本の紹介1冊目~続き⑥~まとめ:神鷲(ガルーダ)商人 戦後賠償金の行方
今回は、ガルーダ商人の紹介のまとめです。
初回で紹介した、プロローグの問いかけに対する答えを探したいと思います。それでは、再掲します。
そう、803億円のインドネシア賠償金はどこに行ったのでしょうか?
以下が、インドネシア賠償プロジェクト803億円の内訳になります。
作中に出てくる主なプロジェクトは、ホテル建設(インドネシア)、デパート(サリナ)建設、船舶、テレビ関連機材です。
作中では、船舶→ホテル→テレビ関連機材→デパートの順番でストーリーが展開されますが、最後のデパートに至っては、政治的なゴリ押しをしたことが分かります。
803億円の半分の3分の1が機械類・運搬用機器なので、これは売り切りで、商社からの輸出で済みます。
他方、約420億円がプロジェクト・プラント類ということで、これは商社からゼネコン(建設会社)に発注する案件になります。
それでは、作中に出てくる、インドネシア・ホテル、サリナ・デパートを解説したいと思います。(紐付き賠償金の仕組みを知らない方は、以下参照)
建設プロジェクトの資金の流れ(フロー)は以下の通りです。
非常になまなましいですが、戦後賠償プロジェクトで、商社・政治家・建設会社が巨額の利益を上げた姿が分かると思います。
資金源は、国民の税金です。それが、インドネシアの要求という形をとって、プロジェクトを組成する際には、商社が割り込んで、政治家との間を仲介したため、上のような構図が生まれました。
特に、サリナデパートの件は、東日貿易がスカルノ大統領と、政治家の間を仲介して案件を獲得して、それを伊藤忠商事に発注して、伊藤忠商事が大林組に発注するという、複雑な構造になっています。
そうです。商社の力の源泉とは、プロジェクト組成の際に、政治力を利用して、相手国と日本の間でのプロジェクト組成をして、資金確保をして、要所要所に金をばら撒くということだったのです。
これは、商社マンでさえも、ある程度高い地位まで、行かないと政治に食い込む機会はないため、理解できないことですが、利益の源泉は、こういった所にあるのです。
さて、この小説の本質的な質問に戻ります。
物語のエピローグに移ります。
「戦後賠償」とは、戦争中に被害を与えた人々に対する補償です。
しかし、太平洋戦争後の日本が、各国に対して実施した戦後賠償とは、「戦後賠償」とは全く異なるものでした。
国民とは無関係の、トップの政治家レベルで、賠償プロジェクトが決定されて、商社がプロジェクト窓口となって仲介役をする性質のものでした。
この戦後賠償は、後に、ODA(政府開発援助)という形態に形を変えて、引き継がれます。
戦争、戦後、そして現在は、縦の糸として、連綿と繋がっています。
学生に人気のある商社という職業や、JICAのODAや、政府機関や、政治家も相変わらず、横の糸として、密接に繋がっています。
この小説は、過去を通じて、変わらない現在を浮かび上がられる貴重なノンフィクションと言えます。そんな小説を書いて下さった深田祐介さん、そして関係者の皆様に感謝したいと思います。
See you soon.
【2020年6月6日追記】
インドネシアのプロ研究者の倉沢愛子先生の著作「戦後日本=インドネシア関係史」を読みました。定価は5000円以上する高級な本ですが、日本で一番日・インドネシア関係を網羅的に扱っている専門書です。
本書に、この物語の主人公の東日貿易、木下商店の終末が記載されていたので、抜粋します。
それでは、次回⑦に続きます。