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「幸せになって」──なんてね

「それでは、本日の定例会議を始めます」


夜の七時。

高校の時から続く習慣。


「お願いします」
「よろしくお願いします」

お互いのアルバイトがない日を選んで。

ご飯も食べて、お風呂にも入って。

時間はノリで決めて、ビデオ通話でお互いの近況を話す。


「なんてね。一回こういうのもやってみたかったんだ~」
「堅いのは似合わないよね」


僕と彼女の、定例会議。


「もうすぐ夏休みだね」
「大学の夏休みって長いよね」

「課題もないし、遊び放題だ」


大学一年、初めての夏休み。


「そしたら、私行きたいところあるんだよね」
「行きたいところ?」

「そう、行きたいところ」
「どこでも言ってよ」

「それはね……」



─────────



「先生!目を覚ましました!」



・・・



「じゃあ、はじめよっ!」

ビデオ通話の定例会。


「しょっちゅう顔を合わせてても、こういう時間はやっぱり大切だ」
「なんとなく、いつものデートじゃ話さないことも話すからね~」

「最近、どう?」
「ふふ、なんか堅いよ○○」

「美空……。笑うことないじゃないか」


相変わらず会話がへたくそな僕。

話の流れで話はじめを任されると、どうにも円滑なスタートというのが切れない。


「ごめんね。あまりにも○○のいつもの口下手が出てたから……!」
「もう……いいかげん笑うのやめてよ……。はずかしい……」

「は~、笑った~」
「続きやるよ。何か報告することとかある?」

「ん~……はい!」


画面の中、美空が勢いよく手を上げる。


「どうぞ」
「最近、エビチリにハマってます!」

「……知ってる。この間のは美味しかった?」
「うん!すっごく美味しかった!やっぱり○○、料理上手だよね~」

「それほどでもないよ。この間のはちょっと栄養が偏ってた」
「細かいっ!美味しいんだから、そんなに落ち込む必要ないのに」

「落ち込んではいないけど……」

膨れた美空がカメラに近づく。

大きく映った美空の顔で、さっきまで背景に見えていた美空の部屋が見えなくなる。


「ちょっ……近いよ」
「いいでしょ!大好きな彼女の顔がたくさんスマホの画面に映る分には!」

「まあね。今日もかわいいよ」
「…………っ!も、もう……○○はすぐにそんなこと言うんだから……」


顔を赤くした美空は画面から離れ、今度は背景の部屋のほうが映っている割合が多くなる。


「そうだ。週末、バイト休みだからさ、どこか遊びに行く?」
「行きたい行きたい!どこ行く?水族館とか?」

「水族館……。いいね、電車でちょっと行ったところにしよっか」
「そうしよ~!これであと二日間がんばれそう!○○のほうから伝えることは?」

「今の……だけど」
「ほかにはないの?」

「他かぁ……。うーん……送られてきた実家の猫の写真が、今日もすっごくかわいかった……とか?」
「それ、私とどっちがかわいかった?」

「そりゃもちろん美……いや、待て。ムギもかわいいな……」
「迷わないでよぉ!」

ワンルームのアパート。

冷え込んできた室内。

笑い声が二人分響く。


「美空のほうがかわいいよ」



・・・



「おまたせ~!待った?」


駅前の広場。

時計台の下。

ひらりと、美空が僕の視界に入る。


「ううん、待ってないよ。服、似合ってる。新しく買ったの?」
「そうなの!デートの時に初披露にしようと思って、定例会でも内緒にしてたんだ~」

「それで。すごい似合ってる。美空が一番かわいいよ」
「て、照れるから……もう、いい……」


耳まで赤く染めた美空が、伸ばした手を広げて壁を作る。


「行こ。電車きちゃう」
「うん……」

指と指が絡み、結ばれた手。

お互いの手を固く握りあう。


「○○の手、冷たいね」
「そう?冷え性気味だからなぁ……」

「わかる~。○○、ちゃんとお風呂浸かってる?」
「いや、シャワーで済ませちゃうかな。給湯機能ないし」

「じゃあさ、今度うちに来なよ!お風呂貸してあげる」
「お言葉に甘えちゃおうかな」

「その代わり、部屋の掃除手伝ってもらうからね!」
「そのくらいは手伝うよ」


やってきた電車。

端に一つだけ空席。


「座りなよ」
「いいの?」

「もちろん」


美空をその席に座らせて、僕はその前に立ちつり革をつかんだ。


「楽しみだね、水族館」
「すっごい楽しみ!ペンギンとか、かわいいよね~」

「くらげも捨てがたい」
「○○、くらげ好きだよね」

「ただ流されるまま海を揺蕩う感じが好きなんだ」

楽しみを募らせながら電車に揺られること三十分。

終着駅では、日曜日なこともありファミリー層やカップルの姿が多い。


「なんだか気後れしちゃうね」
「もう、わたしたちだってカップルなんだから。ほら、こうやって堂々としてればいいの!」


美空が僕の腕に抱きつく。

甘い香りに包まれ、鼓動が早くなる。


「ね?」
「そ、そうだね」

上目遣いの美空。

うろたえるな。

平常心、平常心……


「…………。…………!」
「…………?」


ちらりと視線を下に落とすと、まだこちらを見てにやにやしながら小首をかしげる美空の顔が見える。

僕は一度心を無にするために大きく深呼吸をした。


「大学生二枚でお願いします」


陽が雲の陰に隠れ、頬を撫でる風の冷たさが目立つ。

その寒さに震え、そそくさと入り込んだ水族館の中は、心地のいい温度に調整されていた。


「青いね……」

青いのは照明のせいか、辺りを覆う水のトンネルのせいか。

本当に海の中を歩いているんじゃないかという錯覚が、この水族館の世界への没入感を早々に高めてくれる。


