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恋ってどこか、線香花火に似てる

「シャワー、空いたよ」
「あぁ、咲月、ありがとう。すぐ入る」


上半身は何も纏わぬまま、いじっていたスマホを枕の脇に置いてベッドから降りる。


「水、もう少しで終わるけど飲んじゃっていい?」
「いいよ。後で買いに行く」


咲月の質問に適当に返答して、ドアを閉める。

脱衣所で下着を脱いで、湯気の立つ浴室で頭からお湯をかぶって。

快楽の後、冷めきっていた脳みそを再び熱するように温度を上げていく。


「あっつ……」

我に返って、ノズルを捻って、シャワーを止める。

頭を振って水滴を落としてから湯船に身体を沈める。

明日の講義、何限からだっけ……

大学三年生ともなると日程が隙間だらけになって、いつ講義があるのかもわからなくなってしまって困る。


「あ……」


浴室の天井を見上げ、ふと思い出す。

そういえば、来週は咲月と付き合って三年か。

高校の頃からだから、結構長続きしてる方なんじゃないかな。

程よく温まって湯船から立ち上がり、三年記念日のプレゼントはどうするか考えながら着替えを済ませる。


「ん、○○出た」
「冷蔵庫のプリン、また勝手に食ったな」

「ごめんごめん。疲れちゃってさ」


机の上の空いたカップとそこに適当に突っ込まれたスプーン。

俺はそれを無造作に流しに放っておく。


「ねえねえ、明日のお昼ごろって暇?アルバイトの時間までやること無くて……」
「明日は俺講義あるわ」

パソコンを開いて、すっかり溜まった課題の提出に注力。

講義を飛ぶことはあれど、課題は毎度提出せねばならない。


「じゃあ、明後日は?」
「バイト」

「ふ~ん……」


パソコンの脇に置いてあるコップを持ちあげてみたけれど、拍子抜けする軽さに、そこに何も入っていないことに気が付いて冷蔵庫を開ける。


「あー……」


水、ないじゃん。

水道水で済ませようかとも思ったけれど、都会の水道水は地元のものに比べると何処か不味く感じてしまって身体がそれを受け付けてくれない。

仕方がないので適当な服装に着替えなおし、ウインドブレーカーを羽織って財布をポケットに入れる。


「コンビニ行くけど、咲月はどうする?」
「私も行く~……って言いたいけど、外すごい寒いよね……」

「だろうな。一月だし」
「じゃあお留守番してよっかな」

「買ってきてほしいものは?」
「アイス~!」

そう言い放って、咲月は俺のベッドに飛び込み、毛布に包まる。

寒いから嫌と言ってのけたのにアイスを要求するという矛盾に疑問を持ちながら寒空の下、アパートを出る。


「しゃっせー」

深夜のコンビニは昼間と違って客も少なく、レジの奥にあるであろう控室から気の抜けた声が聞こえてくるのみ。

別にそれに不満はない。

接客業だって、抜くときは抜けばいいんだ。

と、接客業のアルバイトをする学生は思う。

二リットルのペットボトルを二本、かごに入れてアイスの棚を眺める。

咲月は……チョコ系のやつでいいか。

目に入ったのをかごに突っ込み、自分用にシュークリームも入れておく。


「あらしたー」

再び気の抜けた声を聞いて、寒さで張り詰めた空気の中アパートに帰る。

帰り道、ただでさえこの気温なのにも関わらず信号という信号全てに引っかかって。


「ただいま。寒かったぁ……」


ドアを開けると、咲月はどこか不貞腐れた顔をしながらこっちを見ていた。


「遅くない?」

怒っているわけでも、何か疑っているわけでもないその言葉。


「信号に全部引っかかった」
「運ないね」


外から逃げ込んできたばかりのまだ冷たい身体に咲月が抱き着く。


「ん~……落ち着く……」
「咲月もついてくればよかったのに」

「そしたらお互い冷えてるから抱き着けないじゃん」


