岸田繁(くるり)
ドクロズはたまに良い曲を書く。たまになら、そこら辺のバンドでも良い曲書くと思うけど、それを続けることは半端な気持ちじゃ出来ないことに、若い人たちは気付くことはないのかもしれない。
私が大好きなドラマー、GRACEがドクロズに加入している。ドクロズは真っ当なロックバンドだから、当たり前のようにGRACEのドラムはドクロズに馴染むことだろう。ライブを観てみたい。
出来上がったこの新譜を聴くにあたって、正直なところ私は少しだけ心配だった。本作制作過程において、彼女たちのプロデューサーであるS氏からこんな連絡をもらっていた。
「今度の新作はEDMのサウンドを取り入れたい」
私は数人のEDMクリエイターを敬愛こそすれ、たった2、3年で消費され焼け野原になったEDMのサウンド・アプローチを、今更取り入れて、ドクロズの良いところが無くなってしまったらどうしよう、と心配していたが、それは全くもって杞憂に終わった。
新作、全ての楽曲においてエレクトロニクスをふんだんに取り入れたアプローチで、ドクロズの表層にある「昭和感」や「レトロフューチャー」な感覚とは食い合わせが良い印象。ブレイクやフィルインからは、確かに2010年頃のEDM的なアプローチが聴こえてこなくもない。
ドクロズの個性は元々たいへん強力である。あさこ氏の歌声は時に「毒を含んでいる」と喩えられることもあるが、今作においてはそんなイメージを飛び越えて、極めて旧来のパンクバンド/日本のフォーク的なエモーショナルさを感じさせるものになっている。これは、恐らく本作のサウンドアプローチとコンセプトに触発されたものだろうと邪推する。
打ち込み+パンク、というアプローチは既に使い古されたものであると同時に、これもEDM同様「消費されしもの」。ついついステレオタイプなイメージを持ってしまうものである。ただ、ここに聴こえてくるサウンドアプローチは、よく練られたものであると同時に、根っこにあるものとその活かし方において、ピンポイントでロックファンを魅了するものばかりだ。トーキング・ヘッズやキャプテン・ビーフハート、プリンス、ELOなど「古き良き時代」のトップ(変態)クリエイター達の本気の足掻きを、既に彼女たちは昇華しているわけだから、悪いはずがない。寧ろ、コスプレ的なローファイ感、レトロ感が、これまでの彼女たちにとって飾りでしか無かったのかも、とさえ思うほどに、中身が聴こえてくる新譜であった。
ドクロズは、寧ろパンクであり、古き良きロックバンドである、ということが証明されたこの作品だが、とりわけ、最終曲『美しい鳥』で歌われる、余命いくばくもない日本の季節とお茶の間の感覚。胸を打つ良い歌であると同時に、京都と日本、東アジア、世界、地球、宇宙が近い将来どのようになってしまうのか、そんなことを考えさせられるところが、ドクロズのすごいところでもある。
ドクロズは京都のバンドだけど、もう京都のバンドじゃなくなったのかも。日本を、アジアを、世界や地球、宇宙を謳うバンドになったのか、いや、元々そうだったような気もする。
令和四年七月
岸田繁(くるり)