「そろそろトンネル抜けそう」


水のトンネルを抜け、僕らの目の前に見えたのは無数に浮遊をするクラゲの群れ。

ふわ、ふわ。

ゆら、ゆら、ゆらり。

見るものを取り囲み、ともに海原を揺蕩うかのように。

水底へと誘うかのように。


「○○?」

僕は無意識に。

『触れちゃいそう』


「触れてしまいそうだ」

手を、伸ばしていた。


「そうだね。わたしたちまでくらげになっちゃったみたい。でも、触ったら刺されてケガしちゃう」
「うん。だから、こうして眺めているだけ。……次、行こう」


マンボウ、シャチ、マイワシ。


「あ、これ知ってる!ドリーとニモ!」


ナンヨウハギと、カクレクマノミ。


「この子もふわふわ泳いでるね」


クリオネ。


「おっきい……。もっと近くで見てみよ!」


ホオジロザメ、オニイトマキエイ。



・・・



「たのしかった~!」
「うん。僕も楽しかった」


大海原の大冒険を終えて、沈みかけの夕日が未だ空をオレンジ色に染め上げる中、僕らは帰りの電車に乗り込んだ。

帰りも行き同様それなりに混んではいたものの、僕らは運よく並んで座れる席を確保した。


「この後、うちくる?」
「いいの?」

「午前中も言ったでしょ。お風呂ちゃんと入らないと。シャワーだけだと冷えちゃうよ」
「お礼はさせてね」

「やった」


美空が僕の肩に頭をのせる。

さすがに今日一日腕を組まれていたんだ。

このくらいで動揺する僕ではない。


「ちょっとだけ、眠くなっちゃった……」
「いいよ、寝てても。着いたらちゃんと起こすから」

「へへ、ありがと……だいすき……」


僕の肩に頭をのせたまま、美空は目を瞑って小さな寝息を立てる。

ドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。



・・・



「起きて、美空」
「んぅ……」

「降りるよ」


椅子から立ち上がり、僕は美空に手を差し伸べる。

美空もまだ眠そうに目をこすりながら、僕のその手を取った。


「よく眠れた?」
「うん。○○の肩、めっちゃ寝心地よかったぁ~」

「それはよかった。コンビニとか寄る?」
「アイスかってこ!あえて!」

「冷え込んでる中で食べるアイスもいいよね~。お風呂貸してもらうし、好きなのえらんでよ」


十二月中旬。

世間はクリスマスムード。


「街路樹もライトアップされてる」

輝くイルミネーションの森を、手をつないで歩いて抜け、コンビニへとたどり着く。

マフラーとか巻いてないからさすがに首元が寒いな。


「なにかってく?」
「アイスと……何かあったかいもん。肉まんとか、歩いて食べるのにちょうどいいかも」

「じゃあさ、半分こしよ!」
「いいね。あとは夜ご飯に何かお弁当選んでかな」


アイスが二つ、お弁当も二つ。


「あらした~」

肉まんは一つ。

指を入れて、半分に割る。


「おっきいほうあげる」
「わーい!」

こんな小さなことで、美空は子供のように喜ぶ。


「ご飯食べたらすぐ帰っちゃう?」
「どうして?」

「泊ってってくれてもいいんだけど……」
「わかった、そうするよ。明日は午前中に病院行って、授業は午後からだし」

「ありがと、○○」

肉まんを頬張りながら、美空は笑った。


「このくらいでお礼なんて」
「ううん。ありがとうだよ。わたしはね、○○と一緒にいられる時間がこの世界で生きてるどんな時間よりも大切なの。いっちばん大好きなの!」


こうも真っすぐ伝えられると、どんな反応をしたらいいのかわからない。

こういう時、自分の不器用さが嫌になる。


「あ~、今○○照れてる?」
「う、うるさい……。行くよ!」


いたずらな笑顔の美空に背を向けて、僕は舗道を歩く。

そんな僕に追い付いてきた美空は、最後の一口を食べ終えると、昼間と同じように僕の腕に抱きついた。


「ご飯もお風呂も済ませたら、まったりネトフリで映画でも見よ?」
「そうしよう」


徐々に人通りも少なくなり、街灯もまばらになる。

夜の街はやっぱり、女の子一人でっていうのは危ないんだろうな。


「ただいま~」

オートロックを抜けて、僕は玄関を開けた美空に続いて靴を脱ぐ。

美空は、一人暮らしで誰もいないはずの部屋に「ただいま」って言う。


「いつもただいまって言うよね」
「サボテンがいるから」


美空の部屋。

その窓際。

夏から育てているらしいサボテン。


「部屋に緑があるだけでもだいぶ違うんだよ」
「たしかに。僕の部屋はなんもないからなぁ……」

「何かお花でもおくろうか?」
「枯らしちゃいそうで怖いな……」

「大丈夫だよ。○○はマメでマジメだから」
「買いかぶりすぎだよ」


美空がクローゼットから僕のジャージを取り出す。

僕がいつ泊りになってもいいように常駐させてもらっている僕用の部屋着。


「○○、先にお風呂入っちゃっていいよ。わたしサボテンのお手入れしないとだから」


お言葉に甘えて、僕は先にお風呂に入ることにした。

久しぶりに使った湯舟は、冷え切って凍った体を奥底から溶かしてくれるようで、自然と全身から力が抜けていく。


「あったけぇ……」


ため息も思わず零れる。

目を閉じると、そのまま眠りに落ちてしまいそうだ。


「あぶないあぶない……」


十分弱お湯に浸かって、僕は風呂を出た。


「あがったよ~」
「あ、どうだった?」

「あったかかったぁ」
「なにより!じゃあ、わたしもお風呂入ってきちゃうから待っててね~」


美空が僕にドライヤーを渡してから部屋を出て、一人取り残される。

僕は髪を乾かしながら、サボテンを眺めていた。


「かわいいかもな……」

