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君と出会い、青を駆ける《第2話》

第2話 くやしい


「勝負するんだよ!弓道で!」
「…….え!?」

「何言ってるんすか。負けるわけないんすけど」
「やってみないとわかんないじゃん。じゃあ、掛川くん。ゆがけを貸し出しのやつから選んできて」

井上先輩が指をさした先。

道場の壁沿いに、乾燥させるために並べられたグローブみたいなやつ。

どうやらあれが弽というらしい。

俺は自分の手のサイズに合いそうなやつを見繕って、井上先輩の所に戻った。


「選んできました」
「うん、いいね。弓は……これかな」

ならんでいた貸し出しようの弓。

井上先輩は俺とその弓たちを交互に見て、一つの弓を選んで弦を張る。

そしてそれを俺にわたし、たくさんケースに刺さっていた矢の中から同じサイズのものを四本取り出した。


「掛川くん。左腕、横にまっすぐ伸ばして」
「あ、はい……」

言われるがまま、俺は腕を伸ばす。

すると、その伸ばした腕に、井上先輩が矢を添わせる。


「うんうん、ぴったり!私の見立て通りだね」
「あの、弓道って作法とかいろいろあるんじゃ……」

「そこはまあ、大丈夫。私と掛川くん、それに大吾しかここにはいないし、内緒にしておくから」

井上先輩に背中を押され、俺は矢巾の隣に並ぶ。

隣から飛んでくる威圧感は、一度気にしないようにしておくことにした。


「じゃあ、今回は四射でどっちの方が多く的に中てられるかってことで!じゃあ……礼!」
「お、お願いします」

矢巾は何も言わずに礼をして、矢を道場の床に置く。

その動作を境に、空気が一変した。

ひりついた空気は、肌に痛いほど突き刺さり、呼吸がどんどん細くなっていく。

矢巾は肩幅より少し広めに足を開き、弓を左膝に置いて右手を腰に添える。

小さく息を吐くと、矢巾は右手を弦に掛け、的を見た。

一方の俺は、矢を番えてみるけれど中々ちゃんとかからない。

俺が苦戦しているうちに、矢巾は弓矢を持った両の拳を上にあげ、それを引いていく。

矢じりを耳元まで引いてくると、そこで矢巾の動きは一度止まった。

キチ、キチと言った音だけが弓道場に跳ね、一瞬の静寂ののちに矢巾が右手を矢から話すと、軽快な音とともに矢が的へと一直線に向かっていき、小さな破裂音とともに矢が的に突き刺さった。

