冬はつとめて。君笑ひたらばなほよし
かの有名な枕草子では、各季節それぞれの一番趣のある時間帯について歌っているという。
春はあけぼの。
わかる。
夜が明けて、空が白んでいくあの感じはいい。
夏は夜。
これもわかる。
太陽に照らされて、焼け焦げてしまいそうなほどに暑い昼間。
だけど、夜だけはほんの少し涼しくなったりするあの感じは俺も好きだ。
秋は夕暮れ。
これは満場一致と言えるんじゃないか。
夕焼けと、虫の声。
それにかあかあと鳴きながら巣に帰る烏が趣深いと言った清少納言は天才だと思う。
だけど、冬はどうだ。
冬はつとめて。
つとめてって言うのは早朝のことだ。
清少納言、お前は何を言っているんだ。
こんなクッソ寒い朝のどこがいいんだ。
雪降りたるはいふべきにもあらず。
雪が降っている早朝は言うまでもない。
これも、意味がわからない。
雪が降ったら、雪かきが面倒になるだけじゃないか。
そして今、絶賛俺は早朝に学校の雪かきに駆り出されている真っ最中だ。
「早く終わらせないと、早く登校してくる生徒が困るからな」
顧問が何やら指示を飛ばしている。
何で野球部ばかりがこんな面倒な仕事をしなければならないのか。
もやもやとそんなことを思いながら、積もった雪を端へと退けていく。
「さっむ……」
そんな文句を零すたびに、白い息が立ち上る。
冬は嫌いだ。
寒いし、肉体労働は多いし。
この先、俺は冬を好きになることなんてあるのか。
一時間ほどが経ち、昇降口や駐車場付近の雪をあらかた掃除し終えた。
二十人ほどしかいない部員では、中々にハードな仕事だった。
雪かきを片付け終えて、教室に戻ろうとすると。
「おはよう」
「おお、おはよ」
ふわふわのマフラーに首元を包まれたアルノが声をかけてきた。
「雪かきしてたの?」
「ああ、野球部だけな」
俺はふてくされるように足元に転がる塊の雪を蹴飛ばす。
「ありがとね」
優しくそう言うアルノ。
なんか、照れくさくなってしまう。
「べ、別に、アルノのためにやったわけじゃねーし」
くすくすと、からかうみたいに笑ってるのわかってんぞ。
見れてないけど。
「でも、全校生徒のためにやってくれたんでしょ?」
「建前上は」
「じゃあ、その中に私もいるんだし、お礼は言わないと」
真面目か。とツッコミを入れて靴を履き替える。
「にしても、今日は寒いね~」
マフラーを外して、ちょっと先に階段を上り始めた俺に追い付いてきた。
「でも、雪ってなんかいいよね」
「どうして」
「なんだかんだ楽しくない?」
「わからんわ~」
何がいいのやら。
「ほら、小さいときはいっぱい雪だるまとかかまくらとか作ったじゃん」
「あー……作った……かも?」
めっちゃ昔の話だな。
正直、あんまり覚えてない。
「もう、ひどいなぁ」
あ、膨れた。
マルルだって言ったら怒るから、心の中に押しとどめておく。
「じゃあ、今度……!」
「嫌だ。ただでさえ、寒い中での練習も嫌なのに」
「でも、今週末は練習ないんでしょ?」
「だから家から出たくないんだろ」
俺は寒いのが嫌いなんだ。
と、反論するとアルノはまた膨れる。
「いいじゃんか~」などとぶつぶつ言っているのを聞きながら、俺達は教室に入る。
「相変わらず仲いいな~」
なんて言う冷やかしはもう慣れてる。
「付き合ってるんじゃないの~」
それにアルノが、少しだけ俯く。
撤回。
やっぱ恥ずかしいわ。
「はい、じゃあ今日の練習は早めだけど終わり。風邪ひかないようにな」
あざした!と部員全員が頭を下げる。
18時。
トレーニングだけとは言え、早く終わったものだ。
帰りはどっか寄って帰るかな……
とか思いながら、校門に向かう。
「やっと来た」
「何で居んの?」
「委員会の仕事してたの。で、野球部早く終わった見たいって聞いたから待ってた」
「そーゆーことね」
もう辺りも街灯なしだと足元見えなくなりそうなくらいだから。
「足元だけ気をつけてな」
一緒に帰ることにした。
その道中。
「はぁ~……」
アルノが頻りにため息をついている。
気になって、見てみる。
「寒いね~。朝より寒いんじゃないかな?」
ため息をついているんじゃなく、両手を合わせて息で温めていた。
「あれ、手袋は?」
「忘れてきちゃって……」
しっかりしてそうで、ところどころ抜けてるところはやっぱり変わらんなぁ。
指先は、鼻先と同じくらい赤くなっている。
「あー……」
仕方がない。
「これ、使いなよ」
俺は着けていた手袋を外して、アルノに差し出す。
