君と出会い、青を駆ける 《第1話》
第1話 君と出会い
舞い落ちた一片のサクラが、川に流れるカーペットに加わり、街を彩る。
住宅街を歩く少年少女たちは、それぞれ制服こそ違えど、みなその制服は真新しく、期待と不安が入り混じった感情を抱きながら新たな学び舎へと歩みを進めている。
「おはよ~」
「おはよ!」
期待と不安。
真新し制服と言えば俺たちも例外ではない。
向かいの家から出てきた、眠たそうに小さくあくびをした彩と朝の挨拶を交わし、並んで歩く。
「朝から元気だね、○○」
「だって、高校生活始まるんだぞ!そりゃ楽しみっしょ」
そして、少しだけ歩いてから足を止め、一軒家のインターホンを押し込む。
甲高いインターホンの音からほどなくして、彩とは比較にならないほど眠たそうな暗い金髪の少年が玄関から姿を現す。
「おす、碧衣」
「元気いいね……」
「おはよ~碧衣」
「おはよ、彩」
俺たちと挨拶を交わした少年。
名前は成瀬碧衣。
クォーター、派手な髪色、顔だちも端正で肌も白い。
ぱっと見では女の子に見えるかもしれないが、まぎれもなく碧衣は男だ。
「相変わらず朝弱いな」
「しょうがないだろ……こればっかりは……。寝坊はしてないんだし、文句言われる筋合いはない……」
大きなあくびをして、碧衣は頬を手のひらでぱちんと叩く。
その衝撃で無理やり目を覚ましたのか、深呼吸をしてから背筋を伸ばした。
「よし、行こう」
「切り替えはや」
「相変わらずだね」
彩とは保育園からの幼馴染。
碧衣とは、碧衣が小4で転校してきてからの腐れ縁。
俺が私立乃木坂高校を目指したのは、この二人がこの高校を受験すると聞いたからに他ならない。
しかし、問題はいくつかある。
「〇〇、もう入る部活決めた?」
「いや、なんも」
「野球は続けないの?」
「続けないかなー」
中学の頃は碧衣とともに野球部に所属していたが、大事な大会の前にケガをして最後の試合に出ることは叶わなかった。
そして、乃木高の野球部はさして強くもなく、高校で野球を続けることは考えていなかった。
「彩は?」
「私はもう吹奏楽部しか考えてないよ」
「碧衣は?」
「僕は今のところ帰宅部。団体競技は……もういいかな」
「乃木高なら部活もたくさんあるだろうし、どうせ○○は部活見学でいい感じの部活探すんでしょ?」
「どうせってなんだ、どうせって。まあ、探すけどさ」
野球を続ける気はないけれど、何かしらの運動部には入りたい。
結局、八年も続けてきた勝負の世界から身を引くことはできないのだ。
「それもこれも、入学式が終わってからだな」
最寄駅から十分、乗り換えなし。
電車を降りると、乗り込む前に比べて周囲が着ている制服にも統一感が生まれてくる。
駅から出て、歩くこと三分。
見えてきた大きな校門。
これから三年間の青春を過ごす、私立乃木坂高校。
・・・
晴れて、高校に入学したはいいものの、やはり腐れ縁というのは恐ろしいもので。
三年間クラス替えのないこの高校で、またしても碧衣と彩、二人と同じクラスになった。
彩とは保育園から、碧衣とは小学校四年生からの大記録だ。
「にしても、長かった~」
「校長先生、十分くらい話してたな」
入学式も、軽いオリエンテーションも終わり、教室から生徒が一気に減った。
みんな、向かうところは今ちょうど行われている部活動の勧誘会だろう。
校門から正門までの一直線の道に、机や運動部員たちがずらーっと並んで新入生に声を掛けていく一大行事。
高校入学前にすでに部活を決めているのなんてごく一部で、大半はこの勧誘と仮入部を経て部活動を決める。
「○○はこれから勧誘見に行くん?」
「かな。って、彩は?」
「もう吹奏楽部の入部届け出しにいったよ」
「はっや。碧衣はどうすんの?」
「僕は帰る。本屋寄って帰りたいし」
「おっけ。んじゃ、また明日な~」
カバンを肩にかけ、碧衣に別れの挨拶をして教室を飛び出し、階段を駆け下りる。
期待に胸を膨らませながら正門を出ると、活気にあふれた光景が目の前に広がっていた。
「君、野球とか上手そうだね!」
「テニスなんてどう?」
「いやいや、バドミントンでしょ!」
