キュビズムと館内図


 

 

一年ほど前に
上野の国立西洋博物館で開催されていた
『パリ ポンピドゥーセンター
キュビズム展〜美の革命〜』へ赴いた

一月末の肌寒さに耐えられず
唯一持っているコートを羽織ることにした。
美容室に行った際には『お似合い』と
お褒めの言葉を頂いたけれど
やはり、コートや革靴の類が苦手だ。
理由としては『身の丈に合っていない』
の一点張り

社会人として生きる人間は朝に慣れて環境に対応していく、
そしてスーツが馴染むような体格に進化するという話を聞いたことがあるのだが
これはてんで嘘っぱち

経験者は語る。

僕は柄物の古着や、ぶかぶかのパーカーで
スタイルを誤魔化して生きていくのが
丁度良いと判断してる
それでもシャキッとした
コートに袖を通さざる負えなかった理由は
美術展に行くからというある種の
冠婚葬祭には黒スーツ のような
ドレスコード的観点である

馬子にも衣装 
そんなお世辞も僕には通用しない
大人ぶった自分の姿を見ると萎えてしまうので、家を出てから電車の窓や、
建物の艶やかなガラスに映る自分と
極力目があわないように街を闊歩した

上野は神すら休む日曜日ということもあり
家族連れでごった返していた
「動物園に行きたい 白と黒で身体を包んだ愛らしい食肉系クマ科や嘴を南国の果実のように実らせた鳥たちを眺めて一日を終わらせたい」そんな疾しい気持ちを
抑えつつ、前以てネットで買った電子チケットで国立西洋博物館へ入場

スマートフォンでチケットを開示する
通過儀礼があるイベントでは
どんなに列が長かろうと
スマートフォンを早めに開くクセがある
そして始まるのだ

『これは合ってる? 大丈夫?
QRコードは出てるけれど、、、、
もしもエラーとかなったらどうしよう
まずちゃんと買えているかしら?
というか時間指定は正しい....etc』
という脳内テンパりのパーリーが

これは間違いを犯したくない
という完璧主義者の発想なのか
はたまた単なる不安症なのか、
二十数年も生きてはいるが
いまだに解決の策も薬も見当たらない。

今回はスムーズに入場する事が出来て
ホクホクな気分になった。
まるで行き慣れてるかのように
颯爽と会場を進むと早速進路とは真逆に
身体を進めていたことに気がつき
人知れずに顔を赤らめた

パブロ・ピカソ

ジョルジュ・ブラック

フアン・グリス

あまり美術に知見を持たぬ僕ですら
知っているおじ様方の作品を

産まれた頃から
「写真」も「動画」も存在した我々は
「動いてる姿を記録したい?
スマートフォンで録画したらいいじゃない」などとマリーアントワネットよろしく
高貴な発言を軽々しくする

時代を超越した素晴らしき絵画の数々を
見ると人間の果てなき好奇心や意地が
垣間見えた

とどのつまり人は表現をする生き物だ
表現に始まり 表現に終わる

辞世の句もその一つか

キュビズムとは
一枚の画角に多方面の視点を注いだ絵

これすなわち「動画」でもある
と凡人の僕は1人ふむふみと
知ったかぶりに蓋をして考え納得した。

今に比べててんで
文明が栄えておらず、
ガソリンで走る鉄の猪もいない頃
美しき事象を記憶するには
脳と絵しか頼れなかった。

残したかったのだろう
己が生きる世界で巻き起こる美も醜
そしてそれは
動く姿をどうにか切り取りたいという
進化を遂げて欲を募らせる

その欲は
人に筆を持たせて
人に学を求めさせる

キュビズムには神をも凌駕する
好奇心に乗っ取られた人間たちの
バックボーンを見ることができた

「果物を喰らい、糞を撒き散らす
畜生風情を肴にビールを飲むのも
きっと楽しかろう
しかし、これは脳に注射を刺されたかの
ような興奮剤だなぁ」
まだ中盤にも関わらず
僕は大満足になっていた。

何気なく向いた視線の先に
キュビズム展が開かれてる
この会場の案内マップが表示されていた

現在地が赤く塗られており
トイレやエスカレーター
ご丁寧に二階フロアまで記載がある

僕は後ろで手を組み
ただそれを眺めてみた

誰の目にも触れられることがない
社会に溶け込んだささやかなキュビズムを


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