「え、いいの?」
「ああ、俺は……ポケットにでも突っ込んでおくから」
「ありがと」
アルノは手袋を受け取り、さっそくはめる。
「へへ、ちょっと大きいね」
と言って笑うアルノ。
静かに降る、粉雪のせいだ。
こんなに、可愛く見えるのは。
しかし、やっぱり冷えるな……
俺は、意識せずとも手をこすり合わせている。
「…………」
「……どうかした?」
アルノからものすごい視線を感じる。
「やっぱ、手寒いんでしょ」
「いいよ、気にしなくて」
「でも」と言って、アルノは何か思いついたようにもう一度こちらを見る。
「はい」
アルノは、右手の手袋を俺に返す。
「片手だけでもってこと?」
ありがたく、右手だけ手袋をはめると、
「これでどう?」
アルノの右手と、俺の左手が繋がれる。
「え、なにやって……」
「これなら二人とも寒くない」
満面の笑みを浮かべるアルノ。
あぁ、こういうところ。
こういうところが。
「ねえ、雪積もるかな、今週末」
アルノが目を輝かせる。
「もう、積もんなくていいよ」
俺は空を見ながら、そう呟く。
「でも、積もったら」
「雪合戦しよ」
「積もったらな!」
「ん……あぁ……」
日曜日、今日は部活が休み。
なのに、
「まだ五時半かよ……」
いつもの癖が抜けない。
これも全部、一昨日駆り出された雪かきのせいだ。
ちなみに外は……
俺はカーテンを開けて、外を確かめてみる。
「積もって……るな……」
思い出される約束。
「まさかね……朝っぱらから声かけてなんて来ないよね……」
トイレに行って、もうひと眠りするかと部屋に戻る。
なんか、スマホ震えてない?
画面を見てみると、そこに表示されていた名前はもちろん。
「アルノだ……」
内容は想像つく。
「もしもし」
恐る恐る電話に出てみる。
『おはよ、起こしちゃったかな』
「いや、目覚めてたから大丈夫。アルノこそ早いね」
『うん、雪積もったか気になっちゃって』
「積もってよかったな」
『公園集合にする?』
ここで反抗したって無駄なんだと悟った。
「いや、迎えに行くよ。着いたらまた連絡する」
出来るだけ厚着をして、俺は家を出た。
「見事に積もったね~」
もこもこと厚着をして出てきたアルノ。
冬はつとめて。
冷たい空気が喉に突き刺さる。
「いいね、この感じ。爽やかで」
時刻は午前六時半。
日は、登り始めたばかり。
「寒いだけだよ」
寒いから、空気が張ってるだけ。
「公園なら綺麗に積もってるかな」
「……そうじゃない」
やけに楽しそうだな。
二人で近くの公園に向かうと、
「おー!積もってる~」
新雪が、全く踏み荒らされていない状態。
「何すんの?」
「うーん……雪合戦でもしよっか」
そう言うと、アルノは手袋を外して雪玉を固め始める。
「それっ」
ひょろひょろと雪玉が飛んでくる。
それは、ウインドブレーカーにぶつかって一瞬で崩れる。
「ほら、○○も!」
俺は、当たっても痛くないくらいに雪玉を固めて、腕を振る。
「うわぁっ!」
飛び交う雪玉。
昇り始める朝日。
まるで、小学生かのような二人。
「そんなんじゃ当たんないぞ!」
動いて、体も暖かくなってきた。
小一時間ほど経っただろうか。
「疲れたね~」
満足そうにそう言ったアルノ。
「ああ、疲れた」
俺も、ちょっとだけ晴れやか。
「雪だるま、作ろうよ」
「しょうがないな」
雪玉を転がして、気が付けば膝丈くらいの大きさ。
土台にするにはちょうどいいくらい。
「おーい、こっちは出来たぞ」
声をかけると、アルノは俺の作った雪玉の二回り小さいくらいの雪玉をもって来る。
「よいしょ……!」
そして、二つの雪玉を積み重ねて、
「完成!」
下の方がちょっと大きい、不格好な雪だるま。
「なんかバランス悪くね?」
思わず、笑みがこぼれる。
「もうちょっと頭大きくてよかったかな?」
隣でアルノが首をかしげる。
「ねえ、○○」
「ん?」
「冬って、なんかいいね!」
笑顔で、アルノが俺にそう言った。
日が昇り、真っ白な雪がキラキラと光る。
その光に照らされたアルノは、まるで妖精のようにきれいで。
「ちょっとだけな」
冬はつとめて。
ちょっとだけわかってきた。
雪降りたるはいふべきにもあらず。
確かに、悪くないかも。
「○○は楽しかった?」
「ああ、楽しかったよ」
「やった」
アルノはまた、輝くような笑顔を見せた。
清少納言に一つ提案だ。
あの二文の後に、こんなのを付け加えてみてはどうだろう。
『君笑ひたらばなほよし』
なんて、一文を。
…...fin