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子供、良心的な身内の心を平気でえぐる、毒祖母と毒母体験談①

こんにちは。
毒家族、毒親育ちのMです。
自己紹介はこちら。

とにかく、私は強烈な毒祖母と毒母に
育てられました。

身体的暴力、暴言、育児放棄、、
どれもこれも思い出せば
今でも腹が立つことばかりです。

その中でも特に濃厚に覚えているのが、
私が中学生の時。

母親に
お前は私の子じゃない!
産まなきゃよかった!」

家を追い出され、保護施設に
引き取られるところを、
祖母とは離婚していた祖父が
引き取ってくれたんです。
それも片半身不随の祖父が、、。

今は亡き、唯一私の大好きな家族です。

祖父との二人暮らしが、始まり、
私は初めて、
家に私を愛す家族が待っていて
くれているという感覚を
覚えました。
中学も祖父の家の学区内に
転校し、それまでずっと
不登校だった私ですが、
祖父と住み始めてから
一度も休むことなく、
幸せに暮らしていました。

そんな幸せも束の間。
1ヵ月位経つと、
お母さんから着信が来ました。
「私が今まで悪かった。
もう悪いようにはしないから
帰ってきて。」

何度もその誘いは断りましたが、
初めての母親からの甘い言葉。
電話するたびに、正直、
心が揺るぎました。
でも、無償で私を愛してくれる
祖父と、慣れてきた学校、、
母親も私に甘い声をかけているのは、
程良い距離感あってこそだと、
自分でもこのままの暮らしの方が
いいことはわかっていました。

ある日、私が学校の校庭で
授業を受けていると、
ガリガリの女の人と、
べったり隣にくっついって
歩く、二人の影が、、
私の母親と祖母が
学校まで押しかけて来たのです。

母「M、、今まで本当に
ごめんね。お願いだから
もう帰ってきて。
これからはちゃんと
Mのこと考えるから。」
祖母「お母さんも反省してんだから!
もう帰ってやんな!!」

ドラ○もんのスネ○の
何百倍も性格を悪くしたような
人が私の祖母。
うちで言うジャイアンは母親。
母親の言いなり子分で、
今も昔も大嫌いな人です。

そうはいっても、なぜか
子供って、母親の
甘い言葉に弱いんですよね。
愛されていなかった私は
尚更、愛に飢えていたんです。

私「そっちに戻っても学校だけは
こっちに通いたいの。」

私の人生で最大と言っても過言ではない
選択ミスをしてしまいました。

続きはこちら。

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