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『ぼくは君たちを憎まないことにした』アントワーヌ・レリス氏インタビュー(聞き手・増田ユリヤ)

 『ぼくは君たちを憎まないことにした』(ポプラ社)の著者アントワーヌ・レリス氏の来日で、ジャーナリストの増田ユリヤ氏によるインタビューが実現しました(通訳はフローラン・ダバディ氏)。

 「週刊読書人7月22日号」に掲載のレリス氏の言葉の一部と、未掲載の言葉を合わせてご紹介します。

 『ぼくは君たちを憎まないことにした』――これは、昨年11月に起きたパリ同時多発テロ後に、レリス氏がフェイスブックに綴った「手紙」のタイトルでもあります。

 「金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪った。その人はぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。それでも君たちがぼくの憎しみを手に入れることはないだろう」
 「ぼくは君たちに憎しみを贈ることはしない。君たちはそれが目的なのかもしれないが、憎悪に怒りで応じることは、君たちと同じ無知に陥ることになるから」(土居佳代子訳)

 バタクラン劇場のテロで妻・エレーヌさんを亡くしたレリス氏が、ごく私的なものとして書いた「手紙」は、世界中で、3日間で20万回以上も共有されました。本書には、事件から約2週間の、幼い息子との日常が綴られています。愛と恐れと悲しみと、生き続けるための「憎しみ」との闘いが、妻を失った極限の感情の元で精製された美しい物語。
 ごく最近も、トルコ、マレーシア、バングラデュとテロが続き、フランス・ニースでもまた多くの人々がテロの犠牲となりました。レリス氏の言葉をお届けします。(編集部)

 増田 昨日は明治学院大学に講演に行かれたそうですね。学生たちとどんな話をされたのですか。

 レリス 本の内容について、それから、彼らからは、ヨーロッパの人びとがテロリズムとどのように向き合っているのか、世の中が不安を抱える中、どんな将来が私たちを待っているのか、というような質問がありました。また私の方からも、彼らが日本から、どのように現在の世界を見ているか尋ねました。

 増田 日本の大学生に、どのような印象を持ちましたか。

 レリス 彼らは、年齢的に、また時代的にも大きな過渡期を迎えていると感じました。その中で、日本という国や自分自身を、世界に開くべきなのか、もしくは保守的に鎖国への道を歩むのか、不安の中で戸惑っている印象がありました。

 増田 彼らに対してどんなアドバイスをなさったのでしょう。

 レリス ルーマニアで育ったという日本人学生がいて、同時多発テロ事件の翌日、クロアチアからパリに渡ろうとした、と語ってくれました。日本人として、これからどのように世界に参加していけばいいのか、と熱心に質問してくれました。私は上から答えを教えるようなことは好きではないので、彼に対して、世界中の若者が持っている情熱、或いは偏見や先入観に捕らわれない自由な心を、世の中のために活かそうとする、それだけですよと言いました。

 ただ、一つだけアドバイスしたのは、人生に近道は存在しない、ということ。物事を考える上で、悩むこと、遠回りすることは正しいプロセスであり、すぐに答えが見えるようなときには、その答えを疑った方がいい。懐疑精神と批判精神は、誰にでも学ぶことができるし、そういう姿勢で思考し行動すれば、怖いものはないのではないか、と。

 増田 アントワーヌさんは「自由」という言葉をよく使われますが、生きる上で、そのことを大切に思っていらっしゃるのでしょうか。

 レリス 「自由」は、今の私自身の葛藤を最も表している言葉かもしれません。私が書くことが好きな主な理由は、それが私の限りなく自由な時間だからです。と同時に、私の人生が自由かと言われれば、そうではないでしょう。子どもとの日常の決まりごと、父親としてしなければいけないこと、特に一人親としてやることがたくさんあります。妥協も縛りもあって、私が自由かと言われたら決してそうではない。自由という言葉は、それを語るだけでは、何も起らない。行動が伴わないと意味がない言葉です。自由という言葉を、先を照らす灯りとして、人が何をするのか、それ次第です。

 →本編は、週刊読書人本紙7月22日号をご覧ください。

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