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夏の醍醐味は歩きチューハイ

排卵日あたりに調子を崩している。が定番になりつつある

彼の育って来た環境と私の育ってきた環境は真逆に近い。
それが今、歪みとして出てきている。

私の、「好きと思える人にしか労力を使いたくない」が潔癖と言われたりする要因のひとつだったり、彼の不機嫌に対する恐怖故の不機嫌さなど、ひとつずつ、ひとつずつの現象は愛らしいものなのに、それが積み重なること、点が線になるとき、生活となる時に問題点となって浮上してくるのだ。



それでも昔の様に喚くことはなくなった
たまに、喚いていた頃の方が楽だったなと思う。
こっちを見てほしい、私を好きだと思っていてほしい、手を繋ぎたい、そばにいたい、みたいな、そういう10代のような感情に振り回されていた方が可愛げがあるしわかりやすいなーとかわいい女の子たちの話を聞いて思う。

とはいえ、喚こうが冷静に考えようが、私には家族が一緒に暮らさなくてはいけない理由が見つからない。
もう、ずっとずっとそこだけは。

いろんな人にどうして?なんかあったの?と聞かれるけど、自分でもよくわからない。
たた単純にみんな笑える方がいいと思ってるだけで、つらいならその場所にわざわざいる必要がないってだけだ。堪え性のない、と言われればそれまでだけど、そもそも堪える必要がどこにあるのかね?というお話…


過去から続く親の影響を疑うことって当たり前だと思っていた。でも、そうでもないみたい。
私は二階建ての家に住むのは向いていないし、車の運転も危なっかしい。内助の功もできない。

でも、これも歴史になるんだからとてもおもしろいよね。


追伸
その歪みはとても美しいよ!

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