俺が歩くのに合わせて咲月も抱き着きながら着いてくる。


「離れて。そのままじゃアイス食べられないよ」
「はーい」

ようやく離れた咲月は食器の入った棚からスプーンを持ってきてカーペットに腰を下ろす。


「はい、咲月の」
「おー!好みわかってるね~」


俺は咲月にアイスを手渡して、水をコップに汲んでから再びパソコンに向かう。


「はぁ……だる……」


睡魔が突如として牙をむき、時刻が午前二時に近づいていることに気が付く。

クオリティよりも出すことが大切。

ちゃちゃっと資料を見ながら終わらせて、Wordファイルを提出する。


「ふわぁ……俺寝るけど、咲月は?」
「私も寝る~」


並んで歯を磨いて、同じベッドに潜って。


「おやすみ……」
「うん、おやすみ」

すぐに眠りに落ちた咲月の寝息を聞きながら、俺は無意識に背中を向けていた。




・・・




「やっほ、○○くん」

三限だけの講義を終えて、食堂で何か胃に入れてから帰るかと思いそっちに足を向かわせたとき、サクラの匂いと共に後ろから声をかけられた。


「あ、アルノ先輩」

ゼミの一つ上の先輩で、バイト先も一緒のミステリアスな雰囲気の人。

その実、抜けているところも多く、講義でもバイトでも何度も助けた。


「講義は終わったの?」
「終わりました。暇なので、何か食べてから帰ろうかと」

「夜も暇?」
「暇っすね」

「咲月ちゃんは?」
「今日はバイトらしいっす」


ふーんと頷きながら先輩がにたっと笑顔をこちらに向けてくる。


「じゃあさ、夜ご飯一緒に食べに行かない?」
「えー……どうしよ」

「いいじゃん、お互い暇なんだし」
「夜までまだ時間ありますよ?」

「カラオケにでも行こうよ」


グイっと腕を引っ張られて無理やり歩かされる。

今からカラオケに行ったら夜まで何も食べられないことが確定してしまう。

ただでさえ、朝ご飯も咲月をアパートまで送っていったことで食べ逃したというのに。


「ちょ、先輩。俺腹減ってるんすけど」
「夜いっぱい食べればいいじゃん」


カラオケ代くらいはこの先輩に奢らせよう。




・・・




「○○くんは行きたい会社とかあるの?」


カラオケで素晴らしい歌声を聞かさせて頂いた後、先輩の要望があり二人で焼き肉屋に入った。


「どうでしょう……先輩が行くところはいいなって思ってます」
「広告系なんだね」

「そう言う事勉強してますからね」


焼けた肉は綺麗なのから順に先輩のところに取り分けていく。

美味しそうに食べてくれるから、焼きがいもあるというものだ。


「焼くの上手じゃん」
「先輩に何回やらされてると思ってるんですか」

「どうだったかな~」

白を切りながら、にやつく先輩。

直後に口に運ぶのをミスってタレが机の上にこぼれる。


「子供じゃないんですから、こぼさないでください」
「すまんすまん」


先輩にお手拭きを渡すと、恥ずかしそうに茶化す。


「てか、先輩はこんなところで俺と飯食ってていいんですか?彼氏、束縛激しいんじゃ……」
「あぁ、それなら大丈夫。この前別れたから」

「え、そうだったんすか」
「うん、疲れちゃって。あ、好きじゃないなーって」

「ははは……」

やっぱ、この人は不思議だ。

ひと月前まで、それも愛だよねとか言っていたのに。

今はもう疲れたなんて言ってる。


「なんか急に冷めちゃったんだよね。急速冷凍って感じ」
「それはちょっとわからないっす」

言い回しもまた謎。

ただ、それは何となくツボにはまる。


「そろそろ時間だね。○○くん、ちゃんと食べられた?」
「はい、先輩がどんどん頼むので」

「感謝してね」
「ありがとうございます」

「棒読みすぎ」

お店を出て、ビル風に身体が冷える。

着込んでいても意味ないもんだ。

先輩が俺を風よけにしながら駅に到着。


