Twitterを消してみて
※Twitter(X)内の用語を使用しています。
私はよくTwitterを触っていたのですが、俗に言うSNS疲れになってしまったのでTwitterをアンインストールして1週間程度経つと気分が快適になりました。そこで、なぜ気分が快適になったのかを書いていこうと思います。
おすすめ欄
私がTwitterを使う上で一番苦手だったことは、おすすめ欄でした。罵倒や宣伝、バズった投稿が勝手に表示される仕組みです。昔はフォローしている方のみが表示されていましたが、いつかのアップデートで追加されました。
おすすめ欄の苦手な所は大きく2点あり、「興味を引かせようとしてくる」こと、「他の人におすすめ欄に私の投稿したツイートが流れる」ことが挙げられます。
前者は、私の見た投稿やフォローしている人に関連した投稿をおすすめで表示するので、何かと気になる話題をおすすめで出してきます。欲しくないけど見たら気になる情報が詰め込まれているので、一度見ると無意識にスマホをいじって見てしまうことが多いです。
また、おすすめで出てくる話題は棘があることも少なくないです。私の場合は、暴言を交えた討論や悲しいニュースなどを見かけました。私が当事者という訳ではありませんが、私自身にダメージが入る機会が多かったです。
後者は、おすすめで他人にもツイートが流れてきます。
昔のTwitterは他人に見られている回数表示(インプレッション)やおすすめ機能がなかったので、見られていることを意識しづらい構成になっていました。私もお手軽にツイートをを楽しんでいました。しかし、機能が追加される度に、見られているという事実でツイートすることに息苦しさを感じる事が増えていきました。
承認欲求
Twitterを辞めて承認欲求を飼い慣らすことが分かってきました。
私はいいねされたいという気持ちがありました。至って普通の承認欲求ですが、それが原因でツイートが猫をかぶることがありました。猫被りツイートは、これ頑張ったから誉めて感を出すツイートが多かったです。実際は丁寧に物事を考えて見たり、あれこれだらだらと考えたことを発信するのが好きなのですが。。
猫被りツイートはいいねを貰えて承認欲求は得られますが、Twitterをやっている意義や目的を失うので虚しさしか残りませんでした。
今は、「いいね」の3文字にいかに踊らされていたのかを知れましたし、承認欲求にも踊らされる機会が減って、私自身がやりたいことに目を向けやすくなりました。
人と比べる
Twitterは他ブログ(Facebook、Instagram)と比較すると文字でのツールですが、それでも私は人のツイートを見て劣等感を患うことがありました。
おすすめ欄の話でも合ったように私はあまりツイートをしなかったのですが、そうなるとツイートを沢山している人を羨ましく感じてしまうこともあります。
いいねの数や業績、結果、食べ物の写真、友達と遊んだ報告、など挙げればキリがないツイート1つ1つに軽いジャブを打たれたような気持ちになりました。
そしてジャブを受け続けた結果、自己肯定感の低下から承認欲求が欲しくなる、そんな悪循環に陥ってしまうこともありました。
終わりに
Twitterは年月と共に、人と人の繋がりをより密接にする、そんなアプリになっています。
最初アンインストールした時は後悔もありましたが、今はこうやってNoteを書いたり、好きなことを出来る時間が増えて清々しいです。
総じて、今私に有益なものでも、今後は私も相手も変わり有益になるかが分からないことを学べました。