俺も見よう見まねで弓を引き、矢を放ってみるが、的まで届かず手前で失速し矢は地面に刺さった。




・・・



「大吾が三中、掛川くんは残念。大吾の勝ちだね、おめでとう」
「別に、嬉しくもなんともねっすよ。最後の一射、抜いてますし」

「まあまあ、そんなこと言わずに。掛川くんは実際に弓引いてみてどうだった?」
「難しかったです。的まで、一射も届きませんでしたし……」

「初めてだからね。しょうがないよ・・・・・・・
「ですよね……」


その日はそれ以降、仮入部の一年生は矢巾を除いて稽古を道場で見学するだけだった。

結局今日残っていた一年生は、矢巾と俺を除いたら男女ともに二人ずつだった。




・・・



『初めてだからね。しょうがないよ』

そう、しょうがない。

俺は弓を引くのなんて初めてで、そんな初心者がいきなりバシバシ的に中てられる方がおかしいんだ。

だから、しょうがない。

今日の負けは、しょうがないことなんだ。

そう割り切ろうとは思っていた。

思っていたのだけれど、お風呂に浸かっていても、ご飯を食べていても、ベッドに寝ころんでアニメを見ていても。

どうしても、心に立ち込めた霧のようなものに隠されている感情が熱を持ったまま主張を続ける。

この感情を、俺はよく知っている。

何度も抱いた感覚。

何度も、何度もこの感情は抱いてきた。

だから、この気持ちを再び自覚するために、俺は枕に顔を埋めて、


「くやしいー!」

肺の中の空気が空っぽになるまで、叫んだ。




・・・




「おはよ……って、○○寝不足?」
「ま、まあな……」

「なんか、なつかしいね」

結局、悔しさのあまりほとんど眠ることができずに朝を迎えた。

家を出てすぐに合流した彩は、もちろんそれに気が付いた。

何か、悔しい出来事。

例えばヒットを打ちこまれた、打席結果が全部三振だった、試合に負けた。

そんな事柄がある度に、俺はこうして夜も眠れなかったからだ。


「確かに、中学以来だな」
「夏の大会でも、負けちゃったときはこんなじゃなかったのに」

「だって、ほんとの中学最後の試合は、ベンチ座って声出してただけだもん」

中学最後の大会は、県大会決勝で涙を呑んだ。

俺は背番号1。

エースナンバーを背負ってその大会に臨んでいたのだが、準決勝、ホームベースで起きた相手ランナーとの交錯で右ひじを痛めた俺は、決勝での登板は見送ることとなった。

その結果、チームは2-1で敗戦。

失意に沈み、枯れ果てるほど涙をこぼすチームメイトの中。

俺は一人だけ、不完全燃焼のまま立ち尽くすことしかできなかった。


「それで?昨日は何があったの?」
「いや、同じクラスの矢巾っているだろ」

「あの、身長おっきい人」
「そうそう。そいつとまあ一悶着あって、井上先輩の提案で弓道勝負したんだよ」

「弓道勝負って……○○、初心者じゃん。なのに受けたの?」
「まあ、勝てる見込みは薄かったけど、何かの奇跡があるかもと思ったんだよ。ただ、あの矢巾がまーじで上手かったんだよなぁ」


思い出すだけでも悔しい。

なんなら、その悔しさの炎は、昨日からずっと燃え滾ったままだ。


「おーす……って、○○なんかあったな」
「昨日、矢巾くんに弓道で負けてすっごい悔しかったんだって」

「○○初心者……ってわけにもいかないか。○○だもんな」
「くっそー!思い出すだけでも悔しい!」

「はいはい。学校着くまでには飲み込もうな」


徒歩で学校に向かう中で、そんな悔しさも何とか飲み込んで、消化も始めたであろう時。

教室の前まで来て、背後に気配を感じた。


「邪魔だ」
「や、矢巾……!」

「んだよ、掛川か」

その気配の主は矢巾。

相変わらずでかい図体で、俺のことを見下ろしてくる。


「弓道、やめる決心はできたかよ」
「俺は……」


ここで、こんなところでやめたら、まるで俺が逃げるみたいになる。

それは嫌だ。

腹の奥でずっと主張を続けるこの燃え盛った炎を清算するには、弓道しかないんだ。


「俺は、やめない」
「あ?」

「「昨日、めちゃくちゃ悔しかったんだ。それはもう、夜も眠れない位に。その悔しさ、晴らすなら弓道以外無理だろ。だから俺は、お前に勝つために弓道部、続ける。それまで絶対、弓道やめねぇから!」