「今日は楽しかったよ、○○くん」
「いえいえ。僕も引っ張ってこられた割には楽しめました」

「じゃあ、また明日」


手を振って先輩が改札の向こうに消え、俺も別の路線に乗って自分のアパートに帰ろうとしたとき。


「ん?咲月……?」

携帯に着信。

咲月から。


「もしもし」
『もしもし、今大丈夫?』

「うん、大丈夫だけど」
『ちょっと会えないかなーって思って……』

「いいよ、来る?それとも俺が行こうか?」
『んー……行く』

急いで改札をくぐって、ホームに来ていた電車に乗り込む。

最寄り駅について、小走りでアパートに到着すると、すでに鍵が開いていた。


「咲月、もう来てたんだ」
「寒いから合鍵使っちゃった。シャワーも借りた」

「いいよ、全然」

咲月がすんすんと、俺の匂いを嗅いで首をかしげる。


「どこか行ってたの?匂い……焼肉の匂いする……」
「うわ、やっぱり?ちょっと友達と食べに行ってたんだよ。すぐシャワー浴びるわ」

「行ってらっしゃーい」


気の抜けた声に見送られて、ささっとシャワーを浴び、濡れた髪を乾かす。

念入りに匂いを取るように洗ったから多分もうしないはず。


「うん、焼き肉の匂いしないね」
「さすがにね」


咲月が俺に断りもなく抱き着く。

別に拒否することもないからいいんだけど。


「今日はこれがしたかっただけ~」
「バイトで嫌な事でもあった?」

「…………ちょっとだけ」
「そんな気がした」


昨日のは、一人で留守番してて寂しかった故のハグ。

今回のは、それとはまた別の理由のハグ。

強さとか、顔の埋め方とかで多少はわかるようになってきた。


「ちょっとごめんね」


咲月が謝ったかと思いきや、思い切り俺の匂いを吸い込む。


「いい匂い……」
「恥ずかしいんだけど……」

「いいじゃんいいじゃん」


三十秒くらい、周りの空気が無くなるんじゃないかってくらいに俺の匂いを吸い込んで、咲月は離れる。


「じゃあ、帰ろうかな」
「え、ほんとに抱き着きに来ただけじゃん」

「元々そのつもりだったし」
「送ってくよ」

「じゃあ、お願いしようかな」


残業終わりのサラリーマンが疎らに駅の中に入っていく。

終電まではまだ一時間もあるうちに咲月を送っていくのなんて大学一年生ぶりくらいだろうか。


「ねえねえ、駅まで来てなんだけどさ。一駅だし、一緒に歩いて行ってもらえたりしないかな?」
「え~……いいけどさ」


どうせ明日のバイトは夜からだし。

一駅分なら歩いてもそんなに大変じゃない。

なんならいい運動になってちょうどいい位かも。

駅を離れるにつれて、明かりも音も落ち着き、人通りも少ない。

こうしていると、高校時代を思い出して懐かしい気持ちになるのは咲月も同じなのだろうか。


「はぁ……」


咲月が大きく吐き出した白い息が夜空に立ち昇る。

それは途端に空気に混ざって消える。

いつの間にやら、それなりの距離を歩いていたようで、咲月のアパートは目と鼻の先。


「ここまでありがと、○○」
「いいよ、お礼なんて」


オートロックの前、咲月がぴたりと足を止める。

そして、何か言いたげに俺を見つめる。


「どうかした?」
「………………」

何か言いたそうだけど、俯いたまま何も言わない咲月。

体温だけが下がっていく。


「なんでも言ってよ」
「ずっ……と、言おうか……迷ってたの……」


苦しそうに、言葉を吐き出し始めた咲月。

気が付けば月は雲に隠れて。


「私……多分、○○の邪魔になってるなって……思ってて……」
「何言って……」

「だから、その……」


つい数刻前まではまだぱちぱちと火花が点いていたはずだった。

間違いなく、そのはずだった。

だからこそこの寒空の下でも凍えないで済んでいたのに。


「私たち、別れよう……」


脳みそが咲月から放たれた言語の処理を躊躇う。


