何より……え、一時間半ですか!?
〇・次の予定、立て込んでる?
彩・そうではないんですけど……すぐに出ましょう!
小川に言われて慌てて店を出る。
そして、すたすたと歩き始める小川の後をついて行く。
〇・次、どこ行くの?
彩・中学校です
・・・
〇・なあ、中学って勝手に入って怒られない?
彩・…………
〇・まあ、何とかなるか
一応、裏門側から敷地内に侵入。
もう一時間したら黄昏だからか、人影はない。
彩・このままグラウンドの方に行きましょう
懐かしい風景を眺めていると、野球部の専用グラウンドが見えてくる。
彩・グローブ、出してください
〇・ああ
グラウンドに入るなり、小川にそう言われて言われるがままグローブを取り出して左手にはめる。
彩・私とキャッチボール、してください!
〇・もちろん、いいよ
ふわ、ふわりと白球が夕焼け空を行き交う。
少しだけ水分を含んだ革の音が校舎に跳ね返る。
彩・先輩とこんな風にキャッチボールするのってはじめてですね~
小川からボールが届く。
〇・まあ、マネージャーとキャッチボールする機会なんて無いからな
可能な限り優しく、取りやすいボールを小川に投げる。
彩・先輩ってコントロールいいですよね
〇・元県ベスト4の中学のエースだぞ?
彩・そうでした
風の音と球の行き交う音だけが鼓膜をゆする。
ふと、強く風が吹いた。
彩・先輩
〇・どうした?
彩・好きですよ
風が凪ぐ。
網にあたって、乾いた弱々しい捕球音が空気に混ざる。
〇・……え、あぁ……そっか……
彩・反応、薄いですね
〇・うれ、しいよ。だけど、さ
彩・なんですか?
〇・……ごめん
彩・わかってましたよ、そんなこと
黄昏時も過ぎて、月が優しく照らす。
約束の16時間40分が過ぎる。
彩・二日間、ありがとうございました
〇・こちらこそ、ありがとう。俺も楽しかった
彩・振った女の子に楽しかったって、嫌味ですか?
〇・いや、そうじゃないよ!
彩・ふふ、わかってます……明日からは、普通の先輩後輩ですね
〇・そう、だね
彩・じゃあ、また明日!
小川は手を振って、俺に背を向けて走っていく。
何度も、何度も振り返りながら。
次第にその姿は見えなくなった。
・・・
彩・…………
楽しかった。
彩・…………
まだ、胸がどきどきしてる。
彩・っ…………
あの時、吹っ切ったと思ったのに。
あんなこと、今日は言うつもり無かったのに。
結局、想いは……風は、残ったままだったんだ……
彩・あーあ……好きだったなぁ……
小さな涙が一粒、アスファルトを濡らす。
それを皮切りに、決壊したダムのように涙が溢れだす。
初めての恋。
初めての失恋。
でも。
でも……
彩・これで、いいんだ
今は、枯れ果てるまで、泣こう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?