時間もかからず髪は乾き、暇になった僕はまじまじとサボテンのことを見つめる。


「確かに、花とかおいても……」


ふいに、ポケットの中に入れておいたスマホが震えたような気がしてそれを取り出す。

しかし、画面を見てもそれらしい通知は一件も来ていない。

気のせいか。

でも確かこういうのもなんか名前があったような……


「気になるな……」

一度気にになってしまうと、なんとなくむずむずしてしまって敵わない。

スマホを取り出したついでにその現象について調べてみた。


「ファントムバイブレーション……幻想振動症候群……か。まあ要は気のせいってことだよな」

ただの思い違い。

感覚のバグ。


「なーんだ」
「何かあったの?」

僕がスマホを再びポケットにしまうと、お風呂から上がって髪を拭きながら部屋に戻ってきた美空が不思議そうに僕のほうを見ていた。


「ああ、なんか通知が来た気がしてスマホ見てみたんだけどなんも来てなかったんだ。で、その現象に名前あったよな~って思って調べてただけ」
「なんだったの?」

「ファントムバイブレーションっていうらしい」
「なんかかっこいいね」

「でもただの気のせいだよ」
「たしかに、『なーんだ』だね」


興味を失ったのか、美空がドライヤーをコンセントにつなげる。

女の子はお風呂から上がってからが大変そうだ。

美空くらい髪が長いと乾かすのも一苦労だろうし、スキンケアも念入りにしているのをよく見る。


「お弁当、あっためとくよ」
「ありがとー」


ブレーカーが落ちるのを危惧して、美空のドライヤーが終わるまで待ってから僕は電子レンジにお弁当を二つ入れて温めを開始した。


「あとどのくらい~?」

パックをしたまま、美空が電子レンジの前で待つ僕に背後から抱き着く。


「二つ一気にやってるから、五分くらいかな」
「もうおなかぺっこぺこ」

「もうちょっとだよ」


電子レンジの明かりが消えて、温め完了の音がなる。

蓋を外すとほかほか淡い湯気が立ち、十分温かいお弁当が出来上がったことを知らせる。


「いただきま~す」
「いただきます」


普段は自炊中心だけど、たまにはこういうコンビニ弁当もいいな。

楽で、美味しい。


「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」

空いた容器のごみをゴミ箱に捨てて、代わりにアイスをもってきてテレビの前に座った。


「しつれ~い」

胡坐をした僕の足の上。

スペースにすっぽりと埋まるように美空が座った。


「アイス食べづらいんですけど」
「アイス食べたら寒くなっちゃう」

「はいはい」

リモコンで電気を消して、テレビに映ったネットフリックスのホーム画面を送っていく。


「あ、これみたい」


美空の指定の映画を再生したころ、アイスを食べ終わった僕は行き場の失った手を持て余していた。

そんな僕を見かねてか、美空が自分のおなか辺りに僕の腕を巻き付けるように抱きしめさせた。


「……ねえ、美空。僕も部屋に花とか置いてみようかと思うんだ」
「いいじゃん。選んで、持って行ってあげる」

「いいの?」
「……もちろん」

打ち付ける波の映像が終わって、そろそろ本編が始まる。



・・・



「○○……!○○!」


暗闇の中、誰かが僕の名前を呼ぶ。


「目を覚まして!○○……!」


寒い。

季節も季節だし、それはしょうがないことか。


「私のせいだ……私が……」


サイレンの音。

それに、この声……



・・・



「ん……」

カーテンの隙間から差し込む朝日。

デジタル時計が示す時間は朝の七時。

隣で眠る美空を起こさないようにそっとベッドを降りて、僕は水道水を一杯飲みこんだ。

さっきの声、僕はてっきり寝坊をしたから美空に起こされているんだと思っていたけど、どうやら違ったらしい。

ということは夢か。

映画に、影響でも受けたかな。


「あれ、○○おはよ…..はやいね……」
「ごめん、起こしちゃった?」

「んーん……わたしもこのまま起き……ふわぁぁ……」

まだまだ眠そうにあくびをしながらこちらに近づいてくる美空。

しかし、ドアのへりにつまずいたのか、転びかけて僕の胸に収まる。


「危ないよ。ちゃんと目を覚ましてからじゃないと」
「うん……」

流水で顔をさらって、目を覚ました美空が僕に微笑みかける。


「おなかすいちゃった~」
「簡単につくるよ」

「ん~」

部屋へと戻った美空。

その背中を見送って、僕は冷蔵庫に入っていたもので簡単に朝ご飯をこしらえる。

メニューは食パンとウインナーとヨーグルト。

本当は野菜もあればよかったのだが、切らしているみたいだ。


「できたよ」
「やった~」

朝ご飯を終えてちょっとまったりしていると、時刻は八時過ぎ。

美空は二限の、俺は病院に行くための準備を始めた。


「それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃ~い。また大学でね」

今日の俺の予定は四限から。

四限と五限は美空といっしょだけど、確か美空三限はなかったんだよなぁ。

病院終わったら、ちょっと早めに行ってあげるか。



・・・



「うん、順調に回復してるね。骨折したとこももう問題ない」
「ほんとですか」

病院の検査室。

僕は夏にあった事故の検査のため、しばらくこの病院に通っている。


「記憶のほうはどう?なにか思い出せたりした?」
「いや、そっちは全く……」

「そっかそっか。まあ、ゆっくり思い出していけばいいよ」
「ありがとうございます」


今年の夏、僕は事故にあった。

状況はよく覚えていない。

それどころか、過去の記憶がない。