「いやいや……咲月が邪魔だなんて、そんな……」
「多分、今の関係性のままでいない方が○○のためになる……から……」


終わりって言うのはあっけないものだ。

ほろり、ぽろり。

火花は収まって、丸くなって。

落ちて。

咲月の姿はなくなり、いつの間にやら降り出した雪が、徐々に熱を奪っていく。

涙も、頬を生ぬるく温め。

朝日がカーテンの隙間から差し込んでやっと、脳みそが昨晩の出来事を処理し始めたのを感じた。




・・・




「○○、ビール三つ!」


水の流れる音、皿やジョッキのぶつかる音。


「○○!」

何かを焼く音。


「○○くん?」

サクラの匂いと、俺を呼ぶ声。


「あ……アルノ先輩……」
「大丈夫?ぼーっとしてたけど……」

「すみません……」
「具合悪い?店長に言っておこうか?」

「いや、大丈夫です」


慌てて手を動かして、忙しさに身を投じる。

そうしてれば、余計なことを考えなくて済む。

咲月のことを、一瞬だけでも忘れられる。

この日は、普段の数倍は忙しかった。

週末だから無理もない。

月末だし、飲み会とかも開かれてるんだろう。

締め作業もひどく時間が掛かり、全てが終わって居酒屋を出たころには終電まであと二分。

走ったところで到底間に合わない。


「タクシー代、請求すればくれるかな……」


疲れてるのに、こんなくそ寒い中歩いて帰りたくなんてない。

駅前は幸いタクシーが何台も止まってる。

今日は一旦しょうがないか……

昨日から降り続いた雪の中、タクシーを止めようとしたとき。


「お客さん、どこまで行きますか?」


いつもいつも俺の後ろから声をかけてくるのはアルノ先輩。

バイトの制服から着替えて、暖かそうな私服に身を包み、マフラーを巻きなおす。


「アルノ先輩の遊びに付き合ってる暇なんてないっすよ」
「タクシーはタクシー代もったいなくない?」

「店に請求すれば払ってもらえないですかね?」
「面倒じゃない?」

「ですね……」

ただ、そうなったら帰る手段が……


「終電で帰れないなら、始発で帰ればいいんだよ」




・・・




「お邪魔します……」
「適当に座ってよ」


初めて訪れた先輩の部屋。

想像通りというか、逆に意外というか。

至ってシンプルな部屋。

ところどころトカゲみたいな柄のクッションとかが置いてあってそれがいい感じのアクセントになってる。

俺はとりあえず床に座ることにした。


「はい、○○くんの分ね」


机の上に並べられる缶とおつまみ。


「じゃ、乾杯」

中身も入っていて、音も家具に吸収されて響かない鈍い金属音。

アルコールの苦みが口内を支配する。


「たくさん働いた後のお酒は最高だね~」
「そうですね」

久しぶりに飲んで、もう早々に頭がくらくらとしだす。

そう言えば、酒弱いんだったと思い知らされる。


「○○くん、顔赤いね」
「俺、酒弱いんすよ……あと、先輩も人のこと言えないですから」

「へへ、そうかな?」


早くも情緒が怪しい先輩。

あんまり飲まないようにしとこう……




・・・




「何がダメだったんですかね……!」


一時間くらいが経った。

飲む手が止まらず、恐らく真っすぐ歩けないくらいには酔っぱらっていた。


「うんうん……」


先輩は聞いているのかいないのかという相槌を打つだけ。

だけど、今の俺にはそれがあるだけで満足だった。


「もう、どうすればい……ん……!?」


いきなり口をふさがれて、驚いた脳みそが一瞬アルコールを片隅に置いた。

火照った身体。

目の前には先輩の顔。


「ねえ、今日は誰と一緒にいるの?」


離れた唇。

蕩けた目。


「えと……先輩と……」
「なのに、よそ見されるのは……嫌だな……」


じりじりと後退させられて、ベッドの側面が背中にぶつかる。

