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表現とは「ただ在る」を「特別な在る」にすること@写真集完成によせて

やっと写真集が完成しましたので、記念エッセイでもお一つ(笑)

やっと完成しました。
今回は、初版の致命的な失敗でどうしたものか悩みつつも作り直しました。
そして完成しました。今度こそほんとの完成です。

致命的な失敗箇所を直すことは当然として、プリントの特性としてやや暗めになるころがわかりましたので、一枚づつフォトショップで微調整をし直しました。
さらには同じ写真ばかりでは面白くないので、最初のチョイスのときに迷っていた写真を8枚ほど差し替えました。
内容がいまひとつだったテキストもバッサリと削除し、その分写真を大きくしたりとレイアウトも変えました。
目次もないので、ノンブルも消しました。
極力写真だけにしました。

ちょっと別物の写真集になった感じです、笑

noteで予約していただいた皆様には昨日郵送しましたので、もしかしたら本日届くかもしれません。
自信をもって楽しみにしていてくださいと、言おうと思います。
(「この記事をサポートする」から入金いただければ幸いです。諸費用が意外と引かれるんで驚きですが^^;)

さて、いまのとこの悩みは、失敗した初版本をどうしようか?ということ。捨てるのも悲しいしもったいないと考えています。
さて、さてどうしたものか、、、??

さて、ここからが記念エッセイです。

先立って失敗した初版を観てもらった友人たちの言葉がおもしろかったので紹介します。
その友人たちは写真集のロケ地である「いつもの森」をよく知っていますが、写真集を観ながら、「いつもの森じゃないみたい」と言いました、笑。

はい、そうです「いつもの森」じゃありません。嘘です「いつもの森」です。
それは、そうなんですが、写真集にある風景等はいつも見られるものではありません。
通い続けて、試行錯誤しながらときに偶然にその瞬間を捉えました。
なので、写真集をみて「風光明媚」「花やキノコや鳥や虫やご遺体に会える森」と勘違いして、実際に来てしまうと、落胆されると思います。
実際に、風景写真を撮るためにこの森に訪れる人はほとんどいない「平凡な里山」ですし、「花やキノコや虫やご遺体」がいつもいることもありません。

ただね、「なんでもない」の中にも光る瞬間はある、ということを表現したい、と思っているんです。
「いつもの森」の「いつも」でない瞬間は、モデル自身が際立つ瞬間であることもあれば、モデルを取り囲む光が絶妙なこともあります。普段は見過ごされてしまうのだけど、必ず「その瞬間」をもっています。出会わないと気づかないのですが、予想して出会うこともあります。

確かに「その瞬間」をもっていますが、人間でないモデルたちは「その瞬間」を意識することも、主張することもありません。意識は「無」です。ただ在ります。

でも人間である私は「その瞬間」を意識します。
「ただ在る」から「特別な在る」に昇華させます。
「その瞬間」と出会うこと、「その瞬間」を「唯から特別」にするのは、私自身の感性ですし、在るのさせかたは私の表現です。

写真とは私にとって、そういう意味をもっています。
写真集はその具現です。

観て頂き共感いただけるのは、嬉しいことです。
ありがとうございます。


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毒多
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