君と出会い、青を駆ける《第5話》
第5話 はるかぜ
花壇に植えられた花々がかすかにその香りを風に乗せて、水を浴びた花びらがきらきらと輝く。
春らしく暖かな日差しはを浴びて、それらはより一層鮮やかに咲き誇る。
「矢巾くん……だよね?」
「うす……」
委員会ごとに分かれて最初のオリエンテーション。
園芸委員になった私と矢巾くんは、昇降口付近にある花壇の前に集められていた。
「えっと、一年生の二人であってる?」
「はい!」
「じゃあ、二人にはマリーゴールドの種植えしてもらおうかな。あとで二年生がもう一人来るから、それまでは二人でよろしく」
園芸委員の委員長らしき人に、土と種が用意された花壇のほうへと促されて、二人で作業を始める。
しかし、それには大きな問題があった。
「土、開けないと……。あ、まず立てないと」
そう思って培養土の袋に手をかけて持ち上げようとしてみるが、私の力ではびくともしない。
それもそのはず、25Lはある培養土。
「ちょっと貸してみ」
苦戦していた私を見かねてか、矢巾くんがそう言いながら私の持ち上げようとしていた培養土を軽々と持ち上げ、花壇のふちに立てかけた。
「力持ちだね」
「まあ、鍛えてるし」
「そう言えば、ちゃんと話すの初めてだね」
口ばっかり動かしていると怒られそうだったから、花壇に種を植えながら矢巾くんに話しかけてみることにした。
話したことのない、体が大きくて目つきが鋭いクラスメイト。
正直ちょっと怖いなって思ってたけど、そんなこともなさそうだったから。
「そうすね……」
「敬語なんて使わないでよ……!矢巾くんのこと、○○から聞いてるよ。弓道、すっごい上手なんだ~って!」
「○○……あぁ、掛川か。別に、俺は弓道そんなうまくないよ。上には上がわんさかいるし」
そう言う矢巾くんは悔しそうな顔をしながらも、どこかそんな事実を前向きに受け止めて、楽しんでいるんじゃないかとさえ思わせるような目をしていた。
そのまなざしは、どこか懐かしい。
いつの日かの○○を思い出させた。
「謙遜しなくてもいいのに」
「謙遜じゃねぇよ。あと、掛川がへたくそすぎるってのもあるかもな」
「ふふ、そうかも。○○、弓道なんてやったことないし、見たことだって多分アニメでしかないのにそれなのに、急に弓道やるんだ~!って言いだしてびっくりしちゃったもん」
「確かに、素人も素人って感じだったな」
「でもね、もう一つ○○から矢巾くんのこと聞いてたんだよ」
「なにを?」
「どうしても矢巾くんに参ったって言わせるって。それまで絶対、弓道やめないって」
「聞いたよ、それ。そしたらあいつは一生、弓道やめられないな」
「ふふふ、そうかもね」
「……ずいぶんうれしそうだな。幼馴染なんだろ、あいつと。そいつが一生勝てねぇよって言われてんのに」
「私はね、〇〇が新しく熱中できるもの見つけてくれて嬉しいんだ」
去年の夏。
夏の大会が終わって、野球部を引退した○○。
その○○は、見ているこっちの心が痛くなるくらいに抜け殻だったから。
==========
その瞬間は突然訪れた。
「○○……!」
準決勝第一試合。
六回の表。
吸い込むたびに灰が焼けてしまいそうなほどの暑さの中、鳴り響いていた相手スタンドの応援の音がぴたりとやんで試合中とは思えないほどの静寂が休場を包み込んでいた。
「どうしちゃったのかしら、ピッチャーの子……」
「○○くん、ケガ……」
「おい、○○抜けたらやべぇんじゃねぇの?」
「○○が抑えて勝ってきたんだろ?」
徐々に状況が見えてきたこちら側のスタンドがざわつきだし、私はようやく目の前で起きてしまっている出来事が現実のことなのだと脳が処理を始めた。
六回表、ワンアウトランナーなし。
