訃報@「家族だけで送る」

死んだのは弟。
突然だった。

昨夜、弟の連れ合いさんが訪ねてきた。
おそらく20年ぶりくらいにこの家に来たのではないか。
昔はよく来ていたが、姑、小姑に嫌な思いをさせらてれ以来疎遠になっていた。
その弟の連れ合いさんが立派に成人した息子二人をつれて突然訪ねてきた。

呼び鈴に応じて扉を開くと、玄関のまえに立っていた家族のなかに弟はいなかった。
なんとなく予感はした。
言いにくそうに言葉を絞りだした。
◯◯つまり私の弟が死んだ、と。

実家と疎遠になったとはいえ、弟とは、年に何回かは会って話をしていた。
弟は自分の事務所の内装を自分でつくってしまうという大工のマネごとができる器用さと知識をもっていて、私はDIYや家の修繕なんかで困ると意見を聞いたりした。
他には仕事の話しなんかがメインだった。
弟は建築パースを描くのが生業だった。
その辺の絵描きより高い金額で売れる、と笑っていた職人仕事だったのが、いつしかMACのアプリ操作の仕事になり、単価は落ち、さらに最近では仕事そのものがなくなってきていると嘆いていた。
仕事の話がおわるとネトウヨのような嫌韓話や、安倍推しのような政治のことも喋っていた。
どちらかというとサヨ傾向だった私とは感覚が合わなかったが、論議はしたくなかったから私から意見を言うことなくただ聴いていた。

ある日、私だけがやっていた親の「日曜使役」を当番制でやらないか、と弟に投げかけたことがあった。
弟にとっても親なので、当然引き受けると思ったのだが、弟は親の日曜活動そのものを「やめればいいのに」と否定して、送迎するのを渋った。
流石に私も意見を言ったが、迷惑そうな顔がみえた。
やがて親の夕食を出す時間になり、面倒くさくなってきて、結局は腹立ち紛れに「もう帰れ」とキツいトーンで言い放ち追い返した。
それ以来、弟から連絡してくることはなくなった。
私は私で、実の親の様子を何も訊いてこないことに呆れていて、親の身の上になにか変化があっても、よほどでなければ連絡はしなかった。
入院したことは連絡をしなかったが、入院中の母親の心臓が止まったときに電話をした。が、力ない頷きがあっただけだった。
寒そげな希薄な空気を感じた。

私が親の介護で心身ともに削られているときも、様子も訊いてこない弟にやはり腹を立ててはいたのだろう、何もしないのに遺産分けは請求してくるんじゃないか、とさえ考えてしまった。とくに遺言があるわけじゃないから、法定相続に従うしかないのだけど、なんとなく釈然としない、なんて考えていた。

そんな下衆なこともいつしか思わなくなったのに弟は死んだ。

どうやら眠られない夜が続いていたらしい。
鬱だったのか?それとも精神的になにかあったか?
分からないし、そんな状況は知らなかった。
何も分からない、何も言ってこなかった。
仕事が上手く行ってないことは聞いていた。
特になにかが楽しいという話はなかった。
平均寿命までの長い余生があることを憂う、という言葉は聞いた。

ふと思った。
もしかしたら、あの時すでに「親の介護」どころではなかったのかもしれない。
「もう帰れ」と追い返したあの場面が浮かんだ。

どっちにしろ、もう、あいつの気持ちは訊くことは出来ない。

二人の息子と並んで玄関の前に立つ弟の連れ合いさんは、どうしていいか分からない、と言った。
弟は生前、自分が死んだときは葬儀など一切せずに火葬場直送にして欲しい、と言っていたそうだ。
とはいえ遺族として「通夜と葬式はする」と言った。
私も行きます、と言ったが、どうも家族の表情にシックリくるものがなく、私は悟った。
どうやら家族3人だけで「送りたい」ようだった。
最初に切り出した「分からない」は、世間的に「それでいいのか分からない」ということだった。
私は弟の意思や遺族の希望に茶々をいれるほど横柄ではない。
奇しくも「火葬場直送」は私も言っていることだ。
遺された家族に儀式で迷惑をかけたくないという気持ちはよく分かる。

弟と家族の気持ちを察し、式への参列を辞退した。
親族や関係者には事後報告することに賛成した。
「どうしてよいのか分からない」に、「遺族の思うようにすればいい」と答えた。

どこまでが「遺族」か、という話もあるだろう。
私自身も遺族ではないか?と考える。
おそらく家族以外にも、「送りたい」という親族、友人はいるのだろう?
そうした人々をオミットして家族だけで送っていいのか?と言えるかもしれない。
ただ他人が入れば、家族はどうしてもホストとなり本当に別れを惜しむことにはならないだろう。しかも他人のなかには義理で参列する人もいるのは、私も何度も義理で参列したから分かる。
結構親しい人が亡くなっても、セレモニーになってしまっては、意味の分からないセレモニーに飲み込まれ純粋に送ることは難しいと感じていた。
なので私は、もうセレモニーには参加しない、とだいぶ前に決めている。それ以来そうした連絡を頂いても一切葬式にはでていない。
ただ、今回は考えることなく「参列する」と言葉にでた。
としたところをみると、少なくとも義理ではない。

10分ほど立ち話をして弟の家族が帰った。
私は酒を飲みながら、弟の思い出に浸っていた。
なんやかやいいながら、半世紀以上兄弟をやってきたので、それなりに思いもある。
助けてもらったこともあるし、笑いあったこともある。
喧嘩したこともある。
子どもの頃のことさえ思い出される。

そして、今もテキストを綴りながら思いに耽っている。
ぼんやりした思いをテキストにして綴る。
テキストにすることで気持ちの整理をしようとするのは私の性癖なんだろう。
そうだな、テキストに綴ることで弟を送ることにしょう。

とはいえ、これを書きながら動揺している自分も分かる。
あいつはどんな思いで死んだのか?
最後のやり取りがあれでよかったのか?
あの時、もっとほかの言葉はでてこなかったのか?
仕方ないな、人はいつ死ぬか分からないわけだし。
しても仕方のない後悔はしないが、自ら吐き出した言葉はいつまでも忘れることはないだろうなぁ、と、窓をあけて空を仰ぐ。
雲の多い空だったが日差しは真夏のようだ。
まだ暑いなぁ、と愚痴りながらも生きているんだ、と思う。

誰しも、どこからかこの世にあらわれて、いつかこの世からいなくなる。
ただ、それだけのことではないか、と、改めて、そして何度も思うことをまた書いている。


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