目覚めたら、ほとんど全部忘れたまま病院のベッドで目を覚ました……というのがオチだ。

事故から目を覚ますまで、僕は四日間も眠っていたらしい。

そしてその間、ずっとお見舞いに来てくれていたのが美空だったというわけだ。


「じゃあ、また二週間後に来てくれればいいから」
「わかりました」

失った過去の記憶。

補完できる部分は美空にしてもらった。

美空と僕は小学校からの仲。

中学と高校も同じで、僕らは高校二年のころに付き合い始めた。

覚えていないから当然と言えば当然なのだが、それに違和感は感じなかった。

それどころか、甲斐甲斐しく看病をしてくれていた美空には感謝をしているし、記憶をなくす前の僕が美空に惚れたのもきっとこういう部分が大きいんだと思う。


「あ、○○!授業、四限からじゃなかったっけ?」
「三限の間、美空が暇じゃないかと思ってさ。学食でご飯でも食べようよ」

「もう~!優しすぎるよ……!」


僕も、美空への恩は返していかないと。



・・・



「待った?」
「ううん。待ってないよ」


照り付ける日差しが、アスファルトに反射して一層暑さが増す。

首筋を伝う汗を無視して、僕は『  』の手を握る。


「なんで水族館?」
「くらげみたいんだよね」

「それで水族館だったんだ。僕はそうだな……クリオネとか気になるかも」

「わかる。クリオネかわいいよね。ふふ……たのしみだ~」


かわいらしい、小動物のような笑顔の『  』。

幼いころから変わらない、『  』の笑顔はいつになっても僕の胸を締め付ける。


「あ、でもその前にお腹すいちゃったかも」
「何か食べてから行こっか」

「ファミレスとかでいい?」
「そういうのって、普通僕が聞くものじゃないの?」


くだらないことで笑って。

目についた適当なファミレスに入って、簡単に食事を終えて。


「大体さ、デートって言うのは特別な間柄の二人を日常に近づけていく行為だと私は思うんですよ」
「ほうほう」

「私たちってさ、一緒にいるのが日常みたいなものだったじゃん?」
「違わないね」

「だからこそ、こうして一緒にいられる日常が特別なんだな~って、私は思ったわけですよ。だから、毎日が日常で、毎日が特別……ってなんか日本語おかしいな……」
「プロポーズみたいなこと言うね」

「プロ……!もう、そういうとこだよ、ほんと……」


耳まで赤くした『  』がうつむく。


「前見て歩かないと転ぶよ」
「んなっ…..!こ、転ばないし!そのためにこうやって○○の手、握ってるんだし!」

「膨れてる。そういうとこもかわいいよ」
「う、うるさいなぁ……もう……」

「照れてる」
「照れてないし……!」

特別で、特別じゃない。

僕らの日常だ。


「あ、見て見て、ねこ!」


そう言って、『  』は僕の手を放して木陰で丸くなる猫のもとへと走りだす。

僕は、その背中に手を伸ばした。



・・・



「待って……!」

身体は跳ね起き、僕の右手は弱弱しく前へと伸ばされていた。


「今の……」


夢の中の少女。

短い髪と、小動物のような口元。

そして、もう一人は僕……

あれが僕の記憶に関係するのなら、僕とあの子は相当親密であったと考えられ……


「あれ……?」

頬に冷たい何かを感じてそこに触れてみると、指が湿った。

どうやら、涙を流しているらしい。


「なんだ、これ……」

一度自覚をしてしまったからなのか、涙が止まらない。

僕はしばらく、掛け布団に顔を埋めて涙が止まるまで待った。


「なんだったんだろう……」

夢の中の少女は誰だろう。

僕はどうしてこんなにも悲しいのだろう。

どうして、


「まだだめだ……」

どうしてこんなにも、涙が止まらないのだろう。



・・・



「……○○、何かあった?」

いつも通り、大学の構内。

授業の合間、次の講義室への移動中。


「い、いや……なんでもないよ……」


○○の様子がどこかおかしい。

悩んでるとか、思い詰めてるとか……そんな感じ。


「何か悩みとかあったら、わたしに言ってね?できることは少ないかもしれないけど……話なら、たくさん聞くから……!」
「ありがとう、美空。でもいい……いや、やっぱりちょっとだけ聞いてもらおうかな」

その後、三限の授業を終えたわたしたちは、○○の家に行くことにした。

いつも通り、○○の部屋は最小限の家具しか置かれていない。


「ほんと、○○の部屋ってなにもないよね……」
「本棚と小説はあるよ?」

「そう言うことじゃないんだけど……あ、でもこの子はずっといる」


そんな殺風景な部屋だからこそ、枕元に置かれた犬のぬいぐるみのかわいらしさが際立つ。


「そりゃ大切にするよ。僕が記憶をなくしてしまう前、美空がくれた大切なぬいぐるみだ。覚えてはいないけど、大切な思い出だから」
「うん……。そうだね」


いつまで、わたしはこんな”ウソ”を吐き続けるんだろう。

全部ウソなのに。

そんな思い出は、【わたしの中のどこにもないのに】。

全部、あの日の事故のせいだ。

あの日の事故が、わたしも、○○も、そしてあの子のことも狂わせてしまった。

全部、あの事故が悪いんだ。


「それで、○○は何に悩んでたの?」


それでも、わたしは託されたから。

あの涙を見て、託してほしいってわたしが言ったから。

『ありがとう、美空』
『ううん。わたしが、○○のこと守り続けるから』
『ほんとにありがとう。これでわたしは安心して○○から離れられる。○○ ────幸せになってね』


「僕、今朝夢を見たんだ。美空じゃない女の子とどこかに出かけていて……季節は夏だったかな……その女の子、僕は知らない子だった。髪が短くて、目元はちょっと覚えてないんだけど……」
「…………!」


