ヤマネ

小説を読みます。感想を書きます。読んでください。

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最近の記事

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ

ジョジーの回復か、継続か。クララに突きつけられた選択は残酷であった。 太陽光を稼働源とし、高機能AIを搭載した人工親友(AF)、クララ。感性と理解力に富んだ彼女は、ある日、自身が売られている路面店にて、ジョジーという少女に見出される。クララに与えられた任務は病を抱える彼女のかたわらに寄り添い、その回復につとめることだった。 しかし、やがてクララは自分に与えられた真の役割を知る。ジョジーの母・クリシーが望んだのは、ジョジーの死後も彼女がAFとしてその後の人生を継続すること。

    • 西加奈子『サラバ!』

      僕がまで信じてきたものは、「諦めがもたらす断絶」だ。僕は今まで、諦めるということは、自分の可能性がかんぜんに潰えることだと、信じ、恐怖してきた。でも、だからこそ、僕は今まで少しばかり努力することができたのだと思う。 けれどもし、これから先、どうしても諦めなければいけないものに出会ったとき、僕はどうしたらよいのだろう。僕はそれが怖い。怖くて怖くてしかたがない。 たぶん、僕にとってのほんとうの「それ」は、この恐怖を超えた先にある。 信条、信仰、そして神様。そのどれもが「それ

      • J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』

        この世の全てが嘘っぱちに見えた時代が、僕にもあったのだろうか。別に大人を気取るほど歳をとったわけではないけれど、多分、高校生の頃に本書を読んでいたならば、今とはまた少し違った感慨を抱くような気もする。 名門ペンシー高校を除籍された主人公、ホールデン。彼は大人への反感を胸に、ニューヨークの街へ旅にでる。私が高校生だったのならば、きっとホールデンに安心して身を委ね、彼の語る欺瞞に満ちた大人の姿に、口笛を吹いたのだと思う。 けれど、大人になりかかった私には、この小説の目的が子供

        • 村上春樹『風の歌を聴け』

          「文章をかくという作業はとりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである」 小説冒頭部で引用された作家、デレク・ハートフィールド(なんとこの作家、実在しない)の言葉である。語り手の「僕」によれば、この「事物」には二つのものがある。自分の手元にあるものと、もう失ってしまったものだ。 しかし、「僕」はその二者と自分の距離を測ることはできないという。できるのはせいぜい、「得たもの」と「失ったもの」をリストアップすることだそうだ。 この小説の意義は、そのリスト

          村田沙耶香『コンビニ人間』

           人の血液は4ヶ月で入れ替わると言う。  掌を部屋の蛍光灯に透かして見えるこの血液は、4ヶ月前に私の全身を流れていたものではないそうだ。果たしてそれでも4ヶ月前の自分と、今の自分は同じ人間なのだろうか。いや、そんなことを私は疑問に思わない。私は私のことを「私だ」と言い張ることができるし、人も私を「私だ」と言ってくれる。それで然るべきである。  つまり、「個」というのはその不変性ではなく、むしろその流動性によって保持されるのである。  これはコンビニも同様だ。日々棚に並ん

          村田沙耶香『コンビニ人間』

          自己紹介

          本を読みます。感想を書きます。それだけです。 読んでくれる人が少しでもいれば良いと思います。ただ読む小説も少し時代遅れかもしれません。それでも今、自分が読み、ここで何かを書くことに意味があると思います。小説は時代を超えていくものです。小説の魔力は永遠なのです。