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やらなきゃいけないことがあるのに掃除しちゃうあるある

なのに、なぜか、今、貝殻に穴を開けている(22.35)

心が落ち着かなさすぎて、じたばたしてもしょうがない私がおろおろしたり泣けてしまったり。生きるか死ぬかとかじゃ全然ないんだけど、ひとりって絶対怖いだろうなと思ったら距離は邪魔でしかないし私は無力でしかないという思考に向かってしまい軌道修正しながら過ごしてた。1日に何度も電話するのは私が安心したいからだったと思う。
でも、話せば話すほど、田舎は田舎のライフラインの設計があって、インターネットの世界とはまた別の仕組みでまわってたりして強い……そんなのに感心して、また安心する。
電話するたび安心をもらってた。
それでも、こっちに少しいたらいいのになって思ったりして、みんなで暮らせたらそんなうれしいことはないなぁなんて思ってるけど、実際はそれができないのでここにいるんだったんだけど、、
それでもさ、こっちに少しいたらいいのになって

わたしにはなにができるかな?
あの場所でできること、わたしを使ってできること、いつどうなっても大丈夫なようにイメージしなおす。人ごとじゃない、いつ自分が被災者の立場になるのかわかんないんだなって、今までも何度もめげそうなことはあったけど、改めて自分のことになった。自分ごとになるって全然綺麗事じゃない。どうせならならないまま生きていられる方がいい。
ほんとうにほんとうにほんとうに、このまま収まって。

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あの人のことを好きになってよかった、と言ってる友人を見て、ぐっときすぎた。そう言えるのも言われるのも救いだと思ってる。思ってるからぐっときすぎた。

そんな風に言うことはあっても言われることが死ぬまでにあるのだろうか。

わたしはわたしで誰のことなら言えるかなーって思ったらパッと思い浮かぶ人というのはいつもだいたい決まっていて、死んだ時のことまで想像する人は一人しかいなかった(はは、なんか気持ち悪い人になってきたね!)
だけど、好きになって後悔した人なんていないから、それはもう「伝える」か、「伝えない」か、選択の違いなだけかもね。
伝えるって選択したことにぐっときたのかな。
今日聞けてよかった。ありがとう。

今日のよるごはん、ファミレスにてサラダにカットチキンとお味噌汁だけでよっしゃ、カロリーコントロールの鬼だぜ!って我慢できたのに物足りなくて帰ってきてから豚汁二杯とおせんべい食べてしまった。まじなにやってるのだよわたし。
(ここまで書いて寝ましたね)

そんで4時に起きれて胃もたれしてて、再度なにやってんだよ感。

元気に過ごすこと、甘えられる空間を、迎え入れられる空気を、雨と過ごせる楽しみ方を、喜びを喜べる身体を
どうか、みんな生きていて。生きていて会おう!

※感情から生まれる哲学論 P142より抜粋

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