J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
この世の全てが嘘っぱちに見えた時代が、僕にもあったのだろうか。別に大人を気取るほど歳をとったわけではないけれど、多分、高校生の頃に本書を読んでいたならば、今とはまた少し違った感慨を抱くような気もする。
名門ペンシー高校を除籍された主人公、ホールデン。彼は大人への反感を胸に、ニューヨークの街へ旅にでる。私が高校生だったのならば、きっとホールデンに安心して身を委ね、彼の語る欺瞞に満ちた大人の姿に、口笛を吹いたのだと思う。
けれど、大人になりかかった私には、この小説の目的が子供の目線を通した「大人社会」の批判に終始しているとは思えない。大人を徹底的に批判するホールデン少年の目線はむしろ、彼自身の幼さと、そして大人への憧憬をはらんでいる。確かに彼の言う通り、嘘に満ち満ちた大人は醜いけれど、同時にその嘘を見過ごせない、折り合いをつけられない彼は、未だ子供なのである。思春期特有の「宙ぶらりん」が見事に描写された小説だとも思う。
しかし、ホールデンに全く共感できない大人になってしまうのは、寂しいものである。私は物語終盤で、ホールデンが雨に打たれながら、回転木馬に乗るフィービーを眺め、久方ぶりの幸福を感じる場面が好きだ。なぜ好きなのかと問われても、上手く答えることはできない。けれども、多分、人というのはこういう感性を忘れてはいけないのだと思う。
この小説には他にも、「ああ、これはきっと真実だな」と感じさせる描写がいくつかあった。全く、読者冥利に尽きる小説である。