先輩は、獲物を追い詰めたハンターの様に距離を詰めてくる。


「先輩、一回頭冷やしましょう……み、水とか飲んで……」
「いい、いらない」

聞く耳を持たない先輩。

逃げ場はなく、二人の体が密着する。


「○○くんは、嫌?」
「そう言う問題じゃなくて、俺たちは……」

「真面目なんだね。だから、悩んじゃうんだよ」


チクリと心が痛んだ。

忘れたくても忘れられない。

どうすれば忘れられるのか模索していた。


「忘れちゃおうよ。全部、全部」
「……………」


吐く息は、アルコールの匂いがした。

吸い込む息も、アルコールの匂い。

苦くて、頭がぐらつく、アルコールの匂い。




・・・




「おはよ、○○くん」


朝が来て、俺は先輩に起こされてベッドの上で目が覚めた。


「水とコーヒーどっちがいい?」
「…………水で」


頭痛い……

気持ち悪い……


「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……先輩、昨日のことって覚えてます……?」


はっきりと海馬に刻み込まれた昨夜の記憶。


「昨日……?ごめん、私飲みすぎたかも……」


くすりと笑いながら、先輩はそう答える。

どうやら記憶にないみたいで、水を口にしては気持ちが悪いと呟いていた。


「すみません、お世話になりました」
「ううん、私も楽しかったから。また飲もうよ」

「はい……では」


始発から五本は遅れた電車に乗り込んだ。

帰り道もずっと頭痛に襲われて、アパートに着いてもぐったりとしたまま。

お腹がすいて、のどが渇いて。

冷蔵庫を開けると、シュークリームとプリン。

蓋を開けて、スプーンを通して。

甘さと、苦み。

どうしてだか、涙が止まらなかった。




ーーーーーーーーーー




「おーい、後輩くん。起きなさい」
「んん……」

二年と数か月が経ち、大学を卒業して。

俺はアルノ先輩と同じ職場で働いている。


「今日は休みです……」
「休みじゃないよ。デートだよ」

「そうだった!すぐに起きます!」


咲月とは、もう一切連絡を取ってない。

トークルームに残された最後のトークは、たった一分間の通話履歴。

地元には戻ってないし、かといって都内で就職したって話も聞かない。

今、どこで何しているのやら。


「○○くん、どうかしたの?」
「すみません、すぐに準備します!」


慌てて部屋着から着替えて、テーブルに座って用意された朝ご飯を飲み込む。

歯を磨いて、髪を整えて。


「さて、準備はできたかな?」
「はい、おかげさまで」

「行こっか」


お昼前に家を出た。


「今日の作品、結構楽しみなんだよね」
「ホラーでもパニックでもないのにですか?」

「私をなんだと思ってるんだ。○○くんが見たい映画なんだから、楽しみに決まってるじゃん」
「そうですか。うれしいです」


ポップコーンも飲み物も買わず、後ろの席に並んで座る。

幕が上がって、映像がスクリーンに映し出される。

大学時代に読んだ、青春小説の映画化。

ノスタルジックな気持ちが湧いてくる。


「…………」

なんか、苦しくもなってきた。




・・・




その日、先輩は朝から会社にいなかった。

今日は取引先の人と話があるからって言ってたっけ。

帰ってきたのは夜になってから。


「ごめんね、○○くん。遅くなっちゃった」
「いえいえ。僕も仕事残ってたので」

「もう帰れそう?」
「はい。ひと段落ついたので」


鞄を持って、席を立って。

会社を出て、電車に乗って。


「今日はうち来るんですか?」
「行こうかな」

「了解です」

二人でコンビニによって、適当な弁当を買って。


「明日のお休みは何しよっか」
「先輩は何したいですか?」


マンションに帰ってそれを食べ終えて。