『先生、○○の記憶は戻るんですか?』
『うーん……どうだろう、戻ると断言はできないかな……でも』


「あれって、僕の記憶だったりするのかな……って」


『戻らないと断言することもできない』

これがそうかな。

その日が来たのかな。


「記憶、これからどんどん戻るのかもね」
「そうかな?だと、いいな……」


あの子にも、伝えてあげないと。

わたしは心構えをしておかないと。

結局わたしは選ばれなかった側。

結局、かなわない。


「わたし、ちょっと行かなきゃいけなところあるから帰るね!」
「うん。話、聞いてくれてありがとう」


○○の部屋から出て、わたしはすぐに電話を掛けた。


「もしもし、わたし」
「美空。どうかしたの?」

「アルノに、伝えなきゃいけないことがある。これから会えないかな?」
「……わかった。どこに行けばいい?」

「じゃあ、いつものカフェで」


スマホをしまい、駅に向けて歩き出す。

そういえば、○○は花が欲しいって言ってたっけ。

あとでアルノと選んで持って行ってあげよう。

○○が目を覚ます前、その時にアルノが買って行っていた花は何て名前だったっけ。

たしか、グラジオラス……だったっけ。



・・・



「こっちこっち~」
「ごめんね、遅くなっちゃった」

先にカフェに入って待っていると、息を切らしたアルノがちょっとだけ遅れてやってきた。

かなり急いできたのか、髪もところどころハネている。


「急に伝えなきゃいけないことって、何があったの?」
「……驚かずに聞いてね。って言っても、驚くとは思うんだけど」

「うん」

アルノが向かいの席に座って息を整える。

わたしの額には汗がにじむ。


「○○が、記憶を取り戻すかもしれない」

「え……それ、ほんと……?」
「うん……まだ確証があるわけじゃないんだけど……その……」


わたしは、さっき起きたことをありのまま話した。

○○から聞いた夢の内容も、全部。


「これって、あの日のこと?」
「そう……あの日。事故の日、私と○○が出かけた時と一緒」

「そっ……か……」

やっぱ、そうだったんだ。

このまま、○○とアルノを会わせるのも……


「美空……?」
「あ、ごめんね」

いけないいけない。

考えこんじゃった。

わたしは、笑顔を急いで貼り付ける。


「アルノ、もしよかったら○○に……」


『美空が一番かわいいよ』


「やっぱ、もうちょっと待ったほうがいいかも。いきなりだとその……○○に負担かけちゃうかもだし」
「うん、そうだね。また、話聞かせて。それとこれ……」


アルノは、バッグから薄い封筒を取り出して机の上に置き、私に差し出す。

中身を見て見ると、かわいらしい花柄の栞。


「もうすぐ、クリスマスでしょ。私が○○に送れるのなんて、このくらいだから……」
「この花……」

「あ、うん……。お見舞いの時に買って行った、グラジオラスの花。頑張って手作りしたの」
「すごい!ちゃんと渡しておく」

「ありがとう、美空」

あぁ、この子は本当に……

嬉しそうに笑うなぁ……。こっちがくすぐったくなっちゃう。

恥ずかしそうにはにかむなぁ……。なんだか、涙が出そうになっちゃう。

きっと、○○のことを想って、一生懸命作ったんだろうな。

不器用で、シャイで、それでも決めたことには真っすぐで……

この子は、恋をしてる。

この子も、恋をしてるんだ。


「そろそろ私、アルバイト行かなきゃ!」
「また今度遊び行こうね!」

「うん!」

手を振って、小走りでアルノはカフェを出た。

グラジオラスの花。

花言葉は……


「………………!なんだ、やっぱそうなんじゃん」

きっと、記憶が戻った○○はわたしのことなんか選んでくれない。

わたしは結局選ばれなかった側の人間。

それでも。


「放したくないなぁ……」


それでも、わたしだって恋をしてる。



・・・



「ただいま……」

気分が重い。

重力がのしかかってくるみたいに気怠い。


「水、あげなきゃ……」

いくらサボテンといえど、水はあげなきゃ。


「はぁ……」

わたしは、どうしようもなく嫌な人間だ。

大体、あの二人はわたしになんてものを背負わせるんだ。

記憶のなくなった彼氏と、代わりに付き合ってほしい……だなんて。

アルノはわたしの気持ちなんか知らなかっただろうけど、それでも勝手が過ぎる!!!


