呪いを解きたい
家を出るまで二時間ある。
つくねを捏ねて焼いて、鶏むね肉を切って塩とお酒でもんで冷蔵庫にしまって、お化粧して髪の毛いじってだいたい一時間くらいだと思うから、少しのんびりしながらでも全然余裕だなー
まずつくねに取り掛かり焼き終えて時計を見るとあと一時間。
お、んー、まだ一時間あるし何しよーって、お肉カットをしてSNSのチェックしてたらあと25分で出発である。
まじか。
超特急のメイクアクセサリーなし、歯磨きだけは忘れずに!で無事歯医者さんに行き、現在コメダ珈琲にてギリギリモーニング、私にとってはお昼ご飯(にしないと納得できない程のカロリー摂取)の最中である。コメダ珈琲のモーニングはC(おぐらあん)一択である。余談ですが
そうやって、どうしてもできないことやどうしてもやらなきゃ気が済まないことを繰り返して習慣や私という人間は作られていく。
と打ち込んでいたら東京事変の透明人間が流れてきた。
タイトルの「呪い」のことについて書こうかな。私はもうこの呪いとおさらばしたい。
私は、「やりたいこと」「わくわくすること」「好きなこと」などの表現がとても苦手だ。
聞くたびにどうしても苦しくなってしまう。その括りで集まっている人を見ると、距離を取りたくなってしまう。
実際は自分も楽しいことだけしたいし、わくわくすることを形にしていて、なんら変わらない。なんなら、私以外の全員には「好き」や「わくわく」や「やりたい」だけを選んで欲しいとすら思っている。
なのになぜかその言葉を使う人を苦手としてしまっているのだ。
数年前、ひらすらこれを言われていた。
やりたいことをやってほしい、好きなことをやれるように。って。
当時、はじめての子育てとはじめての職種の仕事、内容、規模とはじめてだらけで悩むことがたくさんあった。
周りの普通と自分の普通が全然違って、違うことが普通だと思っていたのに自分以外の普通がひとつしかないように思え、私だけがおかしいんじゃないか?と毎日自分でじぶんを追い詰めていた
苦しさやその時のしんどさをどれだけ伝えても、帰ってくる答えは「あなたのために」。私はなんにも楽になっていないのに、あなたのためにこうしました。あなたが好きなことをできるようにこんな風にしました。
私のやりたいことや、こうなったら楽しい!は全部無視されて正義のシャッターを降ろされたような気分を味わい続けていた。
という日々があった。
それから、やりたいや楽しいが怖くなった。
家族や仕事というどちらかというと形が崩しにくいものの中でなんとか生きようとしていて、そのために強くなるしかないみたいな、頭もカチコチ(ここでいう強くなるは耐性をつける)。
とりあえず、私の好きなものや大事にしているものはわかってくれる人だけに渡そうとどんどん縮こまっていって。そしたら外に出すことが怖くなって、音楽を作ることも意見を言うことも、人の顔色を伺って「まぁ、どっちでもいいけどね」って自分が傷つかないように予防線を張って過ごす時間ができあがっていった。これは本当に苦しかった。
自分でやってるのに自分じゃないみたいで、占いばかり見ていた(そうだよね、自分で決められないと思っていたから自分で決めている感覚がないんだもん)
わざと大きく振舞ったり派手に酔っ払ったりもした。楽しいけど虚しくて、こういうよくあるエピソードって、本当にだいたいの人に当てはまるもんなんだな、とか思ったりしていた。
(激情と冷めた自分が交互に出てきて、冷めている時の自分は思考自体が冷静であると思い込んでいた部分もあり。正義VS正義で余計自分を呪っていく)
今思えば、助ける側も精一杯知る限りをいろいろと尽くしてくれていたのだ。きっと、そうだ。ただ、合わなかっただけ。
でも、傷つかないかと言えばそうじゃないし、あの時のことがぐっとぐっと奥の方に刺さったままなんだなと思い出すことがまだまだある。
今でも、他人のそれが成り立っているのを見るとつい厳しい目になってしまう。甘ったれんじゃねーぞ、私はなんにもしてもらえなかったんだからなって。
どんなに本人が辛そうでも、救いたい人と助けてもらいたい人の
やってほしい←→やりたい(できるとも言うかも)
がマッチングしてて羨ましいんだ。
私は話を聞いて欲しかった。
知って欲しかった。押し付けないで欲しかった。確認して欲しかった。つらかったねってその先の意図がない状態で言われたかった。
決めつけないで欲しかった。
ずーっと、ただ憎いだけだった。
忘れたいのに許すのも癪で、手放したいって言いながら抱きしめてた。
それにしっかり気づけたのも最近だ。
私は呪いを解きたいんだ。目的はそこだ。
もっと言えない言葉を見たい
言えないその表情を抱きしめたい
できれば誰にも曇らぬ笑顔で過ごして欲しい
苦しみは美しさとセットでありたい
そういう言葉にしづらいものがそのまま存在して、それでも手をつなげる場所を作りたい。
それを先生ではなくて職人のように残したい。
私のやりたいことはそれで、好きな人たちが笑っているのを見るのが好きです。
イメージを形にして喜んでもらえることが喜びで、瞬間の力を持続の力に一緒に変えていける人のそばにいたい。ばかばかしいことに笑ったり悲しんだりしたい。未来だけじゃなく過去も愛したい。
シンパシーよりワンダーを。
生き様を見せつけたいし、それを普通にしたい。
きっと、みんな同じだ。
ここから呪いは解けていくであろう。
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