不機嫌そうに目を細めた矢巾にそれだけ言って、俺は自分の席に着いた。




・・・



打倒・矢巾大吾!などと高らかに宣言したのはいいものの、俺が初心者だという事実は依然変わらない。

一日の日程が終わり、大吾はすでに弓道場で弓を引いている中、俺は弓道場の外にいた。


「はい、掛川くん。これもって」


手渡されたのは、パチンコの様にも見える道具。

筒のような形のプラスチックに、両端からゴムが輪っかに通っている。


「これは……?」


俺以外の四人にも、同じような道具が渡されていた。


「それはね、ゴム弓って言うんだよ。君たちには今から、先輩が一人ずつついて、それを使いながら射法八節を教えます。じゃあ、開始!」


井上先輩の合図で、俺以外の男子には男子の先輩が。

女子には女子の先輩がそれぞれ一人ずつついた。

なのに、俺にはいない。


「あの、俺は……?」
「掛川くんには私が教えるよ。ごめんね、男子が少なくて」

「はい……。はい!?」
「そんなにびっくりしなくてもいいのに。あ、私じゃ不安だったかな?」

「い、い、いえ……!そ、そんなことは……!」
「そう?なら……」


ふわりと、柔らかい風が吹いた。

そのそよ風に乗せられて、鼻孔をくすぐった匂いは恐らく井上先輩の香水の匂い。


「よかった!」

目が眩むほどの眩しい笑顔に、頬が熱を帯びる。

心臓が痛いくらいに鼓動する。


「じゃあ、さっそく始めよっか。射法八節しゃほうはっせつっていうのはね、昨日大吾が的前でやってたあれのこと。ちゃんと名前の通り、八個に分かれてて……」


まずい。

話しが頭に入ってこない。

どうしよう、どうしよう。


「あ、ちょっとゴム弓借りるね」


そう言った井上先輩が、俺の握っていたゴム弓に手を掛ける。

その時、先輩の指が俺の手に触れる。


「おーい、掛川くん?」
「は、はい……!」

「話、聞いてた?ちゃんと聞かないとダメだからね?」
「す、すみません……」

そうだ。

余計な事なんて考えてちゃダメだ。

せっかく井上先輩が教えてくれるんだから、ちゃんと話聞かないと。


「って、いきなり一気に説明されてもだよね。じゃあ、私がやるの見てて」


そう言って、井上先輩がゴム弓を握った。


「注目してほしいのは、両手。普通、みんなに『弓を引く真似をしてください』って言ったら、ほとんどの人が弓を持った左手を固定して、右手だけで弦を引くと思うんだけど、和弓はちがうの。和弓は、弓を打起すうちおこすの。こうやって、弓を上に上げて、そこから左右均等に押し開いていくんだよ。それを、八個に分けたのが射法八節って言うんだ」

井上先輩から説明された射法八節。

一、足踏み
足を踏み開き、弓を射る正しい姿勢を作る

二、胴造り
弓を左膝に置き、右手は右腰に置く
この時に、弦調べつるしらべ箆調べのしらべをして、弦の位置と矢の方向を調べ、息を整える

三、弓構え
右手(馬手めて)を弦に掛け、左手(弓手ゆんで)……手の内を整えて的を見る

四、打起し
弓矢を持った左右の拳を上に上げる

五、引分け
打起した弓を左右均等に引分ける

六、会
引分けの完成された状態

七、離れ
発射のこと
気合の発動とともに矢が離れる

八、残心
矢の離れた後の姿勢


「とまあ、こんな感じでたくさん作法があるんだよ。一気に説明しちゃったけど、わかった?」
「はい!わかりました!」

「何か質問ある?」
「はい、一ついいですか」

「どうぞ」
「矢が離れた時、かぁんって音するじゃないですか。あれって何ですか?」

「あれは弦音つるねだね。弦が弓の上の方を打つ音なんだよ」
「ありがとうございます。勉強になります」

「じゃあ、さっきゴム弓を渡しておいてなんだけど、徒手射法としゅしゃほうの稽古からやろっか」
「と、徒手射法……?」

「なんにも持たずに弓を引く動作をするの。私が掛川くんの前に鏡みたいに反対に立つから、それの真似して」


井上先輩に言われた通り、鏡写しの様に立つ先輩の動作を逐一真似していく。

昨日、矢巾の動作を見ていた時は力強さを感じたが、井上先輩の動きはそれとは違ってしなやかな美しさを感じる。


「うん、上手!重心も体幹も安定してるね。何かスポーツやってたりする?」
「野球、やってました。ピッチャーでした」

「通りで体幹がしっかりしてるわけだ。そしたら、さっそくゴム引きしよっか。掛川くん、センスありそうだし」

先輩が持っていたゴム弓が返ってきて、先ほどの徒手射法と同じように次はゴム弓を引きながらの稽古。

さっきまでは何も持っていなかったから、どこで力を込めて、どう踏ん張って、どう呼吸をしていいのかわからなかったが、ゴム弓が増えただけでかなり情報量が増えてくる。


「いいじゃん。やっぱ掛川くん、センスあるよ」
「そうですかね……?」


褒めてもらえるのは正直嬉しいが、正直自分ではわからない。

ピッチングフォームも、自分じゃ改善点がわからなかったから、よく碧衣に見てもらってたっけ。


「アドバイスすると、会の所はもう少し溜めた方がいいかも。あと、手の内はもう少し力抜いていいよ。で、肩はもっとこうグイっと」


そう言いながら、井上先輩が俺の体に触れる。

柔らかな指先が触れ、心臓がさっきよりも激しく音を立てる。

「そうそう、いい感じ!でも、この感覚はあくまでもイメージだからね。このゴム引きも『いつか自分が的前に立った時、最終的にどんな形で弓を引くのか』をイメージしながらやるんだよ」
「は、はい……!」

それから二時間ほど、井上先輩に付きっきりでで指導をしてもらい、今日の部活を終えた。



・・・



「すみません、先に失礼します!」

まだ部室に残っていた先輩たちに挨拶をして、弓道場を横切って校門に向かおうとしたとき、まだ道場に明かりがついているのが目に入った。


「まだ誰か……」

不思議に思って覗こうとしたとき、綺麗な弦音が響き渡った。

その音の主は、ジャージ姿の矢巾。

的に刺さった矢はパッと見ても十本近くで、おそらく部活が終わってからもずっと引き続けているんだろうと推測できた。

そして、そんな矢巾の射があまりにも美しくて。

俺は思わず、立ち尽くして、見入ってしまっていた。




………つづく

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