はじめまして(東南アジアを探求する♪)
東南アジア・研究家の桐島です。現在、東南アジアに赴任中です。
私の夢は「常勤国際人」になることです。
日本通のインドネシアの国際政治学者アリフィン・ベイ(1925~2010年)は、日本人に対して、耳が痛い、しかし、本質的な指摘をしています。
私は、2011年に東南アジア青年の船(SSEAYP)に参加して以降、東南アジアに強い関心があります。
これは、日本政府(内閣府)が主催するプログラムで、東南アジア10ケ国+日本の青年(18~30歳)が、一緒の船旅を2か月ほどして、5つの国+日本の地方を回るという内容です。
2011年は、10月25日の日本滞在から始まり、フィリピン→ブルネイ→インドネシア→マレーシア→ベトナムの5か国を巡り、日本に帰還するという船旅でした。
日本人は40人、ASEAN各国からは30人ずつ、300人が一緒に船旅をするという夢のようなプログラムで、生まれ変わってもまた乗船したいと思います。
船内では、各種の異文化交流、ディスカッション、エクササイズ等、数々の活動がありました。
船上では、数え切れない出会いがあり、私の期では下船後に、3人の日本人女性がASEANの男性と結婚を果たしました。”Once in a Lifetime experience(一生に一度の体験)”という文言を地で行く旅です。
参加は大学生の時でしたが、魑魅魍魎が住まう京都の学生寮で過ごしていたため、自分の大学生活に彩りを飾る経験が出来たと思っています。
(いま見ると私の暮らしていた学生寮は単なるゴキブリの巣窟)
というわけで、本日より、私が並々ならぬ関心を持っている東南アジアを魅力を少しずつ、わかりやすいゼミ形式で紹介していきたいと思います。
また、私には国家公務員としての顔もあります。
私は、1年浪人して、東京都内の有名私立(経済学部)に1年間通っていました。
そこから、京都の大学に入学しました。
そのため、実質的に2浪という状態で大学生活をおくりました(当時は2浪だと就職が不利という都市伝説もあり)就職に関して、1発で終わらせたいとかなり真剣に考えていました。
2009年にリーマンショックが起き、学生の就職難が訪れていました。
経済が振るわず、その余波は京都にも押し寄せていて、先輩たちの就職が苦戦している様子が目に見えてわかりました。
このような時代背景のなか、自分は何がしたいのか、真剣に日々悩みました。
そして、下宿先から大学に行かず、かわりに岡崎の平安神宮近くの京都府立図書館の2階のDVDコーナーに行き、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見続けました。
そして、多くのプロフェッショナルの方を自己投影してみると、将来的には、ドラゴン桜のモデルになった予備校英語教師の竹岡広信先生や、京都市立堀川高校校長の荒瀬克己先生のように、若い人に希望と動機を与えるような先生になりたいと強く感じました。
しかし、先生という職業をよくよく調べてみると、厳しいことが判明しました。
予備校教師は、実力主義で、待遇があまり良くない。学校の先生は、あまりに拘束時間が長く、自分が成長する機会に乏しかったのです。
よくよく考えてみると、私は、京都でボランティアガイドサークル(Good Samaritan Club)に所属し、外国人に対するガイドをしていたため、日本国内にとどまらず、いつか海外で勉強してみたい、という夢がありました。
そのため、大学を卒業して、すぐに教師になることは、賢い選択ではなく、海外に留学できる機会がある職場を希望しました。
そこで、色々と調べてみると、魅力的な職業がありました♪
「いつか海外で学んでみたい」そんな望みをかなえてくれる選択肢として私の目の前に現れたのは、そう、「国家公務員」でした。
よくよく調べてみると、国家公務員という職は、ある程度の期間働くと、人事院による「行政官長期在外研究員制度」(もちろん、中途採用の方にも機会があります)というものがあるのです。
堅苦しそうですが、要するに、政府がお金を出してくれて、2年間海外の大学院に派遣してくれるという仕組みでした。
また、国家公務員の仕事自体も世界を股にかける国際的なルールメイキングができる非常に魅力的なものであるとわかりました。
大学では国際経済学を学んでいましたし、将来、(Good Samaritan Clubの影響もあり)日本と世界の架け橋になるような仕事をしたいと思っていた私にとっては、「国家公務員」は、目指すべき目標になりました。
そして、それなりに勉強をして、それなりに難易度が高かった国家1種試験を経済職区分で受験、合格して、倍率が高かった官庁訪問も無事にクリアして、希望通りの省庁に入省しました。
東南アジアの魅力のみならず、このような職業に関連する情報も発信していきたいと思います。