三歩進む度に声を掛けられ、ポスターを渡され、一つの冊子くらいになったものをカバンに詰め込む。
しかし、声こそかけられるが、ピンとこない。
このまま、帰宅部か文化部でもいいかな。
「君!」
なんて考えながら歩いていた時。
声を掛けられて、振り向く。
「は、はい……!」
振り向いた先にはとんでもない美人。
ポスターをもって、笑顔で俺の方に小走りで近寄ってくる。
「君、弓道、興味あるかな!」
「あ、あります!」
びっくりして。
目の前の美少女に一目ぼれして。
俺は反射的に「はい」と返事をしてしまった。
「ほんとに!じゃあ早速、弓道場いこ!」
とんでも美少女の先輩に手首をつかまれ、走り出す先輩に引っ張られて走り出す。
そして、連れていかれた先は、野球場の脇にある木造の建物。
看板には『乃木坂高校弓道場』と書かれている。
「ようこそ、乃木坂高校弓道部へ!中に入って待っててね。たくさん新入生いると思うから」
促されて弓道場に入ると、先輩が行っていた通り三十人ほどの新入生がすでに座って待っている。
そしてその奥、弓道場の端。
目つきの悪い、一際目立つ大柄の男子生徒がどこか難しい顔をしながら正座をしていた。
「あいつ、同じクラスだった気が……まあいっか」
俺も空いているところを探して腰を下ろす。
しかし、これだけの人数。
ほとんどが男子生徒であることを考えれば、きっとみんなのお目当ては……
「ごめんね、おまたせしました!」
弓道場がざわつく。
数分が経って現れたのは、袴に身を包み、先ほどまで下ろしていた髪を後ろで一つに結んだ井上先輩。
身の丈の1.5倍はある長弓と、よくしなりそうな矢をもっている。
「口で色々説明するのもだから、今からみんなには私の射を見てもらいます!……あ、申し遅れました。私は弓道部二年、井上和です。和弓の和って書いて、なぎです」
そう言いながら、持っていた長弓を持ち上げる井上先輩。
再びざわつく弓道場。
新入生の男子たち。
「井上先輩か……」
自己紹介を済ませた井上先輩が、数十メートルほどある的の正面に半身で立ち、弓に矢を番える。
どことなくその空気を察したのか、先ほどまでのざわつきはシンと静まり返り、ひりついた空気が痛いほどに刺激する。
矢を番えた弓を頭の上までもっていき、矢を引く。
ギリギリと矢を引いていた腕が、目元で止まる。
それはほんの五秒もないくらいだったのかもしれないが、緊張感と美しさが相まって、永遠の時間のようにも感じられた。
そんな緊張の中、カァンという音が、張り詰めていた空気を震わせ、瞬く間に空気を切り裂いて進んでいった矢が乾いた音とともに的に突き刺さった。
「よし!」
脇に控えていた弓道部の先輩たちの声に、新入生が驚き、直後の振り向いた井上先輩の笑顔でその場の空気が弓を引く前に立ち戻る。
「当たってよかったぁ~……って、的前でこんなこと言っちゃいけないね。それじゃあ、今日のデモンストレーション?は終わり!興味がある人は、明日の仮入部にも来てね!」
手を振る井上先輩の姿を目に焼き付けて、俺は弓道場を出た。
・・・
「なあなあ。俺、入る部活決めたわ!」
「お、何にするん?」
オリエンテーション続きの一日が終わり、今日から部活は仮入部。
ここから一週間で、各々入る部活を決めるのだ。
「俺、弓道部に入ることにした」
「弓道?」
席を立っていた彩が部活に行くためカバンを取りに来たところ、俺たちの会話が聞こえたらしく、不思議そうに首をかしげて会話に入ってくる。
「ああ、弓道。弓打つんだよ」
俺が弓を引く動作をすると、碧衣も彩も、さらに不思議そうな表情を浮かべた。
「いや、それはわかってるけど」
「またどうして弓道?」
「それがさ、昨日の勧誘会に行って、弓道部の先輩に声かけられてさ~」
「それで?」
「その、声かけてくれた先輩がめっ……ちゃ可愛かったんだよ!」
「はい、解散」
「あきれた」
「まてまて!さすがにそれだけじゃないって!」
カバンを肩にかけて席を立った碧衣と、身を翻した彩を慌てて引き留める。
「それだけだろ」
「ほかに何があるのさ」
「その先輩が、デモンストレーションで一本打ったんだよ。それがほんとに、息も忘れるくらい綺麗だったんだ」