カウントはワンストライクワンボール。
そんな状況の中、○○が足を踏み込み、その腕を振ろうとして、ボールは力なく真下に落下した。
右ひじを抑えたままマウンドの上でうずくまった○○は、スタンドの私からもわかるくらいに悲痛の表情を浮かべており、すぐに救護室に運ばれていった。
・・・
「右肘関節内側副靱帯損傷だってよ」
試合の翌日。
勝ったには勝ったけれど、なかなか煮え切らない感情を抱きながら、手術を終えた○○のお見舞いに私は来ていた。
「それって……どのくらいで治るの……?」
「んー……軽くはないし、重くもない。三か月かかるかかからないかくらいじゃないかって。でも、そっからリハビリとかして野球できるくらいになるには一年かからないくらいだって先生が」
「そんな……」
県選抜は秋。
○○の実力なら確実に選ばれるだろうし、野球の強豪校からのスカウトだって○○なら絶対来る。
そんな大事な時期なのに、一年間まともに野球はできない。
「ま、これも神様からのお告げなんじゃないかな。あなた、野球はもうあきらめ……」
「ダメ……!」
「彩……」
「それは、言っちゃダメ……。まだ、わからないじゃん……」
結局、こんなのも私のエゴでしかない。
○○がそう決めたのなら、その決定に私がどうこう言える資格なんてないのに。
「ごめん、うかつに変なこと言いかけた。……てか、碧衣は?」
「碧衣は暇つぶしの漫画とりに帰ってる」
「助かるわ~。一日しか経ってないけどもう暇なんだよ。トレーニングもできないし」
普段通り、軽口を言って笑う○○。
なのにどうして。
どうしてこんなに、悲しくなるの。
「……あ、碧衣遅いね……!」
「そうか?」
「私ちょっと連絡とってみるね!」
どうしていいかわからなくて、私は思わず病室を飛び出した。
こんなぐちゃぐちゃの感情のまま病室にいたら、きっと私は訳も分からないまま涙を流してしまっていたから。
そして、あんなに空っぽの目で空を見る○○を、少しでも見ていたくなかったから。
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「それから○○ね、野球が強いところからのスカウトも全部蹴っちゃって……。やりたいことも見つからないみたいだったし、だからと言って野球を続ける気もなさそうだったし……。このまま、○○が抜け殻になっちゃうんじゃないかって思ってた。だから、○○を弓道に熱中させてくれた矢巾くんにはすっごく感謝してるんだ~!」
「いや、そんなこと言われたってなぁ……。別に俺が掛川に何かしてやったわけじゃないし、掛川のために弓道やってるわけでもないしな」
「わかってる。わかったうえで、ありがとう!」
「まあ……そ、そこまで言うなら受け取っとく……」
・・・
「わかってる。わかったうえで、ありがとう!」
「まあ……そ、そこまで言うなら受け取っとく……」
俺の返答を聞いて、どこか安心したかのように小川は作業を再開した。
俺は別にお礼を言われるようなことはしていないし、誰かに感謝をされたくて弓道をつづけてるわけでもない。
なんなら、俺の熱量についてこられなくなったのか、俺が弓道を続けているうちに……的だけを見ているうちに、ふと周りを見渡してみたとき俺の周りには誰もいないなと感じることのほうが多かった。
そうだ。
この気持ちは、そんなんじゃない。
細い糸で締め付けられたようなこの胸の痛みも、まるで真夏日なんじゃないかってくらい熱い顔も。
そんなんじゃ、ない。
「あ、矢巾くん、スコップとって」
「うす……」
スコップを手渡そうとして、指が触れる。
「ありがと~」
「………..」
「矢巾くん?」
「あ、あぁ、ごめん。どういたしまして」