「……なんて、言えたらいいんだけど。まあ、言えるわけないよね……」


アルノがどれだけ辛いかなんて、親友のわたしがよくわかってる。

あんな顔、あんな泣き方、今まで見たことがなかった。


「もう、バカ!アルノのバカ!」


枕に顔を埋めて大きな声を出してみたところで気持ちが晴れるわけでもない。

久しぶりに、アルノから預けられたメモ帳を開いてみる。

○○の性格、好物、習慣、趣味。

好きな場所、デートの頻度、そして定例会。

○○に関する、アルノの主観によるメモ。

どれもこれも、○○の”疑似”彼女として過ごす中でこれほど的確に○○という存在を記したものはないと痛感させられた。

わたしの○○との出会いは小学校のころ。

アルノは確か保育園のころ。

たった二、三年の差だけでは言い表せないほど、アルノは○○のことをよく見ていて、わたしがどれだけ軽々しい気持ちを○○に抱いていたのかを思い知らされた。


「でも、わたしだって好きなんだもん……」


グラジオラスの花。

花言葉は、楽しい思い出。

今、わたしの中にある思い出は、本来ならアルノが抱えていくはずだった思い出。

手放すときは、近いのかもしれない。



・・・



「○○……」


街灯がぽつぽつと等間隔で道を照らす住宅街。

真っ白な息が夜の空に昇っていくのを眺めながら彼の名前を呼んでみる。

返事なんてあるはずもなし。

だって、私のほうから手放したんだから。


「あいたいよ……」

だけど、好きなんだ。

記憶、戻りかけてるんだよね。

もう一回、私にかわいいって言って。

好きって、言って。


「なんてね」

美空なら大丈夫だよ。

だって、私の一番の親友なんだから。

私が託したんだから。

私が、手放したんだから。

今更もう一回やり直したいだなんて虫が良すぎる。


「幸せになってねって、言ったじゃん……」


あの日、○○の中から私が消えた日。

私を、○○の中から消した日。

あの日の事故は、私の不注意。

私が悪いんだから。

だから私は、○○と一緒にいる資格なんてない。



・・・



デート、なんて大仰なものは久しぶり。

すっぴんも、部屋着も全部さらけ出しているし、お互いの恥ずかしい過去だって知っているはず。

それなのに、どうしてだか”デート”と言われてしまうといつもいつも緊張してしまう。

前にそれを○○に伝えたとき、○○は喜んでくれた。

『それだけ僕とのデートを楽しみにしてくれてるってことでしょ?』

そうだよ、そうだとも。

どっちかの部屋でごろごろ映画を見る時間だって好きだし、○○の作った料理を食べながら次はどんな料理が食べたいってリクエストしているあの時間も好き。

そんな日常は大切。

それでも、やっぱりデートって特別だ。

服装を考えるのにもだいぶ時間がかかってしまった。

デートって言われるだけで、私にとっては○○との日常が一気に特別なものに変わってしまう。


「待った?」

大きく深呼吸をして、ひょこっと○○の視界に顔を出してみる。


「ううん、待ってないよ」


暑い夏。

日陰とはいえ、気温が高いのに変わりはない。

○○の首筋に汗が伝う。

やっぱり、私が待たないようにってしてくれたのかな。


「行こう」


○○が私に手を伸ばし、私はそれをそっと握る。


「なんで水族館?」

大学の夏休み。

その最初のデートは私がリクエストした。

場所は水族館。


「くらげ見たかったんだよね」
「それで水族館だったんだ。僕はそうだな……クリオネとか気になるかも」

「わかる。クリオネかわいいよね。ふふ……たのしみだ~」


水族館に高鳴る胸。

しかし、それよりも雄弁に存在を主張するのは朝から何も入れていない胃袋。

小さく、ぐぅと鳴る。


「あ、でもその前にお腹すいちゃったかも」
「何か食べてから行こっか」

「ファミレスとかでいい?」
「そういうのって、普通僕が聞くものじゃないの?」

「関係ないよ。だって、私たちの仲だもん」


近くのビルに入っていたファミレス。

目についたから、そこに入った。

早く涼しい風を浴びたかったし、照り付ける日差しから逃げたかった。

それ以上に、お腹がすいていたから一刻も早く何か食べたかった。


「何にしよっかな~」
「僕は……サラダと、ハンバーグかなぁ」

「○○、ハンバーグ好きだよね」
「まあね。男の子は結局、味が濃くておなかに溜まるものが好きなんだ」

「はいはい。私は……オムライス」


○○はできた男だと、彼女兼幼馴染ながら思う。

○○のできた男ポイントその一。


「すみません」
「はい、お伺いいたします」

「エビのサラダと、ハンバーグプレート。それとオムライスをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」


店員さんに敬語を使うところ。

世の中には、お金を払えば店員さんに何を言ってもいいと思っている輩が存在する。

そして、○○のできた男ポイントその二。


「お待たせしました。お先にエビのサラダとハンバーグプレートです」
「ありがとうございます」

「…………先、食べていいよ」
「食べないよ。アルノの注文が来るまで待ってる」

「いいのに、気にしなくて。○○の料理、冷めちゃうし……」
「やだよ。いただきますのタイミングは一緒のほうがいいじゃん。それに、僕は猫舌だからさ、まだまだ熱そうなハンバーグは口に入れられないんだ」

「大変お待たせいたしました。オムライスです。以上で注文お揃いでしょうか?」
「はい、ありがとうございます」


○○は、何かにつけて私に合わせてくれる。

食べるペース、歩く速度、恋愛のあれやこれやだって全部私のペースに合わせてくれていた。

前に○○は言っていた。

『アルノのペースが僕らのペースでいいんだよ』って。


「アルノ、ソースついてる」
「え、やだ恥ずかし」

○○に指摘をされて、私は口元をペーパーナプキンでぬぐう。

しかし、その痕跡は見当たらない。


「ふふ、違うよ。ほっぺについてる。じっとしてて」
「むぐ……」


○○が身を乗り出して、私の頬についていたソースをぬぐう。

ナプキンにはばっちりデミグラスな色をしたシミが残った。


「これでよし。にしても『むぐ』って……くくっ……!」
「笑うなぁ……!もう……」

「ごめんごめん。でもそのソース、食べ始めてすぐの時からずっとついてたよ」
「な、なんで言ってくれないの!」

「だって、あまりにおいしそうに食べるからさ。言うに言えなくて」
「恥ずかしいことばっかり言うんだから……」

「そうやってすぐ恥ずかしがっちゃうとこも好きだよ」


これは、私に刺さる○○のできた男ポイント。

いたずら好きで、私のことすぐからかってきて。

思い出を大切にしている面もあるかな。

私が昔プレゼントした犬のぬいぐるみなんて、何年大切にしているのやら。

「なに?じっと見て」
「い、いや?なんでもないですけど?」

あと、○○は嘘のない愛を真っすぐに伝えてくる。

本人、自覚あるのかなぁ……?

無さそうなんだよなぁ。

「…….一口食べる?ハンバーグ」
「まあ、くれるっていうなら貰いますけど」

「じゃあ、あーん」

一口大に切り分けられたハンバーグ。

私は促されるまま差し出されたそれを口に含む。


「おいしい?」
「ん!おいしい!」

「よかった」
「…………!」


なんで、そんな顔するの。

一口貰ったのは私のほうなのに。


「アルノのその顔が見たかったんだ」


なんで、○○のほうが幸せそうな顔するのさ。


「そろそろ出よっか」


お会計はいつも割り勘。

油断すると○○は払おうとするからね。

そんなことはさせない。


「人多いね~」
「夏休みシーズンの日曜日だしね」

「カップルが多いね」


私たちだって、こうして手を握って歩いているんだから、その中の一組にしか過ぎない。


「みんな、今日を特別な一日としてずっと覚えているんだろなぁ」
「まーたそんなこと言って」

「アルノは違うの?」
「大体さ、デートって言うのは特別な間柄の二人を日常に近づけていく行為だと私は思うんですよ」

「ほうほう」
「私たちってさ、一緒にいるのが日常みたいなものだったじゃん?」

「違わないね」
「だからこそ、こうして一緒にいられる日常が特別なんだな~って、私は思ったわけですよ。だから、毎日が日常で、毎日が特別……ってなんか日本語おかしいな……」

