鬼舞辻無惨に対抗する「学びの呼吸」ーミニ読書感想『話が通じない相手と話をする方法』(ピーター・ボゴジアンさん&ジェームズ・リンゼイさん)
ピーター・ボゴジアンさんとジェームズ・リンゼイさんによる『話が通じない相手と話をする方法』(藤井翔太さん監訳、遠藤進平さん訳、晶文社、2024年2月5日初版発行)がためになりました。X(旧Twitter)などで大変話題になっていて、そのタイトルに思わず目を惹かれました。まさしく、話が通じない相手と、それでも会話を続けていくためのマインドセット・スキル・テクニックがふんだんに語られています。
入門〜上級までたくさんのコツが順に説明されますが、とりわけ心に残ったのは「学びのモード」です。会話とは普通、学ぶためにするものではない。双方向に言葉を交わし、相互理解につなげるもの、あるいはその場の「ライブ感」を楽しむので、十分です。
でも相手に話が通じず「あ、無理そうだ」となった時に、「学びのモード」に切り替えよ、と本書は説きます。
なぜ「無理」な相手は無理な考えを持つに至ったのか?その考えはどんな要素・ファクト・言説によって形成されているのか?「学びのモード」では、そうした「認識論」を学びます。むしろ、認識論を学ぶことだけにフォーカスするといってよい。
相手に自分を理解してもらおうとか、相手の心に近づくではない。学ぶ。つまり、インタビューに近い姿勢になる。本書では、具体的にどういう質問を繰り出すかや、学びのモードを補強する姿勢・考え方・切り替え仕方も紹介されています。
学びのモードの何が良いか?これを考えた時に連想したメタファーが、漫画『鬼滅の刃』の「日の呼吸」でした。
日の呼吸または「ヒノカミ神楽」は、物語最終盤で登場します。単行本21、22巻あたりで本格化する、ラスボス・鬼舞辻無惨戦。この鬼舞辻無惨が、本書で言えば「話の通じない相手」になる。
『鬼滅の刃』で敵役である鬼は、弱点の首を切断すると致命的ダメージを与えられる。しかし鬼舞辻無惨には心臓が七つ、脳が五つあり、首に対する攻撃にほとんど効果はありません。主人公・竈門炭治郎らの仲間グループはそれぞれ「◯◯の呼吸」を冠する必殺技を繰り出すけれど全く通らない。
全滅が間近に迫った時、覚醒した炭治郎が披露したのが「日の呼吸」。これがその他の「呼吸」と何が違うかと言えば、技そのものが鬼舞辻無惨を倒すためではないことでした。日の呼吸は12の技が円環の如くつながり、まさに神楽のように、技をつなげることで長時間、鬼舞辻無惨を足止めできるのです。逆に言えば、足止めするだけ。
鬼には首以外にもう一つ、「太陽の光」という弱点があり、日の呼吸は足止めを続けることで夜明けを待ち、強制的に鬼舞辻無惨を始末するのが狙いだったのです。
「学びのモード」もまさにそうではないでしょうか?これ自体、相手を「論破」はできない。無理だ〜と思う相手の認識論を掘り起こすのはしんどいですし、そこから相互理解につながることが約束されているわけではありません(相手は自分から学んでくれるわけではないし)。炭治郎も日の呼吸について「途方もない、俺はきっと地獄を見るだろう」(22巻Kindle版99ページ)と覚悟している。
でも、会話は続けられる。神楽を踊り続けられるのです。そして確実に、夜明け=会話の円満な終着は近付いている。
本書では学びのモードの結末をこんなふうに想定しています。
そう、ボロボロになっても最後には「あなたがどうしてそんな考えを持つに至ったか分かりましたよ」と言える。学びのモードには収穫が約束されています。人間観は確実に深まる。
困ったら「学びの呼吸!」と唱えて、相手の考え方の解明にフォーカスする。時間稼ぎする。学ぶための質問をつなげる。これだけ覚えていても、話の通じないあちこちの鬼舞辻無惨と平和的な会話を終えられるような気がします。