鈴木大拙先生に学ぶ
令和2年8月致知のテーマは「鈴木大拙に学ぶ人間学」です。言葉が書かれていないので、言葉を辞書で引いてみて、その意味から文章を紡いでいく通称山崎作戦が使えません。(#^.^#)う~ん残念!
世界で人気の禅
最近ではニュースピックスでも「禅」を取り上げる会があって、外国の方でも悟りを開いている方がいらっしゃいます。人種とか場所で変わらないものもあるんだなあとつくづく思います。
そこでも鈴木大拙の名前が何回も出てきます。禅を修行している賢者は、修行したところからあまり離れないのかな?と思っていましたが、大拙はアメリカでも禅を広げ、90歳でインドにも言っています。
「禅」はアジアのものだからとか、自分はもう年だから飛行機には乗らないという、常識的なこだわりが感じられません。
これまで私は、怒りとか悲しみを超越して、
なんてことなく日々過ごすことができようになれる。
それが「禅」だと思っていました。
でも、8月号の致知を読んでそれは違うかもしれないと感じるようになりました。日々感じる自分の気持ちの変化を丁寧に看取っていることがわかったからです。禅の達人も恥ずかしがったり人目をはばからず泣いたりすることを知ったからです。
アメリカでは大拙先生の弟子がたくさんいます。弟子の方が困っていたことは、アメリカ人はホームパーティーの中で「簡単に悟りを開くことができる方法を教えてくれ。」と最短距離で目的を達成する方法を教えてくれるように頼むということでした。これは、なるべく早く仕事を達成する・成功することが目的ならそれが正しいことになります。
でも道を学ぶ「禅」は最速で目的地に着いたとしても、途中で気づくはずだったことがすっぽりと抜け落ちてしまうと実はいけないって教えてくれているように私には思えるのです。苦しむときはしっかり苦しむことそれは結構大切なことなんです。
西遊記っていう話がありますよね。
三蔵法師と悟空と沙悟浄と猪八戒が旅をしますが、筋斗雲にみんなで乗って天竺まで行けばあっという間につくのになあって小さい頃思ったことはありませんか?
しかし、今はわかります。金閣や銀閣に会うこと、芭蕉扇で吹き飛ばされること自体がきっと修行なんですね。
特別支援学級を担任する私はいつも困惑したり解決策が見つからないと思い込んだりすることが多くあります。
暗闇の中でも階段の一段一段がどこにあるのかを手探り足探りして一段でも上に登っていけるようにしたいなって思いました。
#note大学新入生