「プロポーズみたいなこと言うね」
「プロ……!もう、そういうとこだよ、ほんと……」


ほんとに、心臓に悪い。

私は思わずうつむいてしまう。


「前見て歩かないと転ぶよ」
「んなっ…..!こ、転ばないし!そのためにこうやって○○の手、握ってるんだし!」

「膨れてる。そういうとこもかわいいよ」
「う、うるさいなぁ……もう……」

「照れてる」
「照れてないし……!」


心を乱されている。

心拍数測れたらきっと異常値が出る。

そのくらい、ドキドキしてる。


「…………」


私はちょっとでも話題を変えねばと周りを見渡した。

すると、木陰にまるまった一匹の猫を見つけた。


「あ、見て見て、ねこ!」

○○とつないでいた手をほどいて猫に駆け寄る。

これでいったん仕切り直し。


「危ない!」

○○の声に、私は振り向いた。

世界がゆっくりに見えた。

頭のなかが真っ白になった。


「ちょっと……どうして……?」

ひしゃげたガードレールと、フロントガラスの割れた軽自動車。

土煙と、血の匂い。


「いたっ……!」


擦り傷と打ち身。

そして、


「なんで……?」

動かない○○。



・・・



無機質な、一定のリズムでなる音が○○はまだ生きているのだということを教えてくれている。


「お花、買ってきたんだ」
「うん。目が覚めた時に殺風景な部屋じゃ○○も嫌でしょ」


せめて、今私にできること。

○○が目を覚ました時、ちょっとでも優れた気分になりますように。


「なんてお花?」
「グラジオラス」

「綺麗な花だね……」
「うん」


もう、三日も○○は目を覚ましていない。

点滴につながれた○○はピクリとも動かない。


「私、そろそろ行かないと」
「○○のことは、今日暇人のわたしがちゃんと見ておくから」

「お願いね、美空」
「まっかせて!」

アルバイトがあって、早めに抜け出したお見舞い。

休憩時間にスマホを見て見ると、美空から何件も不在着信が残されていた。

そして、メッセージも。

【○○が目を覚ましたよ】

私は急いでその通知をタップしてメッセージアプリを開いた。

もう二件、美空からのメッセージは残されていた。

【でもね、一つ問題があってね…】
【○○、記憶を全部失くしちゃってた】


力が入らず、手からすり抜けたスマホが床に落ちる。

膝から崩れ落ちた私は、地面を眺めて項垂れるだけ。

全部、私が……

私が、悪いんだ……


「もしもし……」
「あ、アルノ!」

アルバイトを終えて、私は真っ先に美空に電話をした。


「明日、会って詳しく話を聞きたい」
「うん。じゃあ……」


そして翌日。

美空から全部話を聞いた私の目からは、涙があふれ出て止まらなかった。


「一から、全部やりなおそう。○○とアルノならできるって!」
「…………」


無理だ。

私のせいで、○○はあんなことになったのに。

それなのに、全部知らない振りして記憶を失った○○ともう一度付き合おうだなんて。

そんなの、あまりにも自分の罪から目をそらしている。


「今日も、お見舞い行こ?」
「でも……」

「いいから、行くよ」

美空に引っ張られるように、私は○○の病室に行った。

やけに静かだと思ったら、○○はまだ目が覚めていないのではないかと思うほどきれいな寝顔で眠っていた。


「あ、寝ちゃってる……。もう少しで目覚ますと思うよ」
「…………」


やっぱり、だめだなぁ。


「美空」
「な、なに?」

「お願いがあるの」
「やだ、まって。言わないで」

「私の代わりに、○○の彼女になってほしい。私が知ってる○○のこと、全部メモにして渡すから。最初から、○○の彼女は美空だったってことにしてほしい。私の存在をもう○○に認識させなくらい」
「バカなこと言わないでよ!冗談なんてほどほどにし……て……。冗談じゃ、ないんだね」