くそ……
うるさいな。
「ごめんね、遅れました!」
走ってきたことがわかる、息の切れた声。
背後から聞こえたその声は聞きなれた声。
「あれ、和先輩。どうしたんすか」
「大吾じゃん!大吾も園芸委員になったんだ~」
「も?てことは、和先輩もっすか。あとでくるもう一人の二年生って和先輩だったんすね」
「ごめんね、遅れちゃって。……そっちの子は?」
「あ、えと、同じクラスの園芸委員で」
「小川彩です」
立ち上がった小川が和先輩にぺこりと頭を下げる。
先輩も、そんな小川に会釈をした。
「井上和です。大吾の……先輩?」
「まあ、そっすね」
「お二人、仲がいいんですね」
「大吾は中学のころからの付き合いで。弓道部の後輩なの」
「…………!そ、そうなんですね~……。ということは、その……○○とも仲いいんですか?」
「○○くんのお友達?」
「幼馴染です!」
警戒する子猫が威嚇しているみたいな。
小川がシャーと言ってみてはいるけれど。
「そっかそっか!よろしくね、彩ちゃん!」
ほら、全く気にも留めてない。
「おーい、矢巾くーん!ちょっとこっち手伝ってー!」
「うす!」
別の花壇で作業をしていた園芸委員の先輩に呼ばれた。
俺が呼ばれるってことは、それなりの力仕事なんだろう。
「すみません、俺ちょっと行ってきます」
「うん!私と彩ちゃんでこっちはやっておくから」
「お願いします」
自分の担当は和先輩と代わってもらい、俺は呼ばれた花壇へ走った。
「ごめんね、作業中に。この土運んでもらってもいいかな?」
「了解っす」
・・・
「…………」
「……ねえ、彩ちゃん」
「なんでしょう」
「○○くんって、どんな子?」
「○○ですか……?そうですね……」
優しくて、頼りがいがあって、私にとってのヒーロー。
だけど、○○のことを一言で表すなら……
「イイやつ……ですかね?」
「ふふっ。たしかにそうかも。努力家で、真っすぐで、いいやつだ」
「あの、井上先輩に私からもいいですか?」
「いいよ。なんでも聞いて」
「井上先輩ってお花好きなんですか?」
「どうして?」
「なんとなく、作業に慣れている気がして」
「うん、好きだよ。ドライフラワーとかよく作るんだ」
「ドライフラワーですか」
「そう。興味ある?」
「ちょっと興味あります」
「じゃあ今度作り方教えてあげる。連絡先とか交換しておこっか」
うぅ……
どこか懐柔されてしまっている気がする……
・・・
「戻りまし……た」
作業を終えて元に戻ると、そこに威嚇をする子猫の姿はなかった。
「すごいです!」
「そうかな~。照れちゃうなぁ」
小川も和先輩も楽しげで。
小川なんかさっきの警戒態勢が嘘だったかのよう。
「あ、おかえり大吾。こっちの作業は全部終わったよ」
「そっすか」
「あと、手洗って解散していいって委員長さんが」
「わかった。んじゃ、お疲れ小川」
「お疲れ様~」
「私には?」
「和先輩は、この後ちょっとだけ弓引きません?」
「ほんと、弓バカなんだから。……ちょっとだけね。じゃあね、彩ちゃん!」
「はい!お疲れ様です!」
小川と別れて、俺は和先輩と一緒に弓道場へと足を運んだ。
当然というか、ラッキーというか。
弓道場には誰もおらず、的前を独占し放題だった。
「ほんとに大吾って弓が好きだよね」
「何かを突き詰めるのが好きなんです」
「あとは、何かに悩んだ時に弓を引きたい……でしょ?」
「……何が言いたいんすか」
「大吾、恋してるでしょ」
「………………んなっ!?」
指先が狂った俺の矢は、乾いた音と同時に安土に突き刺さる。
一方で軽やかな的音と、震えるような弦音を響かせた和先輩は、俺のことを見透かしたかのように振り向き、得意げに微笑んだ。
………つづく