どこから発されたのかわからない、心を震わせるようなカァンという音。
矢が的に突き刺さる、乾いた音。
そして、それ自体が一枚の絵画だと言われても何も疑うことないくらい綺麗な、井上先輩の弓を打った後の姿。
全部、俺に刺さって抜けなかった。
「てことで、俺は今日から弓道部行くから!」
「はいはい」
「いってらっしゃ~い」
二人に見送られて、俺は教室を飛び出す。
階段も残り少なくなったら飛び降りるし、靴もちゃんと履けているかどうかわからないくらい急いで弓道場に走った。
弓道場が見えてきたとき、昨日も聞いたカァンという音と、矢が的に刺さる音が俺の鼓膜を刺激した。
「井上先輩……?」
俺が恐る恐る道場の戸を開くと、そこにいたのは弓を持った井上先輩……ではなく、180cmは超えている、男子生徒が袴を着て弓を射ていた。
「あいつ、たしか……」
その生徒には見覚えがあった。
昨日、弓道場の端にいた一年生で、今朝確認して同じクラスだった。
名前は確か……
「なあなあ、今日も井上先輩の射、見られるかな?」
「あの先輩可愛すぎるよなぁ!」
背後からの声。
新入生たちが続々と道場に集まってきていた。
俺もそこに混ざって入ればいいか。
なんて思っていると、袴姿の男子生徒の舌打ちが閑散とした弓道場をこだました。
そして、その男子生徒は弓を壁沿いに掛けると、いかにも機嫌の悪そうな顔でこちらに近づいてきた。
「お前ら」
その声に、俺のみならず、背後にいた同級生たちも姿勢を正す。
「そんなクソみたいな理由で弓道選んだのかよ」
「な……!お、お前、一年だろ」
「それがどうかしたかよ。あんなクソみたいな理由だったら、お前らには弓道向いてねーよ」
蛇ににらまれたように身がすくみ、駆けだす足音が幾重にも重なったのを目視できない。
きっと、もうこの場に残っているのはこの大柄な男子と俺だけ。
その男子生徒は、俺以外が散っていったのを見ると、視線を少し落として俺に向ける。
「お、お前……五組の矢巾大吾……だろ?」
「だったらなんだよ」
「同じクラスの、掛川○○だ」
「掛川……?知らねぇな。お前もどうせ、和先輩目当てなんだろ?だったら、さっきのやつらみたいにさっさとほかの部活見に行けよ。弓道は、そんな生ぬるいもんじゃねえんだよ」
「お、俺は……!」
「俺は、なんだよ」
でかいやつは、これだから嫌だ。
人相も悪いし、舌打ちだけでこちらを威圧してくる。
「ほら、さっさと……」
「ストーップ!」
後ろから聞こえてきた声に、体の緊張がゆるみ、肩から一気に力が抜ける。
振り返ると、そこには井上先輩がいた。
「大吾も、君も、的前で喧嘩はダメじゃない」
「すんません」
「す、すみません……」
って、大吾!?
どんな関係なんだ、この二人……!
という疑問は、この雰囲気で口にできるはずもなく、泣く泣く飲み込む。
「別に、喧嘩じゃねっす。俺はただ、こいつに弓道部入んなって言ってただけなんで」
「それがダメだって言ってるの。せっかくの新入部員、大吾のせいでほとんどいなくなっちゃったじゃん!」
「……すんません」
「君、大吾に殴られたりしなかった?」
「あ、はい……!」
「なら、よかった。お互い、言いたいことがあるんだったら、弓で語らないと」
「弓で?」
「そう、弓で。君……えっと、名前は?」
「掛川○○です」
「掛川くんね。ジャージ、持ってる?」
「一応……」
「じゃあ、ちょっと更衣室で着替えてきて」
井上先輩に促され、俺は弓道場に併設されていた木造の控室に入る。
カバンから、まだ新品のジャージを取り出して着替えると、更衣室の戸がノックされる。
「掛川くん、着替え終わった?」
「は、はい……!終わりました……!」
更衣室を出ると、同じくジャージに着替え、髪を昨日と同じように後ろで結んだ井上先輩が待っていた。
「あの、弓で語るって言ってましたけど。それって、どうやって……?」
「それはね……」
井上先輩についていくと、先ほど見ていた道場。
矢巾は腕を組んで待っていた。
「勝負するんだよ!弓道で!」
………つづく
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