「うん」

美空は、立ち上がったまま床を眺め、爪が手のひらにめり込むんじゃないかってくらい強くこぶしを握っていた。


「わかった。親友の、頼みだから」
「ごめんね、美空」

「謝らないでよ。バカ……」
「ありがとう、美空」

「ううん。わたしが、○○のこと守り続けるから
「ほんとにありがとう。これでわたしは安心して○○から離れられる」


決まったなら、私はすぐにここを離れないと。

○○が、目を覚ましちゃう。

でも、最後だから。

これが、最後だから。


「○○……」

眠っている○○の頬にそっと触れる。


「幸せに……なってね……」


これで、お別れ。

夜、私は私が知っている○○のことを全部メモに書き起こす。

性格は、優しいけれど子供っぽい。

いたずらとかも好き。

好きな食べ物はからあげとハンバーグ。

趣味は読書で、毎日夜に本を読む。

空気の澄んだところが好き、デートは軽いお出かけも含めればしょっちゅうしてた。

定例会は月に一回必ず行う。

もっとできれば、できるに越したことはない。


「それと……」


頭の中が、○○で埋まっていく。

今まで積み重ねてきた思い出が駆け抜けていく。

保育園で出会ったな。

あの頃から、○○は優しかった。

小学校のころはずっと○○の陰に隠れてたな。

あの頃から、○○は野球を始めたっけ。

中学の時は、なかなか一緒に帰れなくて落ち込んだ。

その時に、この気持ちが恋なんだって気づいたっけ。

高校時代はさらに○○の部活が忙しくなって、付き合っているのにまだただの友達みたいって私がわがまま言っちゃった。

それからはじまったんだよね、定例会は。

試合も見に行って、○○が本気で野球と向かい合ってる姿を見て、かっこいいって素直に思ったのを未だに新鮮に覚えてる。

ずっとずっと、私のそばには○○がいてくれて……


「ごめんね……ごめんね……」

大粒の涙がテーブルに落ちる。

メモ帳にも涙がにじむ。


「いけない。泣いちゃ……だめだ」


濡れたページを破り捨てて、最初から書き直す。

ごめんね、○○。

こんなことを思うのも、ただただ私が……



・・・



「アルノ、今度の週末遊びに行こ!」

美空からそう伝えられたのは一昨日。

普段私から誘うことなんてほぼないから、いつも通りといえばいつも通り。

特別なことというわけでもない。

って、集合場所に着くまでは思っていた。


「どうも……」
「……なんで。美空……!」

集合場所には二人いた。

一人は美空。

もう一人は、


「なんで、○○がいるの……!」


もう二度と会わないって。

そう、誓ったのに。


「アルノ、ごめん。でももう、嘘つくのはやめにしたい」
「何言って……!」

「公園とか、行こっか」



・・・



「聞かせて、美空。なんで、こんな状況になってるのか」


東屋に三人。

正方形のテーブルを囲むように座る。


「○○は、何も思い出さない?」
「中西さんのことを?」

「うん」
「覚えてない……」


ほら。

いたずらに、○○に負担をかけるようなこと……


「はず、なんだけど。なんとなく、中西さんって呼び方は違う気がしてる」
「…………!」

「頭の中に靄がかかってて……。何か、異物がつっかえているみたいで……」
「無理は……」

「頑張って、○○。思い出して」
「美空!」

「アルノは黙ってて!」


初めて聞いた、美空の怒鳴り声。

圧倒された私は、のどが張り付いてしまったように声が出なくなってしまった。


「○○」
「なんだい……?」

「渡さなきゃいけなかったものがあるの」

そう言って、美空はバッグから封筒を取り出した。

あれはこの間、私が渡したものと同じもの。

中身は案の定、私が作った栞だった。


「これは……?」
「プレゼント。でも、私からじゃないよ」

「じゃあ、”アルノ”から……?」


額に汗をにじませて、辛そうに顔をしかめる○○。

これ以上はよくない影響も出かねない。

止めようともう一度体を動かすけれど、美空が目で私をけん制する。


「○○……」
「大丈夫。ゆっくりでいいから。思い出そう、全部」

「僕の恋人は……」
「うん」

「美空じゃ……ない……?」
「ダメだよ、美空」

「いいの、これで」
「ダメだよ……!だって、美空だって○○のこと本当に……!」

「だから、これでいいんだよ」


美空の頬には、涙が伝っていた。

涙が、太陽を反射する。


「頭が……痛い……」
「いっかい、○○の家に行こう。アルノもちゃんとついてきて」


徒歩数分の○○の部屋。

最低限の生活ができるようにこしらえたのではないかと思うほど、娯楽に関する物が少ない。

だけど、本棚は違う。

様々なジャンルの小説が多く並んでいる。


「疲れて寝ちゃったみたい」
「美空……」

「もう、そんな顔しないでよ。わたしだって、たっくさん悩んだんだよ」
「でもさ……」

「ほら、シャキっとして!次目覚めたとき、○○は事故の前の○○かもしれないんだから!……アルノだって、まだ○○のこと大好きなクセに」
「……………………」

「いいかげんさ、逃げるのやめなよ。結局自分で、はじめから……一から積み上げればよかったんだよ」
「でも、私が……」

「でもじゃない!」

美空の声に、思わず顔が上がる。

美空は、泣いていた。


「事故の状況なら聞いたよ!あんなの、避けようないじゃん……。アルノが悪いなんてこと、あるわけないじゃん……。アルノは、怖かったんでしょ?○○の中からアルノのことが失われるのが。お別れが怖かったんでしょ?アルノにとって○○がかけてはならないピースだったからこそ、逃げたかったんでしょ?」

言い返すことは、できなかった。

その通りだったから。

一つも間違ってなかったから。


「もう、逃げることもないよ。記憶が戻れば、あの日からの続き。私は選ばれなかった二人の親友で、二人は幼馴染兼カップル。何も変わってない、あの日からの続きなんだから」
「ごめ……」

「あやまらないで。アルノ、知ってる?○○はね、記憶を失っててもわたしに『好き』って言わなかったんだよ。『かわいい』って言ってくれることはあっても、『好き』とは言わなかったの。記憶がなくても、○○の中で一番はアルノなんだよ!……だから、わたしの夢はこれで終わり」
「ん……」

○○が寝返りを打つ。

眠りが浅くなっているのかもしれない。


「わたし、帰る」
「美空、でも……!」

「でもじゃありません!○○の彼女はアルノなの!二人で幸せになっちゃえばいいの!じゃあね!」

本当に、美空は出て行ってしまった。

追いかけて、名前を読んだけど振り返ることはなかった。

私の足じゃ追い付けなくて、美空の姿を見失ってしまった。

どうしたらいいか立ち往生をしていると、美空から一件メッセージが届いていた。

【わたしのことなんか追いかけてないで、○○のそばにいなさい!】

美空にばかり、負担をかけてしまった。

美空の言うとおりだ。

私は結局、怖くて、逃げただけだ。

○○の部屋に戻り、ベッドの傍らに椅子をもってきてそこに腰を下ろした。


「変わらないね、あの日の寝顔から」
「………………ルノ……」

「○○……!」
「アルノ……だよね……」

「目、覚めたの?」
「なんか、長い夢見てたなぁ……。違うな、夢じゃない。全部、僕の思い出だ……。美空に、ちゃんと記憶戻ったよって話さないと……」

「そうだね……」
「ふふ、アルノ、泣いてる」

「そりゃ……泣くよ……」
「好きだよ、ずっと……」



・・・



「はぁ……はぁ……はぁ~」

もう、アルノは追ってきてないかな。

たくさん走って、肺が痛いや。


「それにしても、○○の記憶が戻った……か。よかったよかった。これであの二人も幸せに……」

ほろりと、涙が零れる。

さっきアルノにぶつけて、もう全部この気持ちは清算したのに。


「泣くな……!泣くな……!泣いちゃ……だめ…….」


わたしの意思に反して、溢れる涙は止まらない。

ぬぐっても、ぬぐっても、涙が頬を濡らし続ける。


「バカ……!○○のバカ……!アルノのバカ……!わたしの……ばか!」


好きだった。

大好きだった。

この夢が死ぬまで続けばいいのにって思った。

優しい○○の腕に抱かれていたかった。

もっと頭を撫でられたかった。

もっと添い寝とかもしたかった。

もっと……愛してほしかった……

でも、私が好きになったのは…………


「幸せになって」


───── なんてね

もう少しだけ、あなたのことを好きでいさせて。

サボテンが、枯れてしまうまでは。




………fin

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