ドラマを見て、お風呂に入って。

月は、どこか睨むようで。


「ねえ、○○くん……」
「アルノ先輩……」


数秒を永遠に感じる口づけ。

離れていく先輩の顔はどこか悲しそうな顔で。


「○○くん……」
「…………?」

「君は、この前見た映画。ヒロインは誰を重ねてた?」
「そんなの、先輩に決まって……」


先輩が、僕をバカにしたように笑った。

けらけらと、涙が出るくらい。


「嘘だね。だって君、私のこと好きじゃないじゃん」
「いや、そんなこと無いです!先輩のことは"好き"ですよ……!」

「かもしれないね。でも、それは恋心から来る"好き"じゃない。いつまでも、《先輩》が取れなかったもんね」
「そ、それは……」


何も、言えなかった。


「駅からちょっと行ったところのビジネスホテル。そこまで走りなよ」
「え……」

「取引先の人とお話ししたときね、二人いたうちの一人が咲月ちゃんだったんだ」
「…………!」

「早く!」

先輩に言われて、急いで家を飛び出す。

携帯の電源を入れて、あの日で止まったトーク画面を開いて。

音声通話を開始する。

呼び出し音が耳をくすぐる。

心をざわつかせる。

一回。

息が切れだす。

二回。

足が回らない。

三回。


『もしもし……』

大きく息を吸って、また走り出す。


「もしもし、○○です」
『久しぶり、元気だった?』

「今からそっちに行くから。ホテルの前に出れたら出てきてほしい」
『なんでそのこと……!』

「じゃあ!」

電話を切って、スピードを上げる。

疲れなんてとっくに感じなくなっていた。




・・・




「咲月……!」
「○○くん……」

「久しぶり」
「とりあえず、お水飲んで」

「おぉ、ありがと」


咲月に渡されたペットボトル。

水を一口飲みこんで、息を整える。


「なんでここがわかったの?」
「先輩に聞いて。うちの会社の取引先に努めてたんだ」

「○○くん、あそこに勤めてたんだ……!」
「それで……話が、したくて」


次は、心を整えるために深呼吸。


「ごめん!」
「ごめんね!」


お互い、切った手札は謝罪。


「咲月……」
「○○くん……」


見合って、お互い吹き出す。


「なんで咲月が謝ってるんだよ」
「○○くんの方こそ」

「俺は……その……咲月に嘘ついてたから」
「焼肉のことでしょ」

「なんでそれを……」
「女子の鼻、侮っちゃいけないよ」

なぜかどや顔をする咲月。

そんなくだらないことも懐かしい。


「あの日、友達って言ったけど。相手はアルノ先輩で……」
「○○くんと別れてしばらく経って気づいたよ。大学ですれ違ったときに同じ匂いしてたから」

「それと……多分あの関係性に甘えてた。だから、ごめん」
「うん、許す!私も、○○くんの話何にも聞かなかった。それにあの後も、私のせいなのにすっごい気まずくて謝りに行けなくて......だから、ほんとにごめん!」

「元は俺が悪いんだから、そんなの全然いいって」
「これでお互いわだかまり無しだね」


言いたいこと言ったら、なんだか照れ臭くなって、ちゃんと顔を見れない。


「ねえ、○○くん。私たち、やり直せるかな?」
「俺で、いいの?」

「いいに決まってるじゃん!○○くんの方こそ、私でいい?」
「咲月がいい!」

「よし!仲直り記念で飲みに行こ!」
「え、仕事で来てるんじゃないの?」

「明日は帰るだけだもん!」


咲月が俺の手を握って、ぐいぐいと引っ張っていく。


「○○くん、今日は帰らせないから!」

再び火花は蕾を作って。

ぱちぱちと勢いを強めて、儚くも幻想的に牡丹が花開く。

今度は、散り菊を見ることなく松葉燃え盛るようにと炎は輝く。





………fin

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