売るために読むという本末転倒 PASSAGE日記 #4
締切がなければ小説を書き上げることなんてないだろうという作家の話を聞いたことがある。締切があるから追い込みをするし、缶詰をする。
お金のない学生時代、図書館を利用した。図書館には当然返却期限があり、返却期限までに本を読まなければならなかった。
お金を稼ぎ、本を購入して自分の所有物とし、読みたいときに読みたいものを読めるようになった。
購入さえすれば、その本は私のものとなり、いつ読んだって構わない。読まずに床に積んでいたとしても、誰に責められる謂れはない。
なけなしの時間からなんとか時間を捻出して本を読み耽った十代に比べて、あの切実さや必死さは衰えている。
いつでも読めるというあの油断は、極論、永久に読まないかもしれない。
広がったように見えた私の読書は、どこか浅薄になった。切羽詰まるようなものは無くなった。余裕をかまし、いつでも読めると思い、そう思った本は永久に読まれない。
何かがおかしいとは気づいていた。
私は意志薄弱な自分を嫌というくらい知っている。
「やりたい」と思っても「やるしかない」道筋を作らなければ、それは実現しない。
「この本を読み上げて、次のPASSAGE搬入で持っていく」
たったこれだけのことなのに、私の読書は劇的に変わった。
嫌々ではない。この本を誰かに薦めたいと思うと「早く読み終えないと」と自然に思う。
せっかくなら、今この時代に読んでほしい。
適度なプレッシャー。
それにより私の読む本は劇的に増えた。
こんなことを期待していたわけではないけれど、恐るべきPASSAGE。
「人に好きな本を薦めたい」という欲求は、なかなかどうして力強く厄介で、度し難い。