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キャリアと憂鬱(2)

前回の投稿は思ったよりも多くの方に読んで頂けたようで非常に嬉しく思います。有難うございます。なので、今週は前回の続きを書いていこうと思います。


前回のキャリア論

私たちがキャリアについて考えるとき、「やりたいこと」言い換えれば、willを探しなさいとよく言われる。そしてキャリアの計画を立て、それに沿って生きていく事が良いとされている。しかし、その行為は大きな危険を孕んでいる。

キャリアを考えるとき、私たちは未来の自分は「今ここ」の自分と同じであるという前提で考えているのではないか。勿論「今ここ」の自分と未来の自分は同じではない。前提が間違っている状態でキャリアを考える意味はあるのだろうか?

上記を踏まえて「やりたいこと」をどう探していくかという問題が浮かび上がる。人間は恒常性を持つ生き物なので、大前提変化が嫌い。醬油味の自分をある日突然豚骨味にするには勇気がいる。しかし、『味変』ならどうだろう。醬油味の自分に胡椒を少し加えてみたりするようなイメージ。しかし胡椒はいつでも自分の目の前にあるわけではない。

要旨をまとめるとこんなところ。
ここで大きな疑問が一つ残る。『味変』のためのスパイスはどうやったら見つかるのか?ということである。
今回はココをスタート地点に考察を進めていく。

人生の「スパイス」の見つけ方


人生における「スパイス」とはどんなものがあるだろうか?
新しい人との出会ったり、いつもと違うルートで通勤したり、いつもはブラックコーヒーだけどカフェラテを選んでみたり。
スパイスというと、後から足していくもののイメージが強いかもしれない。しかし、現実には偶然から生まれるものが多い気がする。

スパイス探しの旅

ネットの記事や自己啓発本にありがちなアプローチとして「内的な動機を掘り下げること」が挙げられる。

私は自分のキャリアについて周りの人に相談することはあまりない。
その一方で相談されることは職業柄多い。

「やりたいことってどうやったら見つかりますか?」

多くのキャリアアドバイザーはこう答えるだろう。

「自分が好きなことや得意なこと」
「適性検査を受けて自覚した強みを活かせる」

こういった仕事がいいのではないかと。
答えは自分の内側にあるという前提で、そこに働きかけるアプローチ。

私にとってこの問いは、一番回答に困るものだ。
私自身も見つけようと思って見つかったことがないからだ。

「やりたいことがない」

やりたいことがありすぎて、時間が足りません!という人は少数であろう。
特に仕事選びという場面になると、上記に該当する人はほとんどいないように感じる。口にしないだけで、多くの学生(と社会人)はこの憂鬱を抱えている。

内的な動機を掘り下げるアプローチの一つに「自分探し」がある。
特にバブル崩壊後、自己啓発セミナーや本で「自分探し」の重要性が訴えられるようになり、一人で旅に出れば「自分」が見つかるという信仰が生まれる。
(自分探しについては過去記事にまとめている)

「ハレ」と「ケ」

自分探しの旅の手土産として、「やりたいこと」は見つかるのか?
原則として、ノーであると私は思う。

旅行は人生にとって「ハレ」の時間である。言い換えれば「非日常」。
旅行といえば、地元の観光名所に行ってみたり、有名なご飯屋さんに行ったりするのが一般的で、事前に計画を立てることが多いだろう。実際に訪れるといつもと違う気分を味わうことができる。
しかし、観光旅行の結果として自分の中に残るものは、「期待値を超えたかどうか」しかないのではないか。

期待値通りでは印象に残らないし、「映える」と評判のスポットは実際に訪れてみると期待値以下だったということも珍しくない。

つまり、「ハレ」の場である旅行は気晴らしという側面が強く、満足度は事前の期待値に大きく左右される。帰ってきた後は気晴らしの効果もあり、スッキリした気分で、自分が生まれ変わったような気分になる。しかし、時間が経つにつれて、再び憂鬱がフラッシュバックしてくる。つまり、自分探しの旅という「ハレ」の場にスパイスは転がっていない。

衝動

ここで最近読んだ本を紹介したい。

著者の谷川さんは私と同い年の方だったことに衝撃を受けた。
最近のアニメのキャラを例に出しながら説明していくあたりもユニークで非常に面白い内容だった。

過去の人生を振り返って、時間を忘れるくらいに夢中になったことは誰にでも一つや二つはあるだろう。
私の場合は、サッカーやファッション、映画やアニメ、読書がある。

著者の谷川さんは衝動を次のように定義している

本書が扱う「衝動」は日常的な語感と少しずれているかもしれません。衝動というとカッとなって人を殴ったとか(中略)一瞬の感情的高まりを意味するものだと思われそうです。(中略)メリットやデメリット、コスパ、人からどう思われるかなどといったこととは関係がないところに向かう原動力としての「衝動」です。

人生のレールを外れる衝動の見つけ方より

衝動の見つけ方

私たちを突き動かす感情として、「したい」「ほしい」という欲望があります。欲望は衝動なのでしょうか?

例えば、今自分は新しい通勤用のカバンが欲しいと思っている。毎日お店に見に行ったり、ネットでいいものがないか調べたりする。まだ手に入れられていないが、手に入れた日を境に通勤用バッグのことは調べなくなるだろう。

欲望は「強さ」はあるが「持続性」はない。では衝動はどのように見つけていけばいいか?

欲望の「強さ」と「深さ」

起業家のルーク・バージスは「強い欲望」と「深い欲望」を区別した。
「お金を稼ぎたい、綺麗な人と付き合いたい」というような欲望は強い欲望で、深くはない。では欲望の深さとは何だろうか?

ここで谷川さんは『ダークホースプロジェクト』を紹介している。
これは、大半の人が信じる道を外れて型破りな成功を遂げた人についての研究である。

研究者のローズとオーガスは、他人に移し替えられないほど「個人的」であり、文脈や対象を変えると成立しないくらい「細分化」された欲望があることを発見した。これを「偏愛」と定義している。つまり気持ちの大きさではなく、細かなコンテクストの違いに注目することが大切であるということだ。

僕らは偏愛に気づけなくなっている?

スマートフォンでいつでも誰かと繋がれる時代ー。常時接続の時代に私たちは生きている。スマホはいつでもどこでも多くの情報にアクセスすることを可能にし、私たちはSNSでテキストや写真を介して友人とコミュニケーションを取る時間が長くなっている。

スマホで音楽を聴きながら、LINEで友達と次回遊ぶ日の日程調整をしながら、インスタグラムでインフルエンサーが上げている新オープンの店をチェックするなんていうのは日常茶飯事、という人も多いのではないか。私たちは並列的に複数のタスクを常にこなさなければならない。その結果、注意力はどうしても散漫になる。結局私たちは何にも集中していない。

また、SNSで目にするのは欲望の強さを強調する言説ばかりだ。
SNSは自分の感覚ではなく、広告やイメージなどの刺激を通して欲求を生み出す。レビューやレコメンド機能は「これを欲望せよ」と決めてくれる権威や根拠を無意識に求めてしまっている。

つまり、気持ちの強さに気を取られていて、質的な違いに目を向けられなくなっているということである。

今回もまとめるのに時間がかかりすぎた。
もっと簡潔にまとめらるようになりたい。
続きは次回に。